第六話 続・訓練とお風呂
ピィィィィィーーー……
甲高い笛の音が鳴り響く。
一瞬、体が強張るが、静かに深呼吸をして、冷静になる。
「大丈夫、大丈夫。見つかってない、見つかってない…」
だんだんと近寄ってくる足音に戦々恐々としつつ、自分は石ころか雑草だと自己暗示して、必死に擬態しようとする。
「みぃーつけた」
背の低い茂みの中で、無駄な抵抗を続けていたが、無慈悲にもアリサさんに木の棒でつつかれた。
「ざんねーん。これで何回目だっけ?」
「……9回目です」
「うーん、今回は惜しかったねー。でも、ちょっと、焦りすぎだよ。もっと慎重に行かなきゃ」
「……はい」
「それじゃ、大変だけど、小屋まで戻ってね」
「……はい」
俺は手に持っていた弩を背負うと駆け足で、麓にある猟師小屋に向かった。燦々と輝く太陽と森に吹く優しい風に包まれて、なんだか一周回って晴れやかな気持ちになってきた。
走りながら、これまでの訓練を少し振り返る。
訓練が始まって早くも3カ月が過ぎようとしている。なんだかんだ言って、自分でもちょっと様になって来たんじゃないかとも思う。まあ、聞いたとことによると、この国で徴兵された人は1カ月半の訓練をやるらしいから、その倍の時間訓練してるわけで、当然のことなのかもしれないけど。
まあ、そんなわけで、訓練していく中で、自分の戦い方ってのが分かってきた。といっても、基本的には相手に気づかれないように上手く隠れつつ、弩で仕留めるってだけなんだけど。
弩は、傭兵の間では弓の人気に押されて、あまり使用者はいないらしい。使いこなすのが簡単で、最近では歯車や、レバーを使った梃子で、簡単に素早く弦を引くことのできるものや、箱型や回転式の弾倉を装着し、矢の装填の手間を少なくしたものがあるが、訓練された弓兵の連射や精度に勝てるほどじゃない。しかも、弓と比べて、重くて構造が複雑で値段も高いから、人気がないのもうなずける。
じゃあ、どうして使うのかと言えば、それしか上手く使えないからだ。一応弓も使ってはみたが、まあ、素人らしい腕前しかなく、今後実戦でつかいものになるまでには、年単位の訓練が必要そうだったので、早々に諦めた。それに弩には弓にはない利点もある。
まず一つが、威力だ。弩の弦は、腕の力で引く弓と違って、背筋や機械の力で引くことになるので、矢を射る力が2倍から、3倍近くになる、鬼がつけている半端な鎧ぐらいは簡単に貫通してしまう。二つ目は、扱いやすさだ。長い訓練が必要な弓と違って、素人の俺にだって簡単に扱うことができる。三つ目は、一部の大型の弓には劣るが、一般的な弓と比べると、長射程なところだ。
そういうわけで、弩の利点を活かした戦い方を身に着けるため4週間ほど前から、山にこもって訓練をしていた。どんな訓練かと言えば、簡単に言うと、隠密行動と狙撃の訓練だ。相手に気づかれることなく、索敵・侵入・追跡を行うとともに、確実に相手を仕留める方法を学んでいた。
…そんな訓練をしていたのだが、やっぱり、自分は戦いに向いていないと思えてきている。育った環境が戦争とか暴力とかと、無縁だったってのも大きいだろうし、未だに生きるためとはいえ、食料確保のための狩りでさえ、抵抗がある。
ただそれでも、今は傭兵になるしかないんだろうな、とも思うし、ワッズのことを思うと中途半端な気持ちじゃいけない、とも思うし、それに何より訓練に集中していると、元の世界のことを考えなくても済む。
まだ、なにも割り切れていないけど、考えても答えなんてどうせ出せないんだから、考えないようにするしか、今のところやりようがないのだ。
まあ、それにしたって訓練に集中してもどうにも上手くいかないことがある。すでに今やっている訓練が始まって、6日が経とうとしているのだが、まだ一度も成功したことがない。ちなみに、今やっている訓練は、俺の傭兵見習いの卒業試験も兼ねている。
訓練の内容としては、『子鬼山』という名の広葉樹に覆われた小さな山の中で、いくつかあるポイントの内のどこかにいるアリサさんを見つけ、その近くに設置されている訓練用の的を射抜くというものだ。当然途中で、アリサさんに見つかってはいけないし、もし見つかったら、いったん麓の猟師小屋まで走って帰って、また、山の中から、アリサさんを探すところから、始めなければならない。
子鬼山はそんなに広い山ではない。外周を歩いて回るだけなら、一日かからないぐらいでできるだろう。目標のポイントも数か所しかないし、それにアリサさんはわざとわかりやすいように、通過した痕跡を残している。枝葉の不自然な折れ、泥濘に残った足跡、食べかすや鳥の羽ばたき。それらをもとに、慎重にたどっていけば、遠くの方でアリサさんの姿を見つけることまでは何とか可能だ。実際、見つける段階までなら、9回は成功している。
しかし、そこからが問題だ。弩に関しては多少自信がある、適切な距離まで近づけたら高い確率で的に命中させることができるはずだ。
今使っている弩は全長90センチ、ハンドルを回して弦を引くタイプで、水平射撃で大体4~50メートルほどの飛距離を出せるため、その距離まで接近すればいいのだが、山の中は障害物が多い。隠れる際にはそれが有利となるのだが、射撃の際には邪魔になって、なかなかいい射撃位置が見つからない。これまで大体その射撃位置を探している段階でアリサさんに見つかった。
アリサさんも追跡可能な痕跡は残してくれているが、見張りには一切手を抜いていない。各目標ポイントには木の上に見張り台が設けられていて、高い位置から、360度周囲を見渡せる。それに加えて、低い位置に鈴をつけた糸を張った簡易的な警報機や、落とし穴など各種トラップまで仕掛けている。少しでもミスをすれば、すぐに訓練中止の笛が鳴る。
初めの2・3回は「まあ、しょうがない。次頑張ろう」と思って、5・6回目には「なんだよ、こんなの無理に決まってんだろ。もう嫌だ」とストレスが頂点に達しかけたが、9回目となる今回はまるで悟りを開いたお坊さんのように心穏やかになった。
―慌てない、慌てない、一休み一休み。
と言うわけで、9回目の失敗の後、猟師小屋に着いた時はまだ昼になったばかりだったが、訓練はいったん休むことにした。サバイバル用に持ってきた道具で、釣竿を作り、近くの小川で魚を取って、薪を集めて焚火をし、たらふく焼き魚を食べて、ぐっすりと眠った。
そして、寒さに震えて目が覚めると、東の空が薄っすらと明るくなっていた。
半日ゆっくりと、リラックスしたことで調子は心身ともに良い。
「…うん、頑張ろう」
そろそろ終わらせないと、心身ともに限界が近いと思う。
―と言うか、自分の心配ばかりしてたが、アリサさんもずっと訓練に付きっ切りなわけだから、俺と同じぐらい疲れてんだよな。
アリサさんのためにもいい加減決着をつけなければ。
決意を新たに、まだ暗く視界の聞かない森の中へ足を進めた。
当てはなかったが、とりあえず山頂に設置されているポイントを目指していると、運よく果物の皮が落ちているのを見つけた。あたりを見回すと、もう少し上の方には焚火をしていた後もある。昨日まではなかったから、おそらくアリサさんは山頂のポイントにいるのだろう。ここからは大体2~300メートルぐらいの位置だ。
少し迷ったが、大きく迂回して山の北側から回り込むことにした。前回山頂近くのポイントに向かった際には、今いる南側から向かった。南側は木が多く、隠れて進むにはちょうど良かったが、その分良い射撃位置がなかなか見つからず、結局近づきすぎて見つかってしまった。
今回はその反省を活かし、木々の比較的少ない北側から攻める。北側は大きな岩が露出していて、森の中よりは隠れるところが少なく、接近しづらい。しかし、射線は通りやすいため、多少距離はあっても狙いやすいはずだ。
焚火の跡を発見して2時間、すでに太陽は東の空に浮かび、朝の冷たい空気を少しずつ温めていた。
状況としては目論見通りに事が進んでいた。隠れる木々が少ないので、岩々の陰を縫うように進み、地面をナメクジのように這いながらゆっくりと静かに、目標へと近づくとやはり高い木の上に作られた見張り小屋に人影が見えた。その下には標的となる、赤い布を巻いた丸太も見える。
正直悩みどころだ。
ここから先は、少し開けた場所になっていて、不用意に近づけば確実に発見されるだろう。だからと言って、今からまた別の射撃位置を探すといっても、南側は無理だし、西側と東側は傾斜がきつくて、まともに狙うためには、かなり直近まで接近する必要があるため現実的じゃない。
ならばどうするか。
―ここから撃つしかないか…。
這いつくばった状態のまま、大きな音をたてないように、ゆっくりと弩の側面についているハンドルを回し弓を引く。引き終わり矢を装填すると、いったん弩を脇において、目標の丸太に対して親指を立てた右腕を水平に伸ばす。左右の目を片方ずつ閉じて、その見え方のずれから、おおよその距離を測る。
「…80メートルってところか」
この距離で的に矢を当てたことはない。外したこともないけど。と言うのも町の射場は最大でも50メートルまでだったから試したことがないのだ。
脇に置いた弩を取り、構える。使っている弩の水平射程距離は4~50メートルだが、目標との高低差はおそらく俺のいる位置の方が1メートル程高い。だから極端に曲射する必要はなく、ほんの少し目標の上を狙えばいいはずだ。
ゆっくりと、そして大きく、息を吸う。まだ冷たいままの山の空気で肺をいっぱいに膨らませる。
不思議と緊張はしていない。弩を握る手も、震えることも汗をかくこともなくいつも通りだ。
―大丈夫、必ず当たる。
根拠のない自信に満ち溢れていたが、不安はない。
肺いっぱいにためた空気を、今度はゆっくりと吐き出していき、全身の筋肉をリラックスさせ、そして引き金にかけた指に少しずつ力を入れる。
焦ってはいけない。力んで引き金を引けば弩がぶれて狙いが狂ってしまう。だから、どんな状況でも、頭の中では冷静にいなければならない。
そして、空気を吐き切るほんの少し前、弩より勢いよく矢が飛び出した。
「―やった」
矢を放つと同時に、思わず声が出た。それから、一瞬遅れて、遠くの方で”タンッ”という乾いた音がした。矢は的のど真ん中に当たったようだ。アリサさんが見張り小屋から舞うように飛び降り、的を確認しているのが見える。
そして、訓練終了の笛が朝の山頂に鳴り響く。これまでに何度も聞いた音色だったが、前回までの絶望感はなく、どこか祝福しているように聞こえた。
「いやー、改めておめでとう」
「…どうも」
最後の訓練が終わった後、今は新京の兵舎まで帰ってきて、アリサさんと二人っきりで大浴場にいる。こちらの世界でも風呂は基本的に男女べつだが、アリサさんは俺が風呂に入ってるとよく乱入してくる。最初の方こそ慌てたり、恥ずかしかったが、もう今では慣れてしまってそんなに気にすることもなくなってしまっていた。
「んー、どうしたどうした?せっかく訓練が終わったってのに暗いよ~」
アリサさんは湯船に浸かりながら、蒸留酒をあおり随分とご機嫌なようだ。
「私と離ればなれになっちゃうののが、そんなに寂しい?」
「寂しいってのもありますけど…、正直心細いですよ」
「えへへ、かわいいなぁ~もうっ」
そうなのだ、さっき俺が風呂で体を洗っていると、アリサさんがも入ってきて開口一番、
「私、明日の船で本土に行くことになったから」
なんて言ってきた。
「いや~でもさ~、私もいつまでもここに居れないわけなんだよ。一応姫様のお付きなんだしさ~」
「それはわかりますけど、急すぎますよ」
「う~ん、まあ、でもジュンヤの訓練が終われば姫様のとこ帰るつもりだったし、それに蒸気船が明日出るって話だったからさ~、ちょうどよかったよ~、今日でおわってさ~」
こんなことなら、急いで今日訓練を終わらせなければよかったかもしれない。アリサさんがいなくなればこの町で本格的に一人で生活していかなければならない。情けないことだけど、アリサさんと過ごしたこの3カ月間、アリサさんに頼りっぱなしだった。よくよく考えてみたら、どこ行くのもほとんどアリサさんと一緒で、個人的な知り合いも少ないし、増してや友達なんて一人もいない。
「さっきさ~、獣牙団で事務員やってる娘と話して、ジュンヤの所属する隊も決めてきたから。明日はその隊の隊長に挨拶して―」
「えっ、ちょっと、隊も決めてきたんですか?」
「うん。だめだった?」
「いや、ダメってわけじゃないですけど…」
急になんでも決めすぎだ。頼り切っている俺が文句を言う資格なんてないのはわかってるけど、事前に相談するぐらいしてくれてもいいのに、とは思う。
「大丈夫大丈夫、私その隊の隊長のことは知ってるけど、いい人だよ。ちょうどさ、弓とか使える人探してたらしくて、募集が出てたんだって。ジュンヤの腕前なら、文句なんてないよ、絶対」
「そうですか…」
正直不安だ。俺はあまり人付き合いが得意な方じゃない。隊の人とうまく馴染めるか、あまり自信がない。まあ、でもそれはまだいい、元の世界にいた時だって、4月になれば、クラスが変わって友達がほとんどいない状態から始まったことだってある。
今一番不安なのは命の問題だ。いくら訓練で戦闘技術を磨いたところで、実際に命を懸けて訓練していたわけじゃない。それに、訓練では誰かの命を預かっていたわけでもない。実際の戦場で、命の重さに耐えられるのか、そこがわからない。
「自信、ないの?」
アリサさんが俺の不安を感じ取ったように静かに聞いてきた。
「自信と言うか、覚悟が足りてないんだと思います。命を懸けて戦うとか、それがどういうことなのか、まだいまいち理解できないんです。」
「…確かに、それは実際に戦場を体験しないとわからないかもね。けど、ジュンヤは一度戦場に立って、鬼を殺して、そして殺されかけたことがあるんだよね?」
「そうですけど、あの時はなんだか必死で…」
「それでいいと思うよ。みんな必死で戦ってるんだから、あなたも必死に戦えばいい。覚悟なんて、してなくたって、敵が目の前にいたら戦うしかないんだし。今、変に難しく考えることなんてない。気持ちは後からついてくもんだからさ、戦ってくうちに自分なりの覚悟ってやつができるよ、ジュンヤにもさ」
「…そう、ですね」
アリサさんの言う通りかもしれない。やる前から悩んでいたってしょうがない。まずは、やれること、やるべきことをやって、心の問題はその後でいい。
「アリサさん」
「ん~?」
「3カ月間本当にお世話になりました」
互いに湯船に浸かったままだったが、俺はどうしても今伝えたくて、深々と頭を下げた。
「もうっ、いいよ、そんな~。照れちゃう~」
「何かお礼したいんですけど、その、俺、自分のお金とかないし、だから、お金がかかること以外だったらなんでも言ってください」
「えへへ、だったら~」
アリサさんはにやつきながら、俺の隣までにじり寄ってきて身体を密着させてくる。そして―
「今夜は、私をむちゃくちゃにして」
そんなことを、耳元で言ってきた。
「あー、はいはいそれ以外でお願いします」
「え~、つめいたい~。なんでもしてくれるって言ったのに~」
初めの頃ならともかく、もう何度も同じ冗談を言われているので、全然ドキドキしない。それに俺には七海がいるのだ。別に付き合ってるわけじゃないけど、俺は七海のこと好きだし、七海だって…多分、悪いように思ってなかったと思う。だから、まあ、最低限守らいないといけない一線はあるよねっていうやつ。
女の人と風呂入ってて、何を今更っていう感もあるが…。
「まっ、冗談はさておてさ、ちょっと真面目なお願いがあるんだけどいいかな」
アリサさんがいつになく真剣な表情をする。
「ええ、何でも言ってください」
「…姫さまのことなんだけどさ、真剣に考えてくれないかな?」
「マユラのこと?」
「そう、姫さまはさ、いろいろ大変なんだよ。鬼との戦争のこともあるけど、それ以上に人間同士間でめんどくさい問題があったりしてね。でも、そんなのに負けずに頑張ってる」
マユラは聞いたところによると、この国の王家に連なる大貴族の娘で、あまり順位は高くはないが王位継承権も持っているらしい。そういう立場になると、権力闘争とかで難しい立場にいるというのは想像はつく。
「だけどさ、やっぱり姫様も女だからさ、好きな男に抱かれて寝たい夜だってあると思うんだよ。だから、そんなときジュンヤにそばにいてあげて欲しいんだよ」
「……でも、俺は―」
「わかってる。元の世界のこととか、まだ気持ちの整理ができてないことはわかるよ。だから、今すぐに姫様の気持ちに答えてなんて言わない。…けど、いつか決心がついた時には、って話」
なんだか胸が締め付けられるようだった。決心ってそんなのできるわけがない。少なくとも今はそう思う。
「あたしが言うのも変なんだけどさ、姫様はいい人だよ」
「…知ってますよ」
「とびっきりの美人だし、頭はいいし、多分あの感じじゃ、好きになった人には一途に尽くすしね。まあ、一応公平を期すってことで、あたしから見た姫様の悪いとこも言っておくと、狡猾で我儘で短気で嫉妬深いとこもあるけどね」
「それだけを聞くと、なんだか悪女みたいに聞こえますよ」
「あはは、まあ見方によってはその通りなこともあるからね。…けど、ジュンヤに対してはいつだって女神さまだよ」
「…はい」
「じゃあ、あたしは先に上がるね。…おやすみ。明日からあたしいなくなっちゃうんだけど、ちゃんと頑張ってね」
「はい」
一人残った俺は、しばらくの間答えの出ない問題に悶々としていた。