第2話 NEXと 空いた店舗と スキンケア
マーニー、玄武……見えていて?
今にも頽れそうになる脚で泉の畔に立ち、嗚咽を必死に堪え静かに涙する貴方たちの息子が。
玄くんは、石碑に刻まれた両親の名に触れた時までは気丈に振舞っていた。
だが、その名前を持っていた者が"この世に居ない"と言う残酷な現実は、改めて彼の胸を抉ったようだ。
12年と言う年月を経たからこそ、その痛みは大きくなったのかも知れない。
その当時の彼には、両親は影も形も残さず"自分の目の前で消えてしまった"と映っていたのだから尚更。
葬儀の時も、両親の棺には遺品のみが納められて行われた……現実として遺体が残されていなかったからである。
『丙清の大災禍』と呼ばれる事件があったのが12年前。
世界各地で"黒い扉"が出現し、日本では成田国際空港貨物ターミナル南部貨物地区にそれが現れたのである。
"黒い扉"を調査していた者や空港職員が次々と行方不明になる怪異が発生し、異能者たちがその扉の封印に動き出した時には、事態は拡大していた。
"異界の者"たちが、扉の僅かな隙間から出現したのである。
玄草の両親、美月・マーニーと玄武の2名も、扉を封じるために欧州魔術師ギルドから派遣された異能者だった。
そして……血煙と僅かな遺品だけを遺して"消された"のである。
両親の活躍を見たいと強請って、現場に隣接する航空博物館の屋上に居た幼い玄草の目の前で。
「玄くん……大丈夫?」
泉を見渡せるベンチへと玄くんを促して座らせた。
彼の手は震えている。
幼少期の記憶と残酷な現実の鬩ぎ合いが如何に過酷なものだったのか。
その最中で自身を平然とさせている方がどうかしている。
だけれど、今日……
ここに来たのもきっと、彼にとっては必要なことだったのだ。
両親を奪われた理不尽な過去と決別し、己の人生を更に一歩進めるためにも。
「大丈夫では……ありませんが。ようやく気持ちの整理がつきました」
彼は自身の胸の辺りを摩りながら言う。
嗚咽したいのを堪えていると、文字通り胸が締め付けられる痛みを覚える事がある。
「それでも、この痛みのお陰で俺を保って居られましたから」
思いっきり泣けたのならどれだけ楽だっただろう?
私が彼の立場であったなら、そうしていた。
涙の所為で彼の目は赤くなっていたが、表情からは自嘲の影が無くなっていた。
哀しみの色こそは抜けきっていなかったが、顔つきは年齢相応の明るさが戻って来たように感じられる。
なら、やっぱりここに来てよかったと言う事。
慰霊碑の前に花を供えながら、安堵のため息をつく。
「大丈夫。貴方達の息子は立派に育っているわ」
だから、安心してね……
慰霊の森公園をバスで出発し、第2ターミナルの1階バスターミナルに到着。
地下駅に下りて、大船行きの成田エクスプレスに乗る。
玄くんであれば絶対に選択しない"早楽"ルート。
出発前まで「贅沢すぎますってば!」と言っていた彼が、乗ってしまえば横浜まで直通と言う安心感からか、10分もしないで眠ってしまった。
朝早くからの移動と先ほどの心労とが重なったのだろう。
彼が起きたのは東京での停車時間中だった。
「不覚。憧れのNEXなのに眠ってしまった……」
うなだれて落ち込む彼の表情を見て、思わず笑ってしまう。
電車好きな所。
寝顔の可愛らしい所。
ヘルシンキで過ごした10年間の"私の知っている玄くん"と何も変わっていなかった。
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元町中華街駅に到着した時には陽が西へと傾きかけ、あと1時間半ほどで夕暮れ時。
時折暑くなりすぎる日中とは違い、この時刻は山下公園越しの海からの風がひんやりと涼しく感じられる時がある。
中華街南東側、メイン通りに面した区画に『インカローズ』の看板を掲げた店がある。
華僑が営む店舗に囲まれる中で、北欧雑貨や家具が並べられている……毛色が微妙に違う店だ。
俺の祖父が営む店であり、洒落た外観の建屋の店舗以外は、住居になっている。
「懐かしいなぁ……ここも変わってない」
天照さんの言う通りで、この界隈は横浜市街の中でも変化が乏しい。
古い店が取り壊されて新たな店が建つ事も稀。
一つの店が何代にも渡って経営されている事など、当たり前だったりする。
「でも、何だか"澱んだ空気"を感じる」
一つの町が長年変わらない雰囲気を湛える事にも弊害は発生する。
この町に住む人々の思い。
この町を訪れる人々の思い。
それらを町中に内包してしまうのである。
その思いに"負の感情"が多くあるのなら、天照さんが感じた"澱んだ空気"となり。
「……怪異は……しばらくは起こらないと思うけど」
それらが留まり、溜まり続ける事が"怪異"を引き起こす事もあるのだ。
"怪異"とは、ポルターガイスト現象を始めとした『科学的に説明のつかない事象』を指す。
負の感情の強多によっては"厄災"、"災禍"となるのだ。
「ああ、お隣りの空き店舗ですね」
インカローズの隣には喫茶店だった空き店舗があった。
不動産屋による管理はされているが、長年住人の居ない煉瓦づくりの建屋は寂れて見える。
7年前に御店主が亡くなられて以降、借り手が居なかった。
「御店主の心残りが強くて、不良物件化しちゃっているんです」
じいさん伝ての不動産屋の依頼で、怪異封じの結界は張り続けて来たのだけれど……
これ以上の除霊となると攻霊魔術を持たない俺には手段が無い。
"御店主"との意思疎通や対話以外の打つ手が無かった。
俺の家族を良く知ってくれている御店主だったので、話題には事欠かなかった。
ゆえに、攻霊魔術を持っていたとしても、使う事に躊躇いを覚えただろう。
「もったいないなぁ……お嬢様方の学校近くで立地も良いのに」
「そこなんです。ここの御店主、お茶には厳しい方だったので」
御店主の生前には、学校帰りのお嬢様方が立ち寄られる事も多かったようだ。
それゆえに和洋中のお茶や飲み物、お茶請けのお菓子に一切の妥協を許さなかった。
以前に物件見学に来た人が何人も追い返されたのは、御店主のお気に召さない心構えだった者だったからだと言う。
「そう……面白いわ。人を試す物件なのね……」
そう呟く天照さんは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「妻と愚孫が大変お世話になりまして……」
じいさんが天照さんに頭を下げている。
この御挨拶も俺達が帰宅してから2度目。
じいさんが認知症患っているわけではない……不器用なこの人なりの誠意の表れなのだ。
若い女性に最敬礼している様にしか見えない何とも奇妙な光景だが。
「お顔を上げてください、翠閠様……私の様な若輩者に恐縮です」
天照さんも、こう言った場に慣れて居るかのようで至極自然に微笑み受け応えている。
祖父は古物商インカローズの店長でありながら、北欧家具の修復士になるのを目標に奮闘中。
古稀を目前にしながらも努力を怠らない人だ。
じいさんは2年前に病気を患い入院し、俺の帰国要因を作った人でもあるが……
10年間魔術師としての修業をしていても、結界魔法と支援魔法、治療魔法しか修められなかった俺には丁度良い区切りだったのだ。
商業高校卒業と同時に店長職を引き継ぎ、じいさんには修復士としてバックアップして貰う事になっている。
「それに、奥様……ノルド様にお世話になっておりますのは私の方ですのよ?」
ノルド・リーフガルド=各務……祖母は、現在もフィンランドのヘルシンキで"欧州魔術師ギルド"の委員長として忙しくしている。
両親を喪った俺を連れて日本を離れ、ばあちゃんは母国で俺を育てた。
容姿が日本人離れしていて、幼少期から異能だった俺を育てるには都合がよかったのだと言う。
魔術の師匠である天照さんにもだけど、じいさん、ばあちゃん双方に頭上がらないや……俺。
父さんや母さんは"武道派魔術師"として名を馳せた二人。
……如何にも『血筋を裏切ってます』的で情けなくなってくる。
何とも所在ない気分になり、夕食の終わった食卓を片付け始める。
「俺なんか10年修業しても、結界しか取り柄の無い術者だし……」
「お兄ちゃん、それ言ったら私はどうなるの?」
台所で食器を洗いながら口を尖らせるのは、俺の3歳年下の妹の、鮎美。
異能力者の両親から生まれつつも、未だに異能が発現していない中学2年生。
「異能って言っても良いことない。日本じゃ特に」
事実、日本では異能者の地位は低い。
科学的に説明出来ない"怪異"を『無かったこと』、『気のせい』として扱う国。
両親が犠牲になった『丙清の大災禍』も日本では"航空機によるテロ"として報道される始末。
未だにそうだったと認識している者は多い。
その真相を知っているのはオカルト先進国のみ。
科学大国として存在している殆どの国家は概ね同じような状況で、異能を認めない。
"怪異"を事象の一つとして認め、対処・調査を率先して行ってきた国家では魔術や神聖術、精霊術などを駆使出来る者達の地位は確立されている。
「ある意味、日本はオカルト後進国なんだよな」
「そっかぁ。"見える"とか"感じる"のが幸せって事じゃないんだね」
「そう言う事……って、鮎美?もしかして……"見え"たり"感じ"たりしているのか?」
だとすれば由々しき事態である。
出現した能力のコントロールの仕方、使用方法など教えられる教育機関など日本に存在しない。
「私じゃないよ~。友達がねぇ」
鮎美は思案気に手を止めた。
それはまた……難儀だ。
御愁傷様としか申し上げる他無い。
適性が魔術や神聖術、精霊術にあるなら留学してアカデミーで学ぶ方法はある。
しかし、陰陽道などの日本特有魔術ともなれば、国内でその門に下り教えを請うしか無い。
屍人使いや呪術ともなれば論外だ。
日本には、それらの適性を調べる方法すら無い。
術士……日本では異能者……と呼ばれる立場になるだけでもハードルが高すぎる。
まだ俺は恵まれていた、と言う事か。
「ねえ……お兄ちゃんと天照さんって、どう言う関係?」
「師弟関係だけれど」
「えっ……?」
もしかして恋人関係とか期待されていたのだろうか。
鮎美が2歳半の時だから記憶しているか謎だが……
「あの人、俺が5歳の時からあのままだし」
そう言った後、数十秒の沈黙。
動きまで固まっている。
「うそでしょぉ~~~!?」
俺の言葉を理解し絶叫した鮎美は、洗い物を放り出してリビングへと走っていく。
天照さんにスキンケア方法とか、アンチエイジング方法を問い詰めるつもりだろう。
中学2年生からアンチエイジングって如何なものか。
ニキビなどの肌トラブルは俺も通った道ではあるけれど。
俺は残された山積みの洗い物を見て嘆息した。
「お~い、鮎美さんや……手に食器用洗剤の泡が残ってる……皮膚が荒れても知らんぞ」
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次話公開は、5月31日火曜日、0時です。
お楽しみいただければ幸いです。