第1話 異世界ニート魔導士
〜ヒューイット王国西部・ダランの街〜
ヒューイット王国は豊かな自然に囲まれ、現在は中部・東部・西部・南部を人間族が統括し、北部にある3つの広大な森を聖獣族が統括している。
王国中部は王宮を拠点に、工業と剣術学校、魔法学校による国防政策が敷かれた王都として賑わい、西部と東部は農業全般に特化。
南部は農業に加えて、広大な湖からの恵みを活かした漁業で潤い、小規模ながら隣国への食糧輸出の盛んな国家を形成していたのである。
「……え? 王宮の人間が俺を探していた?」
ダランの街の西の果て、巨大な山脈を見上げる小さな農家に隣接された食堂の椅子に、かつて聖獣族との和解に尽力した伝説の英雄のひとり、ムネタカ・ホリフィールドは腰をかけていた。
「……何でも、王国のお姫様が何者かに獣化の呪いをかけられちゃったみたいよ。凄腕の魔導士でも完全には解けない呪いみたいで、顔以外は服ですっぽり正体を隠したお姫様を見た人もいるんだってさ」
食堂の女主人であるハミンとムネタカは、かれこれ20年の付き合い。
ムネタカが英雄と讃えられた後、突然王都を離れてダランの街に隠居を決め込んでからというもの、彼は毎日の様にこの食堂を訪れていたのである。
「元英雄だか何だか知らないけど、いい加減ちゃんと働いたら? ムネタカさんの顔、もう見飽きちゃった!」
料理を運ぶハミンの娘、マリンはまだ19歳。
彼女にとってはムネタカの20年前の偉業など、酔い潰れたオヤジが酒場で語る武勇伝と似た様なものなのだ。
「……おいマリン、俺はこの街で20年、善意で何でも屋をやってるんだよ! 金ならあるからな。無料で民に尽くす、これが真の英雄だろ? その態度は何だよ?」
ムネタカとマリンの口喧嘩はここ数年、店の名物の様な光景として認知されている。
英雄と讃えられ褒美を貰い、執筆した魔導書は魔法学校の基礎テキストとして採用され、その印税で更に有り余る富を得る。
一方でうわべの社交や偽善を嫌い、一言多いその性格も災いして42歳の現在も独身のムネタカ。
そんな彼は英雄でありながら己に忠実であり、それ故に庶民が気軽に意見をぶつけられる貴重な存在でもあった。
「……ムネちゃん、黙っていれば結構いい男なんだけどねぇ……」
ムネタカより3つ歳上で、夫を亡くしてからは女手ひとつで娘と店を育て上げた苦労人のハミン。
彼女は自身の目前に座る中年男を舐める様に眺め、やがて深い溜め息をつく。
銀髪にグレーの瞳を持ち、若い頃に比べて若干しわは増えたものの、そのシャープな佇まいは一見してデキる男風。
だが、彼は大人になりきれていないのだ。
「ムネタカさん! 王宮の一大事とあらば、伝説の英雄として黙っていられないだろ? 俺、王宮の人を探して連れて来るよ!」
「おいおい、余計な事すんなよ……」
馴染みの客からのお節介に頭を抱えるムネタカ。
彼が王都を飛び出して隠居生活を始めた理由は、富や名声に振り回される民、そして何より自分自身の欲深さに失望したから。
本音を言えば、もう王都や王宮とは関わりたくなかったのである。
「その心配は要りません」
食堂を飛び出した客の前に突如として現れたのは、一目で王宮関係者と分かる、高級な衣装を身に纏った3人の男女。
眼鏡越しのクールな眼差しに、すらりとした長身と長い黒髪。
その若さに似合わない、ただならぬ風格を漂わせる女性の隣には、顔以外をゆったりした衣装で覆った、小柄で目鼻立ちの整った女性。
そして細身で色白の、少々気の弱そうな若い男性。
「……ムネタカ・ホリフィールド様ですね? 初めまして、私は王宮専属の魔導士、シオン・ヴァイグルと申します。貴方のお書きになられた魔導書は私の聖典。お会い出来て光栄です」
食堂内で大衆の目に晒されたムネタカは、はるばる王宮からやって来た客を追い返す事は出来ず、やむ無く街の外れに佇む自宅へと案内する。
草木に魔法をプラスする、交流を深めた聖獣族の暮らしから学んだ建築方法で組み上げた一軒家は、外見こそみすぼらしいものの、季節に合わせた温度・湿度調整に優れた快適な住居。
ムネタカが隠居した後、王国一の魔導士の名を継承させられたシオンにとってこの家は、何もかもが初心に胸を踊らせる研究対象に映っていた。
「……話は分かった。確かに警告もなしに獣化の呪いをかける聖獣族もどうかと思うが、そもそも立ち入り禁止区域に無断で乗り込んで、初対面の聖獣族の子どもを棒で殴るとか、どう見ても姫様の方が悪いぞ」
事の大筋を理解したムネタカは、彼なりに努めて冷静に、最低限の礼儀を失わない様にレナを諭す。
「だって怖かったんだもん!」
庶民から注がれる好奇な眼差しを逃れ、シオンが師と仰ぐムネタカを前に自身の不安を必死に訴えるレナ。
よく見ると獣化した彼女の八重歯が牙の様に映り、無愛想で生意気と悪評の絶えなかったかつての彼女と比較すれば、正直で愛嬌のある今の姿はある意味魅力的と言えなくもない。
「姫様は18歳で、平和な時代しか知りません。そして、姫様の日頃の行いの背景には国王夫妻の多忙と、私を含めた王宮関係者の過保護ぶりがあるのです。今回の事件も、姫様のわがままを聞いて聖獣族の森に案内してしまった者がいた事が、最大の問題でした」
自らを戒める様に唇を噛み締めるシオンの隣で、うつむいたまま顔を上げようとしない王宮の神官見習い、アラン・ゴールドワーズは今にも泣き出しそうな表情を隠していた。
「……すみません。聖獣を見たいというレナのわがままは、本来聞き入れるべきものではありませんでしたが、彼女が毎日、窮屈な思いをしているのを知っていたので……」
王宮の名剣士を輩出して来た伝統ある家系、ゴールドワーズ一族に生を受けたアランだが、彼は生まれつきの身体の弱さから剣術学校への進学を諦め、家系のコネで神官見習いとなった背景を持っている。
剣士一族としては落ちこぼれ……そんな彼を見下す事なく、幼少の頃から一緒に遊んでいたのが、他ならぬレナだったのだ。
「……アラン、貴方は将来神に仕える身なのです。高い倫理観を持って行動してくれなければ困ります」
アランを叱責するシオンの態度は決して間違ってはいないものの、ムネタカの目には彼女が余りにも堅物に、型にはまった職業魔導士に映っている。
年頃の少年が、年頃の少女のわがままを聞いて、危険に飛び込む大胆さを見せる……。
この行動力を説明する言葉は、もうひとつしかない。
アランはレナに、長い間想いを寄せているのだ。
「人間で聖獣族とまともに話が出来るのは、恐らく俺だけだろう。残念だが、俺にもこの呪いは解けない。そしてこちらに非がある以上、また一族同士の戦いをする訳にも行かない。俺達が奴等に謝罪して許しを得るつもりなら、あんた達が俺の所に来た事は正しい。俺以外の仲間に声はかけたか?」
長らく隠居生活をしていたムネタカが、魔導士として久しぶりにやる気を見せている。
希望が見えた3人は瞳を一瞬輝かせた後、しかしながら申し訳なさそうに真実を告げる事となる。
「……はい。ムネタカ様の20年前のパーティー仲間として、デラップ様とミシェール様には声をかけました。しかし、おふたりは剣術学校と魔法学校の重役で、更にお子様のご進学を控えておられます。今回は力になれないとの事でした……」
ムネタカには、この答えが返って来る事は分かりきっていた。
努力や苦労から目を背けず、脇目を振らずにひとりの相手を愛し続け、地道に大人としての責任を果たして来た者に与えられる当然の権利だ。
「……だろうな。ランドールは捕まったのか?」
ランドール・トマソンは、残るひとりのパーティー仲間。
粗野で豪快な剣士兼格闘家であり、ムネタカと同様、社交やしきたりに縛られる事を嫌う一匹狼タイプである。
「……いえ、ランドール様は今でもフリーランスの傭兵として大活躍しておりますので、なかなか連絡が繋がりません……」
王宮のコネクションを駆使しても実績を挙げられない自身に憤る様に、がっくりと肩を落とすシオン。
彼女は、いちいちリアクションが生真面目過ぎるのだ。
「まあいい。俺達に必要なのは交渉力であって、戦いの強さじゃないからな。ランドールなら酒場を当たれば、いつか見付かるさ」
ムネタカは気持ちを切り替え、更なる情報を引き出す為に3人を連れて家を出る。