坂下警視と長柄由紀子
俺と由紀子はかなり意気投合して、長柄運送の社員寮斡旋の話まで盛り上がり、俺達が意気揚々として松野家に戻ってみるや、そこは秘密会議が行われているという厳戒態勢の場となっていた。
彼らは女王様謁見室と呼ばれる応接間にはいなかった。
応接間では額を寄せ合って、重役達と囁きあう葉子しかいない。
「どこに行ったのかしら。」
「犬もいるからプライベートの方には行っていないはずなんですけどね。」
葉子の豪邸は仕事用の棟と完全プライベート用の棟がドア一枚で繋がっている二世帯住宅のようなもので、葉子の完全私邸となる部分には彼女が可愛がる愛猫も住んでいるのだ。
顔が潰れた不細工この上ない猫であるが、葉子にはこの上なく可愛らしく思えるらしい。
ハゲいているこの上なく醜い鼠を可愛がる玄人が葉子と話が合うのは、二人の美意識やらがきっと似通っているからであろう。
「しっかりして、ちゃんと話を聞いてくれないかな。ちょっといい加減にしようよ。」
聞き覚えのある通りの良い声がした。
その声が聞こえた方角にあるのは、要人のために豪華な食事会を催すために作られた豪奢な食事ホールである。
「由紀子さん。食堂室に行きましょうか。」
「そうね。玄人がそこにいるのなら守らなければ!」
俺は玄人は坂下には気に入られているから大丈夫だろうと言いかけて、由紀子の息子の身の上を思い出して黙り込んだ。
さて、俺達二人が食堂室に辿り着いて見れば、確かにそこに玄人はいた。
松野邸の物々しい雰囲気の中、矢張り馬鹿は馬鹿な子でしかなく、県警本部の要人警護課課長、坂下克己警視に尋問される身の上に落とされていたようだ。
坂下は俺よりも低いが一八〇以上ある長身に軍人のような体格で、猫毛のやわらかそうな髪は短く、目鼻立ちがすっきりとした美形である。
警備部に移動する前は交通部で交通機動隊の小隊長だった経歴からか、彼は人当たりが良く面倒見が良くて、その上玄人同様に紅茶が好きなので、馬鹿なウチの子が「紅茶仲間!」と彼を慕っているとそういうわけだ。
いや、人たらしな男に玄人が誑し込まれただけと言うべきか。
そして玄人が食事室の大きなテーブルに座らせられて、大柄のハンサムな男性に詰問されている情景に、由紀子は玄人の「おばさん」に戻る事にしたようだ。
「まぁ、あなた。うちの玄人を虐めているんじゃないでしょうね!」
数刻前までは玄人を敵扱いしていた由紀子が、いまや豹変して親族の子供を守る雌鳥の勢いである。
由紀子は丸顔の博多人形のような、実に可愛らしい顔立ちの女性である。
そんな女性に目を三角にした埴輪のような顔をされて睨まれた坂下は、かなり動揺して目を泳がせ、テレパシーで俺に助けを求めた。
凄いな。
共感力が無いはずの俺が、坂下の「助けて!」をキャッチしたぞ。
「お久しぶりです。坂下警視。由紀子さん、彼は会員番号三十八番という紅茶友の会の新人じゃあないですか。クロをいじめるはずが無いですよ。」
紅茶友の会とは、上流階級の奥様方を会員に、玄人が会長で長柄由紀子が副会長という単なる趣味の会である。
しかし、幼い頃から武本物産の当主を自負する狡猾なクロが考案した会らしく、会費は武本物産から玄人好みの陶磁器を買う事という怖い会則もある。
そんな会則も知らずに上流階級の方々とお近づきになれると入会した坂下だが、本来女性限定の会に男性である坂下が勧誘されたのは会の設立以来初めての事だ。
自分が勧誘したはずの坂下に対して、由紀子がこれほどまでに鬼子母神の鬼のような振る舞いをする事に俺の方が面食らっていた。
けれどよくよく考えてみれば、数か月前に長柄運送に警察の不当な手入れが入り、彼女の次男が警察に逮捕されたのであれば仕方のない事だろう。
「この男は、紅茶友の会を退会済みです。おまけに、私の息子を一切助けるどころか、退会届を出しに来た足で私に息子を助けるなとまで言ったのよ。」
長柄運送への手入れは、銃器の密輸に携わったという神奈川県警の誤認捜査であったが、長柄裕也が白波方の従兄に乗せられて公務執行妨害で逮捕されている。
さらに、玄人の白波方の従兄弟が自分が牢を出る駄賃として、ありもしないはずの罪を密告して裕也を売ったのである。
ありもしないはずの罪とは、裕也を売った奴らもあるはずが無いと高をくくって、裕也の自宅に本当に本物の銃が隠されているというものだ。
だが、馬鹿な裕也は本物を本当に隠し持っていたのだという。
よって裕也は再逮捕され、社長の任も解かれて拘置所に二月近く押し込められる結果となったのだ。
ただ笑ってしまうのが、長柄運送への誤捜査という大失態の挽回と考えたのか、裕也への逮捕状は、刑法二〇八条の二の凶器準備集合及び結集罪である。
裕也は長柄警備を経営していた社長であるからして、そのような罪状が通るのかという点もあるが、警察は裕也が個人的に作った「クロちゃん防衛隊」が迎撃形態で凶器を準備している集合体だとして裕也を逮捕して勾留したのだ。
「そうだ。裕也君は元気ですか?あれから一度も顔を見ていないので。」
博多人形は人形らしくないほど顔を真っ赤に染めると、「あの馬鹿。」と呟いた。




