1話-1
蒼馬によって殴られた頬はとても痛く、頭はくらくらし、視界には星が瞬いていた。その後にお互いに不満げな表情で互いに謝った。こんな時はこうでもしないといけないということは互いに知っていた。
そして蒼馬に車椅子を押してもらい、さっきまで男が生きていた場所へ向かった。
平原を進んで行くと少女の後ろ姿が見えてきた。どうやら彼女はこちらを見ているらしく、俺もまた彼女を見ていた。遠くから見たときに少女は赤い服を着ているように見えたが近づくにつれて、それは服の赤ではなく血の赤だということが分かった。
男だったモノを見るときは無表情で無感動、何より心と脳を分離するように自分自身に命じていたが、その場に着くと、とてもじゃないがあまり冷静ではいられなかった。男の姿は剣を振り上げたまま倒れていて、弾の射入口は小さく、顎に小さな穴があり、そこから血が一筋の尾を作りながら首筋に流れていた、そして男の顔は左顎から首にかけて無くなっていた。無くなった顎を見せつけるかのように僅かに顔を傾け、そこからピンクの舌と白い歯が見えた。辺りには水の入った袋を地面に落としたように大量の血がその場にぶちまけられ、目はガラス玉のように虚空を見つめ、それはひどく奇怪なオブジェのように見えた。胸は鼓動を早め、息の感覚は短く、髪の毛の生え際に汗が滲んでくるのが分かった。だが、そんな中でうろたえずにいれたのは単なる見栄だった。
「あなた達は誰ですか?」という疑問を血まみれになっている少女の口から浴びせかけられた。思わず答えに窮したが、蒼馬が彼女に対して言った。
「あの、ごめん。もし良かったら、俺達と一緒に来ない?その……服も汚れているし」
蒼馬の言葉を聞いて俺はとても嫌な気分になった。これではまるで俺たちがいたいけな少女をナンパしているようにしか見えないではないか。
彼女は何も言わずにただうなずき、立ち上がろうとした、がなかなか立ち上がろうとしなかったので、俺は車椅子を少し動かし彼女の近くへ行き手を差し伸べた。すると彼女は左手で俺の手を取ったのでその手を引っ張った。だが少し強く引っ張り過ぎたのか、彼女は前かがみになり残った右手で俺の胸で自分の体を支える形になった。すると彼女と俺は互いの顔を残り数センチというところで見つめあった。
「おうおう、お熱いね!お二人さん」
蒼馬がそう茶化すと少女は顔を赤くし、俺の体を押し飛びのくようにして後ろに下がった。
「しかしお前もあんな事をするなんてずいぶん大胆だな。」と蒼馬が後ろから小声で耳元に話しかけてきた。
「うるせぇ、そんな事は早く忘れろ」
「いやいや、この先百年は忘れないぞ、それでお前の武勇伝として千年は語り継いでいってやるよ」
蒼馬の顔を見るとニヤニヤした顔で俺の顔を見ていた。
少女を立ち上がらせた右手を何気なく見ると少し黒くなり始めた液体が濃い鉄の匂いを漂わせていた。彼女の顔は血色が悪く、見ると飛び散った血が、汗と混じり合い涙の痕のように頬に滴っていた。
男だったものを見ると、傍らに白い刀身の剣が血だまりの中にその身を横たえていた。そして何かに押されるかのように車椅子を動かし、剣を取りに行った。血だまりの中に剣を置いていること事態がとても罪深いことのように思えたからだ。
剣を持ち上げるととても軽く、血に濡れていたが美しかった。あたかもそれ自体が剣の装飾であるかのようだった。
周りの安全を確認してから剣を横に一振りした。振り切った後に剣を改めてみると眺めると一瞬、赤い紋様が見えた気がしたが目の錯覚のだと思った。目測で剣のだいたいの長さを図った、縦約70㎝、幅約3㎝だと思う。
「おーい、そろそろ一旦車に戻ろうぜ。いい加減腹が減った」
振り返り蒼馬を見ると明後日の方向を向き、此方には一切目を向けてはいなかった。
もう少し剣を眺めていたかったが、眺める事なら後でいくらでも出来ると思い蒼馬の提案に乗ることにした。
「わかった、ちょっと待ってくれ。すぐに行く」
男の周囲を軽く見たが鞘らしきものが見当たらなかったので身をよじり車椅子の傘入れに剣を差し込んだ。
車椅子の向きを変えて俺の後ろで立っている少女に声をかけた。
「俺達は車に戻るけど、君はどうする?」と言おうとしたときに、少女からまるで小動物が鳴くような音が聞こえ、腹を押さえていた。すると彼女はフードを被りうつむいていた。それだけで大体の事が察することが出来た。
「もし良かったら、君も一緒に食事はどう?」
ふたたび沈黙。だが少女はうつむいたまま頷き、こちらに近寄って来た。
そして俺は先程蒼馬に対し心の中でナンパをするなと思っていたが、今俺が言った事も蒼馬とたいして違いが無くて、酷く後悔した。
三人で元来た道を少し迷いながらも車に戻ると、赤く燃えていた太陽は白色に変わり、そこそこ時間が経った事がわかった。蒼馬は車から折り畳み椅子を二脚取り出し、少女に座るように促した。
「さぁさ、お嬢さん。どうぞお座りください」
すると彼女は少し遠慮しながら、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、椅子の手摺りに手を乗せ、背もたれに身を委ねず警戒した様な面持ちで椅子に座った。
蒼馬が逆さまになっている車のシガーソケットにコードを差し込み、湯沸かし器に水を入れ、コーヒーの準備をしている間に、俺は車の中からコンビニで買った安い弁当を取り出し、箸を蓋の上にのせて少女に一つ、蒼馬に一つ、自分に一つと弁当を配っていった。弁当は車と一緒にひっくり返ったので中に入っていたハンバーグが蓋に赤いソースをたっぷりとへばり付かせていた。
弁当の蓋を慎重に開け、箸の袋を破って、箸を縦に割った。箸はうまい具合にきれいに半分に割れて少しだけいい気分になった。そして手を合わせ食事の挨拶をした。正面に座っている彼女は見様見真似で、蓋を開け、袋を破り、箸を割って、手を合わせて食べ始めた。
弁当の中身は安い肉に混ぜ物をしたであろうハンバーグに、甘ったるい卵焼き、身がとても貧相なエビフライ、それらの下に敷かれたハリの失ったレタス、着色料で黄色く色付けされたたくあん、水気を含み触感の悪い白米、この中でいいものといえるのは白米の上に乗せられた、湿気を含んだ黒ゴマくらいなものだった。この内容で三百円といったものだから、適正価格なのか、それともカモにされたのか分からなかった。
目の前にいた彼女は今まで何も食べていなかったのだろうか、握り箸でさもうまそうに弁当を食べていた。先程まで血で汚していた顔は、今はハンバーグのソースで口元を赤く染めていた。
俺も食べようと思い改めて箸を取ったが食欲は湧かず、見ると少女はすでに弁当を食べ終わっていた。そこで少女に自分の弁当を渡して空になった弁当箱を回収した。弁当はきれいに食べられていた。少女は一瞬、食べていいのか戸惑ったようだったが食べるように促すと、嬉しそうな顔をして二つ目の弁当を食べ始めた。気持ちがいい食いっぷりというのはこういうことだと思った。
「二人とも、もう食ってんのかよ。もう少し待ってくれててもいいんじゃないの?せっかくがコーヒー用意してんのに……」
「ごめんな、ちゃんと悪いと思ってるよ」
蒼馬は俺にコーヒーを手渡しながらそうぼやいていた。コーヒーはコップとお湯さえあればどこでも作ることが出来るインスタントコーヒーで、通常の分量より半分ほど粉を減らした世間一般でいうところのアメリカンコーヒー状態だった。コーヒーの味は薄く、砂糖や牛乳を入れてはいないので苦かったが耐え切れない程ではなく、焦げた豆の香りを楽しみ、その液体を喉へと流し込んだ。コーヒーは食道を通り周りの器官を温めながら胃に入り、腹を熱くさせた。体が温まると徐々に食欲が湧き、コーヒーが呼び水となったのか強欲にも胃が食物を欲した。先程あんな凄惨なモノを見た後だというのに我ながら少々呆れた。少女の弁当を見るとすでに半分以上無くなり、蒼馬は少女の椅子に付属しているコップ入れにコップを滑り込ませるように入れて、また自分が座る椅子に同じようにした後、弁当の蓋を開けてさっさとぱくつき初めた。
「よくそんなに食べることが出来るな……」
「そりゃ簡単な事さ、俺は見なかったからな」
「それから……弁当を分けてもらうことは出来る?」
「どうしたんだよ、いきなり。弁当はどうしたんだ?」
「いや、さっきまで食欲が全くなくて彼女に弁当をあげたんだ。だけどコーヒーを飲んでちょっと腹が減って来た。だから弁当を少し分けてもらいたい」
すると少女は弁当を食べる手を止め、申し訳なさそうな顔をして弁当を差し出して言った。
「ごめんなさい……もし良かったら食べてください」
「いや大丈夫、これは俺と蒼馬の問題だから、君は気にしないで全部食べていてくれ……それで、分けてもらえるか?」
その後、蒼馬からありがたいお言葉を頂き、弁当を分けてくれなどという救援要請は出来ないと思ったが、すぐに代案が思い浮かび、さっそく行動に移った。
車椅子を動かし、さっきまで車の外に飛び出て今は蒼馬によって一つに纏められた荷物の中から食料品が入っているコンテナから目当ての物を見つけ出して、元の場所に戻ると少女は弁当を食べ終わり満足そうな顔をしながら、椅子に身を任せていた。蒼馬は弁当を食べ終わり、ちびちびとコーヒーを飲んでいた。俺はコンテナから取り出したカロリーバーを二本食べ、コーヒーで流し込み、いくぶんか人心地がついたような気がしてきたところで口を開いた。
「「「あの……」」」
三人同時に声をそろえたことで可笑しな緊張感と奇妙な空気が合わさり変な譲り合いが生まれた。
「お先にどうぞ」
「……いえ、先に……」少女が言った。
「じゃあ俺から先に言わせてもらおうかな」と蒼馬が続けた。「俺は緋田蒼馬、歳は二十二で、えーと……趣味は体を鍛えることと、こいつの世話かな。じゃあ次はどっちが自己紹介をする?」
「俺は彼女の後でいいよ。お嬢さん、先にどうぞ」
「はい……えっと、私はミカっていいます。リアマ村に住んでいます」
少女、ミカは先程までのゆっくりとした雰囲気から一転し、急に何かにおびえるような顔をしながら内心どこかで喜んでいる様にも見えた。
「次は俺だな。俺は相馬門雅、趣味は蒼馬に俺の世話をさせる事かな」
「ソウ、マ……?」
「うん、俺と蒼馬は苗字と名前が一緒なんだ、自由に呼んでくれて構わないけど出来ればある程度区別してくれると助かる」と門雅が言った
「よし、それぞれ名前はわかった事だし質問タイムといこうか。じゃあまず俺からで悪いんだけど、ミカちゃん、ここってどこ?」と蒼馬が少女に質問をなげかけた。
少女ことミカは自分を恐ろしい凶行から救い出してくれた彼らに心から感謝していた、そして食事をもらい――食事の味はとても濃く、そして非常においしく、久しぶりに満腹感というものを味わった――何より自分と同じ黒い髪、黒い目を持った人に出会えたのだから。二人の服装は見慣れないものだった、だからミカは二人をどこか遠くからやって来た旅人もしくはどこか遠くから逃げてきたのだと思った。そして蒼馬と名乗っていた男からここは何処なのかと聞かれてミカは答えた。
「あの、ここはリアマっていうところで少し歩いたところに、私の住んでいる村があります」
「ここの国の名前は何て言うんだ?」と、門雅がミカに口をはさんだ。「村があるのだったら国もある筈だ、名前も教えてもらえないか?」
ミカは目を細めて自身の記憶の中から国の名前を頑張って引っ張り出した。
「国の名前は確か……ケイス、だったと思います」
門雅と蒼馬は特に地理に関しては明るくなかった、しかしそれを除いてもその様な国の名前は聞いた事が無かった。
そんな二人の困惑をよそにミカは二人を見て首を傾げるだけだった。
次回の更新は未定です。