第25話 戦場の 災禍外には 漏らされぬ <1>
ごめんなさい、2本ほど続けて文字数がフィーバータイムしてます!
※ ノアの台詞に訂正加えました。(12月16日)
真っ白になった視野に色が戻ってくる。
白く光る虫が玄草の周辺を飛び回っている。
玄草は頭を振って虫を追い払おうとしたが、遠ざかる事はない。
もしかすると、虫では無いのかも知れない。
頭を振ったことによって眩暈が酷くなれど、光る虫が消える事は無かったからだ。
あ、気分が悪くなってきた……
玄草の視界がぐらりと傾ぐ。
片膝を着いたまま横臥するように倒れそうになる中、太い腕がその身を支える。
「…………ami.………Herra Kagami(ミスター各務)! しっかり意識を持て!」
誰かの声が遠くから……否、己が思っているより近い場所から聞こえている。
耳鳴りが引いていくと共に、その声は徐々にハッキリと聞こえてくるからだ。
「え……ええ……と……?」
「おいおい、昨日の早朝ぶりだぞ。って、ああそうか、会ったときは目出し帽してたな、俺」
玄草は、にこやかに微笑む男の容貌に見覚えはなかったものの、声に聞き覚えがあった。
昨日の早朝ぶりなどと言う手がかりとなると、一人だけだ。
「ノア……フラナガンさん、ですか?」
「正解。頭打ったりして無い様で良かった」
ノアは人懐こく笑う。
玄草は混乱した。
この人、討伐部隊のリーダーだったよな?
相手に姿を見られたから、と目撃者を“抹殺”して来た人たちの……嘘だろう?
昨日は目出し帽被っていたから顔は窺えなかったけれど、物凄い殺気を放つ人だったじゃないか。
「まぁ、天照さんの魔法弾で吹き飛ばされて、腹と顎を打ち付けた程度で」
「それは痛かっただろ」
ノアの顔が、玄草の痛みに共感するかのように歪む。
その頬には歴戦の傷が刻まれているが、玄草と同年代と言われたら信じてしまえそうな程に若い。
体格も17歳にしては背の高すぎる玄草と変わらない。
玄草よりは少々筋肉質だがガッチリと……所謂マッチョ然とはしていない。
だけど、母さんの若い頃を知っているんだよな、この人。
そこから計算すれば加齢による皺などが有りそうなものだが、見当たらない。
ノアは片膝着きの状態から倒れかけた玄草を支えて地面に座らせると、戦闘結界と空の境界を見上げる。
ドーム型の外殻には、光弾が貫いた跡は未だ不安定な歪みとしてあるものの、穴は閉じかけている。
「結界、何かに貫かれたんだろう? そんな状況で、意地でも結界を解かないなんて、大したもんだよ。流石、マーニーの息子だ」
そう言うと、ノアは玄草の頭に手を載せて黒髪をクシャリと掻き乱した。
驚いた玄草はその手を振り払おうとするが、ノアの揶揄うような仕草は止まらない。
端から誰かが見ていたら、玄草とノアは年齢の近い兄弟か何かに見えただろう。
「で、被が……フジヅカオワルはどうなっている?」
ノアは被害者と言いかけたのだろう。
言い直す辺りに、玄草は好感を抱いた。
「お待ちください。『戦神ティルよ、貴神の戦場を見渡す目を貸し給え。ᛒᛖᛚᛚᛁ ᛋᛁᛏᚢ ᛁᚾᛏᛖᛚᛚᛖᚲᛏᚢᛋ(戦況把握)』」
玄草は三度目の“戦況把握”の術を使う。
今回はルーンを詠唱して……そうする事により、魔術師同士で戦況を共有できるのだ。
見える光点は先程までと変わらず、味方が青、味方式神が緑、敵が赤、敵式神が黄、不死者が紫。
―――藤塚君は……。
只見町の地図の上に展開されている戦線の右翼で、単独の青点が居た。
6つの赤点に接近されていた筈だったが、現在は赤点が5つに減っている。
「現在の戦術結界は?」
「自分が張っている1枚だけです」
「ふむ、自棄になっているな、アディソンのヤツ。戦闘結界の崩壊反動で味方が戦力外になったと見える。常識的な魔術師であれば、災禍が現実界に漏れるのを嫌って張りなおすものだが」
「自分が敵側だったら、戦闘結界を張り直さずに、ここに1人突っ込ませます」
玄草は自分を示す点を指差して言う。
「ほほう? 参考までに、どうするのか聞かせて貰えるか?」
「自分を人質に取って、藤塚君や天照さんに敗北宣言をお勧めします。自分を殺すなり、気絶させれば戦闘結界内の事が現実になりますからね。『災禍を撒き散らしたくなければ』って」
「それはエグいな」
「でしょう? それをする戦略すら持ち合わせていないのか、余裕がないのか。端っから自分たちの存在を無視しているか、ですよねぇ。一番最後のだったら哀しいですけれど」
玄草はノアを見て笑った。
―――さっきまで極限状態って顔していたのに、笑っていやがる。
「ノアさんがそうしないって事は、貴方がRevengerと繋がっている可能性は無いですね」
「おいおい。疑われていたのか、俺」
共有している戦況把握の術では、ノアは青で示されている。
北欧神話に於けるティルは、戦神。ノアとて一人の魔術師であるが故に、神に嘘はつけない。
神眼を借りた術を欺くなど、やろうとも思わないし出来るとも思えない。
「疑って見せたのは冗談です」
「おい」
最初に混乱させられた意趣返しです、と言わんばかりに、玄草は舌を出して見せる。
しかし、玄草は苦しそうに息をつく。その変化をノアは見逃さなかった。
「大丈夫かっ?」
「戦闘結界への蓄積ダメージが思いのほか……」
玄草の顔色は蒼白を通り超えていた。何処か出血を起こしていてショック症状が出ているのだろうか。
「無理をするな」
ノアは、ミリタリージャケットの胸ポケットから何かを取り出し操作した。
「それ、は?」
「安心しろ、ナースコールだ。君は意識を保つ事に集中してくれ」
「はい……」
玄草が返答をしてから数秒後、7名の魔術師が戦闘結界内に転移してきた。
戦況把握の術には青点で現れている。
ノアのナースコールの信号をトレースしてきたらしい。
「呼び出して済まない。早速だが、捕縛班はRevengerの捕縛準備にかかってくれ。美津濃医療魔術師は、Herra Kagamiの治療に当たって欲しい。間違っても気絶させたり息の根を止めたりするなよ? この結界内の景色を現実にしないためにも、だ。中頭結界術師、現存する戦闘結界の内側に追加の戦闘結界を頼む。美津濃医療魔術師の腕は信じているが、万が一の事があれば、相応のダメージが中頭結界術師にかかる。覚悟しておいてくれ。Herra Kagami、それで構わないか?」
「お任せします……」
力なく頷く玄草は、不安そうに周辺を見回す。
突入してきた魔術師達は、統率の取れた部隊の様だった。
例外は医療魔術師と結界術師だ。彼女たちは玄草と目が合うと「任せてください」と微笑む。
―――何だか、大手術でも始まる様な雰囲気だ……
3年前、帰国して早々に、手術に入る翠閠を自動ドア前から見送った時を思い出した。あの時、翠閠もこんな気持ちだったんだろうか。
「ご不安なお気持ちは判りますよぉ。医療魔術でこれから私がやろうとしている事は、手術と変わりませんからぁ」
「あ……はぁ……」
美津濃と名乗ったマスクをかけた女性の目が笑った。
「左の第11肋骨と第12肋骨骨折。肺、内臓に損傷無し。腹部を強打したんでしょう? 良く意識を保っていましたねぇ。第12肋骨に関しては開放骨折で出血していた跡があります。筋肉組織、皮下組織、皮膚に損傷有り。ヒーリングで誤魔化そうとしたのがバレバレですよぉ、各務さん」
自分の所業がばれ、玄草はバツが悪くなって美津濃から視線を逸らした。
だが、その視線の先では、ノアが物凄く恐ろしい形相でこちらを睨んできている。
施術の時には覚悟しとけ、と言わんばかりの目つきである。
「み、美津濃先生? 全身麻酔でおねがい……」
「あらぁ。全身麻酔なんてしたら意識失っちゃうから、出来るわけないじゃないですかぁ。局部麻痺術で一気にやりますよぉ?」
―――鬼だ……美津濃先生……
玄草が涙目になったのは言うまでもなく。
「では、総員直ちにかかれ!」
「「はっ!!」」
ノアの指示に魔術師達が答え、散会した。
「Herra Kagami、覚悟は出来たか? 汝の血、肉、命の有る事に感謝せよ!」
ニヤリ、とノアの口元が邪悪な弧を描く。あの時、目出し帽の下のノアは、この様な笑みを浮かべていたのだろうか。
彼が纏う空気は、玄草が知る討伐部隊隊長の物だった。
「完全拘束(srian iomlán)!」
―――!!!!
今、玄草の声が聞こえた気がした。空耳だろうか?
駆けていた天照の足が止まった。
―――ぎゃああっ! ああああっ! アバラがゴリゴリ言ってる…………!!
「げ、玄くんっ!?」
悲痛な声の主は、玄草で間違いない。
ただし、その声は音としてではなく、念として頭の中に響いている。
「風よっ! 以下略っ!!」
天照を中心として、一帯に暴風が吹き荒れる。
大量の不幸なゾンビ達が無数の鎌鼬に切り刻まれた。
「な、ぎゃああああっ!?」
崩れ落ちかけた建物の中からリアルな悲鳴が上がった。
同時に、鎌鼬の被害を受けていなかったゾンビ達が黒い霧となり、霧散する。
大量のゾンビ、骸骨兵、レイスを呼び出した死霊術師は、血塗れになって倒れ伏した。
鎌鼬を放った当人はと言うと、戦果に値する副産物が発生したことも知らずに、浮遊魔法で飛び去った後だった。
「Herra Kagami? 左翼の青点が動いたぞ。物凄い勢いででこちらに来ている」
「玄草、と呼び捨てて下さって結構です……天照さんが? 本当だ……」
玄草は荒い息を吐きながら答える。
医療魔術は未だ継続中で、玄草は美津濃医療魔術師の腰の高さで浮かされて、仰向けに寝かされた状態だった。
ノアが完全拘束を行って声まで封じていなかったら、玄草の苦悶の声は周辺の魔術師を震え上がらせただろう。
現段階では、大きな傷は治療されて……玄草自身に暴れる気力も残されていないため、ノアが行使する拘束術は手足のみとなっていた。
「あと、ここの後方に緑点群だ。何だ? 俺達を取り囲む心算……」
ぴいいいぃぃぃぃ!!
ノアの言葉を、遮る大きな音が一帯に鳴り響いた。
それは、猛禽鳥の声にも似ている。
どすっ、と言う重量感を伴った落下音がノアの靴の爪先10cmで発生する。
甲高い猛禽鳥の声も同時に止まった。
その音は、落ちた矢のような物から発生していたらしい。
「我々の後方の、騎馬武者から放たれた……鏑矢です!」
「Kaburaya? この矢の名前か?」
「はい、遥か昔の開戦の合図にお互いに打ち合う物ですが」
遠見の魔術を使用したのか、捕縛準備にかかっていた魔術師が物の正体を告げる。
見るのも初めてだったのだろう。歴史に少々詳しそうな日本人魔術師は困惑の表情を見せた。
そういった物は博物館で見られれば運が良いほどの物だ。
ノアは物珍しさもあって、それを拾おうと手を伸ばした。
「動く無かれ! それに手を触れれば交戦の意思在りと見做す!」
騎馬武者が凛とした声を発した。
弓を構えて半月様に引き絞り、第二の矢を放つ構えだ。
「…………ひっ!」
更に、ここに集っていた魔術師達は息をのむ。背後に現れた気配が、各人の頸に刃物を突き付けたのだ。柿渋色の装束に身を包んだ忍者軍であった。
戦闘行為は覚悟してきたものの、ここまで気付かれずに接敵されていては回避も無理だ。
ただ一人を除いて。
ノアの背後に回った忍者は、唐突に標的を見失い動揺する。
数m離れた場所に再び姿を現したノアに対し、忍者は覆面下から尋ねる。
「お主も草の者か」
「ほう。そう言って貰えるとは光栄だ。だが、俺はIga者でも無ければKouga者でも無い」
「ならば、何者か!」
言葉と同時に忍者が十字手裏剣を投げる。
「座標転換」
ノアは小さく呟き、術を発動させた。
狙い違う事無く、十字手裏剣はノアの胸に吸い込まれた。
だが、倒れ伏したノアが居るはずの場所には、大きく力強い筆文字で「残念!!」と書かれた白いTシャツが一枚、地面に縫い留められていた。
「あのTシャツ、オレがお土産で買った……っ!」
召集されたギルドメンバーの一人が声を上げようとし、忍者に刃物を突きつけられているのを思い出して押し黙った。自分が持ってきた荷物とノアが入れ替わった驚きと抗議したい思いに目を見開いている。
「空蝉の術か。やるな、お主」
「違う。空蝉の術に似せた魔術だ。このシャツがあった場所と、俺の座標を入れ換えただけ」
ノア張本人はTシャツを地面に縫い留めた十字手裏剣を拾い上げている。胸に穴の開いたTシャツも忘れてはいない。
穴だらけになったTシャツを見せられた米国籍のギルドメンバーは、哀しそうな顔をしていた。
日本旅行を楽しんでいる最中に召集されたと言っていたが、旅行の最中に買った物だったのだろうか。
「うーん、緊急避難とは言え悪かったなぁ。土産のシャツは傷物になったが、このSyurikenとセットなら記念にならないか?」
ノアがそう言うと、米国籍の魔術師の表情が明るくなる。
頚に刃物を突きつけられていなければ、はしゃいでいそうな雰囲気だ。
―――さぁて。この場の全員が人質に取られてしまってるし、殺気立った忍者達をこれ以上揶揄うのも賢明ではないな。
ノアは溜息を一つ吐いて答える。
「何者かと問われれば、幼い頃にNinjaに憧れたことがある一介の魔術師に過ぎない。それよりも、怪我人が居て治療中なんだ。俺たちは貴方達に敵対意思はない。怪我人は、今もここの戦闘結界を張っている。戦闘結界内の災禍を外に撒き散らすわけにはいかないからな……その辺りを理解して貰えれば有り難い」
ノアはそれだけ伝えると、怪我人の方を見やる。
そこでは、美津濃医療魔術師が玄草を背に、別の忍者を目の前にして両手を広げて立ちはだかっている。
突き付けられた凶器に対して脚を震えさせているが、目を逸らしていない。
魔術師アカデミーの上位学舎である魔術師学院で学んできたとは聞いていたが、動けない患者を守り抜こうとする意思は見事だ。
確かに、玄草を死なせる事は災厄を現実界に齎す事になるので、何としてでも防ぐべき事ではあるのだが。
先程までノアと対峙していた忍者は、仰向け状態で浮されている玄草を見ると、声を上げた。
「玄草殿!! 御無事で御座るか!」
「御心配をおかけしてすみません。こちらの方々は自分を助けてくれて……」
忍者に応える玄草の声は、未だに弱々しい。
折れたアバラを医療魔術で引っ張られて繋がれて。痛みは無かったとしても、暫くは本調子に戻れないだろう。
更には戦闘結界を張り続ける負荷も洒落になっていない。
無事、とは到底言えない状況だ。玄草本人が無事と言い張っても、ノアは否定する心算でいた。
「敵ではない、と仰せですな?」
玄草が対話していた忍者に頷くと、その忍者は手を挙げて合図を送った。
忍者達が脅迫拘束を解くと、自由を許された魔術師達の溜息が漏れる。
忍者の合図を受けたのは忍者達だけでは無かった。
遠距離戦の間合いに居た騎馬武者も同様で、合図を受けて即座に駆け付けてきたのである。
「与一さん……御無事でしたか!」
「無事では御座居ましたが、銀光が落ちた時の爆風で飛ばされ申しました」
与一と呼ばれた騎馬武者は、先ほど鏑矢を撃ってきた者で間違いなかった。
未だ治療中の玄草と言葉を交わし、玄草の顔にも漸く笑みが戻ってきている。
「フラナガン上級魔術師……」
ノアに声を掛けてくる者が居た。中頭結界術師だ。
「どうかされましたか?」
「ええ、この戦闘結界を張られた各務さんについて、なのですが。彼は何者なんですか?」
中頭結界術師の顔面は蒼白であり、末恐ろしい物を見たかの様に震えている。
「現在神奈川県の商業高校2年生。過去にアカデミーに通っていて主席卒業も期待されていたんだが、ご家族の事情で最終学年で中退。そのために無級魔術師として扱われている人だけれど、中頭さんも何かに感付いてしまったか」
「はい。私も何度も戦闘に赴いて戦闘結界を張った経験がありますが。この様な恐ろしい経験は初めてです」
「説明を求む、と言っても、難しいかな?」
ノアの人懐っこい笑みに陰りが差す。中頭が感じている恐れをノア自身も少しは感じているのだろう。
「はい。敢えて申し上げるのなら、彼の張った戦闘結界は"一介の魔術師"と言う言葉で括ってはならない魔力の持ち主を内包していると言う事。それも、2名です。更に、復讐者達6名の中級魔術師たち、その他所属未確認の魔術師たちが放った魔術によって界内を満たしている災禍は計り知れないエネルギー量です」
艶のある中頭の唇からは血の気が失われて、紫色になっている。
彼女自身、100名の初級魔術師同士が戦い合う戦闘結界を張れる能力の持ち主だ。
結界のスペシャリストである彼女を震え上がらせる担い手なのか、各務玄草と言う青年は。
ノアの記憶が異様な底冷えを呼んできた。昨日未明に行った戦闘の記憶だ。
―――あの現場に居たのは、その二人と、玄草だ。
「中頭結界術師。貴女が恐怖したこの環境は連日で耐えられるものなのか?」
「無理に決まってます! 戦闘結界内の時間の流れは現実時間の60倍の速さです。現実時間1分これと同じ環境で戦闘結界を維持すると、各務さんはこの状況に1時間晒されているのと同じことになります。私が各務さんの立場だったら、この戦闘結界を正常に解除する自信がありません」
「成程な」
ノアは自身の迂闊さを恥じた……彼の額には冷や汗が滲み出している。
未だこの場には現れていないが、ブラックカードと称される天井天照と、フジヅカオワルと言う名の被害者少年、敵の中級魔導士6名と、それに雇われたと思われる無登録魔術師が生成した災禍すら戦闘結界に内包させ、災禍を漏らさぬ様に維持する“大魔術師の孫”……そう、各務玄草は欧州魔術師ギルドの委員長の孫だった。何故にこの事実を失念していたのか。
『ノア隊長……その石頭を一度溶鉱炉で柔らかくしてみるかい?』
ここが、委員長の言う溶鉱炉だと言われたら納得できた。
ここだけじゃない。
玄草と、その仲間である者が存在する戦場は、全てがそうであると言えよう。
―――洒落になってないぜ、大魔術師殿(※)……俺の石頭は柔らかくなりすぎて、脳の皺を失ってしまいそうだ。
「今回の任務が終わって休暇を頂いたとしても、悪夢で眠れなさそうな気がします」
「それは由々しき事態だな」
これだけの体験をして枕高く高鼾で眠れるとしたら、それは相当の強者だろう。
「はぁ、この任務完了と同時に、ここで見た物を忘れてしまいたい」
中頭は頭を振って弱々しく呟いた。ノアはその言葉に頷く。
「判った、それに関してはご希望に沿えるようにしよう」
「ありがとうございます」
彼女だけでなく、ここに転移して来た魔術師全員の処置は必要だろう。
特に、恐怖に繋がる記憶。
恐怖は時に克服すべきものではあるが、すでに経験豊富な者が覚える恐怖は、その後の人生に於いて大きな障害になり得る。
自信をへし折られるだけならまだしも、恐怖を覚えた事と同じ事を行おうとした時に必要な行動が取れなくなる。
それ故に、中頭が体験した事に類する物は記憶から抹消する必要があるだろう。
中頭の希望は叶えるべきだろう。彼女の安眠の為に。
ギルド内の不穏分子を遠ざけるべきにも、ここでの衝撃的な記憶は抹消、或いは改竄するべきか。
現場で得た情報の守秘を、なんて事は、任務にあたっての契約書にも当たり前に書かれている。
だが、平然とその義務を破るヤツも居れば、漏れるところは漏れると言う現実。
魔術師達の記憶を改竄してでも機密にしておかなければならない事実。
玄草の戦闘結界に関する事は詳らかにすることは出来ないだろう。
欧州魔術師ギルド内の狂った異分子の耳に情報が入れば、玄草自身に魔手が伸びる。
フジヅカオワルに関しても、同様に彼の存在を隠匿しなければならない。
それは、昨日未明の戦闘に於いて、上級魔術師複数名を含む討伐部隊が敗北した事実が物語っている。
ギルド所属員でない彼の存在が明るみに出れば、彼に対しての抹殺指令を出す愚か者が居ても不思議ではない。
―――時間軸は戦闘結界への突入時から、外へ出たタイミング。キーワードは"2人の名前"と彼等の使用術名。
これで何とかなる筈だ。
外に出て、これらのキーワードに関する事を話そうとすれば訳の解らぬ言葉になったり、その言葉だけ声が出なくなるように仕向ける。
何とかここで起きたことの情報漏洩は防げそうだ。
遠隔視を使う術師が戦闘結界内を覗き込んでいなければ、だが。
「酷いです、ノアさん。拘束術解かないで何処かに行っちゃうなんて。ずっと処置台にハリツケにされて、恥ずかしかったんですから」
魔術で造られた“処置寝台”の上で身体を起しながら、玄草は手首を摩りながら不貞腐れている。
文句を言えるだけ体力も気力も回復したと言う事だ。ノアは安堵の溜息をついた。
「すまんな。忍者の脅迫拘束によるトラウマの有無をヒアリングをしていたんだ」
「ああ、それなら確かに」
「仕方ない事、ですね。私も目の前で刃物を翳されて怖かったもの」
ノアの誤魔化しに対して玄草は頷き、美津濃も同意する。
ノアの良心がチクリと刺されたのは言うまでもなかった。
「我等もこの場より吹き飛ばされ、戻り来たらば思ひもよらぬ人数の魔術師殿ども居られ、すわ、敵襲か! と」
そう語るのは、与一だった。その隣にはノアに“鏑矢”を教えた、玄草と年齢が変わらないように見える魔術師が居た。
「あの、与一様。お伺いしても?」
「いらへえまし(お答えできることであれば良いが)」
顔に幼さを残す魔術師の問いは、与一や忍者と接した者達、特に日本人の共通の疑問だろう。
緊張の面持ちで彼は口を開いた。
「与一様。貴方様は、那須与一様であらせられれ……」
噛んだ。思い切り噛んだ。
緊張しすぎて言葉を発しきれなかった青年は、顔を真っ赤にして俯いた。
「かたはらいたがることぞなき(恥ずかしがることはないぞ)、若者よ。那須与一か?と尋ねか(とお尋ねか)。左様、我が名は那須与一。那須資隆が十一男なり」
青年は息を呑んだ。日本の義務教育で学んで那須与一を知らない者が居るとすれば、相当の授業嫌いだろう。
目の前の鎧武者は、その与一だとはっきりと名乗ったのだ。
美津濃や中頭を始め、この近くに居る日本人魔術師たちがざわついている。
「我が死にて、いま八百三十余年も経きや。あやしく覚ゆるも無理はあらず(私が死んで、もう830余年が経つのか。不思議に思われるのも無理はない)」
日本に昔から伝わっている言葉なのだろう……先ほどまで気楽に喋っていた与一の言葉の変化に驚いた玄草だったが、意味が解らないわけではない。
言いたいことはキッチリと伝わってきていた。
「与一様。もしかして、貴方は式神なのですか?」
青年が引き続いて尋ねるが、与一は嫌な顔一つせず答えた。
「左様、我が主に自在に考へ、ふるまふ意思を給へし式神なり(その通り、我が主より自由に考え、行動する意思を頂戴した式神だ)」
「なんだと!?」
ノアが驚愕の声を上げた。
「今までヴードゥーのゾンビや、日本の式神も相手にしたことがあるが、それらが自由意志を持つなど聞いたことも見たこともない。与一氏がそうだと仮定して、忍者もそうだと言うのか?」
ノアの言う通りで、それらは施術者の簡単な命令ならこなすが、自由意志を持って会話をしたり行動したりするものではない。
「然り。忍びの者も我と同じぞ?」
与一はノアの問いに頷いて微笑む。
「てっきり、コスプレをした忍者マニアが襲って来たのだと思い込んでいた。だが、十字手裏剣の勢いは、素人が投げるのとは訳が違っていたぞ」
「そは(それは)、忍びの者の御霊が本物なればこそ」
ノアは神妙な面持ちで考え込んでいる。
だが、幾ら考え込んでもその胸に沸き起こる疑問は解けなかった。
「与一殿達の“主”は何者なのかな」
考えているうちに、疑問が口を突いて出てしまっていたようだ。
与一、忍者、玄草までもが口を閉ざし、困惑の表情をしている。
"主"を知られる事は、彼らが護るべき“主”を失いかねない。
そうなれば、彼等も現界できなくなる。正に死活問題だろう。
自由意志があり、各自で思考しているのであれば、それに伴うリスクは承知しているだろう。
式神を名乗る彼等は、破壊されても"主"の名を明かす事はあるまい。
それが彼等の矜持であれば猶更だ。
玄草は日本人ではあるが、日本での暮らしは彼の人生の半分以下だと言う。
知らない武将を出したり、使役するのは無理だろう。
天照も日本名を名乗ってこそはいるが、その出自も何もかもが不明だ。
それでも実力が認められて"ブラックカード"認定を受けている。
彼女の持つギルド員証は実際に黒地のカードらしい。ノアはお目にかかったことが無いが。
底の知れぬ能力の持ち主である天井天照は可能かも知れない。
だが、彼女の性格からして式神を使役するだろうか。
その様な事を「面倒!」とか言いながら、自ら戦闘に飛び込んで行きそうだ……
「フラナガン上級魔術師っ!」
切羽詰まった声が、ノアの思考を妨げた。
「未確認飛行体が接近! 距離300m、ここに落下してきます!!」
「総員退避ーっ!!」
ノアが大声で各人へ退避を呼びかける中、空から奇声じみた声が響いてきた。
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注釈 ※ 「大魔術師殿」:欧州魔術師ギルドの現委員長であるノルド・リーフガルド=各務を指す。
彼女の称号「大魔術師」と、彼女の見た目が「おばあちゃん」であることから生まれた愛称。
お読みいただきありがとうございます(=^・^=)
次話公開は、12月20日火曜日、0時を予定しております。
お楽しみいただければ幸いです。