09:婚約破棄撤回ですわ
「その婚約破棄、待ったをかけます!」
聖女の一声に、場が唖然となりましたわ。
でもきっと一番驚いていたのはアタクシかエムリオのどちらかでしょう。
「何を言っているんだい、ヒジリ?」
「ですから婚約破棄はやめてくださいとそう言っているんです。……うっかり婚約破棄を宣言してしまいますと、エムリオ様――エムリオ殿下も、『ざまぁ』されるかも知れません」
「ざまぁ?」アタクシは思わず首を捻りましたわ。これも異世界語ですかしら。
「ざまぁ見ろの略です。婚約破棄を言い渡した令息や王子様は、元婚約者に大抵の場合『ざまぁ』されるんです」
半裸の聖女は、いつになく真剣な顔で言いましたわ。
まだよくわかっていないのですけれど、つまり、アタクシを婚約破棄するとエムリオがひどい目に遭ってしまうということかしら?
「そうですね。例えばですけど、『ざまぁ』の結果、灰にされたりとか。例えば新しい婚約者と共に人生の坂を転がり落ちたり。あるいは事故死したり。はたまた牢屋にぶち込まれたり、魔王と結託した『アクヤクレイジョウ』に国ごと滅ぼされるなどなど……。それが婚約破棄した男の末路なのです! 一方、『アクヤクレイジョウ』はと言いますと、ぐんぐん成り上がり、大抵は隣国の皇太子の妻となります。そして元婚約者に『ざまぁ』を果たすと、格上のヒーローと幸せになるのです。……婚約破棄は御法度。決してしてはならない地獄の始まりなんですよ。私の世界でも、実際にそういう話がたくさんあったのです」
とにかく婚約破棄をしたら不幸になるということのようですわ。
これは冗談で言っていらっしゃるのかしら? それとももしかして、エムリオの婚約破棄を阻止したいがために……?
アタクシは少し光が見えた気がしましたわ。
そうですわ。これしきのこと、この公爵令嬢セルロッティ・タレンティドは屈したりなどいたしません。
せっかくのチャンスですもの、利用してやりましょう。
「考え直してくださいまし! アタクシ、エムリオに『ざまぁ』したくありませんわ!」
エムリオは困り顔でアタクシと聖女を見比べましたわ。
そして躊躇いがちに一言。
「つまり、婚約破棄してはいけないってことだね?」
「はい、エムリオ殿下。ああ、『様』と付けると失礼なので、これからは殿下と呼びますね。殿下、私ずっと思ってたんですけど」
聖女はあくまで静かな声で続けましたの。
「婚約者のタレンティド公爵令嬢の想いを無下にするような行為はいかがなものかと。私を大事にしてくださるのは嬉しいですけど、彼女が可哀想です。彼女、私とエムリオ殿下の浮気を疑ってましたよ?」」
エムリオの緑色の瞳が大きく見開かれたのを、アタクシは見逃しませんでしたわ。
アタクシはその瞬間全てを理解いたしました。
裸女――ヒジリは、別にエムリオと浮気しているわけではなかったのです。
ただ、エムリオが彼女に想いを寄せているだけで。
「エムリオ殿下、婚約破棄は考え直してください。セルロッティさん、あなたのことが大好きなんですよ?」
「でもボクはキミを愛してるんだ。これは真実の愛で……」
「真実の愛? 馬鹿じゃないですか? それは立派な浮気というんですよ、エムリオ殿下」
「ヒジリ、でも」
そこから始まったのは聖女のエムリオに対する猛攻撃と言っても過言ではない罵倒の嵐でしたわ。
一歩間違えれば不敬罪に問われてもおかしくなかったでしょう。浮気男だの何だの、この国の王太子殿下であるエムリオに言うべき言葉ではありません。ただ、全て事実なのでエムリオも言い返せないのでしょうね。
「タレンティド公爵令嬢を……セルロッティさんを愛してあげてください」
「それは」
「私は私の道を歩みますから。――最後に言うのも卑怯ですが、エムリオ様、ちょっとだけ好きでした」
「ヒジ、リ……」
聖女に腕から逃れられ、今度、膝から崩れ落ちたのはエムリオの方でした。
浮気相手にガツンとやられて落ち込んでいるようですわ。ざまぁ見ろですわね。
エムリオの弱々しい視線が、アタクシに向けられます。
対するアタクシは立ち上がり、力いっぱい胸を張りました。金髪縦ロールに朱色の瞳。アタクシ自身、この美貌には自信がありますの。
さてと。
そろそろトドメといきましょうか。
もうっ、クソ恥ずかしいですわね。でもこの際ですもの、言ってやりますわ!
「エムリオ。恥知らずではありますが、アタクシはあなたをお支えしたいと思っておりますの。どうかこの度のアタクシの過ち、許してはくださいませんかしら? アタクシ、あなたなしでは生きていけないのです」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アタクシは聖女とこの場の全員に謝罪しましたわ。
これだけのことをやらかしたのですもの、仕方がありませんわよね。ここは素直に過ちを認めるべきですわ。
その結果、エムリオからの婚約破棄は撤回されましたの。
それもこれも憎たらしいことに、聖女のおかげですわ。
「本当なら『浮気対策キャンペーン』によって処罰される予定でしたけれど、見逃してやりますわ」
「ほんっと、セルロッティさんってば『アクヤクレイジョウ』の中の『アクヤクレイジョウ』ですよね〜」
「その言い方、不敬ですわよ!」
まったく、やはり嫌な女ですわね。
そうそう。
パーティーの後、エムリオに呼び出されましたの。
「ごめんよ。ボク、ロッティのことを放ったらかしにして……。キミのヒジリに対する所業を許したわけではない。でも、ボクにも大いに非があったと思う。これからはキミのことを今まで以上に大切にすると誓うよ」
今にも泣きそうな顔で謝ってくるエムリオ。
悪いのはこちらですのに。本当に、仕方のないお方ですわね。
「いいですわよ別に。でも、もう二度と浮気はしないでくださいまし。ですが今度アタクシを怒らせたら、本気で『ざまぁ』してやりますから」
『ざまぁ』が具体的に何をするものなのかは知りませんけれど。
エムリオは「怖い怖い」と笑って、アタクシの金髪を撫でてくださいました。
「でもヒジリも可愛かったからなぁ。ボク、ヒジリに恋しちゃったんだよね」
「殺されたいんですの?」
「だからごめんって」
こうしてアタクシ――セルロッティ・タレンティドは寸手のところで断罪を免れ、エムリオと婚約者であり続けることができたのでした。
振り返ってみると、勝手に一人で奔走し、そしてずっこけただけの茶番でしたわね……。
「はぁぁ、なんだか疲れましたわ」
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