第16話 それぞれの覚悟
「……よし、昼飯だ! 一旦休憩するぞ!」
明日に迫ったマヤーミの森の聖獣族代表、イジーとの交渉に向けて、当然ただの交渉で終わる訳がないと踏んでいたムネタカは、パーティーの意見を取り入れながら戦闘訓練を行っている。
今回はレナを同伴させなくてはならないハンディキャップがこちら側にある為、戦況に応じてシオンとキルメスが交互に護衛につくフォーメーションをテスト。
また、イジーが頭数で圧倒しに来た場合に於ける、魔法による広範囲ダメージや目眩ましなどの戦術オプションを拡大した。
マーカスを敵に見立てた剣術訓練では、いざという時には彼がまだまだ戦力になるという嬉しい誤算も発覚する。
「マーカス、お前、腕がなまってねえな! まさかイジーに足の借りを返すつもりじゃねえだろうな?」
ひと汗をかくとご機嫌になるランドールは、右足の負傷によるスピード以外に衰えの見られないマーカスに目を丸くした。
「……俺の足の噂を聞き付けて、強盗目的で宿に来る奴もいるのさ。だから訓練はずっと続けていた。本当に厄介なのは聖獣じゃない、全てを諦めちまった人間なんだよ……」
様々な想いが去来したのだろう。
マーカスは寂しげに遠くを見つめ、その剣を置く。
ニューヨークの黒人母子家庭に生まれた彼は、差別と貧困から逃れる為に軍隊に志願。ゆくゆくは大学に進学するつもりだった。
右も左も分からぬ異世界、ヒューイット王国に移転し、地球を知っていたムネタカやランドールと偶然出会わなければ、彼も全てを諦めてしまっていたかも知れない。
「マーカス、大したもんだな! まあ、お前にまで頼らない結果になれば最高だが……」
ハミンの店から差し入れされた野菜ジュースを、汗だくになっていたマーカスに手渡すムネタカ。
王都からの要請で用意されたダランの街の役所用馬車には、食糧を差し入れしてくれるハミンやマリン、そしてジェフリーの姿もある。
ここ数日ですっかりレナの保護者になっていた彼女達は、今日現在でレナが落ち着いている事を確認すると、安心して街へと帰っていった。
「……ムネタカ、イジーとの交渉は勿論大事だが、次元のトンネルも調べてくれよ。もし見つけたら、場所を教えてくれ」
ムネタカに近づいて耳打ちするマーカス。
彼はやはり、地球への帰還をまだ諦めてはいない。
「……おいマーカス、お前トンネルに飛び込むつもりなのか? イジーを締め上げて、詳細を訊くまでは動くなよ。地球に帰れる保証はないし、そもそも地球に帰れても、出口が海の中や山奥だったら自殺行為だろ?」
ムネタカは気持ちのはやるマーカスを諭し、情報収集の重要性を説いた。
先日の戦いで現れたマヤーミの聖獣は、キルメスの推理通り甲殻類の特徴を取り入れた進化を見せていたが、それは則ち、トンネルの出口が海や湖で、その環境で暮らしながら甲殻類を身体に取り入れ、再び入口が現れるまで生き延びていた事が前提になるのである。
「……はい、ムネタカ様もどうぞ」
渋い表情で超常現象を真面目に考察するオッサン2人……その近寄り難いオーラの合間を縫って、シオンがムネタカの野菜ジュースを届けに現れる。
互いの過去を打ち明ける事で距離が近づいたムネタカとシオン。
今は他にやるべき事が多過ぎるものの、マーカス同様この世界から離れる可能性も模索しているムネタカにとって、彼女の存在はヒューイット王国での人生を選択する大きな錨となっていた。
「おうおうムネタカ! 40過ぎてこんな若い美人と仲良くなれるチャンスなんて、もう一生ねえぞ! つまらんプライドで隠居だの何だの、いい歳して自由に縛られるのはやめな!」
満面の笑みで両者の間に割り込んで来るランドール。
彼は『悪と戦う、旨い酒を飲む、イカした女と一夜限りの愛を楽しむ』という、シンプルかつ豪快な人生を楽しむタイプの男。
ランドールなら剣術師範にもなれるだろうから、こいつも自由に縛られてるだけだろ……と疑いの眼差しを向けるムネタカだが、ランドールの方が王国全土から必要とされている事実は不動であり、ちゃんと休まず仕事をしているだけ尊敬すべき男であった。
「ムネタカ様、次元のトンネルが何故マヤーミの森に現れたのかについて考察してみました。王国の知人に訊いてみた所、聖獣族の森以外にも年に数回の目撃情報があるそうです」
シオンからの思わぬ情報提供に、ムネタカは勿論の事、隣で話を聞いていたマーカスの目の色が変わる。
「王国で次元のトンネルがよく見られる地域は、オースティの街の南部です。ここはランドール様のホームグラウンドですし、ホリフィールド家の地元ですよね? マーカス様が移転したのも……」
「ああ! その辺だよ! テキスの街との境目付近だ!」
大きく身を乗り出してくるマーカス。
これだけ3人のルーツが近ければ、出会いも単なる偶然ではなさそうだ。
「このデータからすると、オースティ南部やテキスの北部には転生者、移転者が複数存在している可能性が高いですよね。この地域は王都以外で鉱物が採れる、貴重な存在です」
「……おい、聖獣族が人間と争うきっかけってのは、マヤーミの森の鉱物を求めて人間が侵攻した事なんだろ?」
些細な事は気にしない豪傑ランドールも、流石に話題に首を突っ込まずにはいられない。
「……そして、もっと興味深いデータがありました。最初にマヤーミに侵攻した一団の殆どが、オースティ南部とテキス北部の出身であるという事なんです」
シオンの話が終わる前から、凄まじい衝撃に打ちのめされる3人。
人間の悪事を押し進めたのは、生粋の王国民に比べて恐れを知らず、己の目的の為には邪魔者を躊躇なく排除すると聖獣族から疑われていた、転生者であり移転者だったのだ。
「以上の事を踏まえると、次元のトンネルは何らかの磁気に引き寄せられる形で、鉱物産地に現れるとみていいでしょう。現在はマヤーミの森とオースティ南部、テキス北部に止まっていますが、これまで王都に現れていないのが不思議なくらいです」
3人の表情に煽られたか、シオンの顔にも焦りの色が浮かぶ。
マヤーミの聖獣にとって、ムネタカら転生移転者は憎むべき相手の同族という事になる。
「……どうやら、姫様は完全な人質だな。まずは俺やランドール、いずれはマーカスも消すつもりなんだろう」
雲ひとつない快晴の下、レナは豊かな自然の中で馬車馬をいたわり、キルメスものんびりと彼女を護衛していたが、ムネタカ達の周囲だけが不気味な沈黙に包まれていた。
「……戦うしかない。だが、奴等の目的が俺達の命だけなら、いざって時は次元のトンネルに逃げ込むのも手だな」
「おいマーカス、どうやってトンネルを探すんだよ!?」
マーカスとランドールのやり取りに対してシオンが割り込み、持論を展開する。
「……強力な磁気を発するだけの鉱物を集めれば、次元のトンネルを引き寄せる事は可能かも知れませんが……すぐに出来る事ではありませんね……」
シオンの持論は間違ってはいないものの、そんな事をパーティーだけでは遂行出来ない。
そもそも、現時点で積極的に次元のトンネルに飛び込みたいのはマーカスだけなのだから。
「俺はもう、地球に未練はないぜ! 俺を捨てた親なんて顔も忘れたし、今更会いたくもねえ! ヒューイットは俺の故郷、デンマークに近い環境なんだ。俺は今の暮らしで十分満足だよ」
ランドールは早々に自身と次元のトンネルとの繋がりを断ち切った。
「マーカス、鉱物を集めるだけなら、俺の兄貴に頼めばやってくれるかも知れない。だが、それは姫様を元の姿に戻し、イジー達を黙らせた後にしようぜ!」
ムネタカは家具商人である自身の兄、ロジャーの名前を出す事で、取りあえずマーカスを安心させる。
「戦いが長期化した時の為に、デラップ様とミシェール様ともコンタクトを取りました。おふたりのお子様が剣術学校と魔法学校の試験を間近に控えており、後数日だけ待って欲しいとの事でした」
シオンの情報収集能力の高さに、改めて舌を巻くパーティー。
「ありがとうシオン、全て君のお陰だよ」
ムネタカは彼女が最初に自分を訪ねて来てくれた事に深い感謝を捧げ、シオンの元に跪き、戸惑う彼女の手の甲にそっと口づけする。
それは彼が無意識のうちに見せた、実に20年間も忘れていた英雄としての敬意の表し方だった。
「はい、ありがとう! また明日も宜しくね!」
昨夜とは打って変わって、いつもの「にっぱち姫」スタイルで、無邪気に馬車馬に野菜をあげるレナ。
そんな彼女をすっかり見慣れたキルメスは、いつの間にかレナを自らの出世の道具としてではなく、妹の様に見守る様になっている。
「姫様、本当に昔の俺を無視した事、覚えてないの?」
にこやかにレナに近づき、背後から肩に手をかけるキルメス。
本来のレナであれば多少の抵抗もあるだろうが、にっぱち姫スタイルに於いては、自分に敵意を持たない者とはすぐに仲良くなれた。
「にゃ〜、ごめん。本当に覚えてないの」
キルメスはレナの態度から嘘を感じる事は出来ず、やがて肩から手を離し、優しい微笑みを浮かべて彼女を励ます。
「姫様、もうすぐ元に戻れるよ! でも、今はもう少しだけ、このままの方がいいかなぁ?」
常におおらかで明るい、そのキャラクターの裏側で、キルメスは自身の使命感に確固たる決意と闘志を熱く燃やしていた。




