隣の上司に報連相
昨夜の事をメールしたら、「犬の散歩を一緒に。」と髙から返信が来た。
髙の家には、髙が必死で気を使っているらしい、今泉の方の両親が押しかけているのである。
「すいません。朝早く。犬の散歩を一緒にどうかなって。」
僕達の目の前に立つ今泉の父母は、気難しそうな小太りの母親と今泉によく似た痩せて鋭角な顔立ちの父親であった。
話始めればとても気さくで人の良さそうな彼らは、彼らも犬好きだと父親が髙の愛犬なずなを腕に抱いていた。
なずなはブリュッセルグリフォンのメスだが、片目を失った姿がみっともないと前の飼い主に保健所に捨てられたという可哀想な経歴を持つ。
そんな彼女は今やビジュー付きの大きなピンクリボンが飾られた首輪をして大事にされており、その乙女チックな首輪を選んだのは、妻の杏子ではなく当時完全に彼女もいない独身だった髙である。
「この子はおりこうなんだけどねぇ。」
今泉の父がなずなに頬ずりしながら疲れたように呟くと、気難しそうだと感じさせた眉間の皺を一層深めた今泉の母が、ぐったりとした声を出して夫に答えた。
「言わないで、あなた。あれのせいで杏子の幸せが壊れたらと、私は不安なのですから。」
それから彼女は疲れた顔ながらも僕達に精一杯の笑顔を向けた。
「さぁ、散歩前にお茶はいかが。」
今泉の母が僕達を招き入れようとしたその時、家の奥から赤黒いまだらのものが飛び出してきた。
今泉の愛犬虎輔である。
虎輔は甲斐犬の血を引く雑種犬らしく色合いと形は甲斐犬そのままだが、甲斐犬よりも体が大きく騒々しく、時には狂暴になることもある。
自分を子犬だと思い込んで大暴れになるだけかもしれないが。
とにかくそんな虎輔がゴンタに突進して襲い掛かったのだ。
体ごと、ドシンと。
ゴンタは大型、虎輔は大きめの中型だ。
誰もが手を出せず動きが止まったその衆目の中、絡まった二匹ともゴロゴロと転がって郵便ポストに仲良く豪快にぶつかり、ぶつかられた郵便ポストはガシュンと大きな音を立てて倒れた。
だが、馬鹿犬二頭は痛がるどころか、がっぷりと抱き合いながら甘噛みをしあっており、そのまま仲良くじゃれあいを始めたのである。
「まあ、お友達が出来てよかったわね。この子が騒がしくて、せっかくの夕飯も台無しになって。悠介さんには本当に得がたい人よ。あの子を幸せにしてくれた上に、こんな馬鹿犬まで引き受けてくれるなんて。」
今泉のお母様の髙に対する評価は、虎輔のお陰でうなぎのぼりのようだった。
彼らの後ろから髙夫婦も顔を出し、ゴンタと虎輔を疲れさせるためにと僕達は一緒に朝の散歩に繰り出すことになったのだ。
表面上。
これは山口がゴンタを通して見えた事と、未解決事件のファイルがゴンタが目撃した殺人事件であった事を髙に報告するための場でしかない。
「怖いわね。女一人で肉たたきで人殺しなんて。」
髙の妻、旧姓今泉の髙杏子が彼女にしては柔らかい声でせつなそうに呟いた。
確かに、女一人で、それも撲殺だ、怖いどころではない。
それでも僕と山口が小手川を今すぐに糾弾できないのは、現実的な縛りもあるが、彼女が包帯塗れの少女に頬ずりしていた場面を見ていたからであろう。
だから山口は現実的な縛りを解く事を選択したのだ。
家族皆殺しは現時点では死体もなく、捜査こそできやしない。
そこを地道に調査して、あの可哀想な少年の骸を掘り起こしてやるには、時間がどれだけかかるのであろうか。
今朝の散歩時に髙は、落ち込む山口の背中を軽く叩いた。
「余り焦るな。かえって失敗するからね。まずは行方不明だという小手川の娘の確保と、身元不明の被害者の身元確認からだね。今回の愛犬家殺しが小手川の仕業と立証できれば家宅捜査に持っていける。そうだろう。」
「あら、悠介。被害者が身元不明なら、淳平君かくーちゃんに透視させたら?」
せっかくの良い場面を台無し位したのは、杏子だった。
彼女はオカルト大好きの不思議ちゃんである。
お腹には髙の子供が元気に育っているが、髙はその子がオカルトに引き込まれないか心配している。
「駄目ですよ。僕はそこまで見えませんし、クロトには陰惨なものを見せたくは無い。」
山口の言葉に髙と僕は顔を見合わせて、ハハっと笑うしかなかった。
最近は君の方がいつも潰れちゃっているって、気が付いて!
僕の話を、特に山口こそ潰れちゃう、という所で笑い声を立てていた葉子だが、彼女は急に真面目な顔になると、僕に尋ねて来た。
「そう。辛いわね。でも、あなたは霊視できないの?」




