第8話 魔術史と 降って出たる 重責と
「お祖父ちゃん、また工房に潜っちゃったの?」
自分の弁当箱を洗い終えた鮎美が手を拭きながら、リビングに戻って来る。
「せっかくお祖母ちゃん来てるのに……」
「ああ、昼時から今まであの人の仕事時間奪っちゃったからねぇ」
「けどぉ……」
鮎美は、恨めしそうに地下に続く階段へと視線を向けた。
「そういえば、鮎美」
ノルドは鮎美を手招きする。
「鮎美は、魔術についての歴史を聞いたことあるかい?」
鮎美は首を横に振って応える。
「なら、玄草と一緒にきくかい?」
「聞く聴くきくっ!お兄ちゃんは、聞いたことあるの?」
「アカデミーの授業でなら……委員長の祖母ちゃんからは、初めてかな」
「はいはい。無駄口はそこまでっ!」
ノルドは杖でコンコンッと机の上を叩いた。
50年前、何の前触れもなく、地球上の広い範囲で極光が確認された。
昼夜を問わずに輝きうねる極光は神秘的であり、この現象は数日に渡って観測出来たと言う。
「この時は、私はまだ結婚前でね。日本の文化研究で日本に滞在していた時に見たのさ……」
ノルドは過去を思い出すように語る。
「えっ、じゃぁ、この後にお祖父ちゃんと出会ったの?」
鮎美が、興味深々で聞いてくるが……
「その話はいずれね……」
ノルドはすかさず話を逸らす。
「で、その時……何かの意思が地球上に降り注いだのさ」
後に、“祝福の風”と呼ばれた現象である。
それによって、遥か昔に失われた魔術に目覚める者が現れる。
それは、古来からあった伝承と混じり合い、数々の魔術系態を蘇らせることになった。
「けどね……魔術を持つことを自覚した者の数が、圧倒的に少なくてね……」
ノルドが少し寂しげな表情で話を続けた。
「当初、国家や大企業による実験動物的な扱いを受けることが多かった。その最たる地域は皮肉にも科学で先進国と言われる国々……ここ、日本もその一国なのさ」
話を聞いていた、玄草と鮎美の表情が険しくなった。
無理もない。
時代が時代であれば、自分達もその実験体の一人としてなってたかもしれない。
「授業でも聞いてはいましたが、本当に酷い話ですね」
「う、うん。何だか可哀想……」
玄草の言葉に、鮎美も泣きそうな雰囲気で答えている。
「本当にその通りさ」
ノルドは可愛い子供や孫が、あのような悲しい目に合わなくて本当に良かったと心から思う。
「で、私は急遽帰国して、“祝福の風”を受けて覚醒した一人として『魔術師』と名乗ったのさ……当時は先駆けだったけどね」
帰国したノルドは、欧州での異能者の地位を確立させ、欧州魔術師ギルドの設立に尽力した功績と魔術師としての実力から『大魔導師』の称号を得た。
そして、先代の委員長が勇退・死去した事により、彼女は欧州魔術師ギルドの3代目委員長となったのである。
「皆さ~ん、夕食の準備が出来ましたよ~?」
台所の奥から、天照の声が聞こえた。
「おや、もうそんな時間かぃ……続きは、食後にでもしようかね」
ノルドが優しい表情で、玄草と鮎美に言った。
「うわぁ~!お腹が空いてたんだぁ~!」
鮎美が、待ってましたとばかりに、台所の奥に駆け出して行った。
食事の準備を手伝うためだ。
「じゃぁ、俺は祖父さんを呼んできますね」
玄草は席を立ち、地下工房への階段を下りていった。
夕食も終わり、翠閠を除いた面々はリビングで一息をついていた。
アイスティーを飲んでいるノルドは、忙しさを楽しんで居る様にも見える。
ノルドの今回の来日は、日本に在住する魔術師の保護、日本で起こっている怪異・災禍への迅速対応の為の魔術師ギルド設立を目的としていた。
「政府からは『欧州魔術師ギルドの日本支部と言う形で』なんてゴネられちゃったけど……日本にはギルド運営のノウハウが無いんだものね。仕方ないか」
「ですが“黒い扉”の活性化ですか……」
天照が驚いた表情で問う。
日本では12年前の成田の一件以降の“黒い扉”の活性化情報は得ていない。
だがそれでは故・時東早苗の時に魔族が居た事の証明が出来ない。
12年前の残党が居たのか……それとも。
「まさかとは思いますが、別な“黒い扉”が日本国内に開いたとか……」
玄草の言葉にノルドは深く頷く。
「その可能性は大いにあると思うよ……小さな“扉“の亜種は他国でも報告がある」
「ねぇ、黒い扉って何?」
「鮎美もいつ“見える”ようになるか判らないから、知っておいて良いと思う」
鮎美は興味深々な問いに玄草は頷いて返した。
「話すと長くなるんだけどね」
ノルドが、話を続けた。
“祝福の風”は、30年前に止まってしまった。
好景気に躍らされた人類が心や魂の発展に尽力することよりも、目先の金や地位や名誉に目がくらみ、人々が欲望に溺れていったからだと言われている。
丁度それと前後して世界各地で発生した天災や内乱で人心は疲弊していく。
「まさに、その時なのさ」
ノルドが険しい表情になった。
「人々の心の荒みに呼応するかのように……世界各地で黒い光を放つ扉の出現が報告され始めたのは……」
今でも忘れる事が出来ない。
人々が黒い霧に覆われていく姿。
そして、その霧が集まり、その集合体が扉の形を形成していった。
“黒い扉”とは、正にそれを指していた。
その扉から溢れる黒い光の影響を受け、人類の中に死霊使役や呪詛といった光に対なす魔の影響を受けた異能者が現れるようになった。
更には“魔族”と称される者が扉から出現したのである。
不幸な事に、最初にその現象が確認されたのは12年前の日本。
魔族は出現するなり、黒い光の影響で異能となった者と結託し人々を襲い始めたのである。
成田国際空港貨物ターミナル南部貨物地区を襲った“大災禍”がそれであった。
「我々がここまで知るだけでも、少なくない犠牲が出た」
ノルドは目を閉じ、深く溜息をつく。
形を成す扉に飲み込まれた者の悲痛な叫び声。
開こうとする扉に飛び込み、内側からの破壊を試みる魔術師。
北欧魔術師ギルドに所属する魔術師の半数が落命し、命を繋いだ者もその能力を失った。
幸いなのは瘴気に浸かっても理性を失わず、扉に吸収されなかった者も居り、“黒い扉”のデータを齎した者も居たと言うことだ。
「お父さんとお母さんは……」
「大災禍の“魔族”の親玉と闘って……戻って来れなかった」
玄草は鮎美に答え唇を噛む。
祖母からの応えがあるものと思っていた鮎美は驚いて玄草を見上げた。
鮎美の頬を涙が伝っている。
「俺は未だに“攻撃魔術”を使えない……父さんと母さんの敵討ちがいつ出来るのか……」
「でも、お兄ちゃん……」
「玄草……自分を卑下するのもいい加減におし」
ノルドは静かな声で玄草の自責を遮る。
「あんたに救われた者の報告は確かに上がってきているんだから」
アカデミーでの10年、玄草は両親の様な戦う術を習得出来なかったが、先達が遺したデータと新たに得られた“黒い扉”の情報を知り尽くした上で戦況を判断し、共闘する者を守護する力を得ていた。
戦術結界で戦禍が外へと漏れ出る事を防ぎ、共闘者を防御。
更に、傷付いた共闘者を癒す役割を玄草は担って居たのだ。
瘴気に捕われた霊の解放、その段階までの行動。
故・時東早苗の一件の顛末も天照が報告し、ノルドの知るところとなっていた。
「早苗さんの一件は……俺はやれる事をやっただけで……」
「己の考えを信じて必要な物を集め、ここぞと言う時に必要な術を使う。攻撃魔術を放つしか能の無い生半可な者には出来ない貢献だと思うがね?」
玄草はノルドに沈黙しか返せなかった。
悪霊や魔族が相手でも、本当に滅するべきなのか否か苦悩し、熟考する。
滅する必要が無ければ、相手に納得材料を与えて退散して貰う方法を取る。
滅するべきと答えを得ても、如何に苦痛を与えず現世から消し去るかをぎりぎりまで考え、攻撃魔術を得意とする者に戦って貰ってきた。
「闇雲に“魔を滅せよ”と叫ぶ輩より魔術師然してると思うんだが」
「私はそんな玄くんと戦えて心強いんだけどなぁ」
ノルドの言葉に天照は首肯する。
「攻撃魔法を使うだけが“戦い”じゃない。生きる為に手段を尽くして、大事なものを護るのも立派な戦いだって覚らされるのよね」
ーー敵わないな、この人達には。
玄草は頭を掻く。
二人は照れも隠しもしないで、このような事を平然と言ってくれる。
言われる身としては自責の念も失せてしまうではないか。
複雑な表情の玄草をノルドは微笑んで見ている。
「天照ちゃん、ここからはちょいと込み入った話になる。場所を変えよう」
ノルドは悪戯っぽく微笑むと、指を鳴らした。
ノルドの“転移”魔法で天照が案内されたのは、石積みの壁に囲まれた部屋。
真新しい木製のカウンターがあり、やはり新しい筆記台が設えられている。
「ギルド部屋じゃないですか……それも未使用の」
「そう。昨日のうちに拵えておいたのさ。北欧魔術師ギルドの小型盤とでも言おうか」
ノルドの言う通りで、この場に複数名の魔術師とギルドスタッフが居れば“魔術師ギルド”の光景は完成する。
ただ、ここに足りないのは出入口。
魔術的な構造なのか、閉鎖空間であるにも関わらず空気の循環があり、温度・湿度共に快適ではあるのだが。
「ギルドの出入口は、天照ちゃんの店の通路にある大鏡を使わせてもらうよ」
ノルドはそう言うと、宙空に指で小さな四角を描く。
すると、ギルドスタッフが座るだろうカウンターの向かいの壁に、扉が出現した。
ーー相変わらずノルド様は……人ならざる魔術の使い方をするなぁ。
天照は感心する。
一般的な魔術師は、呪文詠唱にイメージを乗せ、魔方陣・魔術式を描く作業をもって現象を起こす。
その作業の簡略化など“人の身”では不可能とされているのに……ノルドはそれを可能としてしまっている。
無詠唱で指先だけで魔素を操り、望む物を作り出していくノルドは、お伽話に登場する“魔法使い”そのもの。
彼女が指先でカボチャの馬車や美しいドレスを描けば、そのまま出現するだろう。
「年の功さね」
ノルドは天照の感心すらお見通しの様だ。
「チェック体制はどうするんですか?」
「ここの入口と鏡の間にもう一つ部屋を作ってある。そこにフェンリルでも飼ってみてごらんよ」
天照の脳裏にずんぐりとしたフィンスキー犬の子が浮かぶ。
額に目のような模様がある、人懐こい子犬……とは言っても人間の子供ぐらいの大きさがある。
「あはは……あの子ですか」
「天照ちゃんが旅立ってから寂しいらしくて、遠吠えが酷くてね……それに、あの子なら善人と悪人の見分けもちゃんとできるだろう」
良からぬ心を持つ者が大鏡のゲートを潜れば、フェンリルに頭をかじられて放り出される仕組みと言うことか。
「術種を問わずに魔術師を集める必要がありますからねぇ……異能者全員が善人とは限りません」
異能者と呼ばれる者は多いが、魔術師としての地位を確立している者が少ない日本。
その為か、他国と比べて、実力差がひどく開いている。
やはり、ギルドが無い為に表立った活動もままならない。
また、能力があるのに自分の適性が判らないゆえに苦しんでいる者も居るという噂も耳に入る。
最近の状況を考えると、日本政府も怪異を“非科学的”、“気のせい”で隠すには限界があるせいかもしれない。
民間企業の中には、異能者を使った仕事もチラホラと耳にするようになってきた。
どうやら、民間企業や富豪に能力を搾取されているようだ。
それと同時に、日本国内はもとより世界各地でも、別の問題も引き起こしていた。
……異能者同士の争いが勃発していてるのだ。
それぞれに大義名分はあろう。
だが、地位や名誉……そして、金。
結局、最終的に行き着くモノがこれらであった。
これでは益々自分達の首を絞める様な行為でしかないのだが、私利私欲の為に術を行使する者が後を絶たないかもしれない。
「そんな状況だから、悪いけど……そう言った輩の対応はさせて貰わないとね」
お読みいただきありがとうございます(=^・^=)
次話公開は、7月12日火曜日、0時です。
お楽しみいただければ幸いです。