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久々の我が家にて③

「キスって気持ちがいいものなんですか?」


 自宅に帰って、怪我した玄人と風呂に入っている最中に、奴が俺に向かって突然に尋ねだしたのだ。

 風呂椅子に座らせて、湯が怪我した足に付かない様に体を洗ってやっている俺に、あの大きな潤んだ黒目勝ちの瞳を真っ直ぐに向け、下唇が少しだけぽってりしている唇を動かして、キスするとどうなるのですか、などと重ねて尋ねやがったのだ。


 泡塗れの全裸の美少女にしか見えない姿で、俺を仰ぎ見るように、だ。


 この状況でその話題はやめようよ、と玄人をいなしかけ、俺はそのことが実はよくわからなかったと気づいた。

 俺も玄人と同じで、身の内から「愛している。」という感情が湧かない人間だ。

 こちらから愛を感じるのではなく、相手から愛とやらを持たれる一方だ。

 俺達が抱くのはそんな相手への執着と慣れ、ではないかと思う。


 執着するが、相手と同じ「愛」では決して無い。

 だからこそ、俺達は相手へ「したい」という感情が湧かないのかもしれない。

 口付けやセックスは、こうすれば相手はヘロヘロになると何人かとするうちに学んで使えるようになっただけだ。

 まぁ、セックスに肉体の快楽は感じても心の感動ではないよな。

 生殖行動に対する本能的な体の反応ってだけだ。


「さぁな。俺がすれば相手の腰が抜けるだけだ。俺自身したいと思ってしたことはないからね、気持ちがいいとかそんなのはわからないよ。」


 玄人は俺の返事にシュンとして、「そうですよね。」と呟いた。

 呟いてから、余計な事を夢見がちに追加したのだ。


「僕は淳平君と会ってもキスしたいと思ったことが無いのですが、キスが気持ち良い行為なのならば、僕も体験してみたいなって。」


 俺はどうすればいい?

 そんな子育ての悩みを抱いた所にこいつらの襲撃だ。


 俺は玄人の筑前煮に感動している山口をじっと見つめた。

 どうする?させるか?

 俺の目を盗んで玄人をたらしこまれるよりは、俺が監督している所でさせてみるか?


 ところで、俺に見つめられている事に気づいた山口が挙動不審になっていった。

 まず頬を赤らめて視線を下げ、モジモジし始めた。

 それから、何度も上目遣いでチラチラと俺を伺い始め、物凄く不安そうになって煮物に集中している。

 そして、器に「しいたけ」だけが残って、ハッとして箸が止まった。

 そんなに嫌いか?


 どうしよう。

 こいつはこいつで凄く可愛いかもしれない。

 そっと、山口の器から「しいたけ」を救出して喰ってやり、奴に提案してやった。

 なんて優しい、俺。


「淳、お前は今日泊まっていくか?邪魔な俺は上の自室に行くよ。今日は玄人と雑魚寝してゆっくりと二人で語り合ってみたらどうだ?」


 がしゃん。


 喜ぶかと思ったのに山口は空の器を倒し、尚且つ、「今からお前を屠殺する。」と宣言された羊のような顔で固まってしまったのだ。


「どうした?ゴンタはこれから帰宅する楊が面倒を見てくれるだろ。」


「やだよ。ゴンタは髙の所だし、鳥だって任せたからね。俺も泊まります。こんな夜更けに俺を一人だけ帰すなんて俺が物凄く可哀相だろ。偶には朝ご飯を用意してもらえる環境に身をおきたいです。」


 言うが早いかバシっとちゃぶ台に両手をついて楊は立ち上がると、そのまま物凄い勢いで台所に走り、勝手知ったるで冷蔵庫からビールを取り出して飲み始めた。


「おい、それは俺に持って来た土産じゃないのか。」


「おもたせって奴だよ。ふぅ。これで車を運転出来ませんから、僕はお家に帰れません。」


 楊は子供みたいな言い方になって居座ろうとしていやがる。


「朝ご飯は宿代代わりにお前が作るんじゃないのかよ。俺だって朝飯を用意して貰える環境に身を置きたいよ!朝飯を俺に作らせるつもりなら帰れよ。」


「お前は散々俺の葉子に朝飯を作らせていただろうが!」


「うるせぇよ。うらやましいなら、お前も明日は葉子に飯を作って貰えばいいじゃないか。今夜お前が帰ればよ、お前に飯を作れる葉子が喜ぶ、お前は旨い朝飯にありつける、ちょっと先を進めさせて貰えた淳も幸せで、見事な大団円じゃねぇか。お前はそう思わないのか。」


「嫌だつってんだろ。先に進むんなら、俺がそこを見逃してどうするよ。」


 憎たらしく言い返しながら彼はもう一本ビールを冷蔵庫から取り出すと居間に戻ってきて、俺は彼から手渡された缶ビールの栓を抜いて口に含んだ。

 すると、貰えなかった山口が、どんと両手の拳でちゃぶ台を叩いたのだ。


「欲しかったらお前は自分で持って来いよ。」


「うん。僕ちゃん腕が二本しかないし。」


「ちがう。違います!あんたら二人鬼畜だよ!俺達を何だと思っているんですか!」


「うるせぇよ。お前はクロとやりたきゃ俺に逆らうんじゃねぇよ。」


 叫んだ山口に俺がすかさず返したら、彼は金魚になったか口をパクパクしている。


「ひでぇな、お前。俺がいないと山口を庇う奴がいないだろ。お前は苛めすぎだよ。」


「誰が苛めているよ。お前が淳をもっと可愛がれつってるから可愛がってんじゃねぇか。大体よ、淳が俺に懐かねぇんだろうが。ちゃんと家族扱いしてんのによ、いつまでも百目鬼さん、だぜ。」


 まぁ、ちょっとどころかかなりの遊び心で遊んでもいたがな。

 それで山口をチラッと見たら、エイリアンを見るような目で俺を見てやがる。

 大きく舌打をしてとにかく山口を怯えさせてから、俺達に何の反応もしない玄人が静か過ぎるとチラッと見た。


 彼は何か考え事をしている風情だった。


 これは危険な兆候だ。

 馬鹿が何かを考え始めるとロクなことがない。


「まぁいい。楊も泊まれ。早坂で可哀相な事になったから穴埋めの気持ちもあったが仕方が無い。俺は寝るから、お前らは好きにしとけ。」


 俺は切り上げるのが遅すぎたし、玄人の破壊力のある馬鹿さ加減を忘れていたのだ。

 これは俺のせいだ。

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