玄人が壊れた理由
「由紀子さん?」
俺が聞き返すと、由紀子は吐き捨てるように言い放った。
「あの馬鹿息子は、無罪をいい事に社長に復帰して、社員研修だってアメリカよ。全く会社を何だと思っているの。」
「え、無罪ですか?彼は自宅に本物の拳銃を所持していたのでは?」
「はっ。自宅から見つかったはずの銃が行方知れずなんですってよ。」
由紀子は上流階級夫人に似つかわしくない態度で言い捨てた。
「どういうことですか?証拠物件でしょう。」
「消えたんですよ、きれいさっぱり。証拠室に保管されていた事実さえありません。大体、最初の長柄運送に警察が踏み込む理由となったライフル銃の密輸入と言う罪状も、それが届けられた先が長柄運送の社員寮の一室だからという言いがかりでしょう。」
俺の質問に答えたのは坂下であるが、由紀子は彼の説明を聞くや彼に噛みつくようにして声を荒げた。
「だからこそ弁護士さえつければすぐに釈放されたはずじゃ無いの!どうして助けるな、なんて言ったのよ!初動を誤ったから、あの子は二か月も留置生活だったじゃないの!」
「そのライフル銃も証拠物件室から行方不明でしょう!下手に長柄運送が動けば証拠隠滅と逆に見られてしまうじゃないですか。あなたの所はどんな場所のどんな物も運ぶがモットーじゃないですか。」
蓋を開けてみれば、坂下はかなり長柄に肩入れをしていたようだが、由紀子の方は彼への不信感を消すこともなくプイと顔を逸らしただけだった。
坂下はハハっと疲れたように笑ってから、目頭をギュッと右手で摘んだ。
「由紀子さん、いいじゃないですか。裕也君はアメリカで楽しんでいるのでしょう。彼は潜入やら好きですから、拘置所生活を意外と楽しんだのではないですか?」
彼女は俺の言葉にワナワナと震え、噴火した山のように大声で叫んだ。
「だから尚更怒っているのよ!あの馬鹿のお陰で、裕之がまた婚約破棄よ!あの馬鹿は傷心の裕之まで連れてアメリカに飛んだのよ!裕之は長柄運送の副社長でしょう。何やっているのよあの馬鹿息子達は!」
由紀子の長男裕之は真っ当な青年ではあるが押しが弱いらしく、婚約の話が出る度にやんちゃな次男の起こした事件で婚約破棄になるそうだ。
何度もと聞いて、俺は何となく目聡い裕也が長男の婚約に不信を感じて破棄へ動いているのか、あるいは間抜けそうな長男が実は小賢しく、面倒になった女性と手を切る口実に次男を使っているのかと推測した。
「ヒロ君は付き合うまでが好きな人ですものね。」
どうやら後者の方だったらしい。
庇っていた親戚の子供に辛辣な切り返しを受けた由紀子は、がっくりと顔を伏せ、人の良すぎる坂下は今度は自分を責めていた由紀子を慰めるという構図に変わった。
しかし、一言で場を壊した当の玄人は周囲の喧騒に意識が向いているわけではなく、膝にゴンタの頭を乗せてた姿で、自分はテーブルに頭を乗せて両腕をだらんと下げてだらけているだけである。
玄人が何も言わず、此方を見ようともしなくても、彼の「だるい、帰りたい。」という気持ちは俺にしっかりと通じた。
実は俺も用事を済ませた今、俺こそさっさと帰りたい気になっているのだ。
由紀子と坂下にも俺の気持ちが通じたのか、彼等はひとまず落ち着き、俺がただ眺めている物体に興味を戻したのである。
「あら、玄人。本当にあなたはどうしちゃったの?問題があるなら弁護士を用意しますよ。」
由紀子は可愛い甥同然の玄人の体を揺するが、机につっぷしている玄人は、揺すられる度に「あぁ。」と小声で答えるだけだ。
「どうしたのですか?あれ。」
仕方が無いので坂下に聞いてみた。聞かれた坂下は「俺に聞くなよ。」の顔でもあったが、律儀に答えてくれたのである。
彼はテロリストだろうが彼の目の前で転がっていれば人命救助してしまうという、人が良すぎる馬鹿でもあるのだ。
「松野さんの会社で詐欺行為があったことを見抜いたは良いけれど、詐欺被害者を助ける救済案も出すように松野さんに迫られちゃってね。」
玄人はいつもと違う喋り方で「むり~。だめ~。」と抵抗の声をあげ、テーブルに突っ伏したままだらけている。
「あれがあんな風に壊れるくらいの、その事案は非道い詐欺なんですか?」
坂下は大きく溜息をついた。
「俺には詐欺でもない普通の企画書にしか見えませんよ。ですが俺は事件の裏取りと他の詐欺メンバーを挙げるように命令されて、おまけに、玄人君の説得係です。詐欺だったら刑事課の専門家に任せようとしたら、顧客を守るためだって。」
目の前の大柄な男まで椅子に座り込み、机に両腕に頭を乗せて突っ伏した。
「俺は何でも屋じゃないって。」
面倒だと投げる男が投げられない状態に置かれて壊れてしまったようだ。
「その詐欺ってどんな内容なの?」
玄人の肩をユサユサしている由紀子が、突っ伏している二人に尋ねた。
すると、玄人が体の下から書類をすっと俺達の方へ滑らせた。




