第15話 焼け焦げも BBQなら 許容され
「天照さん、桃のデザート、冷蔵庫に入れました」
コテージのキッチンでは、肉や野菜が切られて、天照の手によって次々と金串に刺されていく。
ここに来るまでの間で休憩に立ち寄った“道の駅”の農産物販売所で入手した物だ。
桃もその一つであり、天照の指導の下で一つのデザートに姿を変えていた。
鮎美が角切りにした桃はジャムの要領で煮込まれ、水溶き片栗粉で固められて銘々のデザートグラスに分けられていた。
プレーンヨーグルトに混ぜて食べたら美味しそうだ。
「キーッセリって言うんだ……スイーツとしてだけじゃなく、お肉のソースにも使えるよ」
「お肉に甘いソースですか?」
鮎美は驚いた顔をしている。
「日本でも焼き肉のタレにリンゴやパイナップルが入ってるの知ってる?お肉が柔らかく美味しくなるんだよ」
「へええええ……」
料理は得意な鮎美だったが、余り細かいことを気にしないで色々とチャレンジする性格らしい。
ただ、思い当たる事もあったらしい。
思案気に宙に視線を泳がせた鮎美は、天照に尋ねる。
「近くの食堂の王さんが、酢豚にパイナップルを入れるのって、それかなぁ?」
「間違いなく、お肉を柔らかくする効果を狙ってるわね」
「味を甘酸っぱくする為じゃないんですねぇ」
鮎美は感心しきりだ。
スマートフォンでメモ画面を開いて入力している。
「鮎美ちゃんはスマホで動画見たりとか、ニュース見たりするだけじゃないのね……」
「あたしって、忘れっぽいんですよ……だから、大事な事はメモ取っておくんです」
えへへ、と舌を出して笑う鮎美。
「もちろんグルチャとか、SNS見たりとかしてますけどね」
「その辺りは、さすが中学生……なのかな」
「ん~、どうなんでしょ?この頃、気になる噂話が流れてくるし」
鮎美の表情は、中学生と言う年齢層らしくコロコロと変わる。
その噂話と言うのを天照は訊ねてみる。
「バスケット部の先輩が言ってた話なんですけどね……」
他校のライバルが、強豪校のスポーツ特待を取れていたのに、進路変更してしまったのだと言う。
同様に、唐突に進路変更を宣言した中学校3年生の子供を持つ親の苦言がSNSに流れ始めた。
その話があったのは、神奈川県内に私立の新設校が出来ると言う情報が出始めた7月ごろ。
遠方の生徒を受け入れるために、寮が完備されているらしい……
授業料・寮費などが無料と言う……何だか怪しいと言った内容だ。
鮎美も進路を考えなければならない学年なので、気になっている。
「そういえば、学校説明会がこの近所の学校でも行われるみたいね……神奈川県の学校だったから変だな、とは思ったんだけど」
天照は銭湯の近くにあった八百屋に貼られたビラを覚えていた。
「姫のなんとか……って書かれていた気がする」
「“姫の宮”って団体ですね。ネットで検索をかけると、福祉施設をやっている団体らしいんですけど」
天照は自分のスマートフォンで検索をかけてみる。
児童養護施設を営んでいるようだが、そのホームページの情報は少ない。
「鮎美ちゃん、進路で悩むと思うのは判るけど、焦らないでね?玄くんとお祖父さんと良く相談して」
「わかりましたぁ」
天照がスマートフォンの画面から視線を外して、キッチンの窓から外を覗く。
テントの設営を終えた玄草がBBQ用の施設で、小型だがやたらと重いフライパンを片手に何かをしているのが見える。
「あのスキレット、私でも重いんだけどなぁ……」
「お兄ちゃん、見た目より筋力ありますよね。お祖父ちゃんの手伝いして色々な工具使っているからだって言うけど」
大型のスキレットの上には、日本ではお目にかかれない大きさのソーセージが煙を上げている。
グリッリ・マッカラ……本来であれば串にさして焚火で焼くものなのだが、このキャンプ場ルールで地面に直の焚火での調理は禁止。
やむを得ずスキレットで焼くことにしたらしいが、当の玄草はスキレットを持って慌てている。
「あれは焦がしたわね」
「うん……消し炭になってなきゃいいけどなぁ」
窓越しなので、玄草が何かを騒いでいるらしいのは判るが、声は聞こえない。
BBQコンロで火を起こしていた翠閠が、金属の皿を持って調理場に走っている。
「消し炭にはなってないと思うけど」
「判らないですよぉ、お兄ちゃんってば肉まんを蒸す蒸篭を燃やしかけた前科があるから」
「蒸篭を、燃やしかけた?」
蒸篭は金属の鍋で湯を沸かして、その上に載せて使う物なのに。
何も知らずに直火にでもかけたのだろうか。
竹製なので焦げる事はあっても、燃やしかけた……とは。
天照は目を丸くしていたが、鮎美と目が合うとはじけるように笑い出した。
「そう、蒸篭を……ねぇ」
可笑しくて仕方ないらしい。
笑いすぎて涙を流している天照に釣られて、鮎美も笑っていた。
「あああ、やっちまったぁ……」
焦げたソーセージを見つめて、玄草は悔しそうに溜息を漏らす。
「何の、まだ許容範囲だ」
可笑しそうに翠閠は笑っている。
まだ美味しく食べられるレベルの焦げ目だ。
翠閠の慰めの言葉に、玄草は少し肩の力を抜いた。
「なら良かったです……」
「玄草は完璧を求めすぎだ。焦げ目の無いソーセージなど、酒の肴としては物足りん」
「完璧を……求めすぎない方が良いですか」
玄草にはその自覚はあるらしい。
今回の様なほんの少しの失敗でも自責の念が沸き上がるのである。
「儂の仕事でも同じ。仕上げた物が不揃いだったりした方が味わいが出るものさ」
手作業で仕上げる家具や雑貨。
翠閠が仕上げるその凡てが機械で造られたかのような均一さを保つ事はあり得ない。
そもそも素材が木材であるから、木目や湿度で掘りが歪んだりする物だ。
同じデザインで仕上げた物でも、作り手の許容範囲の広さで一つ一つ表情が変わってくる。
「物事の許容範囲を少し広げちゃどうかな……玄草のように若い者には難しいかも知れないが」
「努力してみます」
玄草は切り分けたグリッリ・マッカラを皿に広げたレタスの上に盛りつけ、粒マスタードを皿の縁に添えた。
付け合わせにマッシュポテトを添えれば、何とも美味そうに見える。
焦げ目も無い均一な極太のソーセージが並んでいたらどうだったろう……不自然極まりないのでは無かろうか?
自分が望んでいた完璧……果たしてそれは完璧と言える物だっただろうか。
なるほど……翠閠の言う通りで、機械的に揃えられた物が並んでいたところで、ここまで食欲をそそる物にはならなかっただろう。
「……そういうことなのかな」
玄草は独り呟いた。
「ビールが欲しくなる一品に仕上がったじゃないか」
「吞みすぎないで下さいよ、明日も運転してもらわなきゃならないんだから」
「判っておるわい……今晩は発泡麦茶でガマンするさ」
翠閠はノンアルコールビールの缶を開ける。
雰囲気だけでガマンと言ったところだろうか。
右手に持ったフォークをグリッリ・マッカラに突き立てると、粒マスタードを載せて頬張って満足げな表情を浮かべる。
「お肉持ってきたよぉ……って、お祖父ちゃん、ずる~いっ!」
「いや、玄草がソーセージ焦がしたと嘆いておったので味見してただけだ」
メインディッシュの準備を終えた鮎美と天照がコテージを出てきた様だ。
鮎美はつまみ食いをする翠閠を見咎めて騒ぎ立てる。
BBQの串が並んだ皿で両手が塞がっている鮎美の口に、グリッリ・マッカラが突っ込まれる。
「んぐっ……んぁ、おいふぃい!」
「そりゃ、どうも」
目を白黒させながら感想を述べる鮎美。
グリッリ・マッカラを焦がして以来初めて、玄草の顔に笑みが浮かんだ。
その表情を見た天照は安堵して言う。
「キッチンから落ち込む玄くんが見えて、盛大に焦がしたのかって心配したんだから」
「祖父さん曰く、許容範囲だそうです」
自分では加減が解らなくて……と玄草は照れ臭そうに笑った。
談笑しながらのBBQが終わる頃、森の深いキャンプ場は静けさに包まれていた。
食後の"桃のキーッセリ"の余韻を楽しみながら、BBQコンロの消火作業に玄草は勤しむ。
放置していても燃え続ける木炭を、火消し壺へと火ばさみで移す作業だ。
遠くから聞こえる只見川の流れる音。
更に遠く、汽笛の音が聞こえたような気がする。
只見駅発の新潟方面への列車? ……気のせいだろうか。
腕時計に目を落すと、18時40分を指そうとしている。
気のせいじゃ無かったか……只見駅からこの場所までは結構な距離があると言うのに。
山間に日が沈んで、山肌が熟柿色に染まったのは本当に短い時間。
横浜に居たときは、完全に暗くなるのはもう少し先の時間だったような気がする。
ここでは、もう夜。
満天の星が降ってくるのではないかと言う錯覚に見舞われる。
「綺麗なものだな……」
黙って星空を見上げていると、翠閠が声をかけてくる。
「そうですね……ここでの星空は初めてです」
山中の天気は気まぐれ。
昨年は曇っていて、星空が拝めなかったのだ。
それ以前はフィンランド……日本国内でこの様に星が見られるとは思っていなかった。
空気に澱みが無く、瞬きの無い星が煌々と輝いている。
「横浜で星を拝もうとすると、冬まで待たないと……ですもんね」
「そうだな。あっちじゃ今時分は期待できんな」
昨年の夏から始まった、ここでのキャンプ。
鮎美と翠閠で、それ以前にも来ていたそうなのだが、玄草は昨年からの参加だ。
車で走れる距離で、フィンランドのラップランドと湖水地方にも似たところに来れる旅行に感動を覚えたのだ。
今年からはテントで……心が躍らない筈はない。
「玄草はサムライと言うと、どんな人物を思い描く?」
「え? サムライですか……」
玄草は翠閠の唐突の話題に困惑した。
「そうですね……剣術を極めた屈強の方々……って印象でしょうか」
思案の末にようやく紡ぎだした言葉は、外国人観光客の多くが抱くサムライの印象だった。
帯刀し、着流しに身を包み、時には鎧甲冑に身を包み、馬を繰り……厳つい表情で街中を闊歩する人。
今の日本には居らず、それに近しい人物も剣道の道場にでも行かなければ会う事は叶わない……そんな人だ。
玄草の考えを一頻り聞いた翠閠の顔には一瞬苦笑いが浮かんだが、消えかけたBBQコンロの炭火の灯りではその表情を窺い知る事は難しい。
「"侍"ってのは、士農工商という江戸時代の身分制度の一番上の人を指した言葉なんだが。武士だな、言うなれば」
翠閠はミニコンロに火をつける。
シュッと言う音がして青い炎が灯り、辺りがほんのりと明るくなった。
「玄草の言っていた事は"ほぼ当たっている"が、それだけが全部じゃない。サムライ全員が刀を振り回していたわけでもない」
コンロに小さなケトルを載せると、またほの暗くなった。
「"河井継之助(※)"の記念館に立ち寄っただろう……あの人は少年期に剣術や馬術を学んだんだが、師匠の言う事は聞かないわ、口応えはするわの散々で師匠が匙を投げたらしいぞ」
「は?」
河井継之助は越後長岡藩の藩士で、戊辰戦争の一部である北越戦争で長岡藩側を主導し、その際に負った傷が元で只見町で落命した。
北越戦争の最中、当時最新鋭であったガトリング砲を戦に使うなど、なかなかに破天荒な戦術を取った人である。
記念館の女性ガイドが説明してくれた事ほんの少しだけ理解は出来ていたのだが。
玄草の脳内でサムライの印象がガラガラと音を立てて崩れる。
「え、でも……記念館が造られるような偉人だったんですよね?」
「うむ」
「坂本龍馬と殆ど同時代を生きたサムライで……西郷隆盛や勝海舟に死を悼まれる程の人物だったんですよね?」
「その通り。ガイドさんの言う事を良く聞いていたようだな」
呆然とした表情の玄草を見て、翠閠の口元が弧を描く。
「剣豪でもない人が、どうやって幕末の時代に名を残せたんだろう……」
素早く物事の本質を見極めて、徳川幕府の崩壊を早くから予見していた様だと言う河井継之助。
剣術など先の未来には役に立たなくなる事もお見通しだったのだろうか……最低限の技術しか持っていなかったと言う。
ただ、学ぶことが好きで、著名な学者を訪ねて各地を遊学したのだとか。
「継之助さんは、剣で名を馳せたのではなく、先見の明と行動力でのし上がった御人らしい」
その言動が弟子に慕われて名を残したのだろう、と翠閠は語る。
「刀に頼らず、頼ったのは己の好奇心と行動力よな」
「刀……人を傷つける力よりも、知力で戦い抜いた方なんですかね」
「知力と言うよりは、私欲に曇らぬ心で……だろうな」
ただの知識力では人は付いてこない、と翠閠は諭してくる。
なるほど、と玄草は頷いた。
ミニコンロの上のケトルが湯気を噴き上げ始めていた。
「玄草、他者を傷つけるのが嫌なのであれば、私欲に曇らぬ心で行動せい……殺傷するばかりが魔術では無かろう?」
玄草は翠閠の言葉に深く頷いた。
キュイイイイィィィィィン……!!
耳障りな音に鼓膜を叩かれた玄草は、テントの中で跳び起きた。
隣の寝袋で眠っている翠閠は身じろぎ一つせず、安らかな寝息を立てている。
「戦闘結界だ……」
結界が張られた場所は、天照と鮎美が寝ているコテージの方向ではない。
もっと山際……キャンプ場の建屋群が途切れた方向からだ。
幸いにして、自分達やキャンプ場利用者たちからは離れた場所。
「魔術師……術者が戦っているのか」
天照は気付いているだろうか……寝ている最中を叩き起こすのにはリスクが在りすぎる。
寝起きの天照の機嫌の悪さはシャレになっていない。
「仕方ない、メッセンジャーで……」
玄草は素早い指の動きで、スマートフォンの画面を叩いた。
"戦闘結界を感知しましたので調査に動きます"
※ 河井継之助の名について。
福島県南会津郡只見町にある記念館では「継之助」の名前は「つぐのすけ」と呼ばれています。
彼の郷里の新潟県長岡市にある記念館や、今年公開された映画『峠 最後のサムライ』では「つぎのすけ」です。
誤字ではありません。
お読みいただきありがとうございます(=^・^=)
次話公開は、10月11日火曜日、0時を予定しております。
お楽しみいただければ幸いです。