その魂を捧げる先を考え直せ
僕は本当は「愛する」という感情を分かっていなかったのかもしれない。
愛は執着するものだ。
山口はあんなにも僕に執着しているじゃないか。
僕の目の前の男は僕を殺しにきた。
けれど、僕を守る犬神によって一歩も近づけないどころか、彼の持つ競技用ライフルだってその犬に飛ばされて、彼は僕に成すすべがなく病室の隅に追いやられている。
フフ、フフフ。
そんな状態だからこそか、狂気に満ちた男は、己への自嘲なのか僕への殺意の決意なのか、ただ小刻みに震えながら笑っていた。
「僕は君が分からないよ。僕を殺しても傷つけても淳平君は君の所には戻らないのに。」
「それでも、彼は僕を憎むよ。僕が彼の幸せを潰すんだ。」
やはり、よくわからない。
「どうして、憎まれてまでもそこまで執着するの?淳平君を好きなのくせに、どうして彼を苦しめても平気なの?」
「憎まれたって、いいや、無視されるくらいならね、淳平に徹底的に憎みつくされたい。寝ても覚めても淳平が僕を思って憎み続けるんだ。あの顔を歪めてね。」
「うーん。確かに淳平君はどこにもいない綺麗な人だものね。ずっと見つめられたいっていうのはわかるよ。」
僕の合いの手が気に入らなかったのか、狂気の男、山口の恋人と自称する今塚子規が、獣が吼えるような声を僕に対してあげた。
それでも彼が全く僕に脅威を感じさせないのは、彼が山口のように線が細く、僕のように小柄な少年のようでもあり、検事と言う肩書のくせに大学生の雰囲気も残っているくらいだからだろうか。
顔を真っ赤にして怒りに打ち震えている今塚を見つめながら、彼が少年好きの山口が好きになりそうなタイプであることは確かだな、と、ぼんやりと思った。
やっぱり山口は子供に戻りたいのかな、と寂しく感じた。
彼は母親に虐待されて、父親は惨殺されての天涯孤独だから、誰にも甘えられなかったから子供に戻りたいのかな、と。
それならば、僕への気持ちは本当の恋では無いのかな、と。
「顔じゃないよ。全てさ。全身全霊で淳平が僕を憎めば、僕は彼を丸ごと手に入れたと同じなんだよ。」
「全て?君は淳平君の子供っぽい所も、思い込みの激しい馬鹿なところも、ひっくるめて愛しているんだね。それなのにどうして。僕にはやっぱりわからない。全部ひっくるめて淳平君を知っているならば、彼は壊すよりも守らないといけない人でしょう。」
「は。そんな事を言い募えるなんて、君達はまだそんな関係じゃないんだ。僕はね、彼との過ごした時間が他の人とは比べ物にならないぐらいに最高だった。それだけだよ。僕は彼じゃないと生きていけない。誰にも彼を渡したくないんだ。彼を壊してもね。」
何が?というか、他の人とは比べ物にならない過ごした時間というが、それはつまり、もしかして、あの行為をも含めたことか?それとも、その行為そのものか?
「すいません。お尻って痛そうだけど、そんなに執着するってことは気持ちの良いものなんですか?」
今塚は僕の質問に固まり、ダイゴも呆れた顔で振り返った。
この先の山口との恋愛事情を考えると、痛いのが嫌いな僕には大事な問題なのだから仕方が無いでしょう。
ブ、ハハッハ、と大きな笑い声がして戸口を見ると、それは良純和尚だった。
廊下の明かりをバックに暗い病室の戸口に立つ彼は、まるで後光がさしている高僧そのものの佇まいだ。
僕は彼を見る度に、僧侶の衣とはなんと計算された美しいものだろうかと、ほうっと感嘆するのである。
彼はツカツカと今塚の所に歩いてくると、ぐいっと今塚を捕まえた。
殴るのではなく、彼の顎をぎゅっと片手で掴んで仰向けた。
そして、口付けたのだ。
それはそれは厭らしいキスだった。
そんなキスをしっかりとしつこいくらいにしてから、良純和尚は今塚を放した。
今塚は良純和尚の手が離れた途端に、なんと、ヘナヘナと骨が抜けたような感じでその場に崩れ落ちて、ぼんやりと良純和尚を見上げるだけとなってしまったじゃないか。
そりゃあ、突然あんな事をされれば吃驚して誰だってああなるよね。
崩れ落ちた今塚を一瞥すると、良純和尚はそれはそれは良い声の、喉を震わす含み笑いの音を響かせた。
それからゆっくりと今塚の方へ身を屈めて、彼の耳元に口を寄せた。
低くて滑らかで、眺めて聞いているだけの僕の腰がぞわぞわと痺れてしまう、そんな初めてぐらいに聞いた凶悪な声だった。
「どうだ?淳平よりも上手いだろう?」
良純和尚の艶やかな声による台詞に、今塚は目をかっと見開いた。
僕もカっとなった。
気持ちのいいものなの?あれ。
うそぅ!
口内細菌とか口臭とか、なんか色々と気持ち悪そうなのに。
「お前の望みは、体か?心か?」
メフィストフェレス。
恐るべき男は金色に瞳を煌めかせて、愛憎という狂気に満ちた男でさえ落そうというのか。
しかし、獲物となった今塚は魔王の声に震え、魔王の神々しい美貌に魅了され、なんと、捧げる魂までも探し始めたではないか。
お前のそれは、淳平に捧げていた魂だったはずだ。
「時間は一杯あるさ。俺か淳平、ゆっくり吟味するがいい。」
良純和尚の最高の声を食らった今塚は、抗うことも忘れ、彼のなすがままに立たされた。
「ホラ、まずはあの男に自分の罪を告白するんだ。」
背中を押された今塚はフラフラと戸口に向かう。
そこには、良純和尚の行動に、僕同様に目を白黒させていた楊が立っていた。




