それは俺の立場であり姿だ!
殺人事件が起きれば警察が近隣に話を聞いて回るのは当たり前だ。
何軒も何軒も、彼らは一軒一軒話を聞いて回る。
これは古今東西変わらない刑事の足仕事でもある。
夏も終わり、九月でありながらの猛暑の中、山口と相棒はある一軒の一戸建てに辿り着いた。
山口の相棒は葉山友紀という二十八歳の巡査部長であり、学年的には山口の一つ上に当たる。
彼は四角い輪郭に整った顔立ちで、山口よりはちょと背は低めだが同じように細く、山口がイカのようにクニャっとした動作をするのとは対照的に、武道家らしく姿勢が良い。
彼ら二人がどこに行っても好意的にみられるのは、軽薄そうな山口と真面目一辺倒に見える固そうな葉山という組み合わせに、人はわかりやすさを感じて安心するのだと山口は思っている。
さて、彼等が何軒目かに呼び鈴を押したその家は、他の家のように小さいながらも庭があったが、他の家のように手入れはされていないものであった。
葉だけの木がぽつんと植えられており、その木の根元に外犬が昼の熱さを凌ぐためにか体を縮こませて横たわっていた。
痩せてぼさぼさの毛皮の犬の姿には、それだけで悲壮感があった。
だが、山口を追い詰めたのは、その姿ではなかった。
彼等は犬を哀れだと思っても仕事へと意識を集中しており、呼び鈴を押して現れた家主が玄関だけでなく、冷房の効いた居間に通されお茶まで振舞われた歓待ぶりに山口と葉山は喜びよりも不信感が湧いていてそれどころではなかったのだ。
彼らは年齢以上に有能な警察官であるのだ。
流され署に左遷を受ける身の上になるぐらいには。
「わざわざいらしていただきましたが、ウチの娘は人様に乱暴するような子ではありませんよ。ご近所は嘘ばかりで、可哀想に娘はそれで閉じこもるようになって。」
聞いてもいない言葉に彼らがピンと来たのは当たり前だろう。
そんな警察官の思いなど関係なく、アイスコーヒーを振舞いながら家主の女性、小手川淑子は話し続けた。
「あの子が昨夜に家を飛び出してから行方不明だからって、あの女の人を殺したと疑われちゃ困りますよ。あの女こそ、我が家に押しかけて犬の飼い方に文句をつけるのですからね。全く。ねー、アンジェちゃん。」
彼女の足元にはおかっぱに短く毛を刈られたシーズーがおり、大きな水色のリボンを頭に付けたそれは、常にトコトコと彼女の足にまとわりついていた。
「可愛いワンちゃんですね。大きなリボンのその子は女の子ですか?」
もっと情報をと考えた山口は小手川の愛犬を褒めたが、視界の隅に見える雑種犬は顔をあげてそんな山口を「裏切者」と責めているような気がした。
リビングにいる人間の影をぼんやりと眺めているだけなのかもしれないが、山口は犬の視線がチクチクと自分に刺さっているような心苦しさを感じていたのである。
「あら、いやだ。アンジェちゃんは男の子ですよ。ちゃんと男の子色の青いリボンじゃないですか。」
男の子は青いリボンなんかしないと言い返しそうになりながら、山口はクロトという名の青年の姿が脳裏に浮かんだ。
彼は伸びた前髪を水色の蝶々型クリップで留めているのだ。
家主に愛情の差別をしっかりとされている室内犬と室外犬。
まるで、自分とクロトのようだと山口は思ってしまった。
だからこんなにも自分は外にいる雑種犬が気になって仕方が無いのかと、彼は反射的に窓の外へ顔を向けてしまったのである。
「犬が連れて行かれていますよ!」
保健所の職員らしき人達が犬を引き摺っていると、慌てて山口は小手川に声をかけた。
「勝手に夫が拾ってきた犬ですもの。世話もしないくせに。それで、殺人事件の疑いまでかけられて。いりませんよ、あんな犬。ねぇ、アンジェちゃん。いらないわよね。」
小手川に抱き上げられ撫でられている犬は、外の不幸な同族に一切の感情も無く、ただただ小手川に撫でられて喜んでいた。
キャウン!
外の犬が最後の望みの声をあげた。
だが、飼い主もアンジェとやらも一瞥もしない。
「クロトは俺が百目鬼に苛められても守ってはくれない。あれは、そんな俺の声だ。」
「ちょっと!山さんどこに行くの!」
彼は相棒の制止を振り切って小手川家を飛び出して、既に跡形も無い保健所の車の後を必死で追いかけた。
自分自身を助け出すために。