第2話 転生魔導士ムネタカ
ヒューイット王国の王女、レナ姫にかけられた獣化の呪いを解く為、20年振りに王宮の仕事を引き受けた伝説の魔導士ムネタカ。
彼は王宮からやって来たエリート魔導士シオン、今回の事件のきっかけを作ってしまった神官見習いのアラン、そして身体と性格の一部が獣化したレナ本人を連れて、約束していた知人からの依頼に向かっていた。
「……魔導書のお礼を兼ねて、王宮の者がホリフィールド家を訪問した事があります。ですがその時ご両親から、ムネタカ様の本名はアンディ様で、ムネタカという名前は息子が勝手に名乗っていると聞きました。ムネタカ様が答えたくなければよろしいのですが、これはどういう事なのでしょう?」
タイミングを窺いながら、やや遠慮気味に質問を投げかけるシオン。
彼女の性格からして、疑問はつぶさに解消しておきたいのであろう。
「……教えるのは構わないんだが……」
シオンと歩調を合わせつつも、ムネタカは少々歯切れの悪い返事。
ふたりの前では、自身の周りを飛び交う虫にじゃれつくレナと、それを咎めながらも何処か穏やかに彼女を見守るアランの姿があった。
「シオンと言ったな。あんた、転生って現象を信じるか? 前世を何処か違う土地で過ごし、その記憶を持ったままこの国に生まれ変わる事だ。俺にはその前世の記憶があるのさ」
ムネタカには、ここヒューイット王国とは別次元にある異世界、地球の日本という国で送った前世の記憶がある。
東宗孝という名前の彼は、生まれつき動物と会話が出来たり、地震や大雨といった自然災害を予知出来る特殊な能力を持っていた。
だが、その異才故に周囲と馴染めずに孤立し、やがて人間と社会を恨みながら自ら命を絶った過去があったのだ。
「……俺が転生したホリフィールドは商人の家系だったが、前世の記憶と能力を活かせる環境がこの世界にはあった。俺に魔法の才能があると確信してからはこの名を名乗り、家を出る覚悟を決めたよ。無様な1回目の人生に栄光を上書きする為にな」
目前に姿を現した野菜畑に目を奪われていたレナを除き、一行は静まりかえっている。
「……その様な事があったなんて、私には想像もつきませんでした……。ですが、聖獣族と会話して和解の道を切り開いたムネタカ様の能力は、理屈では説明出来ないでしょう。私はその現象を信じたいと思います」
師と仰ぐムネタカからの思わぬ告白に一瞬言葉を失いながらも、シオンは彼を疑う素振りは見せない。
和解の過程に於ける戦いの貢献であれば、彼のパーティー仲間であるデラップやランドールに軍配が上がるだろう。
しかしながら、ムネタカの能力と魔法の存在なしにヒューイット王国の平和はあり得なかったのである。
「おお〜い! ムネさ〜ん!」
広大な野菜畑の向こうから、馴染みの声がする。
ハミンの店にも野菜を卸している契約農家ゴルブ家の家長、ジェフリーが猟銃片手に手を振っていた。
「ジェフリー、あの辺、えらくやられたな」
土地柄故に、農家のトラブル解決に尽力する事の多いムネタカの目にも、この畑の中心部に出来た被害は甚大に見える。
恐らく、ある程度の群れをなした動物達の仕業であろう。
「……アニコーンの仕業だ。この辺りは暫く動物の被害はなかったんだが、いきなりこの数が押し寄せたらいちいちハンティングしてもキリがない」
ジェフリーがその存在を嘆くアニコーンとは、1本角を持った鹿の様な動物で、個体では大人しいが、群れをなすと制御が難しいという厄介な習性を持っていた。
今回ムネタカに託されたミッションは、畑を荒らすアニコーンの群れを追い出し、彼等に相応しい生活の場へと誘導する事である。
「みゃ〜、この赤いの美味しそう!」
荒らされた畑に残る野菜を見て、興奮気味に動くレナの両耳が帽子を振り落とす。獣の食欲解放だ。
もっとも、彼女が完全な人間だった頃は、好き嫌いの多さでシオンやメイド達を困らせていたはずなのだが……。
「……えっ!? ムネさん、まさかこの娘が姫様なのかい?」
噂には聞いていたものの、明らかに人間のものとは異なる耳や肉球、尻尾をレナに確認し、驚きを隠せないジェフリー。
「初めまして、王宮専属魔導士のシオンです。この度は様々な不注意や失態が重なってしまいました。ムネタカ様のお力をお借りして、必ずや姫様を元の姿にお戻し致します」
地方都市では、噂はすぐに広まる。
最早隠し通す事は出来ないと悟ったか、シオンはジェフリーに頭を下げ、これからレナが巻き起こす可能性のあるトラブルの予防線を張らざるを得なくなっていた。
「……いや、確かにびっくりしたけど、思っていたより普通に姫様だし、むしろ笑顔の姫様を見たの久しぶりだよ。こんな事言っちゃいけないんだろうが、公務より幸せそうに見えるな」
ジェフリーを始めとして、農村・漁村に暮らす民の生活は決して楽ではない。
しかし、自身の感情に正直に生きる彼等からは、王都で抑圧や虚飾に囲まれていたレナに羨望よりも同情が集められていたのである。
「さあレナ、ムネタカ様のお仕事だよ。お野菜が貰えるかどうかは、お仕事が終わってから頼んでみるから」
アランは背後からレナを抱え、自らの責任感もあってトラブルを未然に防ぐ。
長いブロンドヘアーをお団子型にまとめ、好奇心に満ちたブルーの瞳に小柄な身体のレナは可憐に見えるが、野獣のパワーと身体能力が眠っているのだ。
「……ほらムネさん、奴等もうそこまで来ているだろ? 今日はお客が多いから躊躇しているみたいだが、残された野菜を食い尽くす気満々だよ」
ジェフリーの指差す先には、獲物を狙うオーラに満ちたアニコーンの群れ。
数にして7頭、都市化の進んだ王都ではまず見る事の出来ない数である。
「……私、王都から出た事が殆どありませんので、これだけの野性動物を見るのは初めてです。ムネタカ様は、アニコーンとも会話出来るのですか?」
アニコーンの群れを目の当たりに緊張が否めないシオンを尻目に、瞳を閉じて彼等の声を聞くムネタカ。
「……ああ、俺はある程度の脳がある動物とは話せる。あの7頭の内、6頭は山奥に帰せそうだが、左から2番目の奴だけが納得していない。野性動物には下手な剣士や格闘家を吹き飛ばすパワーがある。気を付けろよ」
ムネタカから言われてみると、なるほど、確かに1頭だけ不穏な表情をしている。
このアニコーンの不満が単なる食欲なのか、それとも人間への怒りなのかは知る由もないが、少なくとも神官見習いのアランは初歩的な回復魔法しか使えない。
当然、レナを対峙させるなどもってのほかだ。
「分かりました。最善を尽くします」
覚悟を決めたシオンは、ムネタカが他の6頭を山奥に導いている間に起こるあらゆる事態を想定し、魔力の集中に励む。
「よし……行けええぇぇっ!」
掛け声とともに大きく両手を広げ、アニコーンを山奥へと誘導するムネタカ。
20年間の隠居生活で知り尽くしたダランの山々を記した彼の脳内地図に基づき、6頭のアニコーンはゆっくりと歩みを進め、やがてその速度を増して行く。
「クオオォーン!」
ただ1頭闘志の衰えなかったアニコーンが、シオンもろともムネタカを撥ね飛ばそうと向かって来たその瞬間、突如として巻き起こった強風がシオンの長い黒髪を揺らした。
「旋風……軟着地!」
シオンの魔力に操られた強風は軽々とアニコーンの巨体を掬い上げ、やがて風のクッションとなったそれはアニコーンの背面をガードしながら地面へと叩き付ける。
「キイイィー……」
勝てない相手だと悟ったのだろう。
背中を軽く打ったアニコーンは、仲間の後を追う様に山奥へと消えて行った。
「……凄い! ムネさんも凄いが、このべっぴんさんもただ者じゃ無いぜ!」
猟銃を振り回して興奮するジェフリー、危ない。
アニコーンを無難に退け、安堵の表情を浮かべるシオンに、ムネタカが拍手とともに歩み寄る。
「……流石だな。野性動物を前にすると我を忘れて、奴等の脚を折りに来る魔導士も多い。だが、野性動物の脚を折る事は、ある意味奴等を殺すより非情だ。人間がそんな態度でいる限り、聖獣族からの理解は得られない」
師と仰ぐムネタカに評価され、ようやく笑顔を見せるシオン。
王国一の魔導士と崇められる彼女とて、まだ24歳の女性なのだ。
「アニコーンの肉は結構美味いし、畑に迷惑をかけた1頭や2頭、俺は殺しても構わないと思うぜ。現に何頭かは猟銃で狩っているしな」
野菜畑に生活を懸けているジェフリーは、特に悪びれる事もなく持論を展開し、ムネタカもその意見には理解を示した。
「ああ、そうだな。生き物が生きるってのはそういう事だ。……だが、俺には動物の痛みが分かる。俺が肉を食べる事の出来る動物は、会話が出来る大きさの脳を持っていない鳥だけだよ」
何処か寂しそうな笑顔を浮かべたムネタカはジェフリーに背を向け、今日の仕事を終えた達成感を噛み締める。
「ムネさん、ありがとう! 姫様もこの野菜持って行ってくれよ! 半端に土に埋めていても腐っちまうだけだからな!」
「わ〜い! おじさんありがとう!」
ジェフリーからの厚意に120%甘えたレナはその場で野菜にかぶりつき、頬を赤く汚しながら満面の笑みを浮かべていた。
「獣2割、人間8割って所だな! 2:8 (にっぱち) 姫、俺は可愛いと思うよ!」
見送るジェフリーに手を振り返し、一行はダランの街を後にする。
まずはレナを匿える宿を探し、今後の計画を練らなければならない。