由紀子の話
「それで、由紀子は何の話だったんだ?」
楊宅に着くや、勝手に寛ぎ始めた良純和尚は僕に尋ねた。
僕は鳥の世話に大わらわだ。
長柄由紀子は長柄運送の仕事は婿養子の夫と長男に放り投げて一切関わらず、その代わりに趣味の高級洋食器の売買を武本物産で担当している人だ。
長柄運送自体が祖父武本蔵人の弟である來が長柄の養子になって興した会社であるので、逆に武本から長柄に就職する者もいる。
持ちつ持たれつなのである。
しかし彼女は高級食器と高級ギフトを担当という肩書きはあるが、武本物産社員として活動しているのではなく、彼女が気に入った食器があると購入して武本で販売するという「委託販売」に近い。
従って、面倒な総会には出ない人だ。
天才家具職人の孝彦に似ている自由人だ。
けれども彼女の方は商売人の血がしっかりと流れているので、それなりの利益を武本に与えてくれる。
孝彦以上に自由にさせておけば。
孝彦は時々不自由にさせないと、武本が倉庫代で身上を潰す。
「いや、あの。明日また出直すそうで。由紀子さんは今度武本の輸入洋食器の店舗を横浜に出したいと考えていまして、やっぱり、通販だけじゃあ高級洋食器を知らない若い世代には売れないから先細りだからって。それで僕に相談に来たのですが、僕は横浜にお店出すのはちょっと意味が無いかな、と。そうしたら、明日また、今度は企画書持って来るからって。」
文鳥を水浴びさせながらなので、僕は両手を突っ張りながら後ろの良純和尚に説明していた。
水道の水を出しっぱなしで手のひらに水を溜めての水浴びだ。
手のひらに柔らかい小鳥の感触を堪能でき、鳥と戯れられてこの上なく楽しいが、楊は冬の事を考えているのだろうか。
水が冷たくて死ぬぞ、楊の手が。
「お前は反対なのか?新規の客は必要だろ?」
由紀子も武本を切り回す加奈子伯母や奈央子叔母と同様やり手で、自分の考えに自信を凄く持っている。
意欲も凄い。
だが、彼女の考えは正しいが、実際に横浜に店を出しても店の維持費ばかりで、彼女の想定する顧客獲得には繋がらないのじゃないだろうか。
僕の考えを良純和尚に告げると、彼はハハっと軽く笑い声をあげた。
「俺に任せろ。」
「駄目だって説得してくれるのですか?」
良純和尚の声は素晴らしい。
力強いがとても静で、どんな人も安心させて言いなりに出来る力を持っている。
そして、どんな人間も恐れで動けなくなるほどの地獄の王の声も使え、声によって人を操る事のできる現代のメフィストフェレスなのである。
「阿呆。出すなら相模原にしろって言うのさ。」
「え?こっちですか?」
僕は濡れた文鳥を体に乗せたまま良純和尚のいるソファに向かっていて、すると、二羽の文鳥が一斉にブルブルと体を震わせて水を飛ばし始めた。
「ふざけるな、あっちへいけ。」
冷たい父の言葉にすごすごとダイニングセットの方に戻り、椅子の背に彼等を並べることにした。
身をかがめたら頭上のワカケホンセイインコが頭を齧った。
「痛い!もう乙女は!」
インコは大げさな声をあげて、僕に頭から振り払われないように体を伏せた。
重い。
どうして鳥って人の頭の上が好きなんだろう。
僕は乙女が落ちないように支えながら、再び良純和尚に同じ質問を繰り返した。
どうしてこっちに店を出すべきなのか?と。
「横浜市に出しても似たような高級食器店が山ほどあるんだ。おまけに、ターゲットは若い子限定だろ。意味がないじゃないか。」
「それでこっちだとどう違うのですか?」
「大学が幾つかあるだろう?大学の近くに店を構えて、喫茶と食器販売のスペースと客寄せにお前の和君のイザックの商品を幾つか置けばいいだろ。適当な女性誌に紹介記事を載せたりね。食器なんて使わないと良さがわからないものだろ?横浜市と違って遊ぶ所の少ない学生は、おしゃれだと評判な店には、喜んで足を運ぶんじゃないか?」
流石、やり手の実業家。
従兄の和久が若者向けブランドを出していた利点まで利用するとは、さすが使えるものは何でも使う人だ。
「それでは、明日はお願いします。」
僕は女の体に変形して、こんな自分では武本の信用を無くしてしまうと当主になることを諦めた。
だが、良純和尚が僕を当主に返り咲かせ、そして武本の人達がどんな僕でも受け入れてくれると知らしめてくれた。
この人が傍にいれば僕は幸せだし、武本物産も安泰だ。
僕が良純和尚に心の底から尊敬の目を向けていたら、彼は金の匂いに敏感な実業家としてほざいた。
「それで、店を出すとしたら、お前は幾らぐらいまで出せる?」
畜生、自分の物件を売りつけるつもりだったのか。




