第23話 戦いは誰にでも訪れる
「はあっ……! せいっ……!」
夜も深くなり、普段なら静まり返るはずの剣術学校の一室から、男性の掛け声が聞こえてくる。
20年前、ムネタカらとともに聖獣族と戦い、人間との和解を実現した伝説の英雄のひとり、デラップ・シュライファーが、自ら剣の稽古を行っていたのだ。
「シュライファー君、まだやっていたのか? 警備員も困っている様だし、そろそろ帰りたまえ」
剣術学校と魔法学校は、ともに入学試験を明日に控えている。
剣術学校の教員として実技試験の判定に関わっているデラップが、今一度基本フォームを確認していたとしても何ら不思議はないだろう。
しかし、近頃彼の稽古は随分と熱を帯びており、校長が直々に様子を確認しに来たという訳なのだ。
「……オラス校長、申し訳ありません。もう、こんな時間でしたか……」
汗だくで剣を振っていたデラップは、時間が経つのも忘れて稽古をしていた事に反省しつつも、その表情からは確かな満足感を感じさせている。
「君のお子さんも明日が本番だからな……。父親として、質の高い稽古をつけてあげたくなる気持ちは分かる。だが、教員である君が本気で指導してしまうと、他の生徒達には不公平だからな。程々にしてくれたまえよ」
明日の入学試験では、デラップとミシェールの間に生まれた双子の兄妹であるデヴォンとミリアが、それぞれ剣術学校と魔法学校を受験する予定。
校長はこの時点に於いて、デラップの稽古が息子のデヴォンの為であると信じて疑わなかった。
「……いえ、オラス校長。この稽古は息子の為ではありません。私自身の為なんです。ムネタカやランドールから、姫様の呪いを解く為の戦いに協力してくれと頼まれていたのですが、長いブランクのある私には自信がなく、実戦にも恐怖を感じていました……」
元来の実直さを以て、デラップは自身の偽りない心境を告白していた。
20年前の戦いの時点で、既に第一線を退いていたオラス校長は殆ど実戦を知らない世代だけに、このやり取りに於いては、ただ沈黙ばかりが流れている。
「……しかし、貧しい若者であるキルメスが勇敢に戦い、命を落としたとあっては、この私が安穏とした暮らしを送る事が恥ずかしく思えるのです……。オラス校長、今日の入学試験が終わった後、少しの間休暇をいただけないでしょうか……?」
校長はデラップの決意に言葉を失い、茫然と立ちすくんでいた。
だが、それは決して剣術学校の運営を危惧した故の態度ではない。
一度は栄光の座に着いた若者が歳を重ねて、今尚王国の危機の為に戦おうとしている、その高潔な姿勢へのリスペクトなのである。
「……ママ、ムネタカさんやランドールさんって、昔ママと一緒に戦った人なんでしょ? ママが魔法の先生になったのに、どうしてあの人達はまだ戦っているの?」
娘ミリアの質問を受けて、ミシェールは言葉を詰まらせていた。
人間が歳を重ね、ある程度の業績を残していたならば、命懸けの仕事なんて続けなくてもいいだろう。
着実な出世を積み重ねた両親と、魔法学校を受験する比較的裕福な家系の生徒を見てきたミリアが、そう考えていてもおかしくはない。
だが、世の中はそこまで甘くはないのだ。
漁師だったキルメスの父親が水害で命を落とした様に、王国民の大半が携わる農業や漁業は、常に危険や貧困と隣り合わせにある。
仮にミリアが魔導士になれたとして、実力がなければ淘汰される厳しい世界なのだが、立派な両親の財産で生活は出来るだろう。
それだけでいいのだろうか?
ムネタカとランドールは、出世のチャンスがありながらそれに興味を示さなかったという点で、「不器用な変わり者」と片付けてもいいのかも知れない。
しかしながら、もし彼等がこの戦いを放棄した場合、今の王国に彼等の後を継ぐ者が現れるとは思えない。
ミシェールは目を閉じて少しの間自身の頭を整理し、やがてミリアの顔を正面から見つめて口を開いた。
「……ミリア、この事はデヴォンにも伝えてね。私はもう一度戦うわ。ムネタカやランドールに力を貸さないと、姫様を救う事は出来ないと思うから。あなた達は、私達の姿を見て何となく魔導士や剣士になりたいと思っただけかも知れないけれど、この仕事を選ぶというのはこういう事なのよ。楽をして、逃げ切る事は出来ない仕事なの」
ミシェールは魔法学校の教員として、毎日生徒の見本となる魔法を披露し続けてきたものの、実戦はデラップ同様20年ぶり。
ムネタカの様な、野性動物相手の訓練も積んではいない。
だが、力が衰えているならば2人で1体の相手を倒せばいい。
前線で身体を張れないのであれば、後方からの援護に専念すればいい。
20年前の「伝説の英雄」揃い踏みのマジックが、奇跡を起こさないとは限らない。
ミシェールが窓の外を見やったその時、ようやく帰宅したデラップの姿には、迷いを振り切った清々しさが溢れていた。
翌朝、パーティーはイジーとの最終決戦に備え、王都でトレーニングを敢行中。
デラップとミシェールの戦列復帰に前向きな手応えを感じていたムネタカは、シオン、ランドール、そして見張り役のマーカスに加えて、休暇を貰ったアランをパーティーに再び加える決断を下した。
今のアランは初級の回復魔法と浄化魔法が使えるだけで、前線では全く戦力にならないが、自分の実力を理解した献身性があり、何よりレナを救いたいというモチベーションはフル充填。
彼とミシェールが加わる事により、これまでレナを「にっぱち姫」常態に戻すのが精一杯だった浄化魔法も、大幅な強化が期待出来る。
そして、ムネタカはそこから更に新たなる秘策を導き出していた。
それはレナではなく、イジーの浄化。
レナへの呪いは、イジーの怨念。
それは彼が積み重ねてきた人間への怒りだけではなく、人間と戦わずに友好関係を築こうとしているビリーやコリーへの怒りがある。
更に加えて、争い事の最中は自分を持ち上げておきながら、和解が成立するや否や自分を追放した同胞への怒りまでも内包していた。
これ程までの怨念は、例えイジーの肉体が滅びた所で、その魂が死滅する事はないだろう。
聖獣族に浄化魔法を施すという、前代未聞の秘策が効を奏する保証はないものの、もし彼を無邪気な子どもの様な状態に戻せたら、両種族の関係性改善は勿論、これまでの経験が聖獣族の進化にも重要な役割を果たすはずである。
【ムネタカ、聞こえるか? ビリーだ! 今イジーはマヤーミの森の北部から南下を始めた。どうやら傷は完治した様だな。小さな次元のトンネルと、10体近い仲間を引き連れている】
突如としてムネタカの耳に飛び込む、ビリーからのテレパシー。
イジーからのコンタクトは未だないが、恐らく森の入口まで南下して臨戦態勢を整えるつもりなのだろう。
イジー達が配置に就き、10体もの仲間がムネタカ達を迎え撃つ体制を敷かれては、自分達に勝ち目はない。
彼等が森の入口に到達する前に、少しでも早く統率を崩さなければ。
(どうする……? 下手に焦ると仲間を危険に晒してしまう……!)
聖獣族とコミュニケーションを取っているのはムネタカだけだが、彼の表情から周囲にも決断の苦悩が見て取れた。
「……どうしたムネタカー! デラップやミシェールを待ってられるか! 俺達はいつでも準備は出来ている! さっさと行こうぜ!」
腐れ縁の相棒を見かねた様に、ランドールが気勢を高々と上げる。
ムネタカはマーカスとアラン、そしてレナの明るい表情を確認し、最後にシオンと正面から向き合う。
「……!!」
もう言葉は要らない。
シオンは黙って頷く事で、ムネタカに最大限の信頼を返した。
「……よし! 行くぞ! 皆、俺についてきてくれ!」
「はああぁっ……!」
ムネタカの雄叫びと同時に、勢い良く馬車馬をヒットするシオン。
最後の戦いが、遂に始まった。




