第4話 雨の日は 中華な菓子と 地縛霊
「あちゃー……雨かぁ」
「こりゃぁ、今日の売上は期待できんか」
インカローズの店入口脇のブラインドを上げながら溜息をつく玄くん。
対照的に嬉しそうな翠閠さん……
こういった日は地下工房に潜って、仕入れたり依頼を受けた修復をしていても文句を言われないそうだ。
修行中とは仰るが、翠閠さんに手掛けられ、修復された欧州家具や雑貨は何れも素晴らしい。
晴れていればそれらも売れる事もあるため、人員不足に陥る。
家族経営の難しいところだと翠閠さんは苦笑する。
「観光のお客様が飲食店側に逃げちゃうの、こういう時って」
鮎美ちゃんも店番手伝いの為に玄くんとお揃いのエプロンを着けているが、心底残念そうな声。
「あ、じゃあ翠閠さんをお借りしても大丈夫?」
「えっ?」
地下に潜るべく、作業着と作業帽を身に着けた翠閠さんがギクッとした顔になる。
「不動産屋さんに行ってきま~す」
「「行ってらっしゃい(~い)」」
「なんと。本気で除霊できるネ?」
劉さんは元より、昨日に引き続いて応対して下さっている営業の女性までも固まっている。
「あ……あそこは今まで何名もの術者が除霊に失敗していて、誰も成功させていません」
「華僑の魔術師も受けてくれないヨ、難しすぎるってネ」
本当に失敗を重ねられて、断られ続けて来たのだろう。
二人の表情には疲れと諦観の色が濃い。
「劉さん、ここは妻を信じちゃくれませんか?」
「欧州の魔術師ギルドを、ですかネ?」
翠閠さんが私に目を合わせて下さり、深く頷く。
停滞していた空気を、翠閠さんが仲立ちして変えて下さった。
「改めまして……」
私はバッグに入れてあった身分証を取り出す。
欧州魔術師ギルドのカードは黒。
カードの鋭利な縁で指先を傷付け出てきた血を一滴触れさせると、漆黒のカード表面に青い文字と紋章が浮かび上がる。
「欧州魔術師ギルド委員会の直下魔術師、天井天照と申します……お見知り置き下さい」
キョトンとカードを見下ろし首を傾げる営業の女性。
それと対照的なのが、大量の汗を流して椅子から立ち上がった劉さんだった。
「お嬢さ……いや、天井さん……確認させて頂きましたネ」
応接用のガラステーブルに頭をぶつけそうな勢いでお辞儀する劉さん。
「大変失礼な疑い方してしまって、本当に申し訳ないヨ」
「いえいえいえいえ!(私も権威振りかざす気なんて無いんですから)」
カオス空間を作り出す要因となった翠閠さんに目をやると、舌を出してそっぽを向いてるし。
一先ず場が落ち着いたのを見計らって私が知り得た状況を話す。
「この物件を建てられた方は“地縛”された上で、結界に封じられています」
「地縛?この物件に強い未練をお持ちと言うことですかネ?」
私は劉さんの疑問に首肯する。
「そうかも知れません……」
呆気に取られる劉さんを余所に、話を続ける。
「ですが、推測上に過ぎませんが、他に原因があると考えています」
ただの地縛霊であれば少しの“霊障”を起こす程度。
何人もの『退魔』を得意とする術者を退け、防怪異結界の中で存在し続けるとなると、それ以外の原因があるとしか考えられないのだ。
結界を張った玄くんと意思疎通し、理性的な対話が可能な地縛霊となると『恨みつらみ』の類いで縛られていないのは推察できる。
その類いであれば、追い返された術者や借主に、重い霊障を与えていただろう。
そう考えると、ここの霊は……もっと別な呪縛を受けているのでは無かろうか。
「これはまた……日本の術者には難しかった理由が判ったような気がしますヨ」
「日本の『退魔』は、先ず魔を祓う事ありき、ですからなぁ」
汗を拭いながら聴き入って下さる劉さん。
翠閠さんも神妙な面持ちで頷いている。
日本でも祓われる側の気持ちを汲んでいる術者も居るのだが、少数らしい。
「判りましたヨ。この物件の事はお願いするとして……」
劉さんは胸ポケットから赤マジックを取り出して物件情報の紙に何やら書き込みはじめた。
「除霊が成功したら、お家賃を半額ネ。敷金も0円ヨ」
「良いんですか?」
劉さんの目が弧を描いて閉じられ、コクコクと頷く。
「外観も内装も綺麗なんだけど、築年数が結構行ってるヨ。リフォームは好きにしてネ」
今まで空き店舗だったのを考えても、今後空いているよりは良いと言う計算か。
【横浜市中区 山下町(元町中華街駅)の貸店舗】
賃料 20.5万円 ⇒ 10.2万円
管理費等 43,000円
敷金 2ヶ月 ⇒ 0ヶ月
保証金 なし
使用部分面積 96.47㎡+64.33㎡
種目 貸店舗 +住居
交通 元町中華街駅 徒歩4分
備考 リフォーム自由(リフォーム代実費。相談により業者の紹介有り)
喫茶店経営の場合、必要な有資格者紹介有り(火元責任者・調理責任者等)
私は劉さんの提案に快諾した。
「早速取り掛からせて頂きます」
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本降りになった雨が止んだが、未だ厚い雲が空を覆っている。
観光客の出足も疎ら。
ここから晴れてくれれば客足の増加も見込めるのだが。
そんな中、天照さんとじいさんが戻って来たのは11時過ぎ。
「「おかえりなさい、天照さん、(お)じいさん(ちゃん)」」
「玄くん、鮎美ちゃん、ただいま~♪」
「ただいま……店番を任せてしまってスマンなぁ」
御機嫌だなぁ、天照さん。
やり甲斐のある依頼を受けた時はこんな感じになる。
そういった依頼には、俺も付き合わされる事も多い。
「御土産買ってきたわ。午後のお茶の時に食べましょ?」
「わぁっ!華誠楼のお菓子だぁ!」
小さな紙バッグを受けとった鮎美も上機嫌だ。
「紅菱酥に黄菱酥……お兄ちゃんの好きな椰子牛奶酥もあるよ」
華僑の街で育っただけあってか、鮎美はお菓子の名前を暗記していた。
中国語を棒読みにする辺りは日本人だが。
かく言う俺は中国語は全く読めない……近所の料理店に入っても、メニューに振られた番号で注文する。
「わざわざ有難う御座います、天照さん」
「いいのよ、引っ越しの前祝いだから」
と言うことは。
「お隣りの空き店舗、借りる事にしたわ」
「“別の呪縛”……ですか」
「そうでなかったら、早苗さんの霊力が失われていないのがおかしいわ」
俺の呟きに天照さんは首肯する。
昨日物件を見て来た時に見た“早苗さん”の状況を見る限り、そうとしか考えられないと言う。
俺の組んだ術式のミス等に疑問を抱かないのだろうか。
「それこそ有り得ない。結界術は玄くんが最も得意とする術だもの」
“別の呪縛”を見逃していた俺が頷けない事だ。
結界で封じる相手にそれが有ることを見逃すなど、未熟も極まれりである。
「昨日言ったわよね?玄くんの結界は完璧だったと」
我ながら情けない顔をしていたのだろう。
天照さんが笑みを張り付かせた顔で覗き込んで来ている。
「玄くんが自己否定するって事は、私の目が節穴って事になるんだけどな」
俺の背筋に冷たい汗が伝った。
この笑い方、ヤバい……これ以上自己否定しようものなら拳骨じゃ済まない。
2年前までの経験が警鐘を鳴らしている。
「わ……判りました。これ以上落ち込んで居られませんね」
しかし“別の呪縛”とは何なのか。
こればかりは一度、怪異封じを解いてみないと判らないだろうか。
インカローズの扉に『CLOSE』の札が掛けられ、店頭の明かりが消される。
周辺の店も飲食店を除いた土産物店などは店仕舞いの時刻だ。
表通りと店内を隔てる窓のブラインドを下ろしながら溜息を一つ。
結局は今日は一日雨……時折止む事はあったが、この天気では客足は遠退く。
こればかりは仕方ない。
背後のレジカウンターでは、じいさんが売上台帳を閉じるところだ。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ……これから行くんだろう?」
何処で、何をと言う野暮ったい話は無い。
じいさんは隣の空き店舗で何が行われるか知っている。
午前中、劉さんの所での天照さんのプレゼンは聞いているだろうから。
「はい、行ってきます……」
「その、なんだ。早苗さんに宜しく伝えてくれ」
そう言ったじいさんは寂し気だった。
「どうかこれ以上、苦しまないで欲しい、とな」
俺は頷いて応えるしか出来なかった。
『お久しぶりね、玄草くん』
「ええ、一月ぶりです……結界石へ魔力を充填しに来て以来ですか」
濃紺のエプロンドレスを纏われた御婦人が結界内に姿を見せる。
総白の髪にヘアドレスを着けていれば“メイド長”といった出で立ちだ。
しかし、その身体を透かして窓越しに見える“インカローズ”の建屋。
その光景が彼女の正体を明らかにしてしまっている。
7年前に亡くなられてしまった“元御店主”。
この場所に強い心残りを持って縛られてしまった者だった。
『そちらのお嬢さんは……昨日もお越し下さった方ね?』
「はい、御挨拶も出来ず申し訳ありませんでした」
天照さんが一礼する。
『不動産会社の方が御一緒だったのですもの、仕方ありませんよ』
「恐縮です」
お互いの言葉こそ固いが、雰囲気だけ見れば大家さんと賑やかに話す店子。
実際に立場的にはその通り。
異様な点が有るとすれば、大家さんが幽霊なので透けて見えると言う事だけだ。
いや……異様な点………あった。
結界から“澱み”が漏れ出ている。
……その濃さは急激に増していった。
呼吸が苦しい。
視界が揺らぎ、膝に力が入らなくなる。
「あ……まてる……さ………危険……………」
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玄くんが……倒れた。
倒れる一瞬前に何か言っていたのは聞こえたけど、聞き取れた訳ではない。
玄くんは意識を失って、苦しげに浅く不規則な呼吸をしている。
元から色素の薄い肌は青ざめており、瘴気に当てられた様。
『酷いお嬢さんね。玄草くんは金糸雀の代わり?』
嘲る様な声が早苗さんとは別な所から聞こえる。
『恋しい人に会いたいから地縛霊になりたいって望むお婆さんと契約したら、怪異防ぎの結界に閉じ込められちゃってさ』
早苗さんの横から姿を現したのは、浅黒い肌の牡羊の角を側頭部に持つ女。
地界に住む“魔族”と呼ばれる存在だった。
『仕方ないから、お婆さんの存在を強固にして結界石から魔力を頂戴したんだけど』
「それが早苗さんにどれだけの苦痛を与えているのか理解しているの!?」
輪廻の輪に還れず、この世で消える事も出来ない苦痛を。
『知らないわそんな物。アタシの栄養にもならないし』
「酷いのは何方かしらね?」
あはははっ……!!
耳障りな女の甲高い笑い声が響く。
『仕方ないじゃない。玄草くんの魔力が、苦痛の喘ぎが美味しすぎるんだもの!』
早苗さんと魔族の女を取り囲む結界石が激しく明滅を繰り返し、遂には光を失う。
結界石から魔力を吸い取っていたのは本当らしい。
「瘴気が……!」
これ以上の瘴気を玄くんに吸わせてはならない……
外に瘴気を溢れさせてはならない!
“ᚢᛖᚾᛏᚢᛋ, ᚢᛖᚾᛏᚢᛋ. ᛋᛁᚷᚾᚨ ᚺᛟᛗᛁᚾᛖᛗ ᛢᚢᛁ ᚲᛟᚾᛏᚱᚨ ᛏᛖ
(風よ、風。彼の者に仇為す者を、汝の内に封じよ)”
玄草に伸ばされた魔族の鈎爪は突き刺さる事無く、派手な音を立てて見えない壁に弾かれる。
濃度を増していた瘴気は、新たに張られた結界内に吸い込まれて行く。
「愛しい玄くんの為に今回は退くわ……」
未だ意識の無い玄くんを仰向けに抱き上げる。
すると、結界の中で蝋人形の様に無表情になってしまっていた早苗さんの口が動いた。
『まさゆき……さん……たすけ………て』
私は、早苗さんに向かって頷く。
「早苗さん、待ってて。必ず助けるから!」
お読みいただきありがとうございます(=^・^=)
次話公開は、6月14日火曜日、0時です。
お楽しみいただければ幸いです。