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己の存在を侵すものがあれば、すなわち攻撃すべし(馬10)  作者: 蔵前
九 お前は親になったんだろう?
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俺は脅えている

 バタンと玄人が急に転んだ時には、隣の葉子と共に顔を合わせて互いに笑いを噛み殺した。

 玄人は運動音痴の鈍い子だ。


「ほら、クロ、ふざけてないで。」


 転んだまま起き上がらない玄人にヤレヤレと近づいた俺の目に映った光景は、左足を真っ赤に染めて鼠を抱えたまま横たわる白い顔をした彼の姿だった。

 震える手で首筋を触り、生きていることを確認し、そして、傷を見た。

 ジーンズにはぽつりと穴が開いており、その穴が視界に入ったとたんに俺の体は凍えたように固まり、思考など何も動いてはいなかった。


 ぷいぷいぷいぷい。


 玄人の手の中の鼠が鳴いて俺の手を舐めてきて、その感触に俺はびくりとして再び動き出せたのである。


「葉子さん!救急車と警察を。コイツの足に穴が開いている。あなたは自宅から一歩も出ないで!」


 止血して玄人を抱き上げると、玄人はとても軽く、まるで枯れ木のようだと俺の頭の中で俺の声が囁き、俺は全身がぞくっとした。


「ちくしょう。」


 再び狙撃されたらどうするのだと、動けなくなった自分を叱責し、身を低くして玄人を庇うように抱きしめながら、一歩一歩、葉子の待つダイニングのテラスに向かって足を動かした。


「どうしたの。どうして玄人がまたこんな事に。さぁ、ここに。」


 葉子は玄人のために救急隊が来るまでリビングのソファに寝かせようとするが、俺は庭から入ってすぐのダイニングの入り口で突っ立ったまま彼を降ろさずにギュッと抱きしめていた。


 ホローポイント弾で玄人が銃撃されたあの時、彼の命を繋げられる新潟の白波家への道が彼の死を願う者達によって次々と閉ざされていく日に戻っていた。

 楊は俺達を目的地まで必死に運び、俺は死に掛けた彼を毛布に包んで抱きしめていたあの日にだ。


「畜生。こいつは怪我ばっかりだ。」


 玄人を抱き直すが、彼の体はあの大怪我していた以前よりも華奢で、とても軽く感じた。


「あぁ、こんなに軽くなってしまって。」


 心の中でそう叫び声をあげた。

 すると、腕の中の玄人は俊明和尚の姿に変わった。

 俺はこの現象に驚くべきであるのに、彼をさらに抱きしめながら、彼の体が抱き上げる度に軽くなっていくと嘆いた過去に戻っただけだった。


「そんな顔をするんじゃないよ。」


 俊明和尚は俺の頬を軽く撫で、やせ細った骸骨のような顔で、末期で痛みも大きいだろうに、それでも俺のためだけに微笑んだ。


「こんな幼子を置いて、私は簡単に逝かないよ。」


 彼の言葉に俺は思わず笑ってしまった。

 笑いながら耐えていた涙が零れた。


「すいません。ですが、二十六の男に幼子はないでしょうよ。」


「いいや、幼子だ。もっと早く山に行ってお前を連れ帰ればよかった。」


「早すぎたら俺は山には居りませんよ。」


 言葉通りにしか人の言葉を受け取れない俺は、一々生真面目に彼の言葉を訂正していたのだ。

 それらは全て、彼の死が近づいていると泣いていた、俺の心を解すための彼の思いやりで、俺を彼の子供としてしか見ていない彼の本心だったというのに。


 ぷいぷいぷいぷいぷい。


 過去から俺の気を逸らしたのも、やはり玄人の鼠だった。

 玄人の弱々しい体を抱いて、あの情けない幼子の頃に俺は戻ってしまったようだ。

 これでは、彼が死んだら、俺はどうしてしまうのだろう。


「葉子さん、アンズを籠に入れてくれませんか。落ちて怪我でもされたら玄人が泣く。」


 俺の言葉に青い顔だった葉子も人心地がついたのかクスリと笑い、鼠を受け取った。


「この子が来てから玄人は明るくなって、私達も和ませてくれる。いい鼠ね。」

「大食漢でうんこしかしない、うんこ製造機ですけどね。」

「いやだ。」


 葉子は大笑いして、そのまま泣いた。

 俺は玄人を床に降ろして座り込み、片手を差し出して葉子を呼んだ。


「アンズを」

「いい、あなたもこっちに。」


 鼠を抱いたままの葉子は素直に俺に従い、幼子のように泣きながら俺の腕の中に入った。

 俺は傍に来た葉子を片手で抱きしめ、もう片手で玄人を引き寄せるように抱き直し、救急車の到着を待ったのだ。

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