第4話
――噂の吸血鬼、ついに市中に現る!? 恐怖! 廃屋の美女ミイラ!?
○の月×の日。周囲の村々を恐怖に陥れていた〈吸血鬼〉が、とうとうアンティロペの町を襲った。現場は北大門近くの安宿A。酒の行商を営むナチヨ氏(仮名)は思ったように商品が捌けず、宿賃節約のためにAを訪れていた。
事件が起こったのは夜二時過ぎ。一人部屋のはずの隣室から言い争うような声が聞こえてきたのだ。最初は娼婦でも連れこんでいるのかと思ったが、声はどんどん大きくなりついには怒鳴り声にまでなった。たまりかねて宿の者を呼び、隣室に踏みこむと、果たしてそこには全身の血を抜かれた女が倒れていた。そう、近隣の村々で起こっていたのと同じ惨劇が、ここでも繰り広げられていたのだ。果たして彼女の言い合っていた相手は誰だったのか? その者はどこに消えたのか? ○の月△の日発売の本誌で吸血鬼の正体に迫る。(日刊アンティロペ号外 記者アドリアン)
「吸血鬼、ねぇ」
担当官からもらったゴシップ記事を斜め読みしながら、ミゲルは片目をすがめた。
目抜き通りのオープンカフェだ。まばゆい陽光が日よけの布を焼いている。行き交う人々のざわめきが、不規則に大気を揺らしていた。もう少しすれば更に気温も上がってくるだろう。怪談話にはおよそ似つかわしくない雰囲気だ。
うさんくさい、というのが第一印象だった。グールやスピリットならともかく、吸血鬼のような上級アンデッドはもはや伝説上の存在だ。こんな王国支配圏のまっただ中に現れるとは思えない。だいいち記事の見出しと本文が噛み合っていなかった。舞台は廃屋ではないし、女がミイラになった様子もない。話題性重視で話を盛った感がぬぐえなかった。
別の記事を見る。
騒ぎが起き始めたのは二ヶ月ほど前のことだ。アンティロペから北に三十分、街道沿いの村、カラバサで農家の三男が死亡しているのが発見された。目立った外傷はなし。が、調査の結果、首筋や四肢の付け根に小さな刺し傷が認められた。傷は血管沿いに存在しており、通常なら出血が認められるはず。だが死体の周囲に血痕はなかった。
続けて西に五千ピエ行ったセノーラ村で木こりの男性が死亡。死因は同上。
更に数日後、街道から少し外れた草むらに旅人が倒れているのを発見。死因は――以下略。
ただちに自警団が組織されて森や川沿いを見て回った。屈強な農夫達が昼夜を問わず不審者を探す。だが必死の努力を嘲笑うように被害は増えていった。最初は獣の仕業と高をくくっていた人々も、やがて吸血鬼の出現を噂するようになった。そして一月半前、ついにアンティロペの町で事件が起きた。もちろん町の門番や宿の者は、人を食い殺すような獣の姿を目撃していない。
(なるほど)
確かに薄気味悪い話だ。こんな状態では郊外の宿は奨められまい。人目の多い中心街に泊まれというのもむべなるかなだ。
だが、
「ミゲル様ぁ」
情けない声を上げておさげの少女が戻ってきた。ディアだ。顎を出して、今にも泣きそうになっている。彼女はテーブルのそばにへなへなと座りこんだ。
「やっぱりダメでしたぁ。大部屋も空いてないそうですぅ」
不安が失望に変わる。
中心街の宿が埋まっていたので、相部屋をもちかけてもらったのだ。個室だけではなく大部屋も可と条件を緩めてみたのだが、
――全滅、と来たか。
「ちゃんと宿代は個室分払うって言ったかい」
「言いましたぁ。でも他の人はもっと奮発してるって」
「えええ?」
「団体客向けに馬小屋まで開放しているらしくって」
「……」
みんなそんなに吸血鬼が怖いのか。物騒なのは確かだが、さすがに過剰反応な気がする。
(仕方ない)
溜息とともに覚悟を決める。
「分かった。じゃあ今日は郊外の宿で」
「いや、ダメですよ」
「え?」
「言ってるじゃないですかぁ。大部屋だけじゃなく馬小屋まで埋まってるって。ディア達を泊めてくれる宿はどこにもないんですよ」
……ん。
「ちょっと待ったディア、ひょっとして、君」
湧き上がる不安を口に出す。
「中心街だけじゃなくアンティロペ中の宿を回ってきたのかい?」
「はい!」
……嘘だろ。
さすがに目を点にしているとウェイターが水を運んできた。しゃがみこむディアの前に置く。
「ははは、お客さん、今は無理ですよ。あらかじめ人を走らせて数日先の宿を押えておくくらいしないと」
「どういうことだい」
「この先のですね、フェリシダって町に巡礼客が増えてるんですよ。ちっぽけな教会があるらしいんですが、色々と霊験あらたかだって」
「ほぉ」
初耳だ。
「最近ですよ。一月かそこらじゃないですかね。やれ怪我が治るだの、不治の病から回復しただの噂が噂を呼んで。うちの店でもよく巡礼客同士が情報交換してますよ。フェリシダに到着してからどうすればいいか、どんな病気に奇跡がきくかって」
「ふぅん」
吸血鬼騒ぎとは別件ということか。面倒な時に面倒なことが重なったものだ。舌打ちしながら銅貨を卓上に置く。
「彼女に僕と同じシドラを、それとどこか夜露をしのげそうな場所はないかな」
銅貨は飲み物代より少し多目だった。ウェイターは軽く会釈しつつ首をひねった。
「夜通しやっている酒場ならいくつかありますが、あまりゆっくり眠れる場所じゃないですね」
「だろうね」
「あとはヤクザ者のやっている闇宿ですな。今の状態だと大分足下を見られそうですが」
「ううん」
どちらもロクなものではない。押し黙っているとウェイターはミゲルとディアの袖章に目を留めた。城門と物見櫓の印を見つめる。
「お客さん、お役人様ですか。王都の」
「ん? ああ、そうだよ」
「だったら庁舎に泊まればいいのでは? 迎賓施設の一つや二つあるでしょう」
「そういうのは禁じられてるんだよ。公的設備の私的利用が一時期問題になってね。どうしても必要な場合は上長の決裁を得ることになっている」
「はぁ、随分とせちがらいですな……」
「公僕だからね。身を慎みすぎるくらいで丁度よいのさ」
『なりたくない職業』ランキング、万年トップ、公務員。
かつて民衆に詰め寄られたトラウマが為政者を縛っている。過剰なまでの自浄努力が現場の役人達を切り詰めさせていた。
ウェイターは哀れみとも取れる視線を向けてきた。
「であればあとは街道沿いですね。農家が巡礼客をあてこんで宿を開いた、なんて話もありますし」
「ううん」
「まぁ最悪、町の外なら野宿も禁じられていませんから」
どんどんひどいことになっていく。
「ミゲル様、ミゲル様」
ディアが片手を挙げた。団栗眼をくりくりさせて声を張り上げる。
「ここはいっそ、フェリシダに行ってしまうのはどうでしょう」
「へ?」
「どのみちアンティロペにいても、いつヘロニモさんが見つかるか分からないんですよね? だったらフェリシダに行って別のお仕事をする方がいいと思うんです。で、終わったらまたこの町に戻ってヘロニモさんの安否を訊くとか」
「なんでフェリシダに行くのが仕事になるんだい」
「だって、その奇跡を起こしているのは〈勇者〉様って話ですよ」
!?
ディアは得意気に胸を張った。
「宿の人達が言ってたんです。あそこの教会にはありがたーい〈勇者〉様がいる、手で触れるだけでどんな病気でも治しちゃうんだーって。ミゲル様は新しい〈勇者〉を見つけるのもお仕事なんですよね? だったら、行って見てみるべきじゃないですか」
ウェイターを見る。返ってきたのは「ああ」という気の抜けた相づちだった。運ばれてきたシドラをテーブルに置く。
「確かに、そんな噂もありますね。一ヶ月前、神の啓示を受けた〈勇者〉が使命に目覚めて奇跡を起こし始めた、とか」
「神の啓示ぃ?」
「はい、神様がその人物に『汝、民を救い導け』とか仰ったらしいです。なのでただの〈勇者〉ではなく〈聖勇者〉様なんだとか」
「……」
眉唾にもほどがある。まともな認定官が取り合う案件には聞こえない。ただ一点、気になることがあるとすれば、
「その〈聖勇者〉ってのは男性なのかな? 年とか背格好とかは」
「女性らしいですよ。まだ若い娘さんだとか」
ふむ?
であればヘロニモ卿ではないか。失踪の時期と近いからもしやと思ったが。
「で、どうするんですかー?」
ディアが畳みかけてくる。期待に目を輝かせながら、
「ミゲル様、フェリシダ、行っちゃいます? 行っちゃいますか?」
「行かないよ。〈勇者〉認定の申請も出てないし、いちいち自称〈勇者〉の真偽を確かめていたら人手がいくらあっても足りなくなるよ。それよりディア、もう一度、宿を回ってきてくれないかな。相場の倍払うからって持ちかけて」
「えー……もう無理ですよー」
「そんなこと言ったって、泊まるところを見つけないと野宿になるんだよ。風呂だって入りたいだろう?」
「そう、まさにそこなんです。フェリシダには温泉があるらしいんですよ!」
「……」
公務員の自覚がなさすぎる。知識ばかりでなく、職業倫理さえ欠けているのか、この娘は。
ドヤ顔のディアを睨みつけていると「あー」と声が上がった。
ウェイターが天井を仰いでいる。
「もう一つ思い出しました。〈聖勇者〉の噂です」
いや、もうその話は。
止そうと言いかけた瞬間だった。続くウェイターの言葉にミゲルは固まった。
「彼女は〈魔王〉を倒した〈勇者〉の生まれ変わりらしいんです」