プロローグ ✝ 悪魔の王、降臨 ✝
生き別れの兄が悪魔の王になって帰ってきました。
言っている私自身も正直事態が飲み込めていませんので順を追って経緯を説明いたします。
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人は皆、神の御威光を授かり生きている。
ここは主神クルスを信仰する国、クルシア。
神の御側で仕える神使の地位を与えられた名門、ディサイプル家の次男として生まれた私には、二つ年上の兄が居た。兄弟仲は悪くない。むしろ、よく遊んでくれる兄を私は心より慕っていた。
兄と私は、近い未来神使の務めを果たすために、幼少時より厳しい父から様々な教育を施されていた。
勉学は勿論の事、様々な稽古事を掛け持ちし、ありとあらゆる才能を身につけようと、父の期待に応えようと、苦しい中でも必死に教えに従ってきた。
私は父に従順に従った。しかし、兄は少し違った。
兄は良くも悪くも芯の強い人間だった。
物分かりはいいのだが、己の正しいと思った事のみに従い、誤りだと感じた事に対して己を曲げる事はなかった。
その疑問を抱く性質が、「只信じること」、信仰心の育みを妨げていたのかも知れない。
兄は神使として最も重要な"神通力"においては全く結果を残せなかった。
父は思うような結果を残せない、思うように従わない兄を疎ましく思っていた。
クルシアでは家を継ぐのは長男というのが慣習である。
長男に継がせない家には、そうせざるを得ない何かしらの問題があるのではないか、そんな目を向けられる事もある。
父は兄に家を継がせる事に不満と不安があった、というのは後に父の日記から知った事だ。
故に父は、事故を装って兄を家から消す事を決めた。
教育の一環として、兄のみを連れて、私を残し、ある日父は家を出た。
その時見送った兄の後ろ姿が―――今日に至る前までは―――私が最後に見た兄の姿だった。
ここからは十年も前に亡くなった父の日記から知った事である。
あの日、父は教育の一環として、兄を"セーマ山"と呼ばれる山に連れて行ったという。
そこには"山の霊王"と呼ばれる山の主(噂では鷹の翼を持つ獅子だとも言われる)が住み、強力な獣の巣窟で、危険ながらも修行者達によく利用される修行スポットとされていた。
父は兄にこう命じたという。
「"山の霊王"を倒すまでは帰ってくるな。霊王を倒した証を持たずに戻れば、再び叩き出してやる。」
過去あらゆる修行者でもその姿を見れば生きては帰れなかったという"山の霊王"を倒すという無理難題。
それを修行の一環と言い切り、父は兄に山籠もりを命じたのだった。
どういったやり取りがあったのかまでは日記には記されていなかったが、兄はその命令を聞き、山を登っていったという。
父は、自身が命じたという事実を隠し、「事故で長男を失った」という事にし、兄の存在を家から消そうとしたのだった。
すぐに死亡の届け出を出すと疑われる。父は頃合いを見て兄を死んだものとしようとしたらしい。
しかし、そのタイミングを待っていた時、一月ほどたった頃に、思わぬ事態がセーマ山に起こった。
その日に起こった事件は、幼かった私の目にも今でも焼き付いて離れない。
セーマ山の頂上に、突如として落ちてきた巨大な扉。
扉だけが空を割り、山の頂上に落ちてきたのだ。
一枚の扉は開くと、中から禍々しい瘴気を垂れ流し、それと同時に僅かに開いた扉からは無数の影が飛び出してきた。
―――神に仇なす者として、聖典にも記された"悪しき者"……通称"悪魔"。
悪魔達は次々とクルシアに降り立ち、人々を襲い、無限の恐怖を振りまいた。
後に歴史に刻まれる"悪夢の日"である。
クルシアの精鋭が動き、何とか悪魔達の最初の襲撃を乗り切った人類であったが、巨大な扉"魔界門"は開いたままセーマ山の頂上に残った。そして、そこから時折悪魔が顔を覗かせるようになったのである。
魔界門は開ききっていなかった。飛び出してきたのが、門の僅かな隙間でも通れる弱小な第一波であった事を知った時、教皇はすぐさまその門を封じる事を選んだ。
優秀な神使十数名の命と引換に起こす奇跡により生み出された、セーマ山を丸ごと封じる大結界。
それにより魔界門はセーマ山ごと封じられ、悪魔達の進軍もその日以来ぱったりと止まった。
仮初めの平穏の中、父は十年経った頃に突如病床に伏しそのままこの世を去り、15歳で私はディサイプル家の当主を継いだ。
そして、父の懺悔の日記を見つけ、あの日消えた兄が辿った末路を知る事となった。
兄はセーマ山に消えた。"山の霊王"や凶暴な獣達だけでなく、悪魔までも蔓延るあの山の中で、幼い子供が生きられる筈もない。
以降、結界が弱まる頃に、新たな神使を生贄に捧げ、結界は二十年もの間保たれてきた。
私も今では25歳となった。
私は家を継いだあの日から、更に己を磨き上げ―――時に"武"の才には力を入れて、とことん鍛え上げ……今では教皇直属、"神使騎士団"の内の一団を預かる立場にまでなっている。
力を付けた目的はふたつ。
生きていないかもしれない兄の、せめて遺品だけでも取り戻す為、セーマ山を生きて出入りできるようになること。
そして、いずれ悪魔を完全に根絶し、クルシアに平穏を取り戻すこと。
―――そんな目標を持ちながらも、神使騎士団の一員としての責務に追われて、日々を過ごしていたある日の事だった。
私の元に、あの報告が入ってきたのである。
「魔界門が再び動いた事を確認。僅かに開いた魔界門から複数体の悪魔が姿を現しました。悪魔達は何故かセーマ山の結界を突破。そして、そのまま付近の町、イルマに攻め入り、イルマを壊滅させました。」
沈黙を保っていた悪魔達が再び動き出した。しかも、魔界門を動かし、神の奇跡から生まれた結界さえも破って。
その報告を聞いた時、私は当然驚いたのだが、続く言葉の驚愕はその比ではなかった。
「複数体の悪魔の代表は、"悪魔の王"……"アイン"と名乗ったと、生存者からの報告がありました。」
ここで冒頭に戻ります。
生き別れの兄……アインが悪魔の王になって帰ってきました。
一旦整理しましたが、やっぱり私は事態が飲み込めておりません。