第18話 レナ、怒りの獣化
「キルメス!!」
あと一歩救援が届かず、自らの目の前で愛弟子の最期を見せつけられたランドール。
心臓を抉られた時点でほぼ即死状態のキルメスは微動だにせず、首から大地に激突した。
「そんな……いやああぁぁっ!!」
レナは両手で顔を覆い、しかし指の隙間から両目を大きく見開いてその瞬間を凝視する。
「姫様……はっ!」
どうにか冷静さを保とうとレナの懐抱に挑むシオンであったが、激しい戦闘中では防御魔法を緩める訳には行かない。
キルメスに回復魔法を施さなければ。
100%手遅れだと分かっていても。
「うがあああぁぁ! テメエらぁ!」
怒りの余り全身の血管を浮き上がらせたランドールが、自ら2体の聖獣に挟まれに行こうとしている。
水溜まりに身体を沈めながら、イジーの爪を辛うじてかわし続けていたムネタカは、なりふり構わずこのピンチを抜け出す事に全神経を集中させた。
「あああぁぁっ……! 溜波……裁断っ!」
ムネタカの全身全霊の魔力は水溜まりの水を全て引き上げ、それぞれに水の刃を生み出す階段型の攻撃となってイジーを襲う。
【ぐおっ……!?】
突然の高速攻撃を避けきれなかったイジーは水の刃に腹部を切り裂かれ、堪らずムネタカとの間合いを空けて後退りする。
「ランドール! 少しでいい、頭を下げろ!」
ムネタカの絶叫がその耳に届いたか、全速力の勢いに押される様に前屈みに滑り込むランドール。
聖獣のうち1体は、突然視界に現れた水の刃を避ける事は出来なかった。
「……ンギャアアァッ……!?」
水の刃は聖獣の胸を真横に直撃し、その瞬間、大地に2片の亡骸が転がり落ちる。
「おおおぉっ! 死ね! 死ねえぇぇっ!!」
剣を地面と平行に、まるでハンマーの様に振り切ったランドール。
もう1体の聖獣は咄嗟に身体を屈めて剣をかわすも、振り切った勢いで剣を放り投げたランドールはその反動で相手に倒れ込み、そのまま怒濤の格闘技を連発する。
「ガワワ……ガワワアァッ……!」
歯茎を剥き出し、血走った眼差しのランドールから繰り出される容赦ないパンチと膝蹴りにより、聖獣の全身はみるみるうちに真っ赤に腫れ上がる。
既に大勢は決しているだろう。
「……今ならこの岩を……!」
「待て! シオン! 魔力をとっておけ!」
自らの防御魔法を武器に転化しようとしたシオンを制止し、ムネタカは雨に隠れた汗を滲ませたまま、どうにか魔力を振り絞った。
「地中で眠れ……! 砂岩蟻地獄!」
これまでムネタカの周囲を取り囲んでいた水が一瞬にして蒸発し、その風圧を以て聖獣の足元の砂利が大きく削り取られる。
バランスを崩して地中へと沈み行く聖獣を尻目に、ムネタカは非情なまでに相手の頭上へと砂利を積み重ね続ける。
「……いや、キルメス、いやああぁぁっ!!」
キルメスの遺体に駆け寄るレナの両目は涙で赤く充血し、全身を震わせて激しい痙攣を繰り返していた。
「……姫様!?」
今更何の効果も期待出来ない回復魔法を敢えて施しに、レナとキルメスの元へと駆けつけたシオンは、何処かで見た事のあるレナの異常に気がつく。
「ううう……アアアァァッ……!」
その異様な光景に、勢いを増す雨の中にも関わらず、ムネタカもランドールも、そしてイジーまでもがレナを固唾を飲んで見守るしかなかった。
「ガアアアァァッ……!」
やがてレナの身体は全身が黄色と黒の毛皮で覆われ、その瞳は誰に獣化の呪いをかけられたのか一目瞭然の、真っ赤な色へと染まっていく。
パーティーの中ではシオンしか目にした事のない、完全なる獣化姿のレナである。
「……これが、獣化の最終形態……!」
ムネタカでさえ驚愕するこの光景に、ランドールは言葉を失い、シオンは逆に落ち着き払った態度で再び浄化の魔法を準備していた。
【……フフッ、やったなレナ姫! これで貴女は俺の操り人形だ! さあ、弟達の仇だ! ムネタカを始末しろ!】
自らの勝利を確信したイジーは、意気揚々とレナにテレパシーで命令を下す。
だが、レナは彼の言う通りには動かない。
獣化したレナのその赤い瞳は、イジーに操られたムネタカへの敵意ではなく、自身の感情によるイジーへの怒りを湛えていたのだ。
「グワオオォォッ……!」
突如としてムネタカからイジーへとターゲットを変更したレナは、素早い反転から全速力でイジーに駆け寄り、その鋭い牙から滴り落ちる唾液ごと彼の右足大腿部へと噛みつく。
【グオッ……! バカな!? 呪いをかけた俺の命令を聞かないだと!?】
流れる血を押さえながら、目の前の現実を信じる事が出来ないイジー。
まだ獣化したばかりのレナには、聖獣族と比べて知能的に未熟な点がある事は否めないが、彼女は最初の獣化でもメイドやシオンを傷つける程の攻撃はしていない。
わがまま王女として知られるレナだが、それは同時に、疑わしき他者からの命令を無視する人間としての我の強さを示していたのだ。
【……チッ……ムネタカ、勝負は預ける!】
イジーはレナの牙を強引に引き離し、鮮血の流れる右足を引きずりながら森の奥へと消えていく。
「ガアアアァァッ……!」
怒りの矛先を失い、野獣と化した自らの力をもて余すレナ。
シオンは浄化の魔法の暗唱を終え、荒れ狂うレナの正面に立った。
「獣化……粉砕!」
「グオオオォォッ……」
完全に獣化していたレナを「にっぱち姫」スタイルまでは戻す事の出来る、シオンの「獣化粉砕」魔法。
しかしながら、レナの怒りはそう簡単には収まりそうにない。
シオンの魔法だけでは、まだ浄化には届いていないのである。
「シオン、浄化魔法でいいんだな!? 俺の魔法とは違うかも知れないが、2人でパワーを倍にすれば何とかなるかも知れない!」
この戦いでかなりの魔力を消費したムネタカではあったが、ここで力を出し惜しみしている場合ではない。
大雨も吹き飛ばす程の魔力が2人を包み込み、ランドールはそのオーラに吹き飛ばされない様に地面に這いつくばった。
「……はあああぁっ……!」
ムネタカとシオン、王国屈指の魔導士による浄化魔法のハーモニーはレナの戦意を奪い、やがて「にっぱち姫」スタイルにまで回復した彼女はその場に崩れ落ちる。
「シオン、これを姫様に……くっ!」
ムネタカは魔力を出し尽くしてよろめきながらも、獣化により衣装の破れたレナに自らの上着を差し出した。
「大丈夫かムネタカ!? 待ってろ! 馬車とマーカスをここまで連れて来るからな!」
ともに魔力を使い果たしてしまったムネタカとシオンに、怒りに支配され気を失ったレナ。
そして、もう動く事はないキルメス……。
ランドールは森の入口へと無我夢中で駆け出していく。
何故、若く希望に満ちたキルメスの命が奪われなければならないのか。
何故、自分を含めた古い英雄ばかりが生き残ってしまうのか。
今日まで自分が貫いてきた生き様は間違っていたのだろうか……。
「マーカス! マーカス……!」
ランドールは残された戦友の名前を叫びながら、激しい雨に打たれ続ける。
その雨に紛れて、流れる涙を誰にも見られる事のない今に少しだけ感謝し、しかし同時に己の無力に激昂しながら、ひたすらに走り続けていた。




