21
2月の頭から士官学校の新学期が始まる。
学校が始まる一週間前に、これから三年生になろうとしているラザールは帝都ローゲへ上京した。シルヴィも兄にくっついてローゲに行った。
ローゲに到着して数日後、シルヴィはニコラスと一緒にパーティーに出かけた。もう二人にとっては毎月の恒例行事のようになってしまっていた。
だが、シルヴィにしてみればニコラスへの気持ちに気づいて以来初めて彼と顔を合わせる機会だったので、彼女は終始落ち着かなかった。
いつものとおり、彼とはあらかじめ決めておいた会場のどこか分かりやすい場所で落ち合った。彼のほうが早く来ていることが多かったが、今日はシルヴィのほうが先に集合場所に到着した。
そわそわしながら待っていると、しばらくしてニコラスが現れた。
「やあ、シルヴィ」
彼はまるで友人にでも会うような気安い態度でシルヴィに片手を挙げた。
その飾らない彼の態度を、彼は自分に対して打ち解けていると喜ぶべきなのか。はたまた、明らかに女とは見なされていないことを嘆くべきなのか。少々考えた後で彼女の気持ちは後者へと傾き、シルヴィは切なさをため息に混ぜてそっと吐き出した。
「こんばんは、ニコラス王子」
シルヴィはひざを折ってニコラスに挨拶した。すると彼はシルヴィの手を取った。
そして同時に、彼の微笑みが王子としてふさわしい、気品に溢れながらもどこか他人行儀なものに変化した。彼はつい先ほどシルヴィに見せた気安げな笑みを完全に封印し、どこからどう見ても疑いようのないスコル王国の第二王子になった。
二人はパーティーホールに足を踏み入れ、まずは一曲踊った。
それが終わると二人は別々に行動し、ニコラスは他の女性と、シルヴィは他の男性と、それぞれ会話やダンスを楽しむのが常だった。今日も決まりきった順番どおり、二人は別れた。
何度か社交の場に出たから、シルヴィをダンスや会話に誘う男性の中には、以前にも会ったことがある人物が何人かいた。しかしシルヴィは彼らのことを何も知らないも同然だったから、彼女は適度な緊張感を保ったまま、彼らと順に踊り、飲み物を片手に会話した。
それでも視界の端にニコラスが別の女性と歓談したり踊ったりしている姿を認めると、シルヴィの目は無意識のうちに彼を追い、意識は目の前の男性ではなくそちらに向いた。
ああ……。やっぱり私は彼のことが好きなんだ……。
自分としては彼への気持ちをなかったことにしたいのに、自分の想いを再確認することになってしまい、シルヴィはどうしようもなく憂鬱な気持ちになった。
シルヴィの心を占領してしまったこの想いを切り取って捨てることができたら、どんなに楽だろう。
だが、この気持ちを忘れようとすればするほど、逆にシルヴィの中で彼への想いが無限に膨らんでいく。この気持ちをなかったものとして目をそらせばそらすほど、彼への想いが存在感を増してシルヴィの心に幾重にも絡みつく。
ふと、複数の女性に囲まれて優雅に話しているニコラスと目が合った。シルヴィは何だか気まずくて、慌てて目線をずらした。
自分の気持ちが彼に気づかれてしまったらどうしよう。そう考えると心臓の動きが早くなり、シルヴィは彼のことを考えないようにするためにかぶりを振った。
「シルヴィ大公女、どうかなさいましたか?」
目の前の男性が優しく尋ねてきたので、シルヴィは慌てて口角を持ち上げた。
「いえ、何でもありません」
「そうですか」
男性は再び話し続けた。彼が何について熱心に話しているのか、ニコラスに気を取られてしまったシルヴィには途中から全く分からなかった。
それでも適当に相槌を打っていると、彼女は聞き慣れた声で呼ばれた。
「シルヴィ大公女」
シルヴィはすぐにその声の主がニコラスであることに気づいた。
ニコラスはさっきシルヴィが見かけた複数の女性を引き連れていて、シルヴィと会話相手の男性にさっと女性たちを一人ずつ紹介した。次に男性が複数の女性たちに自己紹介をし、ニコラスを含む全員がシルヴィの女性たちに対する自己紹介を待った。
ところが、シルヴィの頭はうまく働かなくて、まごついてしまった。
ニコラスは恐らくシルヴィが恥をかかないように配慮してくれたのだろう、シルヴィの代わりに、女性たちに彼女がナルフィ大公家の令嬢だと告げた。
「シルヴィ大公女、大丈夫ですか? 何だかお顔の色が優れないようですが……」
控えめにニコラスがシルヴィに尋ねた。
シルヴィはこくんと小さくうなずいた。
「ええ、何だか寒気がして……」
それは本当ではなかったが、シルヴィは今日の自分が何事にも全く集中できないことを自覚していた。
ニコラスはシルヴィが望んでいたとおりの助け舟を出してくれた。
「それはいけませんね。もうお帰りになるのでしたら、お送りしましょう」
「ありがとうございます」
ニコラスは複数の女性たちをシルヴィの会話相手の男性に任せ、
「いったん失礼します」
と声をかけてから、シルヴィを連れて廊下へと歩き出した。
「ニコラス王子ぃ、また戻っていらしてね」
「お待ちしていますわ」
「戻っていらしたら、わたしと踊って下さらなければ嫌よ」
ニコラスに向けられた女性たちの高くて黄色い声がシルヴィの癇に障った。
一度足を止め、軽く手を挙げて女性たちに応えたニコラスに対しても何だかいらいらした。
けれど同時に、素直にニコラスへの好意を表現できる女性たちが心の底から羨ましかった。彼女たちが持っている女性としての美しさも、愛嬌も、シルヴィがこれっぽっちも持ち合わせていないものばかりだ。
シルヴィは今ここで崩れ落ちたくなるような敗北感に襲われた。
「大丈夫か?」
廊下へ出た途端、ニコラスはいつもの調子で心配そうにシルヴィの顔を覗き込んだ。
「うん、大丈夫。でも、少し疲れてしまったみたい……」
シルヴィは何とかそう答えた。
「そうか。その調子じゃ、明日はなし?」
『明日』とは、二人の間ですでに慣例行事のようになっていた士官学校の裏山での対戦を意味していた。
「それは嫌! 月に一度のあなたとの対戦のために、私は剣の練習をしているんだもの!」
とシルヴィは即答した。
「その元気と気迫があれば、まぁ大丈夫だろう」
ニコラスは心底おかしそうに笑った。
彼はいつもどおりにシルヴィを馬車のところまで送ってくれ、これまたいつものように
「じゃあ、また明日な」
と手を振った。
「ええ、また明日」
シルヴィもいつものように手を振り返し、家路についた。




