第2話
ヒラソル地方の春は暑い。
茫々たる平原を熱風が吹き抜けて、なけなしの水分を奪っていく。標高が高いためか木々の背は低く、ただでさえのっぺりとした景色をより無味乾燥なものに見せていた。もうあと一月もすれば名物の向日葵も咲き出すのだろうが、今はまだエニシダの類いが生い茂っているだけだ。街道を進めど進めど、何一つ代わり映えのしない光景が続く。あたかもおまえらの旅路など全て無為だと嘲笑われているかのようだった。
「〈勇者〉様、いませんでしたねー」
ディアが空を仰いでいる。降り注ぐ陽光が丸顔を白く照らしていた。大量の荷物を担いだ姿はカタツムリのようだが、頬には汗一つ浮かんでいない。小柄な外見には似合わぬ壮健、怪力ぶり。歩くたびにおさげの髪がぴょこぴょことリズミカルに揺れている。
「認定官のお仕事って〈勇者〉を増やすことじゃないんですかー? なんかこのところ、行く先々で認定を取り消してる気がするんですけど」
「仕方ないだろう。死体や赤の他人に税金を注ぎこむわけにもいかないんだから」
ミゲルは顎を出しながらぼやいた。ディアとは対照的に、こちらはもう随分前から疲れが溜まっている。水筒の口をひねり、中身を喉に流しこんだ。
「勇者認定官の予算は減らされる一方だからね。本物の〈勇者〉に回す金を少しでも多く確保しておかないと、制度自体が崩壊しかねない。知ってるかい? 最近の新米〈勇者〉は〈勇者〉業だけじゃ食えずに、剣術指南や土産物作りの副業を始めてるらしいよ」
「土産物?」
「〈聖剣〉のレプリカとか、聖水ジュースとか」
「世知辛い世の中ですねー」
太平の世は惨劇の記憶を一つ、また一つと薄れさせている。今はまだ官僚達の保身でもっている認定制度も、いつ廃止されるか分かったものではない。だからこそ今のうちに一人でも多く〈勇者〉を見つける必要があるのだ。救世主の自覚を持たせて、心技体を磨かせて、やがて来たるカタストロフに備えてもらう。
(でも現実がどうかと言えば)
村おこしの材料に〈勇者〉資格を求めてきた村長がいた。袖の下をちらつかせて、息子の認定を迫る大富豪がいた。虚偽申告や不正受給は日常茶飯事、資格取得にまつわる詐欺・ビジネスは引きも切らない。挙げ句に今日の一件だ。どれだけ高尚な理念を抱いていても腐りたくなる。
(こんな状況で〈魔王〉が蘇ったらどうなるんだか)
重たい息をついているとディアが首を傾けてきた。
「でも今日のミゲル様、すごかったですねー。相手の嘘をばっさばっさと見抜いて、追い詰める書類もバンバン出して」
「あぁ」
額に垂れ下がった髪をつまんで払いのける。
「あれはほとんどでっち上げだよ」
「え?」
「地方の職人が四年も前の取引記録を取っておくわけないだろう? マルコス氏の死亡時期の当たりをつけて、それらしい資料を作っただけだよ。小麦や薪なら、どの家でも買いつけてるからね。疑われる心配は少ない」
「ほぉお」
「ほぉおってディア、この手段は王都の研修で習っただろう? ついこないだ」
「忘れました。多分寝てましたし」
「君ねぇ」
ディアはにっこりと笑った。
「ディアの仕事はミゲル様についていって、ご奉仕することですから。認定官の仕事はお任せします。人間得意なことをやるのが一番ですし」
「いや君も認定官なんだけどね、肩書き的には」
まぁ今更の話か。彼女に適正がないことなどとうの昔に分かっている。それでもこうして一緒に旅をしているのは、彼女が――
「ところで次のお仕事はどんな内容なんですかー?」
唐突な問いに「ん?」とまばたきする。
「ああ、話してなかったっけ」
闇討ち回避のため、逃げるように出立してしまったから、きちんと説明できていなかったか。荷物を背負い直して進路の先を見つめる。
「アンティロペの町の〈勇者〉ヘロニモ卿の更新監査だよ。本当は州の認定官が担当するはずだったけど、人手が足りないとかで中央に仕事が回ってきた。まぁこっちも仕事を大分、地方に押しつけているからお互い様なんだけど」
「更新監査」
ディアの眉間に皺が寄った。
「それってここ何回かの仕事と同じじゃないですか。また無駄足になりませんか」
「いや、ヘロニモ卿は大丈夫だよ」
「え?」
「アンティロペの守護神、たおやかなる豪腕ヘロニモ。このあたりじゃ知らない者のいない名士だよ。若い頃は竜討伐にも加わって、最近は後進の育成に力を入れているらしい。正直、更新監査なんて名ばかりだよ。彼を落とす認定官がいたら、そいつの方がボンクラって話だ。ヘロニモ卿には不正をする理由もないし、別人がヘロニモ卿を騙ることもできない。有名すぎるからね。入れ替わりでもしたらその時点で大騒ぎになる」
「はぁ、すごい人なんですね」
「第一種〈勇者〉だからね。マルコス氏あたりと一緒にしたら気の毒だ」
「……」
「ディア?」
まさかそのレベルの知識から抜け落ちているのか。背中に冷や汗を感じつつのぞきこむ。
「勇者認定官マニュアル、第三章第四節『認定等級について』。覚えてる内容を言ってみて」
「え? あ、んー」
ゆらゆら首を振っているのは何も分かっていない時の癖だ。五秒、十秒、十五秒。彼女はひどくよい笑顔で肩をすくめた。
「忘れました!」
あああ、もう。
額を押えて天を仰ぐ。鞄の中からマニュアルを取り出して、ディアに投げた。
「等級ってのはね。〈勇者〉の適性・技量・経験値を段階分けしたものだよ。三種が限定分野で上位〈勇者〉の補助ができること。二種が複数人で〈勇者〉業務ができること。一種は単身で〈勇者〉業務ができる者だ。もちろん等級が上がれば国からの補助や支援も手厚くなる。一種〈勇者〉ともなれば手当だけで一財産稼げるくらいだ」
「はぁ。じゃあ、みんななりたがりますねー」
「代わりに求められる実力も相当だから、誰もがたどりつける領域じゃないよ。せいぜい全〈勇者〉の数パーセントもいればいいところかな」
「ふむふむ」とディアがうなずいた。少し考える目になって、
「ってことは、ヘロニモさんって本当すごい人なんですね。地元のヒーローというかスーパースターって感じで」
「だから、さっきから言ってるだろう」
「ちなみに、マルコスさんの等級は?」
「三種予備」
言っちゃ悪いが比較対象にもならない。経験年数と人柄で、辛うじて地位を保っていた感じだ。その堅実さも実の息子がぶち壊しにしてくれたわけだが。
「というわけで、ヘロニモ卿のデータくらい確認して面談に臨むんだよ。間違っても経歴や等級を取り違えたりしないように」
「……第四種でしたっけ?」
「怒るよ?」
ディアが慌てた様子でマニュアルをめくり出す。
ミゲルは遠い目になった。
目的地まで2・2レグァ。休みなしで歩き続けて三時間といったところだ。果たしてそれまでに彼女の知識を十人並みにできるか、認定官らしい言動を身につけさせられるか。
ヘロニモ卿は地位に見合ったプライドの持ち主と聞く。機嫌を損ねると王都の本局にクレームが入りかねない。州の認定官が審査を回してきたのも、そのあたりの難しさが一因だろう。
(ロクでもない仕事ばかりだ)
とりあえずディアが失言した時の対応を考えておくか。最悪の展開を予期しながら、ミゲルは密かに覚悟を決めた。