プロローグ
崩れゆく城の中、あなたは必死で叫んでいた。叫びながら、びくともしないこのガラスの檻を叩いていた。
「ありがとう」
私は、あなたに向けて微笑んだ。
「〜〜〜〜〜〜!!」
ガラスに手をつきながら、あなたは必死に何かを叫ぶ。しかし、その声は届かない。きっとそれはあなたが一番よく知っている。なのに、それでも叫び続けていた。私はその手に自分の手を重ね合わせた。
私たちの間を隔てているのは一枚のガラス。厚くて薄い、透明なガラス。
そばにいるのに、あなたが遠い。
「ありがとう」
私は首を横に振って、ガラスに額をあてる。
あなたは首を横に振って、また必死にガラスを叩き始めた。このガラスはそれくらいじゃ割れないことはわかりきっているのに。
私は、聞こえないのをわかりつつ、あなたに別れを告げる。
瓦礫を押しのけながらやってきたのであろう、彼のお付きの人達が抵抗する彼をガラスから無理やり引き離した。そして引きずるように城の外へと誘導していく。
まだ叫ぶあなたに向けて、私は再び微笑む。
ありがとう、さようなら。
小さくなる彼と私の間に、柱が倒れてきた。もう、姿は見えない。
私はそっと目を閉じた。思い出すのはあの平和な日々。もう、二度と戻れない、穏やかな日々。どうしてこうなったのだろう。
……理由はわかりきっている。
……私は人ではないから。
私は……人魚だから……――。
時は戦乱。他国を占領しては自国を拡大していく、そんな世の中で一番の大国があった。それがこの国、レアリナ王国。
私は、偉大なるレアリナ王国の偉大なる国王、ネストア・レアリナ国王に不老不死の薬として献上された。
ネストア王は、自国の民と諸外国に自分の偉大さを示そうと、不老不死を探し求めていたらしい。実にありきたりな考えである。でも間違ってはいけないのは、この王はそんなものがなくても、皆の畏怖と尊敬を集めていたという点だ。戦に出れば、先頭に立って自軍を勝利に導き、政務を執らせば、周りが舌を巻くような奇抜かつ素晴らしい判断を下す、そんな王だ。別に死にたくない、老いたくないと思っているわけではなく、単なる興味と諸外国対して自分の力を示すために不老不死を求めていた。(これは後日談だが、彼は常々、「明日おのれに死が訪れるなら、今あるその瞬間を無駄にはできまい。だから、常に終わりを意識して、悔いなき時を過ごす、それが我の志だ」と述べていたらしい。ちなみにネストア王は志多き人としても有名である。)
私をそんな完璧な指導者たるレアリナの国王に献上したのは、城に専属の博士であった。
王に献上されるまで意識がなかった私は、博士がどういって私を王に献上したのかは知らない。気がつけば、目の前に雄々しい人物が、どこか面白がるような、しかし厳しい表情で立っており、私を見下ろしていた。
一体、自分に何が起こっているのか、全く分からなかった。どうやら自分が何かの台の上に横たわっているらしいことは分かったが。体を動かそうとするも、縄で縛られているため、動けなかった。視線を懸命に動かすと、見たことのないほど大勢の人間がたくさんの目をこちらに向けているのがみてとれた。好奇、驚愕、恐怖、憐憫……。
怖い、と思った。これほどの恐怖を感じたのは久しぶりかもしれない。怖い、怖い、怖い、怖い、怖いこわいこわいこわいこわいこわい……。
急に混乱してきた。
なんで、こんなところにいるの?ここはどこ?ワタシハイッタイ……?
頭の中でたくさんの記憶が交差する。城、水、人、笑い声、嘆き声、悲鳴、城、水、人、笑い声、悲鳴、城、水、人、笑い声、嘆き声、悲鳴、城、水、人、人ヒトヒト……。
咄嗟に叫ばなかったのは、ひとえに私の声が出なかったからである。もし声が出ていたら、私は絶叫していたに違いない。
「人魚の肉を食らえば、不老不死の力がやどる」
唐突に王が言った。決して荒げたわけではないのに、その声はその場に響き渡り、人々の視線は自然と王に集まった。
「昔からそう言われておる。しかし、今まで実際にその肉を食したものはいない。今、我がその肉を食らい、我は不老不死の力を手に入れよう。皆はその生き証人となる」
ナイフを持て、と王は側近に命じた。いくら混乱しているとはいえ、私を食べるつもりだ、というのは容易に理解できた。冗談じゃない。しかし、私にはその場を動くことさえ不可能だった。
側近が恭しくナイフを持ってくる。私に逃げ場はない。
だんだんと近づく冷たい感覚。
おなかに触れた。
その時。
「お待ちください!」
すぐそばで、制止の声がかかった。
「今しばらくは、お待ちください」
博士が鋭い声で、王を止める。王は怪訝な顔で博士を見た。
「せっかく人魚を手に入れたのです。諸外国へ、我らの王が不老不死を手に入れたという象徴に、今しばらく手元にお置きになられることを進言いたします。必ずや、諸外国は王に恐れを感じましょう」
王は少し考えているようだった。眼を閉じて、考えること数拍。眼をあけた王は何かを告げようとした。が、しかし、
バァン!
王の言葉をさえぎるように、閉じられていた扉が開く音がした。皆は後ろを向き、王は自身の正面のほうを一瞥した。
開かれた扉からはひとりの青年が歩いてきた。人々の間を通り、まっすぐに王に向かって。逆光で顔はよく見えなかったが、夜の海のような色の髪をしており、また身なりがかなりよいことは見て取れた。
「ただいま、帰還いたしました」
王のもとについた青年は頭を垂れた。
「御苦労」
顔をあげた青年は、王の前の台の上に横たわる私を見て今更のように驚いた。どうやら今まで目に入っていなかったらしい。
「まさか、本物の人魚ですか?」
「さぁな」
「食されるおつもりで?」
「そのようにしようとしたが、博士に止められた。お前ならどうする?」
青年は一瞬たりとも考えなかった。
「自然のものだというなら帰します」
王はやっぱりな、というように少し苦笑すると、「博士の言うように、しばしわが手元にこの異形のものを置くとしよう」と述べた。
「管理は博士が行うように。ラシアはこのあと、視察の報告を」
「わかりました」
「以上を持って、今朝の朝議を終了とする」
王はそういうとすぐに自分のマントを翻して、その場から去って行った。ラシアと呼ばれた青年はしばし私を見ていたが、笑顔を一つ残すとその後に続いた。混乱していた私に安心感を与えるような、そんな笑みだった。
これが私と王子との出会い、ラシア・レアリナとの出会いだった。
お久しぶりです。いやぁ、夏ですね。暑いです。燃えるような太陽、そのくせ突如と降り出す雨。傘がかかせないってどうでしょうか?梅雨はあけてるはずなのに。またそのうち雨が恋しくなるくらいカンカン照りになるのでしょうか。考えるとうんざりです。
さて、今回は冬の時期に突如私の中にあらわれた人魚のお話を書いてみました。しかも、冒頭のあのシーンだけが浮かんできたんです。なので今回書くにあたって、頭の中で構成を簡単に練ったところ、かなり長くなりそうだったので、連載という形になりました。大丈夫かな?私。
いつも不定期に書いてるため、次の投稿はいつになるのかわかりませんが、8月中には必ず続きが出せるように頑張ります!またもや拙い文章ですが、どうぞこの先もお付き合いよろしくお願いたします。