第5話 遺書残す サムライ魂に 祝福を
「玄くん、これ以上この件に関わらないように」
俺は昨晩のうちに意識を取り戻し、今朝起きた時には瘴気酔いも解けていた。
天照さんはリビングに入ってきた俺をみるなり、戦力外通告してきた。
……が、今回は拒否させて貰う。
天照さんは「敵わないなぁ」と苦笑いを浮かべた。
「しかし、相手は思った以上の狡猾さね……」
天照さんが溜息をつく。
「早苗さんの存在の強さに気を取られて、魔族が居ることに気付け無かったんだもの」
困った様な表情で、両手を頭の後ろで組んだ。
「彼女には苦痛だけ与えて御退場頂くしかなさそうね」
言葉とは裏腹に、それは望まない雰囲気だ。
良い手段が見つからず、本気で困っている様である。
ならば、それ以外の未来を築くしかあるまい。
魔族が関わっている故に危険だ。
安全の保証が出来ない。
……そんな事は重々に承知の上だ。
「早苗さん、完全に魔堕ちしていない筈です」
でなければ、俺が倒れる寸前に見た彼女の表情は何だと言うのか。
余りにも悲しい……自分の罪を統べて受け入れるかの様な。
あんな表情をするならば、まだ望みは有るはずだ。
魔族が関わっていると聞かされて、恐怖感が拭えないのは確かだが、逃げる事は考えられない。
「そう言えば……じいさんが、早苗さんに妹さんが居るって……」
早苗さんが亡くなられて、妹さんが喫茶店の廃業手続きをなさったと聞いている。
「天照さん、少し時間を頂けませんか?」
「止めた所で玄くんも現場に来るんでしょ?」
昨日張った天照さんの結界の残り時間の事もあるけど、今回は大丈夫だろう。
「午後6時に現場に再突入。それ以上は待てないから、よろしくね」
天照さんが、優しく微笑んでいる。
元気は貰った。さあ、名誉挽回しなきゃ。
「判りました。では、行ってきます」
先ずは、地下工房に居たじいさんに早苗さんの妹さんの件を尋ねた。
すると、丁寧な文字が並んだ手紙を見せられた。
……店主である早苗さんの急逝による廃業の報告と、御礼。
封筒には川崎市の住所が記されている。
「ただ、俺が訪ねて行って、お会い頂けますかね?」
「無理だな……どこの馬の骨とも知れぬ若僧が突然来た所で、追い返されるのが落ちだろう」
それに、年齢的にもその住所に居るとは限らないと。
「あちらでのやり方では通らんさ……」
確かに“あちら”では偽造不可能なアカデミー発行の身分証で通ってしまっていた。
日本でそれが通じると考えがちだが、そう事は甘くない。
「郷に入っては郷に従えと言うのは、こう言う事さね」
じいさんはスマホを耳に当て、話しはじめる。
「あ、劉さんかい……」
不動産会社社長改め『華僑ギルド情報屋』劉さんの筋から、折り返しの連絡が来たのは間もなくの事だった。
封筒にあった場所には妹の弥生さんの息子夫婦が居を構えているが、弥生さんは同じ市内の高齢者住宅に住んでいる。
アポイントは取ってあり、話は通して有る……と至れり尽くせりだ。
自由が丘駅で東急大井町線に乗り換えて、溝の口駅で降りる。
歩いて5分程度で俺は川崎市高津区にある高齢者住宅の前に辿り着いた。
時東早苗さんの妹である相原弥生さんを訪ねて。
天照さんとの話が終わってからは2時間経過していた。
タイムリミットまで5時間。
「唐突にお邪魔しまして申し訳ありません」
「いいえ、お気になさらず」
空き店舗の中で見た早苗さんと良く似た御婦人が目の前に居た。
違うのは背丈と洋装か和装かの違い。
「姉の遺品をご覧になりたいとの事でしたので、手紙の類いを揃えておきましたが」
「有難う御座います。拝見致します」
絵葉書、封書……ご友人からのものと思わしき文面の中に、同一人物からの郵便物が多数見受けられた。
“河端真幸”という人物。
天照さんが教えてくれた“早苗さんが助けを求めた「まさゆき」さん”と名前が一致する。
「姉の婚約者だった方です」
封筒の内容を確認しなくて良かった。
恐らくは甘いラブレターだったりするのだろう。
ただ、真幸さんからの封書は、消印から判断すると正和年代末期……36年前で終わっている。
最後の封書は差出人が河端順壹となっており、未開封だった。
「真幸さんのご親族からの封書です……」
弥生さんの表情が曇った。
「離縁を迫る内容かも知れないと思うと怖くて開封出来ない、と姉は申しておりました」
弥生さんから封書を渡され手にした途端、俺の頭に激痛が走る。
--沢山並んだ座席……パニックに陥る人々。
天井から降って来るのは酸素マスクか。
飛び交う怒号、響き渡る悲鳴--
見たことの無い地獄絵図に吐き気を催す。
「……さん、各務さん?大丈夫ですか?」
「大丈夫、です……」
実際は大丈夫では無い。
封書をテーブルに置いて手放しても、頭痛と眩暈が酷い。
「この封筒……開けて頂いても良いですか?」
亡くなられた早苗さん宛ての物だから、御遺族の弥生さんに開けて貰うのが正しい。
弥生さんの手で開封された封書の中の白い便箋には、河端真幸さんが海外で飛行機事故で亡くなった事が記されていた。
離縁を迫られるより残酷な内容。
そして、濃い茶色に変色した紙が。
弥生さんが息を飲む音が静かな室内に響いた。
「これって……」
血の染みだろうか。
変色度合いが疎らだ。
「ご遺書かも知れません」
やはり、血で染められたらしい便箋は強張った感触だ。
無理に開けば破れてしまいそうである。
先ほどのは真幸さんが死の間際に見た光景と言うことか。
今までは誰かの遺留品に触れても、あのような幻影を見たことが無かった。
相当の恐怖や想いが思念として残留していたのだろうか。
「生前に姉がこの存在を知っていたら、あの場所に固執せずに居られたのに……」
弥生さんは涙を流して悔いる。
「果たしてそうでしょうか」
思い出に縋り付いて、その場から離れる事を拒む者も居るだろう。
思いの強さも人それぞれ。
その場所への思いの強さによって、死後に地縛霊と化してしまう場合もある。
早苗さんのケースは、それを魔族に悪用されたに過ぎないのだ。
「俺のような若僧が知ったような事を申し上げました」
「いいえ……若い方の貴重なお考えを聞かせて頂きましたわ」
弥生さんは涙を拭い、微笑んで言う。
「真幸さんの御遺志、どうか姉の未練を解くのに御活用下さい」
再度封筒に収められた手紙と遺書が俺の前に差し出された。
「御厚意、有難う御座います……」
「早苗姉さんを、何卒……何卒お願いします」
午後4時30分。
帰宅した俺は再び、リビングで天照さんと顔を合わせていた。
「玄くん……これは?」
天照さんはテーブルに置かれた封筒を気にしながら紅茶をいれてくれた。
ティーカップに注がれたアッサム特有の濃い穀物香と淡く甘いカラメル香が鼻腔をくすぐる。
添えられたミルクを少し注ぐと強すぎる香りが落ち着き、飲みやすくなった。
「真幸さんの遺書が入っています」
「“まさゆき”さんの?」
昼に天照さんと別れてからの経緯を話す。
すると、天照さんの驚いた表情が笑みに変わる。
「玄くんお疲れ様。早苗さんを強制退場させる最悪シナリオは避けられそうよ」
勝利を確信した笑みと言おうか。
午後6時。
「天照さん……本当に上手く行きますか?」
朝方の“逃げない”決心が揺らぎかけている。
昨夜の醜態を繰り返さないかと、悪い考えばかりが浮かぶ。
「大丈夫。玄くんはもっと自信持って」
居ると判っている魔族には負ける事は無いと天照さんは、楽しそうに空き店舗の扉を開けた。
『またお前達?懲りないわね!』
無表情な早苗さんの隣から金切り声が上がった。
牡羊の巻き角を額の両側から生やしている女性が声の主のようだ。
『閉じ込められてるのも飽きたわ。いい加減“結界”とやらを解く気は無くて?』
「別にいいけど?」
天照さんが指を一つ鳴らす。
見えない壁が無くなった為か、瘴気が溢れ出し始めた。
しかし、その瘴気は天照さんが差し出した掌で受け止められる。
後方待機していた俺の方に流れて来る事も無い。
「これは任せて♪」
『“これ”って、物扱い!?』
鼻歌でも歌い出しそうな余裕を見せる天照さんに腹を立てたらしい。
物凄い形相で蹴りや拳、攻撃魔法を繰り出しているが、何れも天照さんに傷を与える事は無い。
「玄くん、今よ!」
天照さんの合図の声を受けて、俺は早苗さんに呼びかける。
「早苗さん!真幸さんのお手紙を預かってきました!」
能面の様な早苗さんの表情がピクリと反応する。
『嘘……よ。もう長い間、真幸さんからの手紙なんて……』
「河端順壹さんからの未開封の封筒に入っていたんです!」
受け取った本人しか知らない差出人の封書。
……それに魔力を纏わせて早苗さんに差し出すと、ふわりと手紙が浮き上がり、幽体である早苗さんに見える状態になる。
「ᛗᛖᛗᛟᚱᛁᚨ ᛋᚨᚾᚷᚢᛁᚾᛁᛋ ᛋᛁᚷᚾᚨᛏᛁ ᛁᚾ ᚲᚱᚢᛞᛖᛚᛁᛋ ᚱᛖ.
(残酷な現実に封じられた血の記憶よ。)
ᛋᛖᛗᛖᛚ ᛁᛏᛖᚱᚢᛗ: ᚢᛟᚲᚨ ᛞᛟᛗᛁᚾᚢᛗ.
(今一度、汝の主を呼びたまえ。)」
俺が中空に描いたルーンと声に応えて、茶色く変色した便箋がひとりでに開かれる。
“早苗さん、心からお慕いしております”
絶命までの短時間で真幸さんが書かれたのだろう。
短い文面の文字は震えており、血の染み以外の文字も所々滲んでいる。
真幸さんが最期まで純粋に早苗さんを思う心が伝わって来る。
便箋に書かれた文字が青白い光を放つ。
もうあなたのお茶が飲めないのが心残りです。
どうか……どうかお幸せに……
書ききれなかった想いまでもが男性の声となって聞こえる。
そればかりではなく、血染めの便箋は焔に包まれ……
その焔は、精悍な顔つきの若い男性の姿に形を変えた。
『真幸さん!?』
悲鳴にも等しい早苗さんの声。
彼女は表情を強張らせながらも、大量の涙を流していた。
真幸と呼ばれた男性は鞘付きの日本刀を携刀し、天照さんに出鱈目な攻撃をしていた魔族と相対する。
『へえ……今度はアンタが相手してくれるの?防御一辺倒の相手で飽きた所だったんだ』
不敵な笑みを浮かべた魔族。
対して真幸さんは表情を一切崩さない。
刀の鯉口を切り、ジリジリと間合いを詰めながら
『早苗さんを……私の妻を返していただこうか』
言葉とともに、一歩を……踏み出す!
そう、縮地からの居合い一閃。
抜刀の瞬間が見えなかった。
パキーンッ……!
硝子の棒が折れる様な美しい音が響く。
魔族が袈裟斬りにされると同時に、早苗さんが糸を切られた操り人形の様に崩折れる。
魔族が施した呪縛が砕け散ったのだ。
『早苗さん、お迎えが遅くなって申し訳ありません』
真幸さんは早苗さんを仰向けに抱き上げ、そっと彼女の肩を抱き寄せた。
「玄くん、やるじゃない♪帰国早々にサムライ見れると思わなかったし」
「あー、それなんですが」
俺は斜めに両断された魔族の遺体を指差す。
石床に倒れ臥しているので、血溜まりが出来ているのだ。
「済みません……こうなると判っていたら、戦闘結界張っておくべきでした」
戦闘結界とは、戦闘の余波を外部に及ぼさない結界。
術の使用者がKOされたり殺害されない限り、外部に如何なる影響も出ないのだが。
今回は俺自身の判断ミスで張れなかった……
俺はモップで血溜まりを拭き、天照さんは石床の細部を必死にタワシで磨いている。
『申し訳ありません……怒りに我を失いました』
頭を下げるのは、血溜まりを作った原因の真幸さんだ。
気持ちは判らないでない。
愛する人が呪縛で地縛霊にされたなんて知ったら、正気では居られないだろう。
また斬り倒された魔族も、相手を呪う暇も与えられていなかった。
恐らくは一溜りも無かったのだろう。
魔族のお得意だった瘴気の一片も残留していない。
「まぁ、血の飛び散りが広範囲じゃなかったからよかったわ」
「スプラッタ喫茶店って洒落になってませんよ」
そんな俺と天照さんのやり取りを見て、早苗さんがクスリと笑う。
『天照さんは、本当にここを気に入って下さったのね』
「ええ、そりゃあもう!」
天照さんは磨き終わった石床のタイルの仕上げ拭きを終えていた。
俺も洗って絞ったモップを壁に立てかける。
「玄くんを起こしに毎朝通えるし、玄くんに朝ご飯作ってあげられるし」
天照さんが並べる野望には、喫茶店に関わりの物は無かった。
「玄くんにお弁当作ってあげられるし、それに、夕ご飯だってぇ……」
魔族から解放され、愛する人の抱擁に包みこまれる早苗さんが美しく見える……
『玄草さん、天照さん……私を解放して下さって有難う御座います』
しかし、心なしか彼女の輪郭がぼやけて見える。
「「どうかこれ以上、苦しまないで欲しい」と、じいさん……翠閠が言っていました。俺は……早苗さんが苦しみから抜け出す手伝いをしたに過ぎません」
そう、真幸さんに寄り添って幸せそうな早苗さんの姿を見られるのも、二人の想いが如何に強かったかの証明に過ぎない。
『私は魔の者と関わってしまいました。地獄に堕ちるのは確実でしょう』
早苗さんは悲しげに目を伏せる。
それでも、こうして真幸さんと再会出来た……思い残す事は無いと言う。
『天照様、玄草様。自分は早苗に付いていく所存です。例え地獄の果てであろうと』
「真幸さん、良い覚悟だわ……」
真幸さんの覚悟の篭った声に天照さんが頷き、囁くようにルーンを放つ。
「ᛒᛖᚾᛖᛞᛁᚲᛁᛏᛖ ᛞᚢᛟ ᛁᛏᛖᚱ.」
そのルーンに反応する様に早苗さんと真幸さんの輪郭が急激に霞み始めた。
二人が光の粒子に変わっていく。
それぞれは光球となり、二つの光球は重なり合う。
凝縮していく光球は、臨界を迎えたかの様に一際大きく輝いて……消えた。
「旅立つ二人に祝福を、ですか」
「何よぉ……陳腐だとか思ってるんでしょ……」
ふて腐れた様な天照さんに、俺は頭を振る。
「俺もそれしか思い付きません」
あんなに想い合った二人の旅立ちに贈る言葉は、これ以外考えられない。
そう言うと、天照さんは首肯する。
「あの二人が地獄行きだなんて、有り得ないわ」
お読みいただきありがとうございます(=^・^=)
次話公開は、6月21日火曜日、0時です。
お楽しみいただければ幸いです。