第13話 レナの変化
「姫様、休憩終わりですよ〜!」
ハミンの店の裏庭で休憩を取っていたレナを迎えに、マリンが駆け寄ってくる。
初日は1時間のアルバイトで疲労困憊だったレナも今は仕事に慣れ、周囲との交流で自らの事情が理解された事もあり、現在は午前と午後、それぞれの繁忙時に1時間ずつの仕事をこなしていた。
「マリン、ちょっと待って……」
見た目は8割方人間だが、やはり獣の気配を感じ取るのであろう。
レナが裏庭にいると、近くに住む野性動物の子ども達が彼女の側に集まり、その珍しい動物見たさに、人間の子ども達も集まって来る。
公務や習い事に追われていた頃には関心を見せなかった動物に対し、ここ数日で急に家族の様な愛情を注ぐレナ。
今やダランの街の人気者であり、教育係ハミンとの喧嘩以外にトラブルはない彼女だが、少しずつ、しかし確実に獣としての価値観が入り込んでいる気配は誰もが感じ取っていた。
「……この子達、昨日から親の姿が見えないの。まさか人間に……」
ここの所、レナの心配事は自分や王国の事ではなく、もっぱら野性動物の事ばかり。
マリンは流石に不安を感じていたものの、レナを慕う街の子ども達は、彼女を動物想いの優しい女の子だと認識している。
「ネコねーちゃん、この子達、ぐっすり眠ってるから仕事に行って大丈夫だよ! 俺らが離れて見張ってるからさ!」
「にゃ〜、ありがとう!」
街の子ども達の協力に感謝したレナは職場に戻り、あと1時間、店の看板娘としての役目を全うする為に気合いを入れた。
「お料理、お持ちしました〜!」
食欲の誘惑に負けず、どうにか料理を客の元まで届ける事が出来る様になったレナ。
熱と衛生面から肉球にハミンの鍋つかみを被せられ、料理をひとつずつ両手に挟んで運ぶその姿は愛らしく、熱心に「にっぱち姫」プロモーションを行ったジェフリーを始めとした男性客に、彼女は絶大な人気を誇っている。
「姫様……可愛い過ぎる……。もうこのままでいて欲しい……」
ちゃんと畑仕事をしているのか怪しい、にっぱち姫親衛隊第1号のジェフリーは、毎日の様にこの店で昼食を取っている。
だが、農地のパトロールの為に彼が持ち歩いている猟銃の存在を、レナは快く思ってはいなかった。
「みぎゃあ! おじさん、こんな物持って来たらダメ!」
これまでは猟銃を見て顔をしかめる程度の反応だったレナが、突然ジェフリーに体当たりし、猟銃を遠くへ弾き飛ばす。
「……どわああぁっ……!」
何故か嬉しそうに、恍惚とした笑顔で床に叩きつけられるジェフリー。
ハミンとレナのバトルは従業員同士だからまだ許されるものの、客に体当たりは流石に看過出来ない。
「姫様! 止めなさい、お客様に何て事を!?」
慌ててレナの元に駆けつけるハミンとマリン。
レナは呆然とした表情で、自らの行動をまるで他人事の様に立ち尽くしていた。
「……ご、ごめんなさい……。でも、危ない! こんな物、あたし達の敵だわ……!」
その頃ムネタカとビリーは、高速移動の魔法を用いてエルパンの森からジョーラの森に到着する。
「おえぇ〜、気持ちわりぃ……。42歳のオッサンにこんなスピード体験させるなんてお前、イジーより悪党なんじゃねえのか……?」
蒼白い顔で吐き気に耐えるムネタカを、失望した様な眼差しで見下ろすビリー。
体力が衰えれば大自然の中では生きられない野性動物や聖獣族から見て、人間の老化はその寿命から考えれば早過ぎるのだ。
「エルパンからジョーラまでたった5分だ。人間が歩いて行けば2時間はかかる。生きているなら感謝して貰わないとな」
ビリーは世話が焼けると言わんばかりに肩をすくめ、ひとり先へと歩みを進める。
ジョーラの森は、人間のレナとアランがあっさりと侵入出来た事実を取ってみても、入り口までのセキリュティは弱い。
ここはヒューイット王国に例えれば王都にあたり、立地もほぼ向かいだが、他の森に馴染めない聖獣族を全て受け入れる、多彩な価値観で構成された聖獣界の中心地なのである。
【ビリーだ。ムネタカを連れて来た】
ムネタカの目にはただの草原に見えていた辺り一面に、突如として聖獣族の居住区がその姿を現す。
レナ達やマヤーミの聖獣による問題行動から森を守る為に施されていた魔法が、ビリーの言葉により解除されたのだ。
「……こいつは……大都市だな!」
20年前の和解調停以来、ジョーラの森を訪れていなかったムネタカは、エルパンの巨大屋敷とは違う小さな住居が整然と建ち並ぶジョーラの街並みに驚きを隠せない。
この森はまさに、聖獣族の首都である。
【ビリーさん、お久しぶりです。ムネタカさん、お会いするのは初めてですね。私がジョーラの代表、コリーです】
ビリーとムネタカを敬語で迎えたコリーは数年前に代表の座に着いた若手で、ビリーよりもひとまわり大柄な体格。
その顔には若さ故のギラつきが窺えるものの、野心家というよりは実直な熱血漢といった風貌だ。
【コリーは今、聖獣族の改革に挑んでいる。子育てに雄を積極的に関与させ、雌にも狩りや家系の教育をしているんだ。俺も妻を亡くして色々と気づかされた事があるからな】
和解から20年、ヒューイット王国が工業化から農林水産業重視型に舵を切った様に、聖獣族も独自の進化を模索している。
人間の長所を取り入れようとしているビリー。
獣の伝統を見直そうと試みるコリー。
そして、脅威から種族のプライドを守る為に異世界の存在を利用して、更なる力を求めるイジー。
人間の価値観に従えば、彼等の考えは利害によって敵味方に分類されてしまうだろう。
そう考えると今回のレナの一件は、両者の未来の為にはいずれ避けて通れない問題となったに違いない。
コリーの自宅に案内されたムネタカとビリーは、これから重要な話し合いが行われるとはとても思えない、彼の妻レミーと幼い子どもが戯れる隣の座席に腰をかけた。
コリーにとって重要な話は、歳上の妻レミーにも聞く権利があるという彼のポリシーによるもの。
初めて人間を目の当たりして、露骨に不信感を表に出しているレミーと子ども達を納得させられるか、ムネタカのモラルが試されている。
【ムネタカさんの最優先事項はレナ姫の処遇だと思いますが、残念ながら彼女に呪いをかけたのは私ではありません。そして、これは重要なので言っておきますが、子を持つ親として、妻がレナ姫の行動を許さなければ、私も呪いをかける事を躊躇しないでしょう】
コリーの先制パンチに苦虫を噛み潰すムネタカ。
【……しかしながら、現在の私達はイジー達の脅威を警戒している点で一致しています。レナ姫は今後獣化が進めば、その価値観が獣寄りになる事は避けられませんし、時には貴方達に牙を剥く事もあるでしょう。イジー達を抑える為に私達が協力する事に異論はありません。その間の貴方達の行動が、今後の私達の関係を左右する事になると思います】
ムネタカは、コリーからの実質的な共闘宣言に胸を撫で下ろしたものの、マヤーミの聖獣対策とレナの回復を両立させるには、まだまだ情報が足りない。
「ありがとうコリー。ところで、俺は前世の死をきっかけにこの地に転生して来た人間だが、生憎当事者なので異世界を繋ぐ次元のトンネルに関する知識が無いんだ。イジー達が自らの進化と強化に利用しているそいつに関して、何か情報はないだろうか?」
既に何度もマヤーミの聖獣の不審な行動を目の当たりにしているコリーなら、何か重要な情報を聞き出せるかも知れない。
ムネタカのその質問をまるで予期していた様に、コリーは瞳を真っ直ぐに向け、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。




