二百ノ二十一話 変わりたい自分と変わらなきゃいけない世界
世界は残酷だ。とても人という人物にとっては、良くない癌のようなものだ。普通では決して耐えられない精神を蝕むが、世界である。だから俺は世界を嫌悪する。憎悪する。
とある広々としている無機質な地下室を、男は歩く。黒い髪をしており、その顔は整いきっている。そして黒いマントを巾めかせながら、男は異様な雰囲気を見せていた。
その男の顔は、何処か諦めているようなそんな顔を浮かべていた。何が男を変えてしまったのだろうか。何が男を、こんな事にしてしまったのだろうか。それは誰にも分からない。分かる必要性すらない。だって他者とは、そんなものであるからだ。
「ドクターとカラスが居なくなりました」
男の側にいる黒い風貌の人がそんな事を、男に言う。どうやら男の秘書のような人物であり、茶髪の男性だった。その茶髪の男が、男に報告すると苦虫を噛むかのような顔を浮かべた。よほどその報告の内容が、答えたのだろうか。
「ドクターはまだしも、カラスが居なくなるとは。相手はよほどの強者のようだな」
二人とも男にとっては、それなりの側近に位置している人物であった。だからこそ自分が選出したであろう、認めたであろう二人の実力を疑う事はない。それはつまり、相手の方が完全に強さは上手だったという事になるのだ。
「しかし我等の目的は、変わらない」
男はそのまま歩くと、とても大きな扉に辿り着いた。その扉は開いており、数十人はいるであろう騎士であったものの肉塊が、そこに転がっていた。
男は平然と何食わぬ顔で、ただその肉塊を無造作に踏み締めて前に進む。男の眼は冷めきっていた。その肉塊に対しても、憎悪としか言えないような感情を抱いていた。
この男にとって人などどうでもいい。世界などどうでもいい。自身の目的以外、何の価値もそこには存在していない。その惨状など、ただの副産物にしか感じない。その惨状が罪だと言うなら、世界すらその罪状で、裁かれてほしい。そんな事を男は思っている。
「そろそろ……………………本番だな」
男の眼には決意が宿っていた。ようやく自身の悲願が叶うと思うと、嬉々としてしまう。やっと暗く、じめっとしたようなところから出られると思うと、嬉しく思わない訳がない。光に手がようやく届いたのだ。
そのまま突き進む以外に、何ら躊躇いはない。どれだけの犠牲があろうが、どれだけの屍があろうが、どれだけの非道があろうが、どれだけの苦難があろうが、そんなものは全てゴミとして投げ込もう。
男の周りには数千は超えるであろう、軍勢が男に対して膝を下ろしていた。男は一種の王のようである。皆、黒い身に染めており、それが世界に対する反撃であるかのような、そんな印象を受ける。
「荘厳だな。我が道も、ここまで来たかと思うと、考え深く思うよ」
男は白く光り輝いている杯を手にする。それが男が、このトーラス国に来た目的である。それは『天人神の戦杯』であり、血が溢れ出す時、その者の願いが叶う曰く付きの願望器であった。
天が、神が、世界を巻き込み、戦争をして、その血が溢れ出した時、世界に対する平和を願ったそうだ。争いをしなければ、願いすら叶わないというのは、なんとも言えない皮肉のように感じる。その時、どれだけの犠牲があっただろうか。どれだけの悲痛があっただろうか。
男が唯一知っている物語の神話であった。神など信じない自分であるが、その物語だけは何故か心に来るものがあった事は思い出す。
男は数千のいる軍勢に眼を向ける。男はその戦杯を掲げながら、ただ宣言を口にする。これから起こるであろう惨劇を、その口から説明が入る。
「我等が目的は、ただ一つ。世界の矯正だ。もう君達が絶望する必要などない。もう憎悪する事などない」
そう男は高らかに叫んだ。男のその目的の為に、これだけの軍勢が集まったのだ。男のカリスマ性が、男をここまで連れてきたのだ。男の頭脳が、ここまでの道を繋げてくれた。男の実力が、ここまで生きさせてくれたのだ。
もう充分だろう。もういいだろう。ここからは、もう何も惜しくない。
「世界が君達を拒絶したのだ。どれだけ苦しかっただろうか。どれだけ辛かっただろうか。しかしこれから作るであろう世界は、君たちを二度と苦しめる事などない。辛くさせない。さぁ!? 世界を新たに望もう。不公平を、公平に!?」
それは男がこの組織にいる意味であり、目的である。その組織の理念を口にした。不公平を、公平にするのが、この組織の理念だった。だからこその『イコーリティ』である。
不条理を、不平等を、不公平を、男は正そうとする。世界がそうさせるのだ。人が、存在が全てそうさせるのだ。だから俺達は抗おう。抵抗しよう。全ては公平な世界の為に。
「それでは劇場を始めよう。手始めに、観客を、死に導こう!? 我等が為の目的の為に、紳士的な死を贈呈しよう」
男のその言葉と共に、数千いたであろう軍勢が一斉に姿を消した。これからは、この国が戦場となるのだろう。数万、数十万人が犠牲になったところで、仕方ないのだから。
自分は変わりたかった。自分の世界は変わりたかった。正義はあるのだと。正解はあるのだと。そう幼少期は思いながら、ずっと生きていた。しかしそんなものは何処にもなかったのだ。正義も正解も、そんなものは強くて、上にいる人間には関係などないのだった。
だから男は手始めに世界から修正する事にする。世界が治らないと、直さないと、自分すら変わりようがないのだから。
「なぁ…………シミター」
男はその茶髪の男性に顔を向けて、シミターと口にする。どうやらその茶髪の男性の名前であろうか。シミターと呼ばれた事で、跪きながら顔だけは男に向ける。
「何でしょうか? ミズリ様」
シミターは、ミズリと呼ばれている男に対して絶対的な服従を約束している。自身を救ってくれた大恩人であるからだ。自分に明日という光を、最初に魅せてくれた人だからだ。
だからシミターは、ミズリに付き従う。ミズリが死ぬ時、シミターも死ぬという風に約束すらしている。それが彼が生きている理由だからである。それ以外の価値など、シミターには一切存在しないのだ。
「これから世界を創り直そう。シミター、君が居たからこそ、俺はここまで来たのだ」
誰もいないトーラス国の宝物庫の中の空間で、ミズリは手をシミターに向ける。シミターはその手を握り、立ち上がる。ミズリにとって、シミターは秘書というよりかは最早、相棒に近いものである。
誰よりも身近で、誰よりも信頼出来てるのだ。シミターもそれは理解しており、ミズリに顔を向ける。
「そうですね。世界を創り直しますか。明日には光が待っていると信じて」
ミズリはフードを脱いで、スッキリとする。肩を解しながら、宝物庫を後にする。数千人も人がいると、肩に力が入ってしまうミズリがそこにはいた。
『イレス・レバート』と呼ばれていたその男性の偽名は『ミズリ』。それも全てありもしない名前であり、男には名という個体を示すものは存在しない。
男は全てが無くて、全てを失くして、妹だけが指標だった。妹だけが、男の生きていい理由だった。しかし男の周りには、既に妹と呼ばれているであろう存在がいない。
世界が妹を殺したのだ。世界が妹を拒絶したのだ。だから俺は世界が憎い。世界すら憎悪、嫌悪する。この悲しみを、全て世界にぶつける。他者にぶつける。笑ってニコニコとしている罪悪に向けて、悲痛を伝えよう。
「ははは……………………アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!?」
男の高らかな笑いが、無機質な廊下に木霊した。
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