家宅捜査②
阿川の所属していた団体は、通常の団体ではなく登録制で、登録者からは団体運営の金を支払わせるくせに犬猫の保護は個人任せの団体だった。
加瀬と藤枝からの報告では、地域リーダーは阿川の不明も行動自体も認識していなかったそうだ。
「この団体に所属しているだけで、阿川は仕事もしていないようですよね。どこからも彼女の捜索願は出ていませんでしたから。」
一人暮らしの社会人の異変の場合、大体仕事先が無断欠勤だとして上司か同僚が自宅を訪ねさせての発覚が多い。
公園の遺体のニュースが流れても、どこからも行方不明者の問い合わせがなかったのだった。
「山さん。彼女働いていたよ。職場に聞いたら長期休暇中だったって。」
二階にいた葉山が証拠品が入ったジッパーつきのビニール袋を掲げてやってきていた。
「なに?」
葉山に俺よりも先に向かったのは楊だ。
彼はフットワークが誰よりも軽い。
「え、阿川って、そっかぁ、それで娘の部屋にいたのね。」
俺は楊の見ているものを覗き込んだ。
それは阿川の名刺で、阿川の携帯番号が自筆で走り書きしてあった。
「福祉センターの引き篭もり支援のスタッフだったのか。友君、阿川が所持していたのはスマートフォンとあの身分証だけだったでしょ。これはどこにあったの?」
彼は肩を竦めた。
「娘の机の引き出しに入っていたよ。」
「阿川はゴンタを助けにここまで来て、家人の娘も助けようと頑張っていただけの子だったんだね。可哀想に。」
髙がしみじみと口にした時、庭から声がかかった。
「遺体、掘り起こせました!」
俺達四人は嫌な気持ちで庭に向いた。
近隣の大学から借りた機械で事前に地中を探査すると、ゴンタがいつも伏せていたまさにそこに、子供の遺体らしき物が埋まっていたのである。
それを確認しての掘り起しである。
そこにあることは承知済みだったが、実際が目の当たりになって俺達は落ち込んだのだ。
俺達は靴カバーのままリビングから庭に下りて、鑑識が掘り起こした墓に向かった。
「かなり深く掘っていたから、腐敗していく遺体の臭いが近隣住民に気付かれなかったのだろうね。」
掘り起こして空気に触れた途端に、遺体は腐った臭いを纏いだす。
楊はハンカチをマスクのようにして鼻と口を覆い、穴を覗きこみながら遺体を確認して呟いた。
臭いにかこつけて楊は顔を隠したくなっただけだろうと俺は思ったが、俺も彼の気持ちは良くわかる。
俺もそんな気持ちなのだ。
穴の底にあるのは、男児の衣服を纏った、殆んど白骨化した小さな小さな幼児の遺体。
穴の縁から見下ろすだけの俺達は、彼を助けあげることも出来ず、見殺しにしてしまったような、無力感に襲われていたのだ。
「頭蓋骨は割れてないようです。この子は撲殺じゃなかったようですね。」
葉山は撲殺で痛い思いをしなかったはずだと、この小さな遺体に思いを馳せる。亡くなった人がせめて苦しんでいないと思いたいのが人間の心だ。彼は正しい。だけど。
「撲殺だったら良かったのに。」
俺の言葉に周りの三人が「えっ。」と同時にのけぞった。
「何言っているの、山さん。」
葉山は慌てて俺と遺体を交互に見て、そこにポツリと囁くような髙の声がした。
「お前は何が見えたの。」
「父親だと思っていた男に首を絞められた記憶です。」
俺はそれだけ口にして、あとの記憶は飲み込んだ。
彼が目を開けた時、そこは世界が逆さまになった風景だった。
彼の足は天井を歩いている?
違う。
彼は階段下で逆さまに倒れているのだ。
動きたくても体がピクリとも動かない。
痛みは首と頭だけで、他は何も感じなかった。
そこが怖いと彼はだんだんと不安になっていった。
泣きたくなった時に、ぐいっと自分を覗き込む大きな影が現れた。
「お父さんだ。」
彼が父親を認めたそのとき、その父親は大きな手を彼に向かって伸ばしてくれた。
「お父さんが助けてくれる。」
彼は首を絞められ、そこで真っ暗になった。
次に苦しさで目を開けた時、そこは真っ暗で、重い土の中だった。
新しいお父さんに首を絞められて埋められて、それで、彼は土の中で窒息死です。
言えるわけ無いじゃないか。
「殺したのは裕二だったんだ。」
楊は呟くと、遺体に両手を合わせた。
するとひょいっと黒い影が俺達の脇を通り抜けた。
それは真っ黒く顔が塗りつぶされた夕那であり、彼女は俺達の後を追うように庭に出てきて、穴の縁に頼りなげな風情で立ったのだ。
彼女からはこの遺体への憎しみも悲しみも感じない。ただ、罪悪感があるだけだ。
「階段から落としたのは、夕那ですね。」
俺も穴に向かって両手を合わせた。
可哀相な子供に、彼女に、俺が今出来るのはそれだけだ。
せめて夕那にはあの画像と同じ顔を思い浮かべて、彼女が浄化できるように、と。
クソ、まただ。勝手に涙が流れてきて、俺は左手で目元を隠す。
スーツのポケットにハンカチは、……入っていた。
右手で取り出して涙を拭ったそれは、波状にカッティングされた縁が赤い綿レースで囲まれた、普通以上に可愛らしい女性用タオルハンカチだった。
「え、何これ。」
視界の隅では鑑識官達にまでも笑いの細波が起こっているではないか。
「絶対百目鬼だ。畜生。」
乱暴にポケットにハンカチを片すと、隣の葉山がプっと笑い出し、彼はハハハっと青年の涼やかな笑い声を上げた。
「水野が言っていたけど、本当に嫁と姑だったんだ。」
「友君、うるさいよ。」
気づくと、楊と髙までも俺から顔を背けて笑っていた。
チクショウ、百目鬼め。




