第6話
フェリシダは鉱山都市だった。
だった、というのは閉山されて久しいからだ。
全盛期は半世紀前、王国の調査隊により銀鉱脈が発見されて、大量の人夫がなだれこんできた。彼らの家族、商機を嗅ぎつけた商人、その雇用人があとに続き、辺境の山村は空前の繁栄をとげる。夜通し点るカンテラ。眠ることを知らない繁華街、あふれる人いきれと馬車の喧噪。行き交う人と金の量は一時期、アンティロペの町さえ凌いだらしい。山上の楽園なる二つ名がつけられたのもその頃だった。
二十年前、採掘量が減少し始めると、人々は潮が引くように町を離れ出した。栄えた時とは真逆に、最初は商店の雇用人が、次に雇い主が、そして一財産をなした人夫とその家族が去っていった。五年前、王国が閉山を決めた時、残されていたのは行き場のない下層人夫だけだった。金もなく時勢を読む力もなく、戻るべき故郷さえない。そうした人種が以降のフェリシダの主人となった。
山上の墓標。
いつしか町の二つ名はそう変わっていた。
NEEEEEEIGH。
いななき声とともに馬車が速度を落とす。朝靄の中、ディアは身体を起こした。眉根を寄せて視線を巡らせる。
「ここがフェリシダですか?」
朽ちた道標が道路に倒れかかっている。石畳は陥没して補修もされていない。靄の向こうに浮かび上がる建物はあたかも幽鬼のようだった。そびえる廃鉱山が町に黒い影を投げ落としている。
ミゲルはうなずいた。
「フェリシダだよ。僕らの目的地だ」
「はぁ、随分イメージと違いますね」
確かに、神の恩寵に浴した町には見えない。もう少し日が昇れば〈聖勇者〉目当ての巡礼客も増えてくるのだろうが、現状ではただのゴーストタウンだ。神聖さの欠片もない。
「降りるよ。ここからは歩いていこう」
御者に銀貨を渡して荷物を下ろす。「さて」と道の奥を見つめた。
「一通り回ってみようか。教会が開いていれば入ってみる、宿があったら今晩の寝床を押える感じで」
「あいあいさー」
石畳を踏みしめて進んでいく。
緩いカーブを描く上り坂だった。山の外周に沿って町を作っているのか、たまに建物が途切れると奥に土色の斜面がのぞく。彼方の山頂には採掘施設跡と思しき塔が屹立して、往時の繁栄を偲ばせていた。
二十分ほど歩くと、やや背の高い建物が増えてくる。看板や装飾のほどこされたバルコニーが町並みを彩っていた。繁華街だ。人の姿もいくつか見える。いずれも陰気な面持ちでこちらを眺めていた。
(……?)
なんだろう、視線が集まりすぎている気がする。建物の中からも様子をうかがう気配がした。不審がられているのか? こんな早朝に巡礼客が歩いているなんてと。……いや。
ひやりと冷たい感触を二の腕に覚える。脳裏に警報が鳴り響いた。
「ディア、袖章を隠して」
「え?」
「いいから、早く」
警告は間に合わなかった。
ずいと行く手をふさがれる。巨体が陽光を遮った。
「おいおい、本当に王都の役人さんかよ」
身の丈、2バーラと2パルモはありそうな大男だった。厚い胸板がシャツとベストを押し上げている。腕の太さはこちらの胴回りほど、首の幅も顔のそれを超えていた。刺すような視線をディアの袖章に向けてきている。
「今更どの面さげておいでなすったんだ? ああ? 俺達の町がどれだけみすぼらしくなったか見学に来たのかよ」
「なんの話かな」
努めて冷静に相手の目を見返す。敵意のなさを挙手で示しながら、
「僕らはただの巡礼客だけど」
「はっ」
鼻で笑われた。
「銀鉱脈の次は〈聖勇者〉様目当てってか。さすが抜け目がねぇな。で? 利用するだけ利用して使えなくなったらまたポイか? 冗談じゃねぇ、これ以上おまえらに吸わせる甘い汁はねぇよ。とっとと帰りな。この町でおまえらを歓迎する奴はいねぇ」
どうやら元鉱夫らしい。周囲の人間も同じだろうか? 五年前の閉山で王国から見捨てられた者達。
敵意の正体が分かり息をつく。
「そういう苦情は担当の部局に上げてくれないかな。僕らは開発公社の人間じゃないし、護民官の仕事も請け負っていない。窓口違いだ」
「あ、あぁ?」
「だいいち〈聖勇者〉が誰に奇跡を施すかは君らが決める話じゃないだろう。いいのかい、フェリシダの〈勇者〉は職業で巡礼者を差別する、なんて噂が流れても。折角の町おこしのチャンスが不意になるよ。ブランド価値の毀損ってやつだ」
「う、うるせぇ! 屁理屈こねてるんじゃねぇ!」
男は額に青筋を立てて怒鳴り返してきた。拳を握りしめて、凄んでくる。
「と、とにかくこの町は王都の役人は立ち入り禁止だ。さっさと帰りやがれ。目障りだ!」
「嫌だと言ったら?」
「おうよ、力ずくでも追い出してやる」
指の骨を鳴らしながら近づいてくる。想像以上に喧嘩っ早い。さて、どうするか。考えている間にディアが一歩、進み出た。そのまますたすたと男に向かっていこうとする。慌てて襟をつかみ引き戻した。
「おい。おい、何をしているんだい」
「もちろんミゲル様をお守りするんです。ディアの身を捧げて、立派な肉の盾になってみせます」
「そんなことは頼んでいない。後ろで大人しくしていてくれ」
「ははは、またまたご冗談をー」
「君こそ冗談は顔だけにしてくれ」
押し問答を続けているうちに男が迫っていた。悶着を気にした様子もなく拳を振り上げる。あ、やばい。殴られる。顔を引きつらせて身構えた時だった。
「ガスパル」
柔らかな声が周囲の動きを止めた。
男が引きつり顔で振り向く。道の向こうにローブ姿の人影が現れていた。切れ長の目をした――優男だ。女のように細い指を白い手袋に包んでいる。
「さ、サーラス司祭」
震え声に優男は笑みを返した。
「困りますね。この町は迷える魂、全てに開かれていると伝えているでしょう。救いを求める者に拳を振るってどうしますか」
「だ、だけどこいつらは王都の役人ですぜ」
「役人?」
サーラスの目が見開かれた。灰色の瞳がミゲルの袖章を見つめる。
ぽつりと、
「王国勇者認定官」
おや。
知っているのか。意匠的には他の公務員章とほとんど違わないはずだが。
ミゲルは肩をすくめた。
「アンティロペの町で〈聖勇者〉の噂を聞いてね。少し足を延ばしてみたんだ。仕事で来たわけじゃないよ。他の巡礼客と同じ目的だ」
「それはそれは」
ローブの裾が揺れる。サーラスは慇懃に一礼した。
「名にし負う王都の認定官殿に興味を持っていただけたとは光栄です。〈聖勇者〉様もお喜びになるでしょう。ただ、救いを求める者が列をなしているため、特別扱いはできかねますが。奇跡をご所望ならそれなりの時間をいただくことになります」
「構わないよ。覚悟の上だ」
サーラスは面を上げると邪鬼のない微笑を浮かべた。
「本日の祭祀は午前十一時からです。受付は三十分前に始まりますので、早めのお越しをおすすめします。教会の場所は? お分かりになりますか」
「いや、散歩がてら探して回るつもりだったけど」
「ここをまっすぐ行って、鉱山に通じる道の先です。山頂の採掘塔を目指せば迷わないでしょう」
「なるほど」
言われるまま見渡して、ふっと視線に気づく。ガスパルが憎々しげに睨みつけてきていた。眼光が鋭い。いつ闇討ちしてきてもおかしくない雰囲気だ。
「ガスパル」
サーラスがたしなめた。
「お役目に戻りなさい。あなたにはあなたの仕事があるでしょう」
「……」
「ガスパル」
ちっと舌打ちしてガスパルが引き揚げていく。それに伴って周囲の敵意もわずかだが和らいだ。町の人間が三々五々、散っていく。
サーラスが恐縮気味にこうべを垂れた。
「申し訳ありません。不快な思いをさせましたね。悪い人間ではないのですが」
「いや、彼らにすれば勇者認定官も開発公社の人間も同じ役人だしね。山上の楽園を知る者からしたらいい感情はないと思うよ。当然の反応だ」
「そう言っていただけると」
「それより一つ訊きたいんだけど、いいかな」
「なんでしょう」
「あなたは教会の人なのかな? その――〈聖勇者〉を見つけたという」
「ああ」
サーラスは今気づいたように姿勢を正した。手を胸にあてて目礼する。
「申し遅れました。私、この地の布教を任されているサーラスと申します。はい、ご推察の通り〈聖勇者〉様を発見したのは私です。正確には私と侍者数名とでですが」
「なるほど」
ミゲルはうなずきながら、わずかに目を細めた。
「ちなみにどうしてその時〈勇者〉発見を届け出なかったのかな? あなたは〈勇者〉認定制度の存在をきちんと理解しているように見えるけど」
「〈勇者〉ではありません。〈聖勇者〉様です」
にこやかだが断固として否定された。
「神の託宣を受け、奇跡の業で民を癒やす。このような存在はあなた方の定義する〈勇者〉とは異なるはずです。である以上、制度に則った申告も不要と思いますが、違いますか?」
「でも、彼女は伝説の〈勇者〉の生まれ変わりと名乗ったんだろう?」
「はい」
サーラスの目は冴え冴えとしていた。無遠慮な質問に眉一つ動かさない。
「ですが〈魔王〉なき今、彼女に求められているのは戦いより癒やしです。であれば、ことは我々教会の領分となりませんか。あなた方、認定官の管轄ではなく」
「まぁ、そういう考え方もあるかもね」
続く質問を呑みこむ。
このくらいで止めておくか。元鉱夫だけではなく、教会の人間にまで疎まれては動きづらくなる。あとは『実物』を見て考えるとしよう。
「分かった。じゃあそろそろ行くよ。引き留めて悪かった」
荷物を肩にかけ直すとサーラスは笑みを大きくした。
「いえいえ、ここでの時間があなた方の救いになるのを祈っておりますよ。あと、折角のお休みなのですから、あまりお仕事のことを思い出されない方がよいかと。信じる者は救われる、ですよ。認定官殿」




