二百ノ三十二話 厄災にして、魔戦神
男は叶いもしなかった夢に絶望していた。そんな絶望に浸っていた。やはり世界というのは、自分を拒絶しているのだと確信してしまう。世界が自分を拒絶するなら、世界から最初に直さないと自分は幸せにならないのだと理解してしまう。
そんな運命を受け入れられるか。そんな現実を受け入れられるか。こっちの方が夢であってほしいものだ。しかしそれは紛れもない事実であるから、受け入れる以外に選択肢は存在しない。
本当に自分が何をしたって言うんだ。自分が世界に何かしたのか。そんな虐めみたいな事をして、世界は楽しいのかよ。
男は右手を力強く握りながら、そこには血を滲ませていた。強く握り過ぎて、悔しくて、悲しくて、辛い現実をただただ反射的に拳を握り締めていた。
今までやってきた事は、一体何だったんだ。ここまでしてきた道のりを否定する世界は、何の為にあるんだと男は言いたい。叫びたい。しかし男は理想主義者ではない。現実主義者である。それ故に合理主義者であり、叫んだ所で無意味だと、心の奥底では理解してしまう。
だから唇を噛んで、痛みを感じて苦しみを痛みに変換して楽になろうとしついた。それ以外に己が自我を保つ手段を、男は知らなかった。
「本当に俺ってなんなんだろうな」
男は妹を生き返らせかっただけである。ただ妹に強く生きてほしかっただけだ。幸せになって欲しかっただけだ。その為なら、どれだけの非道だって行った。自分と同じくらいの絶望だって、他者に与えた事だってある。その罪を全部であるが、男は、被っている。男は自身が犯した罪を理解している。
男の本心は違っていた。妹を生き返らせたいと願いながらも、傍らにはいつも存在していた。こんな理不尽な世界を許容したくないという自分がいる事に。世界を憎む事が、彼の非道を自我を保ちながら行えたのは、そのような理由である。他者の悲鳴が、他者の幸せを壊すのが、たまらなく快感へと変わっていた。
さっきまで幸せだった存在が、何かを失う事で即座に絶望する姿に男は嬉々としてしまっていた。上流階級だった金持ちどもが魔薬により壊れ出す姿なんか、愉悦に浸ってしまう自分がいた。
だから男の本懐はやはり、他者を憎み、国を憎み、世界を憎む、あらゆる全てを憎むしかないのだと理解していた。このような戦杯に、全てを委ねてしまっていた自分が心底憎い。この戦杯だって世界の一部であるのは、変わりないのだから。
男は顔を上げた。絶望から立ち直って、体を起こそうとした。そんな時、目の前に女の子がいた。男からすると、それは願ってもない存在だった。
その女の子は、見た目の歳的には十歳位の幼子に見え、黒い薄いワンピースを着用していた。そして美女と形容されるような、容姿が整っていた。その世界から許容されるような美貌には、ムディナは心当たりがあった、それは男と同様の顔立ちをしていたからだ。
ムディナはいつの間にか居たであろう存在に驚愕する。さっきまで明らかに居なかったはずの存在だ。認識というより、世界から排出された。そんな風にすら、思えてしまう。それは異質、異常、空気が凍りつき、国が凍りつき、世界すらも凍てつく、そんなあり得ない存在が目の前にいた。
ムディナは久しく感じていない感覚だった。肌が凍てつくような、そんな感覚が全身を覆うように震える。それだけの圧が女の子にはあった。
しかし男は涙していた。それは妹だと。戦杯が願いを聞き届けてくれたのだと。その女の子は、愛おしい眼差しを男に向けていた。
「お兄ちゃん、何で泣いているの?」
その女の子は、優しく柔らかな手を男の頬に当てる。冷たい手が、ひんやりと男の思考を冷やす。でも、それでも男の涙は止まらなかった。あんなに待ち望んでいた妹の姿を再認識出来るとは、思いもしなかったからだ。
だから男は涙のあまり、嬉しさのあまり、口から声が出なかった。それが精神的に幼い少女には、何かを思い起こしただろうか。
「また誰かに虐められたの? お兄ちゃんを虐めたのはお前か!?」
妹は即座に殺意を籠めて、ムディナに威圧を強めた。その威圧そのものが物理法則に影響して、破壊のエネルギーを形成した。
ムディナは本能的に危機感を感じて、無限のエネルギーを目の前に束ねる。しかしそれを凌駕するレベルでの破壊のエネルギーが解き放たれた事で、ムディナは吹き飛ばされてしまう。
ムディナは受け身を取り、体勢を立て直そうとする。そうして目の前を認識すると、そこに少女の姿はなかったかと思われたが、少女は目の前にそこに確かに存在していた。曖昧な存在であるのだろう。そこにいて、そこにいない。物理体であり、幽体であるような不可解な存在なのが、今の少女なのだろうか。
「私達を虐める害悪は、消えろ」
少女の殺意が、虚無の力を発揮する。手で振り払うかのようにする。そうすると全てを無に帰する力を発揮して、ここら一帯を消滅させようとしていた。まるで消しゴムで、間違っていたであろう部分を掻き消すように。
無限のエネルギーを莫大に増幅して、虚無の一撃を防ぐ。エネルギーがぶつかりあった瞬間に、とんでもないエネルギーが一瞬にして消え去った。
何つう、破壊力だよ。幼い少女が持っていていい力じゃねえぞ。戦杯の願いは、どうなっているんだよ。あんな化け物を、男は願っていたっけか。あんなに異質なものを創り出すのが、戦杯なのだろうか。
ムディナは憤慨する気持ちを抑えながら、冷静に少女を分析していた。このままでは劣勢になり、負けてしまうだろう。底知れない邪悪を形作っているような、違和感が少女には帯びていたからだ。
それは男と似ているような気さえする。それだけの絶望を、少女にもあるのだという事になる。その兄妹は、どんな幼少期を過ごしていたら、そんなに邪悪を溜められるのかムディナには不思議でならなかった。
「あれ? 消えないんだ。意外にしぶといね。面白くない」
少女は手を前に翳して、握るようにする。そうすると時空間そのものが、ムディナに押し潰されるように圧縮されていた。圧死とは明らかに違う、時間が遅く感じて、自らの存在そのものが縮小するような、そんな不可解な感覚を覚える。
ムディナは何度も死を経験している以上に、死に敏感になっていた。これは明らかに異質な危機感だと、理解して反射的に無限の力で少女の力を中和する。
しかしムディナは何とか中和する事で、精一杯であった。無限の力は確かに強力である。限りのないエネルギーというのは、それ程に強いのだ。無限の可能性というのも、全能にすら思えてしまう。
それはムディナはあくまで可能性を定義出来るものに限られるし、膨大過ぎるエネルギーを、単一であるムディナ個人では扱えるものではなかった。
ただ少女は違う。膨大なエネルギーを、感覚そのもので理解して行使している。それは戦杯が、そう定義して創り出したからだ。それに見合った本能的操作感覚を理解させてしまっているからだ。
「まだ死なないんだ。これは面白い玩具だね。そろそろ遊びますか」
さっきまでは娯楽だったかのような事を、少女は口にする。それだけに、ムディナは焦りを見せていた。あれで劣勢であったのに、直近で本気でされたらどうしようもないからだ。
少女の手には、赫い剣が握られていた。血そのもので創り出されたかようなドス黒い色をしている、渦を巻いているような不思議な形状をしている剣であった。
それは天人神の御伽噺にあった、戦杯が世界を滅ぼしたであろう剣そのものであった。そして少女について、ムディナはようやく理解する。
少女の異質さにムディナはようやく合点が入った。少女は普通の人ではない。少女は神である。それも御伽噺にあった厄災にして、『魔戦神』だった。
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