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その10

 瞼の裏に残像が焼きついている。押し潰された肉塊が車の振動でゆらりと崩れ、物体と物体の隙間の奥に寝そべった人間の頭部らしき形状を目視した。もちろん人間だと断言できないし、精巧な人形やマネキンの類かもしれない。それらが呼吸をしていたか否かまで判断する余裕がなかった。

 とにかくひどい臭いがした。家畜。もしくは猛獣。雨に濡れた野犬のような臭いでもあった気がする。汚物やゴミの腐敗臭や人間の体臭ではなく、そう、獣の臭いだ。

 一瞬の記憶を脳内で再生する。

 牛がいた。犬や猫も。それらが息絶えていたのは明白だった。トラック荷台の縁に背凭れていた人間の影が幾つもあったが、理闘がトラック扉を開放した光に反応を示さなかったので鮎川儷と同様に気絶していた可能性がある。

 動物の死骸を運ぶだけなら不法投棄の疑いで済むが、人間が攫われているのなら警察に通報する案件だ。理闘はメモの代わりとしてスマホにトラックの車体ナンバーを打ち込み、自分宛に送信しておいた。

 頬を打っても覚醒しない鮎川儷を背負いながら適当な避難場所を目指して一歩一歩を踏みしめる。小型金庫を上下の歯でがっちり噛みしめているので息苦しい。

 二人は、夏場にいつまでも放置した野菜くずが溶けたどす黒い汁気を頭からかぶったような姿だった。路地裏で鮎川儷を下ろし、ハイブランドらしき薄着の上着を脱がす。

 米国と英国の国旗が混じったようなカラフルなエンブレムが印象的なジャケットだ。ツインテールの上着と一緒に二着まとめてコンビニのゴミ箱に捨てるとかなりマシになった。コンビニで購入したタオルとミネラル水を使い、ツインテールは献身的に鮎川儷の汚れた顔を拭っている。

 ミニスカニーソのツインテール女子は須藤しえあと名乗った。

「……あなたは大丈夫なの?」

「え? 何が?」

 しえあが人工的に濃い睫毛を派手に瞬かせたので、理闘は怪訝に目を細めた。

「何がって。鮎川儷を含めてトラックにいた人たちが気絶していたでしょ。あなた……須藤さんは平気そうだけど、もしかしたら無理してるんじゃないかなって」

「臭いが気になるけど、他は全然へっちゃらだヨ。最高にテンション上がってて気絶してる場合じゃないし、今最高に幸せだし」

 しえあはへらへら笑いながら、せっせと鮎川儷の耳や首筋の汚れを拭きとっている。

「これがレイの肌……筋の弾力と皮の感触……生きてる熱……喉仏の感触……耳から首……目元……鼻筋……頬……顎……口唇……整った顔……うふうふ、ああもう、どこからどう見てもかっこいい。まさかレイの顔に触れるなんて思ってなかった。ありがたやありがたや。わたしはこの日を一生忘れないゾ」

 鮎川儷の頬を撫でてうっとりと見つめ、ロン毛を指ですくように耳にかける。

「耳ふにふに。髪さらさら。もらっちゃお、えい」

 しえあが鮎川儷の頭皮から数本一気に引っこ抜くと、痛みの反射なのかびくりと頭部が跳ねる。ポケットから取り出した透明なピルケースに収納したあと、続いて鮎川儷の右手を取り、柔らかなペーパーで指を一本一本ゆっくり拭いてゆく。

「見て見て、レイに指紋があるんだけど! 可愛いなア」

「そりゃあるでしょ。指紋が可愛いってどういうこと」

「ほらほら、一本一本に指紋があるんだってば! 可愛い!」

「私にもあるわよ。何が珍しいのよ」

 しえあは鼻歌まで奏でだした。

「ふむふむ。レイの右の親指は渦状紋と。人差し指も過状紋。中指は……えっ、あらあら五本とも過状紋? 何かすごい」

「それって凄いの?」

「指紋は大きく四つの型があって。渦状紋。蹄状紋。弓状紋。変体紋。もともと日本人は渦状紋と蹄状紋が半々くらいの割合らしいけど……あれ……左手も全部渦状紋だ。てことは十本が渦巻き型! 覚えやすい。レイの新情報を更新! むふふ、左の薬指のサイズは把握してたけど指紋の割合は知らなかったなア! あっ爪! この爪の形は緻密な左脳タイプの理論派で、几帳面で繊細で人に親切で、だけど粘り強く自分を曲げない頑固な性格って言われてるタイプ。いいな爪。爪欲しい……」

 ちろりと理闘を見上げてくる。

「レイの爪を剥がしても見逃してくれる?」

「あなた正気? 冗談よね。さすがに気の毒になるわ」

「小指でもだめ?」

「どうして小指なら大丈夫なのよ。鮎川儷の小指に痛覚はないわけ?」

「なら爪切り持ってたら貸してくれる? 爪の欠片だけ持って帰る」

「持ってるわけないでしょ!」

 ちぇと口唇を尖らせたしえあが宝物を磨くように念入りにタオルを滑らせる。

「ぬふふ……肌のしっとり感が半端ないから爪の甘皮まで完璧な湿度を保ってる。ささくれがない。ツルツルすべすべぷにぷに……はふう……なんか美味しそう……山奥に閉じ込めてしまいたい。ああもう監禁したい監禁したい監禁したい」

「うへえ」

 理闘は渋面を作ってうめき声を漏らした。しえあの言動が気色悪く思えてきた。 

 そもそも彼女は金を払って鮎川儷の握手会に参加するファン――男子高校生とたった一分間密室で過ごす権利に金を支払う人種だ。しかし。気持ち悪いと本音をぶちまけて篤い金づる……いや熱心なファンを手放すのも惜しい。

 理闘は脇に抱えた金庫に目を落とした。我慢だ。忍耐だ。口を噤むのだ。

「須藤さんは儷に大変興味がおありで」

「もちもち! 大ファンだもん」

 こちらが質問する暇もなく、しえあは鮎川儷の生い立ちや素性を簡潔なデータ形式で流暢に語りだした。探偵が身上調書したレベルに等しかった。営業的に笑おうとして釣り上げた理闘の口角がひくひくと震えた。

「まさか、鮎川儷が昨日食べた夕食のメニューまで知ってるんじゃ……」

「うふうふ」

 意味深に笑うに留める。これ以上深入りしてはいけない気がした。しえあが何処からかメジャーを取り出し、鮎川儷の寸法を測り始める。

「縦幅の比率。横幅の比率。額から眉まで。眉から鼻下まで。鼻下から顎まで。うんうん。1対1・6。やっぱりかあ! こめかみから鼻先。鼻先と口角。ヤバすぎ~」

「あのね須藤さん」

「耳から鎖骨まで。鎖骨の長さと幅。肩甲骨の間。脇から肘。肘から手首。いやん、長すぎる! 指も一本ずつ……と。肋間の幅。胸郭の厚み……おへそ……」

「須藤さん!」

 しえあが鮎川儷の衣服を剥いで腹部を直接確認しようとした為、鮎川儷を管理する者として制止の声をあげた。いくら相手が男でも、意識のない人間にやっていいことと悪いことがある。男女が逆ならば変態認定で完全にアウトだ。

 しえあは曇りない瞳で小動物のように首を傾げている。注意した理闘の方が不自然だと言わんばかりの表情に敗け、ついと話題をそらした。

「その……ね……須藤しえあって名前は所謂キラキラネームと呼ばれるものかしら」

 しえあは子供のように頬を膨らませた。

「いいよネ、キラキラは。わたしはキラキラしてるものが好き」

「私も好きよ。主に金銀財宝や宝石だけど」

「レイの顔や身体は言うまでもなく、吐いた二酸化炭素さえキラキラしてる。ああ、見てるだけで溜息が出ちゃう。ほんとにほんとに好き。わたしはキラキラしてる人が大好き。美少女も美少年も美女も美男子も世界の至宝だと思ってる」

「え。美少女も好きなの? 同性なのに?」

「キラキラは性別を超えるんだヨ。いわば芸術。キラキラした美少女と美少年は尊い音楽や絵画や美術品と同じなのー! 絶対に手に入れたーい!」

 両手の指を組み、瞳を潤ませて熱弁したのは、金持ちの変態が口にしそうな下卑た主張だった。

「そうそう、刑事アクションの連続ドラマから派生して作られた劇場版が先週公開したよネ。あれは裏テーマがLGBT+じゃない?」

 皆さんご存じの、という風に言われてもわからない。

 理闘は知ったかぶりの術を使った。

「ああ、あれ」

「ゲスト出演してる女優のリーナが手術した直後から撮影が始まったって噂だヨ。リーナは知ってるよネ。先祖の遺伝子を調べたらいずれ自分も乳癌を患う可能性が高いから、両胸を切除したリーナ。世界的に報道されたでしょ。でもねでもね、それは表向きの理由で、実はこの映画のための役作りで手術したって噂があるんだ」

 理闘はぐっと眉を寄せた。

 適当に聞き流せなくなった。

「ちょっと待って。健康なのに手術したの? 癌でもないのに?」

「だからだからそれは煙幕で、実際は映画の役作りじゃないかって話」

「まさか。たかが映画に出るくらいで身体を切るわけないわ。健康な身体から部位を切り落とすことがどれだけ消耗するか、不自由になるか、とてもじゃないけど、富や金と代償にしてもできることじゃない」

「うんうん。真実はリーナにしかわからないけど、芝居に関してストイックなある人だから納得しちゃうんだ。すっごい美人なのにすっごい才能もある。どんな役を演じても完璧だし! すっごい美人だし!」

 才能があるなら尚更、自分を切り刻んでまで役に擬態せずとも芝居で充分だろう。

「リーナはすっごい美人。とっても綺麗。今回の映画も百万人動員のロングヒットを記録したら舞台挨拶をやるって宣言してるから、絶対に見に行くつもり」

 瞳を潤ませてうっとりと空に宣言する。

 そしてピタリと動きを止めた。

「でもでも、今はレイに集中しなきゃ。チャンスチャンス~」

 すっかり高揚したしえあは鮎川儷の首回りを測り始め、脇下、二の腕、手首、指の太さ、胴回りと順に下へ降りてゆく。「腰回り」と呟きながら、はあはあと息を弾ませて鮎川儷のベルトに手をかけた時、さすがに理闘は我に返った。

「須藤さん! あの、その、そうよ! あれだわ! さっきの男たち……握手会に乱入して暴れてた腕章の男について何か知ってる?」

「知らない」

 即答だった。

「奴らが現れたのはちょうどあなたの回よ。目撃者はあなただけなの。よく思い出してもらえないかしら」

「レイと話してたらむさくるしい男が二人で乱入してきただけ」

「それは私も見たわ。男たちはあなたたちに何か要求してこなかった?」

「何も」

 しえあがふるふると首を振る。

 腕章の男は理闘に用がないと言い切った。しえあに心当たりがないのなら、犯人の目的は鮎川儷で間違いない。初対面の時も鮎川儷は傷害未遂に遭っていた。腕章の集団とどんな因縁があるのだろうか。

「鮎川儷は幼稚舎から明峰学園に通ってるのよね。あ、いや知ってるわよ当然」

 理闘は知ったかぶりの術を使った。

「もちもち! こんなに美少年なのに成績もトップクラスで、しかもいずれ大きな総合病院を継ぐお坊ちゃま」

「出来すぎよね~」

 笑いながら話を合わせてみたが、鮎川儷の実家が金持ちだと知って鼓動が早まった。通りで高校生の分際で財布に現金六万円も持ち合わせているわけだ。

 改めて胸に誓う。鮎川儷は金になる。絶対に逃すわけにはいかない。

 ぺしぺしと頬を叩いてもまだ意識が戻らないので鮎川儷をタクシーで送ることにした。家まで付き添うと強弁するしえあを宥め、恐縮するフリをしつつも固辞した。

 今回の事件について後々聞き取り調査と証言を頼む場合を踏まえて、須藤しえあと連絡先を交換しておく。須藤しえあを乗せたタクシーを見送りながら――鮎川儷を自由に触った代金を吹っ掛ければ良かった――と詰めの甘さに思わず舌打ちした。

 タクシー代は握手会の儲けから持ち出した。救助の労力とコンビニの支払いを後でまとめて鮎川儷に請求しよう。自宅の住所がわからないので、先ほど聞いたばかりの有名な総合病院へ向かった。帰宅した理闘は体力も気力も使い果たしたのか、ベッドに倒れると同時に気絶するように眠った。夢は見なかった。

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