お家に帰りたい
「どうして僕達はお家に帰れないのだろうね。」
アンズに話しかけても彼女が答えるはずもなく、しかし、広い庭で草を食みながらポテポテと幸せそうに歩き回る姿が僕に自然と笑顔と気楽さをもたらしていた。
「まぁ、迎賓館に泊まれるのだから、いいか。」
僕達はなぜか楊に相模原に留まるように命令され、未だに世田谷に帰れずじまいだ。
良純和尚は帰れないと知るや一人で世田谷に戻って数日分の着替えを持ち帰り、僕を連れて松野家を突撃した。
「誰が楊の家でハウスキーパーまでしてやるか。それにな、葉子は楊の愛人みたいなものだ。亭主の面倒を受けている客人だったらな、喜んで歓待してくれるだろうさ。気兼ねせずにせっかくの贅沢を楽しむぞ、いいな。」
僕が惚れ惚れするぐらいの鬼思考であり、流石の良純和尚である。
よって僕達はここ二日、松野邸の迎賓館と仕事場の往復だ。
葉子は良純和尚の言う通りに、僕達に嫌な顔をするどころか良純和尚とのディナーを楽しんでいる。
一方の良純和尚は、仕事から帰ると食事も何も用意されているので、割合と、いや、かなり喜んでいる。
その上彼の大事な大事な愛車は外の駐車場ではなく、松野邸の屋内ガレージに入れてもらっているのだ。
文句など無いだろう。
おまけに、彼はいつの間にか小型仏壇を購入して来ており、その仏壇に向かって朝夕のお勤めもちゃんとしているのである。
何度も言うが、さすがの良純和尚である。
それでもって、お勤め時にはやはり彼の師である俊明和尚が彼の後ろに座る。
遺言通りに、お前の修行を見ているから成仏しない、を実行されているが、このストーカーめいた執着を見ていると、実は怨霊の類になるのだろうかと、僕は時々心配になる。
ついでにもう一つ俊明和尚へのディスりを言わせてもらえば、僕が大好きな良純和尚の読経の後に、読経の駄目出しをして僕に笑いかけるのはやめて欲しい。
良純和尚の経を読む声は背骨に来るほどのいい声で、彼の声で唱えられる経は既に芸術の域にあり、お経が天上天下を讃える歌であろうと僕は聞くたびに感動しているのだ。
絶対にそんな僕をからかって、僕の感動を台無しにしているに違いない。
あの、糞爺め。
「そろそろ仕事だ。アンズを片して車に乗れ!」
怖い良純和尚の登場だ。
僕はアンズを抱きかかえて彼の元に歩いて行こうとして、左足にバシンと衝撃を受けて、僕は思いっ切りに頭から転んだ。
転ぶ時にアンズちゃんを潰さないようにと、それだけは考えた。
僕はそこで暗転だ。




