悪鬼となるには理由がある
僕が霊視した時には、自分が小手川俶子であるとしか名乗らなかった霊だ。
僕は髙が僕まであとニ・三歩手前のところで、バシン、と拍手を叩いた。
髙は僕の柏手の音で立ち止まり、しかし髙の後ろのものだけが僕の拍手に髙から剥がれて、そして、彼女だけ僕の前に来た。
グレーの綿チュニックにレギンスの体は綺麗だが、頭は割れて赤黒い血の塊でしかなく、潰された顔も顔として成していない。
彼女は恨みでこの姿なのではない。
今だに自分自身を隠したいからこそ、死んだ時のこの姿なのだ。
彼女は未だに名無しのままである。
そんな小手川俶子と名乗った霊がここにいるのは、僕達が彼女が産んだ赤ん坊について語ったからでしかないようだ。
「母性はあるんだね。いいや、君が小手川さんから全部を奪える道具となるのがその子供だったね。」
「クロト!それは大丈夫か!」
面々の中で唯一見える男である山口が立ち上がって叫び、視界の隅で彼が僕の方へ向かおうとしているのが見えた。
僕は右手てあげ、手のひらを彼に向けて彼の動きを制した。
ただの屍がこの僕に何が出来るというのだ。
僕が怖いのは、生きて動く人間の方なのである。
僕はもう一度柏手を打った。
僕の周囲三方で僕のオコジョが三匹跳ね、三匹のオコジョは青い線となりそれぞれが繋がり、霊が逃げる事が出来ない三角の結界となった。
彼女はびくりと固まり、僕は彼女を見通した。
以前の会話方式の霊視などではなく、一方的に僕が彼女の思念を読み取るという暴力的な剥ぎ取り行為だ。
「あああああ!」
僕は大声を上げて叫んでいた。
「クロト!」
再び右手を山口に翳す。
僕が叫んだのは、目の前の霊に反吐が出る程に憎しみが湧いたからだ。
それでも息を吸って自分を落ちつけると、髙が知りたい事柄をまず一気に声に出した。
「この人は、四年前に殺されたこの人は、北見順子さんという名前です。DVから逃げて小手川裕二さんに匿われていた所を殺されたと言っています。息子の名前は北見翔。赤ん坊は、翼と名づけたそうです。」
「ただ、逃げただけかい?」
髙が僕を見つめ、僕は北見順子に目を据えたまま首を横に振る。
「彼女は黙っていますが、彼女の記憶から小手川と肉体関係があったことは事実です。淑子さんが成りすまされたと危機感を持ったのは仕方ないでしょうね。彼女は本気で小手川淑子に成り代わろうとしていましたから。翼は小手川淑子として生んだそうです。」
「そうしたら、翔君はどうなるの?」
楊の言葉に、僕は北見を強く見通す。
「淑子と裕二夫婦として、養子縁組する予定だったそうです。淑子さんを殺したら。……淑子さんだけでなく娘も、ですね。酷い人です。自分の夫が何が出来るのか知っていて、二人が住む場所を夫に伝えたのですよ。自分が小手川に監禁されているから助けてくれって。北見が弱い女性に何ができるのか知っていて、この人は、この人は!罪のない小手川俶子とその娘の死刑執行を企んだんだ!」
順子は体を震わせた。
僕が貼った結界による影響ではない。
笑っているのだ。
小手川家の娘が死んだ今、自分が産んだ息子が小手川家の財産を手にできると。
小手川の妻はどんな女なのかと俶子を盗み見た時、俶子は丁度娘のバレエ発表会の帰りであった。
頭をきっちりとお団子に結った大きな花束を抱える姿勢のいい少女と、その隣を幸せと誇らしさを振りまきながら歩く俶子。
順子は俶子の着ている服を羨ましいと思いながら、自分の毛羽だった安物のニットカーディガンを見下ろした。
彼女は、自分がみじめだと感じただけ、俶子を憎んだのである。
北見順子が今まで身元不明だったのは仕方が無い。
彼女は全人生をかけて、自分の今までの足跡を消して、小手川淑子に成り代わろうとしていたのだから。
淑子が悪鬼になったのも仕方がない。
仕事熱心だった夫が保護する相手に奪われて、娘を壊され自分自身さえも奪われたのだ。
彼女は目に映る女性全てが、「北見順子」でしかなくなったのだろう。




