もっとと思うのは何故ですか?
部屋のドアが開く気配がして、僕の意識はそこに向かった。
疑ってくれという風な泥棒みたいな侵入の仕方だな、僕は僕に気が付かれていないと思い込んでいる侵入者に意識を向けた。
侵入者の彼女の歩き方は、膝を外側にして足を運ぶという、中年女性独特の歩き方だった。
それも仕方がないだろう。
彼女は二十代の女性のような化粧に髪形と服装をしているが、実際にはその服が着られる体型を維持しているだけの六十二歳でしかないからだ。
早坂辰蔵は最初の妻と仲むつまじい夫婦であったため、長男を亡くした数年後に妻まで亡くなると、彼は完全に落ち込み、老け込むどころか体を完全に壊してしまった。
そのために、彼は親族から再婚を強く勧められることとなった。
僕の側にまで来た女性はその時の再婚相手であり、今は離婚して早坂家とは無関係のはずの都美子である。
彼女は数年で辰蔵に疎まれ離婚されたが、「子供のため」と辰蔵の前に現れては妻として振舞っていると聞いている。
三番目の妻永美子はそれが耐えられずに国内で別居していたが、昨年連れ子だった息子を二人も相次いで亡くした事もあり、とうとう娘が帰港する海外に移住してしまった。
辰蔵との間に出来た娘は、僕のような理由で辰蔵に与えられた船に籠り、世界の海をふらふらと漂っている。
辰像の危篤時に娘は永美子と一緒に帰国したが、都美子の姿を見るなりとんぼ帰りしてしまったと、由貴が良純和尚に語っていたそうだ。
また、最初の妻の息子の三人はここに来ていない。
彼らは早坂王国を守る義務がある。
そこまで考えて、都美子の息子はアミーゴズと同じ年の二十八だったな、とぼんやりと思い出した。
そういえば、僕はこの人の事よりも最初の奥さんのことばかり知っているのはなぜだろうか。
彼女こそ僕が生まれる前に亡くなっていた人なのに。
僕はそこで、ほう、っと女性の吐息を感じた。
僕はゆっくりと室内の壁から天井へと目線を動かしていき、自然の生物を形どった曲線装飾によって壁と天井の境の分からない天井を見つめた。
薄い水色を下地にした天井画がそこにある。
金色に縁どられた白い柱や飾りはそのまま神殿であり、神や天使が住まう白い雲そのものであり、天井に描かれた天使や神様達は僕に微笑みを向けて見下ろしている。
顔を上げて見上げた先には、いつも天国があるのだ。
「あなたは常にそこから大事な夫を見つめていたのですね。」
しみじみと天井画を眺めていた僕の後ろに、ゆらりと都美子が静かに立った。
「それはやめた方がいいですよ。」
辰蔵の手を握り締めたまま、彼の顔を見つめたまま僕は言い放つ。
都美子がビクッとした動きは、空気の動きで分かった。
彼女は僕を殺そうと何か得物を持っている。
僕は空いた手を辰蔵の首元に置いた。
僕の指先を感じた彼は、ゆっくりと両目を開けた。
「いつもあなた達が台無しにするのね。」
僕は彼女を振り向かずに答える。
「あなたはいつも辰爺ちゃんを不幸にしようとしていますね。辰爺ちゃんの奥さんの桂さんを殺したのはあなたでしょう。」
口にはしなかったが僕は心の中で付け足した。
その注射器の中身と同じもので、と。
「やっぱり。あなた達が辰蔵にくだらない戯言を吹き込んでいたのね。」
都美子の怒りで空気がぴりぴりとするようだ。
彼女は桂を殺して妻の座に居座ったが、それも三年も持たなかった。
この短絡的な気性の荒さが辰蔵に合わなかったのだろう。
「余計な事を語るあなたがこの世からいなくなれば、私も息子も安泰なのよ。」
「悲しいです。人を助ける医者が人を殺し続けるなんて。」
都美子は桂付きの主治医として雇われ、この大邸宅で早坂夫妻の妹のように可愛がられて個人病院も建てて貰っている。
桂が支援していた医学生用の奨学金関係で、桂と都美子の二人は出会ったのだ。
優秀な医師だと桂に持て囃され、娘か妹のようにして可愛がられた人であったというのに、どうしてその状況に感謝しなかったのだろう。
「老人のご機嫌伺いもしていなかったくせに、遺産と聞いたらノコノコ出てくるあなたに言われたくはないわね。あなただって欲しいんでしょう、お金が。」
「生きる分は必要だと思います。でも、僕は使い方が分からないので、全て人任せです。僕の継母もそうでしたが、どうして、もっと、と思うのでしょうね。すでに普通以上のお金を手にしているのに。あなたは医者という専門技術や知識まで持っている。それなのになぜですか?」
ここまで口にして酷いな、自分は意地悪だな、と思った。
彼女は人に取り入るのが上手いだけで、医師としての才能など無かった人なのだ。




