隣人であるはずの身元不明者
俺が見つけ出した事件のファイルを髙に渡すと、彼は感慨深げに呟いた。
「あぁ、こんなのもあったねぇ。」
事件書類を見直しながら、髙は手近な椅子を引っ張って俺の傍に座った。
ゴンタは髙の動きに呼応するように立ち上がり、髙が持ってきた椅子に威嚇するどころか髙に場所を開け放って別のところに伏せ直した。
「この子は頭がいいな。脅えてお前のところにいるんじゃなくてね、お前を守るためにここにいるんじゃ無いのか?」
俺は足元のゴンタを見下ろした。
ゴンタは俺と目線を合わせ、ふはっというような笑顔を作った。
「こっちは凶器は発見されていなかったんだ。」
「あ、そうですね。被害者の傷跡から、鋲状の突起がある金属製のこん棒状のもの、という見解はありますが、そんなものは市販されてはおりませんし、ね。比較物として用意も出来なかったようです。」
「バールのような物だったら簡単だったのにね。でもさあ、犯人が作ったものでも無いのでしょう?たぶん、普通に簡単に手に入って、捨てられていても凶器に見えなかったもの、なのかもしれないね。遺体の状況からして衝動殺人でしかないから、犯人は近隣住人か、被害者のストーカーか。」
現場写真だけでも確実に殺害現場だったと断定できる、衝動を押さえられなかった典型的な無秩序型の犯人による状況なのである。
「そうですね。被害者が別の町で殺されてここに捨てられたってわけではないですし、殺害現場はこの駐車場ですから被害者の身元さえわかれば。」
「そうなんだよね。確実に近隣の人なのに、被害者を誰も知らないってね。彼女の生きていた事実自体が見つからなくて、可哀相な事件だったね。」
俺よりも髙と付き合いが短いはずの百目鬼が、髙は可哀相好きな人間だと的確な事を言っていた思い出した。
「髙はさ、好感度と可哀相度が一本化している奴なんだよ。可哀相だと思った分、可哀相な奴への好感度がグンと増すんだ。あいつの大好きは「楊」「なずな」「玄人」そして「おまえ」だ。わかりやすいだろ。」
なんて失礼な男なんだ、百目鬼は。
あの破れ坊主を頭から追い払い、過去の事件に再び頭を集中させた。
「髙さんが担当で?」
「いや。刑事課の別の人。吉井さん、だったかな。」
髙は刑事の鋭い目に戻って書類を読んでいるが、見た目としては心あらずで考え事をしているようにもみえるから不思議だ。
「その頃、かわさんと髙さんはどんな事件を担当されていたのですか?」
「え?亀事件でかわさんが出世するまで、二人でだらだら遊んでた。」
書類から目を離さずに髙は普通に答えるが、思いもしなかった答えに出会った俺は戸惑っていた。
え?遊んでた?
「……遊んで……いたのですか?」
ひょいと顔を上げると、髙は目を細めてしみじみという風に語り出した。
「うん。リハビリって奴?勝手気ままにネズミ捕り、とか、馬鹿餓鬼捕まえて説教かます雷親父ゲームとか、色々かわさんと考案して悪徳警官ごっこして遊んでいたの。最近頑張っちゃうのはその後遺症かなぁ。あの頃リフレッシュしすぎたかなぁ。」
アハハと、公安時代に俺を育てた公安の鬼は軽く笑った。
「うちの水野と佐藤はその時にスカウトしたんだよ。あの子達って気に入らない奴らを潰して回っていたからね。悪者退治したいなら警察にいらっしゃいって。」
「潰していたって?女の子がどんな事を?」
「うん?集団で弱い者虐めするグループ潰し?少年課の方でね、あのグループをどうにかしたいなぁ、なんて思った頃に彼女達が潰しちゃうの。」
今年の四月に刑事に昇格したばかり佐藤萌と水野美智花は、高校から警察入りしたという二十二歳の若き巡査達である。
二人とも外見の可愛らしさで署内の男性陣から絶大な人気があり、水野は癒やし系、佐藤は妖精系と囁かれている。
水野が癒しと呼ばれるのは、大きな目がちょっと垂れている顔立ちからであろうし、佐藤の妖精も大きな二重の目がちょっと釣ったところから、というだけの話しでしかない。
大体の人間は外見でしか人を見ないものだ。
真実の姿は二人とも単なる暴れたがりでしかない。
そんな彼女達のやっぱりな過去を聞いて、俺は乾いた笑いが自然と出ていた。
そんな俺から目線を外して書類に戻った鬼は、俺と同じ事に気づいていたようである。
「この被害者と今回の被害者は同じ衝動殺人と言える撲殺で、家の近くのコンビニかスーパーに出る様な格好をしているのに、誰も知らない身元不明となっているのも一緒なんだね。」
被害者は近隣の愛犬家達には知られていたが、彼女の住む場所はおろか名前さえ未だに特定されていない。