ランキング批判するのはいいけどじゃああなたはどんな小説が理想なの??
あくまで提案です。なろうのランキング批判でもなければ、なろうのランキング批判が悪いという話でもないです。
はじめまして。なちのすけといいます。普段は気まぐれにエッセイを書いているものです。
今回は未だランキング批判の蔓延るエッセイの中、「では、あなたはどんな小説なら納得するの?」と呼びかけてみたいと思います。
こんな小説が理想なのかもしれない。そんなテーマであるため、私の好み、趣味が深く反映されると思います。感想等で、こんな小説こそがランキング入りすることこそがよりよいなろうの形である。という意見お待ちしております。
今のなろうでは「チート」「ざまぁ」「追放」等何かしらバズる為にほぼ必須というようなワードが含まれています。私はこの状況が必ずしも悪い状況とは思いません。それもまたなろうの形と受け入れてもいいのではないかと思っています。流行りというものは服であったり、映画、アニメ、漫画、言葉、SNS等何にでも存在すると言っていいでしょう。なろうも例外では無いのではないかと。同じような小説がランキングに乗れば載るだけそれが流行っている何よりの証拠でしょう。 そもそもランキングが流行りを表さなければランキングとは何なのだということにもなってしまう気がします。
しかし、この中でこの状況に納得がいかない人が感想欄やそれ以外、見るだけの人にいくらか存在していますよね。好みではなかったり、同じような小説であるため、たくさんの小説を見る方にとっては飽きてしまう物でしょう。どちらかというと、「流行りがランキングで示されるのはそうだけど流行りのワードを使うのはいいけれど質が低い。」のようにきっとこれを読んでくださる人の中にも、スカスカな小説、レベルの低い小説が増えた。と思う方がいます。
私もたくさんの小説を読みだして、「うーん……もういいかな。」と読むのをやめることも少ないわけではありません。そして、時々、膨大な話の数を必死になって読み進めるような作品に出会うことがあります。そんな小説こそ、ランキングに載るべき素晴らしい小説なのでしょうか。ランキングの表紙に載るような小説ではまだ話数が少ないことが多いですよね。(私は一気に読むことの方が好きです。)それでも、ランキングに乗ります。きっと人を惹きつける題名であったり、既に別の小説で成功し、有名となった方であったりするのでしょうか。とてもすごいことだと感じることは普通のことです。
ではどんな小説を求めているのでしょう。ランキングを批判する方は一体どのような小説に対して、感動し、絶賛し、レビューを書き残すのでしょうか。
私は、それこそゾクゾクさせられる、冷静であったはずなのに、いつの間にか心が動く、小説が良い小説なのではないかと、一口に考えを言うことはできますが、プロでもなんでもないため、具体的な案が出ません。出る人こそが書籍化するような小説を書ける人なのでしょう。
例えば、悪役の行動をないがしろにしないというところでしょうか。ただただヘイトを買わせるだけではあまりにももったいないポジションであるのでしょう。読者がただ悪役に対し、ひどい嫌悪感を感じるとそのまま見ることをやめてしまうのでしょう。悪役の背景に深みがあればあるほど、主人公と悪役の対立により大きい感情が動かされるのでしょう。
例えば、流行りのテンプレートの中で大きく期待を裏切る展開というものがあるということでしょうか。簡単に言うことはできますが人と違うものを作ることは容易ではありません。何かしら影響を受けて似てしまう所はあると思います。流行りのテンプレートに乗ることは悪いとは思いません。その中で違いを見せつけることが人に良いと思わせる小説なのでしょうか。設定といった大きなところから、表現の丁寧さである感情の表し方、流れの自然さが大切なのでしょう。
例えば、挫折と、挫折から立ち上がり、なにかが変わる瞬間の表現の工夫が大切なのでしょうか。挫折している所を見ることは辛いものがあります。そこからどう立ち上がるかは期待の大きいところです。ですがそこが薄ければ薄いほど、「お、おう…またチートね…」「あぁ…能力が強くなるんやね…」と困惑してしまいそうな気がします。だらだらと長引かせてしまわないようにすることとの両立がきっと難しそうです。
これらはあくまで小説を実際に書いたわけではない人間の妄想です。リアリティの無さは勘弁してください。
なんでもそうですが、悪いところだけ言われて、じゃあ俺はどうすればいいんだよ!!ってなったとしてもそこを考えることは自分自身の仕事です。そこで自分の反省をして、改善をすることが大切であり、それをしなければならないことは普通になっていると思います。個性の出るところではあると思うのですが、そう簡単にもいかず、辛い思いをすることもやはり普通であると言えるでしょう。
出来ることが普通であり出来ないことが普通である。と矛盾したことを言っていますが、正直これだけ人間がいれば普通にできる人、必死に勉強して、経験をしてできるようになった人、できるようになろうと頑張る人、たくさんの人がいます。特に、できるようになろうと頑張っている人を叩き潰すことがSNS上ではできてしまったりします。正直大問題だとは思いますが一旦置いておきます。
なろうでは沢山の小説が日々投稿されていますよね。ランキングで人に見てもらえるような小説を作り上げた賞賛されるべき作家さんがいるでしょう。もちろんそれらがリアリティが無く、表現が薄く、設定がありきたりであったとしてもたしかにランキングの上位に位置し、流行りというものを示しています。しっかりと濃いものになっていく小説であったり、すぐにすっと読者が減っていく小説もあります。しかし、確かに人に見てもらえるものです。評価を得ていることが数字に出ています。脳死で星5を押していたとしてもそれはランキングに反映されてしまいます。より良い方法があるのではないかということもよく話し合われることですが、一旦なろうではそういうものである。として置いておきます。しっかりとクオリティの高い小説に対して評価がされ、ランキングの上位が超多数を感動させるものになることに悪い点はきっとないと思いますが、現在のなろうはそうではありません。そして、超多数を感動させるべく作られた作者の魂のこもった傑作を探そうとランキング外をも探す、ことも自分のより良い読書のための当然の行動です。
「読者側の評価というのは相当アバウトなものである。」という意見に関して、私もその通りであると思います。正直めんどくさいし、やる義理はない。YouTubeを見ていて、コメントをせずとも楽しめることと似たようなことでしょうか。でも、応援したいと思ったり、作者の考えに共感を得たり、意見を交換したいと思うから評価をします。ど真面目にここが悪くて物足りない、ここがいいからもっと伸ばして行けばいいと思う。と思って評価すれば確かに評価として質の高いものの1つとなり得るでしょう。しかし、そこまでしたいわけでもない。星5つけてあげたら応援になる。そう単純に考えて、評価を入れることは簡単であり多くの人がする事で、エッセイでどれだけ、質が低い質が低いと言ったって、エッセイを見ずに1つのジャンルを見る人も少なくなく、そう簡単に評価をまじめに行う人が爆発的に増えるわけではないでしょう。もちろんなろう全体でよりよい評価をしようという風潮がいつか出来上がることもあるのかもしれません。やはり、あまりにも多数の人間に対して影響を与えることはなろうでなくとも難しい。インフルエンサーでもなければ難しい。なにかしら権力を持つものの思い通りになってしまうように、残酷なことだと思います。
全ての人間の気分を害さない、全ての人間を感動させるというものを作ることは不可能です。では、悪いところを直す、良いところを作ることによってより多くの人を感動させることはできます。なろうのエッセイで悪いところを考えたり、ただひたすらに小説の批判ばかりすること、悪い小説、微妙な小説、スカスカな小説について考えることもまた必要なことには違いないのですが、ぜひ一度、結局良い作品というものはなんなのだろうと考えてみてください。そうすればランキング批判をする人のようにランキングが結果的に洗練されることも可能性がないわけではないのではないかと思います。