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女形の姫様転生記  作者: 新島 隆治
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ロヴァーニの市場

明日というか本日も仕事なので、真夜中に上げておきます。これから三時間ほど仮眠。

 スヴェンが親方を言い(くる)めたその日の夕方、飛鳥はアニエラやハンネ、他にも数名の線の細い男性魔術師に囲まれて講義をする羽目になっていた。

 場所は大食堂の一角。畳一枚分ほどの板が運び込まれ、昼に飛鳥の手で実演した錬金術とガラスの製法について書き出している。

 当然ながら、錬金術や魔術は秘匿すべき内容が多い。

 講義を希望した魔術師たちは、団長と副長立ち合いの元で秘密保持の魔術契約書に署名をし、周囲の人払いを厳重にした上で教わっていた。

 執務室や治癒室は当然のことながら使えない。小さいながらも三つある応接室は護衛依頼の来客対応で終日使用する予定が埋まっている。不特定多数の目に触れる可能性がある玄関前ホールなど論外だ。

 二つの会議室も護衛に出る班の打ち合わせと備品置き場に使われており、魔術師たちの私室は素材や研究資料で埋もれていて不向きとなれば、おのずと使用できる場所も限られてくる。


 夕食までの間、と団長と副長が念押ししたため、魔術師は一言も聞き洩らすまいと紙代わりの板を積み上げ、必死で羽ペンを動かしている。

 何故か恍惚(こうこつ)とした表情で涙を流しながらメモを取っている者も複数いたが、気にしたら負けとばかりに無視を決め込み、平静を装って話を続けていく。


「――必要になる素材は以上です。あの場では錬金術で手早く済ませてしまいましたが、塩水にモーニアク(アンモニア水)を混ぜ、石灰石を金属が溶ける以上の高温に熱して、出てきた気体をそこに通します。

 魔術や錬金術を使わずに作る場合は、鍛冶場の炉のように高温を作り出して石灰石を熱し、熱量を維持出来る設備が必要になります。発生した気体を回収する管も必要になりますね。

 水や塩、モーニアクに含まれていた成分が熱した石灰石から出る気体と結びついて、より安定して結び付きやすいもの同士が結晶になり、底に沈殿します。これがガラスの材料のうち重要な一つになります」


 飛鳥が高等部二年の秋、化学の授業で習ったソーダ灰の生成とアンモニアの還元、その過程で生成される塩化カルシウムや重曹、塩化アンモニウムといった中間生成物の知識だ。

 完全な理系でもないから教科書に書かれていた以上の知識は知らない。生成物に関しても、飛鳥が時々料理に使っていた重曹や肥料などに応用が利くもの以外、大した知識は持っていない。


 この世界では自然界で出来上がった物質に偶然触れることはあれど、意図して複数の素材から狙った物質を作り出すのは、引き籠もって研究を続けている高名な魔術師でもなかなか辿り着けていない領域だ。錬金術はまさにその分野の研究をしているとも言える。

 魔術師たちが静かに熱狂しているのも無理はない。


 錬金術自体は魔術とも深い関係があり、それを否定する者はこの世界にはほぼいない。魔術師の研究領域と錬金術師の得ようとする知識・現象は、かなりの部分が重複している。

 狂信的に神という存在を信じる者たちが錬金術や魔術を否定することはあるが、彼らの実態は拝金主義と権力欲・色欲に塗れた俗物の極みである。嫌悪こそすれ、気にする必要すらないだろう。


「――生石灰と水を反応させて出来た結晶をこちらの溶液と混ぜ合わせます。出来上がるのは白っぽい結晶とモーニアクです。こちらで反応して出てきたモーニアクは第一段階に戻せます。

 この結晶は水分を吸って変質しやすいのですが、上手く使えば濡らしたくない品物や長距離を輸送する乾物などの乾燥材にも使えますし、雨の多い季節なら除湿剤にもなります。

 一度使用した後でも、錬金術で水を再分離してしまえばまた使えますし」


 飛鳥はギラギラとした視線が集中する中、木炭に布を巻いたチョークで記憶の中の化学式を書いていく。この世界の文字でないのは、錬金術の秘奥知識とでも思われているのだろう。


「それと途中で作るソーダ灰は洗剤の代わりや料理にも使えます。大量にあれば火事の時に火を消す目的でも使えますし、畑に撒いて肥料にも出来ます。

 私も教わった範囲の知識しかないので、この話はここまでにいたしますね」


 一度チョークを置いた飛鳥は、ガラスの製造法の説明に移るため、一杯に書き込まれた板を裏返そうと板に手を掛けた。

 当然のように重くて動かないのを察したか、すぐに席を立った男性の魔術師が歩み寄って二人がかりで裏返し、無地の裏面を出してくれる。

 胸の前で祈るように手を組んで見守る飛鳥に、魔術師は(うやうや)しく一礼していた。

 二人が席に着いたのを確認し、飛鳥は再びチョークを握り、説明を始める。


「……こほん。ガラスの材料で重要とされているのは、途中で沈殿して出来た白い結晶を熱して出来た粉です。これと、硅砂と呼ばれる半透明の石を高温で混ぜて成型すればガラスは出来ます。

 混ぜ物の比率や温度によって、ガラス自体の性質はかなり変わるそうです。硬い物、透明なもの、濁ったり色が付いたり、割れにくかったり酸で腐食しにくいものなど様々に分かれます。

 錬金術や魔術を全く使わずに作る時は、半日くらいかけてゆっくり冷やして行かなければ、すぐに(ひび)が入って割れてしまいます」


 窓ガラスや鏡、グラスなどに使うことが多い比率をこちらの世界の文字で書いて、他に加えても問題無いと思う鉱物をいくつか書き足す。

 色を出すための銅や赤く錆びた鉄(酸化鉄)、装飾品には使えない小さな宝石の粒などは教えても問題無かろう。

 飛鳥の知らない新しい発見があれば、それはこの魔法が使える世界で生まれた独自の産物だ。


「材料の硅砂、でしたか。硅砂という素材単独では作れないのですか? もし材料が一つだけなら、混ぜる比率を知らない者にも簡単に作れそうですが」


「錬金術なら、注ぎ込んだ魔力次第では作れます。ただ、過去に幾人も組み合わせを研究していますが、硅砂を溶かす時にこちらの粉を混ぜた方が溶け始める温度が下がって、作業は楽になるそうです。硅砂だけで作ろうとすると、銀を溶かす温度の倍近い温度が必要になるそうで、鍛冶場などの炉では耐えられないと聞いています」


 金属や鉱物の融点など、大体この温度くらいというのは覚えているが、試験が終われば目先のことに追われて記憶が薄れていくものだ。それは飛鳥も例外ではない。

 ただ、元素が元の世界とこちらの世界で共通しているのであれば、そんな大まかな知識でも役に立つことは多い。

 魔力や錬金術を使う知識はアスカ姫に完全に頼り切ったが、飛鳥として身につけた化学の知識も無駄でないと分かり、ホッとしているのも確かだ。


 後の発展はこの世界の人間が行うべき。


 そう考えた飛鳥は、話を終えて用意されていた椅子に優雅に座った。

 アスカという少女の姿をしているから、男だった時のように無造作に脚を広げたり組んだりして座る訳にもいかない。

 膝を揃え、ワンピースの裾を膝裏で揃えて音を立てずに座る。

 背筋はまっすぐに伸ばし、肩に掛かった髪をそっと背中に流す。

 アニエラとハンネが食い入るようにこちらを見つめているのは気になったが、わずかに首を傾げて見つめ返した途端、二人揃って首から上を真っ赤に染め、小さく震えながら俯いている。


「……?」


 飛鳥が静かに見つめる中、広い食堂は板書の文字を写し取るペンの音と、記述を覚えるよう繰り返し低く呟く声だけで満たされていた。






 翌日から、ダニエたちの仕入れに同行する許可が団長から下りた。

 歩けるようになってから団の本部内はほぼ自由に動けていたとはいえ、軟禁に近い状態だったのを考慮し、護衛付きでの許可だ。

 邪教崇拝者に襲撃され監禁された実績(ぜんか)があるので、ある程度信用出来る人間に護衛してもらえるのはありがたい。


 市場へ行きたいと申し出たのは主に食事が原因だ。

 粉に()いた穀物と芋を水で煮た(かゆ)っぽいものを中心に、ローストした数種類の肉や温野菜のサラダ、根菜とタマネギのようなものを肉の欠片と一緒に煮込んだスープのローテーションで、たまに果物が付いてくるだけの食事ではさすがに飽きる。

 味付けも塩とわずかな単品の香辛料だけで、日本で経験していたような複数の調味料や各種のハーブ、発酵食品の出番はない。

 生きられるのであれば、異世界の食の楽しみだって満喫したいのだ。


 待ち合わせ場所は団本部の正面玄関前のホール。

 まだ春先だという外の風は冷たいが、日に日に暖かさを増す陽射しが救いになっている。

 窓もガラスの(はま)った窓ではなく、普段は木の板で塞いで、必要な時や昼間の採光で開け放すだけの簡素なものだ。

 陽の位置からおそらく午前八時前くらいだろうか。

 既に開けられたホールの窓からは光と共に町の喧騒が届いている。


 商人たちも先程からひっきりなしに団本部のホール内に入って来ていた。護衛の依頼票の板を持ってくる者、依頼料の精算のために訪れた者、団員との顔合わせのために訪れた者、日用品などの納入で訪れた者と様々ではある。


 朝食を済ませた飛鳥も、着替えを終えてホールに姿を現していた。

 女性団員が信頼している女性の仕立屋を呼び、先日作ってもらった白のブラウスと赤いプリーツのロングスカートも今日が初お披露目である。

 男性の時によく穿いていたジーンズやスラックス、ジャージに比べれば下半身の風通りが良過ぎて心許(こころもと)ないが、現在は成人前の少女の姿であることを考えると仕方がない。

 もちろんそれだけでは寒いのでカーディガンっぽい上着と厚手のローブも羽織っているが、集合待ちの団員がいるホールや依頼を受け付けるカウンター、その周辺にいる商人からの視線も集めていた。



 魔法王国の王女という出自に関することと、邪教崇拝者の巣窟から救出してもらった礼については、昨晩の夕食の後で団長に付き添ってもらい、帰還していた団員に直接伝えている。

 商隊の護衛などで不在にしており、その場にいない者もいたが、早晩団員同士の繋がりで伝わって行くことだろう。

 魔術師たちや団員の一部が床に膝を突いて(こうべ)を垂れたのには驚いたが、おそらくは王族への跪礼(きれい)だろうと言うことで納得していた。

 アスカとしては当たり前なのかもしれないが、飛鳥としては慣れて良いものではない気がしている。


 ともあれ、出自のせいか外出時の護衛の人数はほぼ倍増した。


 非番の団員や訓練の一環で近場の森へ狩りに向かう者にも、時間が出来た時に持って帰れる範囲で構わないと伝えた上で、アスカの名前で木の実や果実、植物などの採集をお願いしている。

 元の世界でのジャガイモやトマト、アスパラガスの事例を考えると、野草や雑草、観賞用と認識されている可能性はあれど、まだ食用とは認識されていないものもたくさんあるはずだ。

 市場で毒見役の動物も購入する予定だが、動物が問題無く食べるような野草なら人間が食べてもそれほど影響は無いだろう。万が一があっても、強力な麻痺毒や即効性の神経毒でもない限り、魔法という便利な解毒手段もある。


「姫様、全員揃ったようです」


 アニエラに声をかけられて振り返ると、防寒用の装備やローブを纏った団員と調達班の者たちが勢揃いしていた。

 厨房からはダニエ以下四人が、給仕からはイェンナと二人の町娘が、調達班は成人直後らしい男性八人が表通りで荷車の用意をしているという。

 他に魔術師が男女合わせて三人、剣士と槍士が七人も同行する。

 角犀馬(サルヴィヘスト)の曳く荷車も二台繋がれ、他に三頭が調達班の若者に手綱を引かれていた。こちらの世界ではまだ(くら)が無いのか、背にはタオルのような薄い敷物が掛けられているだけで、足を乗せる(あぶみ)もない。


「今日は私の希望に付き合わせてしまい、申し訳ありません」


 飛鳥はこの世界の流儀に合わせて護衛の者たちに相対した。

 頭を下げる代わりに目を軽く伏せ、左足を右足よりわずかに引く。時計で言えば十時と十二時の位置で(かかと)を付け、わずかに爪先を開く。

 その姿勢で左手を軽く胸に当て、軽くスカートの襞を摘んで広げて見せるのは、カーテシーというよりは自身の持つ富と権威を見せるためらしい。古来、衣服に布をたくさん使って着飾ることが出来るのは裕福な家の者だけだからだろう。


「それで、団の運営で忙しいはずの副長がこちらにいらっしゃるのは……?」


「姫さんの護衛だからな。団長と一緒だと美男美少女で護衛が更に大変になるし、俺は書類仕事には向いてねぇ。字ばっかり書いてある書類を見るのは頭が痛くなるから、さっさと会計長と団長に押し付けてきた」


 軽く睨むような視線を向けてみると、しれっとした答えが返ってくる。

 会計長という人はおそらくきちんと対面していないだろうが、金勘定が得意そうな人か、神経質っぽい印象のある人だろうか。

 押し付けられ、この迫力で否定の言葉を口に出来ないうちに言い含められたのだろうか。あるいは、鏡の取引を材料にごり押ししたか。

 自分が悪い訳でもないのに、何故か飛鳥は申し訳ない気分になった。


「……誰か代わりの方(ぎせいしゃ)がいるなら大丈夫なんでしょうね。あまり長い時間をかけてしまうのも良くないでしょうから、早く参りましょうか」


「おう。ゆっくり市場で一杯やって来るくらいは大丈夫だと思うぜ?」


 申し訳ない気分になっているところへ追い打ちをかけてくる副長に、飛鳥も護衛一同も頭を抱えながら荷車へ向かう。

 馬車というよりは大八車かリヤカーに近いそれを()角犀馬(サルヴィヘスト)は『仕事の時間だ』とでも言うように短い(いなな)きを上げ、ゆっくりと飛鳥たちを乗せて市場へ向かい始めた。






 鏡の材料や頼んでおいた仕入れ分を引き取った昨日は、まだ朝一番の取引が始まる前だったためか、今と比べて人が少なかったように思う。

 飛鳥たちが市場に着くと、入口付近には既に角犀馬や人が牽く荷車や、猪か鹿らしい脚に巨大化させたリスのような身体の動物が手綱を着けられて並んでいる。

 今日はその一角へ荷車を止め、調達班の若者数人を留守番に残して市場の中へ入って行く。

 昼以降の食事の買い物に来ているのか、昨日より女性の人出もかなり多い。

 アスカ姫の身体で意識を持ってから一度にこれだけの人を見るのは初めてだろう。


「ダニエとイェンナは先に食材の受け取りを頼む。調達班は交代で荷運びな。買い得品の情報があればそれも集めておけよ。護衛は姫さんの周囲をきちんと護れ。俺は酒屋に寄ってから合流するからな」


「副長!」


「団長から頼まれてた分の引き取りだ。買い物が終わる前にゃ戻るし、前後が分からなくなるほど呑んでくる訳じゃねぇんだからから心配すんな」


 ひらひらと手を振るスヴェンの背を見送るしかない団員は、呆れ半分、見捨てられた飼い犬のような諦め半分といった感じで、情けない視線をアニエラに向けていた。


「はぁ……副長はあの通りなので、お店に向かいましょうか?」


 買い物を始める前から疲れ切った様子のアニエラに、飛鳥は一つ頷いて彼女の後に続く。周囲にいる護衛たちも、疲れた目を見せながらも護衛の重要さを思い起こし、隊列を整えて後を追った。



 緑、黄色、薄紫、オレンジ、赤、赤紫、ピンク、白に肌色に茶色。

 食料品が並べられた箱が並ぶ生鮮品の区画は、露天商よりもタープ状のテントを張って店を構えている者の方が多い。

 青臭いもぎたての野菜の香りや、果物らしい甘い香り、豆でも()ったのか香ばしい香りも漂っている。昨日嗅いだ香辛料の匂いも微かに感じられた。

 さらに奥の方では、狩った獲物を(さば)いて肉にしてくれる店もあるらしい。


「どの店から向かいましょうか?」


「実際に味や料理法を確認したいので、仕入れに使うお店と違って、少しずつの量を買えるお店だと助かります。今日は試しに二人分か三人分ずつ、この時期に普通に買えるものを中心に……あとは塩と香辛料、肉を数種類でしょうか」


「それなら穀物と肉は仕入れもしている店で、野菜はあちらの露天の店で買うのが良いでしょうね。近隣の村落から個人で持ち込む人が多いので、野菜はあちらの方が融通が利きます。

 穀物と塩、香辛料は扱う店が決まっていますし、肉も狩人が直接持ち込んだものは少なくて、ほとんどは肉屋がまとめて買い取って販売していますから」


 アニエラの答えに頷いた飛鳥は、店の間を歩きながら初めて見る作物の名前と特徴を少しずつ聞いていく。


 ユリ根のような鱗茎で、長さ十五センチくらい、直径五センチくらいのオルニアは、店頭で味を試させてもらった限り玉ねぎとほぼ同じと思える。

 他にもアーリウという下仁田ネギのようなもの、エシャロットのような形のピジャールというニンニク、トマトに似た野菜で黄色く甘いアナッカ、赤く酸味の強いトゥマ、薄緑で辛味を感じるエレヴェ、細長い円錐形のルッタというニンジン、ほぼ見た目も食べ方もジャガイモと同じというターティ、大きめの青梗菜(チンゲンサイ)のような形をした、セロリと同じ香味野菜だろうと思われる薄黄色のレィーリ。


 ウィネルという直径二、三センチのイチゴのような果物も見つけたし、ミニトマトかと思って試食してみたミルァープはトマト味の唐辛子のようだった。

 店の人間によれば、乾燥させて種を取り出すとさらに辛くなるという。

 時期外れでたまたま早()りのものが見つかって入荷したらしいので、安定して入手するには旬の夏まで待つしかない。


 他には肉の切れ端を焼いてもらって試食したアヒル程の大きさのトーレという鳩に、豚か猪のような外見のヴィリシ、成人男性の肘から指先くらいの太い角を持つ山羊のイェート、子供の片脚ほどもあるクァルプという淡水の白身魚、体長十五センチ程の川で獲れるラァプというエビ状の甲殻類も見つかった。

 上流や湖まで行けばフォレエルという大型の淡水魚もいるらしいが、保冷技術が未熟なためか入荷していないらしい。

 同様に海の魚なども塩漬けで持ってくるか、朝一で獲れたものを昼過ぎくらいに市場へ持ってくるのだという。


 脂身も不要な部分を安く大量に譲ってもらったので、鍋で種類ごとに溶かして選り分け、料理ごとに使い分けられそうだ。

 余ったら塩析して、石鹸作りも出来る。確か消石灰とソーダ灰の水溶液を加熱分解させれば、石鹸に必要な材料になったはずだ。

 アスカ姫の身体は清潔に保つためにも毎日湯で拭いているけれど、出来れば湯船のある風呂に入りたい。


 それと、かなり高価だという卵も二つだけ購入している。

 生食は産んだ動物の生態が分からない限り危険だろうから出来ないが、揚げ物の衣に使ったり、数を集めることが出来ればマヨネーズのような調味料も作れる。


 酢の材料にするつもりのヴィダ酒も小さな壷一つ分購入してあるし、香辛料も胡椒ほどの辛味はないが代用の候補と言えるものを一つ手に入れていた。

 シナモンかナツメグのような肉の臭い消しに使うものも買ってある。

 生姜(しょうが)紫蘇(しそ)、ターメリック、クミン、フェンネル、コリアンダー、クローブ、タイム、ローリエなどはまだ見つかっていない。季節が変わって市場に新しい作物が並ぶのを待つしかないだろう。


 アルマノという缶ジュースほどの大きさの硬い果実も購入している。

 アルマノは一センチほどの厚い殻を砕き、中の果汁を取り出して煮詰めていくと甘いシロップになるという。さらに天日と風で乾かすと薄茶色の結晶になるそうだ。

 おそらくは砂糖のようなものだろうと当たりをつけている。


 この国では一般的に食用とされていないらしいが、家畜を集めている一角で山羊のようなイェートのミルクを分けてもらえたのも大きな成果だろう。

 辺境の村落では母乳の出が悪い時、このイェートの乳を代わりに与えて急場を乗り切ることがあるらしい。

 飛鳥は成人男性が苦もなく抱えられる程度の壷に一つ分絞ってもらい、錬金術で加熱殺菌したものを木のカップで一口分だけ汲み、味を試している。

 アニエラが「毒見をしてからです!」と慌てて止めようとしていたけれど、口に含んだそれはジャージー牛のミルクのように味が濃く、微かにレモンのような酸味を感じさせた。

 加熱、脱水、発酵、遠心分離と色々試してみる必要はあるが、現代日本で食べていた食べ物の再現――シチューやグラタン、チーズ、バター、生クリームの他、プリンやカスタードクリーム、アイスクリームといった甘味なども狙えそうだ。

 アスカ姫の故国の料理には、ヨーグルトのようなものやチーズらしい発酵食品があったことは記憶から分かっている。旅の途中で側仕えが用意してくれた記憶もあるから、作り方を探る過程で何か分かるはずだ。


 穀物は麦粥のようなものに使われていた中質小麦のホロゥに加え、硬質小麦らしいリース、軟質小麦っぽいルヴァッセが見つかっている。

 粉の状態で指先に付けて舐めさせてもらっただけだが、多分間違いないだろう。あとは実際に料理に使って確かめてみれば良い。

 米と思われるものはさすがに見つからなかった。

 作物は根菜や秋()きの穀物などごく一部を除いて、春に種を()き、秋の中頃から冬の初めにかけてに収穫するものらしい。

 これも野菜同様、旬の季節が巡って来るのを待つか、お願いしている探索・採集の結果を待つしかないだろう。


 試行錯誤が上手く結果に結び付けば、パスタや唐揚げ、焼き鳥にうどん、エビフライ、ハンバーグ、てんぷら、魚の塩焼きなども再現できるかも知れない。発酵を研究する人が見つかって協力してくれたら、比較的早い段階で酒やヨーグルト、味噌や醤油だって再現できるかも知れない。

 イチゴっぽいウィネルから酵母が出来ればふわふわのパンも視野に入るし、食用になる野菜と獣肉のバリエーションが増えていけばコンソメスープのような複雑な味のスープにも挑戦できるだろう。羊の腸のようなものがあれば、挽き肉を詰めてソーセージだって狙える。



 調理器具は包丁と挽肉用のミートチョッパーの製作を団専属の鍛冶師の親方に依頼してある。

 昨日鏡を作った後に団長立ち合いでお願いをしてみたところ、大体でも良いから図面を引いてみることと、団員の武器のメンテナンスが終わった後に作るということを条件に引き受けてもらえた。

 覚えている限りでも一晩で全て描くのは無理なので、万能包丁、中出刃、薄刃の順で作ってもらうつもりだ。

 平鍋やフライパン数種、寸胴鍋、フライ返し、お玉杓子、金属製のボウル、バットなど、作ってもらいたいものは一杯ある。


 さすがに道具も最初から全て揃っている訳ではないため、今日のところはこの町で一般的な、取り回しのしやすい包丁を二本購入した。刃の厚さは出刃より少し薄い程度だが、肉用と野菜用で分けてある。


 フライパンのようなものもあったけれど、径は三十センチ程度、深さは二、三センチほどと浅い。柄は木製なので、使っていても熱くはなさそうだ。これ以上大きくても今のアスカ姫の身体では扱えないだろうが、深さだけはもう少し欲しかった。蓋がないので、このままではアルコールを使った蒸し焼きなども出来ないだろう。

 いざとなれば錬金術や魔術で強引に解決できるのだろうが、他の者が真似できないことをしても、それが広まらないのであれば無意味だ。


 ソースパンやミルクパン、卵焼き専用のフライパン、中華鍋、土鍋、蒸籠(せいろ)や蒸し器なども市場には見当たらなかったため、記憶を総動員して図面を作り、鍛冶師に頼み込んで作ってもらうしかなさそうだ。


 フライ返しなどの代用品になりそうな物もなかったので、木製品の細工屋で長短二種類の菜箸も作ってもらっている。いずれきちんとした道具が揃うまでの繋ぎだが、熱に強く硬めで、油や水を吸いにくい木を選んで加工してもらった。

 電子レンジも冷蔵庫もない世界だから、いずれはそうしたものも魔術や錬金術を活かして作らなければならないだろう。

 快適な食生活に辿り着くまで、道は遠い。



 買い物の最後に、毒見役として雑食性の育てやすい小動物を二頭、アニエラとハンネのお勧めで購入してもらう。

 大人しくて飼いやすいという条件で選ばれたのは、体長五十センチほどで甲羅が無く、短い毛の生えたゾウガメのような陸生動物キールピーダと、ワイン色の毛皮にターコイズの細い縞が三本入った、角のない小鹿に似ているルーヴィウスだ。

 どちらも最長で五、六年程度の寿命らしいが繁殖もし易く、毒や身体にとって害になる薬品の匂いにも敏感で、農村では家畜として飼われた後に肉や毛皮を売ることも多いという。子供たちの遊び相手として飼われることも多いそうだ。

 旅をする商人が水の安全性を確かめるために連れていくことも多いらしい。

 身体は小さいものの、この状態で子供ではなく成体だというから、連れ回すのにも便利なのだろう。


「これからよろしくお願いします……大事な毒見役ですから、間違って食べられたりしないように守ってあげないといけませんね」


 頭や背を優しく撫で、首に巻いた縄を持って歩き出すと、縄を引かずともすぐに人懐こく後を追ってくる。

 実家で飼っていた芝犬を彷彿(ほうふつ)とさせる姿に、思わず頬が緩む。

 その余波か、柔らかな微笑みを見た者たちが(つまづ)いたり転んだり、店先の売り物や誰かとぶつかったりしたのは、今の容姿が与える影響を忘れていた飛鳥自身が悪い訳ではない。見惚れて周囲の確認を怠った方が悪いのだ。


 戻る道すがら、記録をつけるための薄い木板やペン、インクの他、木片のサンプルや鉱石、粘土などを少量ずつ、商店や素材屋から購入していく。

 商品になっていないものは買い物ついでのおまけとしてもらったか、ほぼ半銅貨から銅貨一枚程度で購入出来ている。何かに利用できるかは実験次第だろう。


 市場の外で待っていた荷車に荷物を満載し、キールピーダとルーヴィウスを連れて帰ってきた頃には、酒屋に行っていたというスヴェンも戻っていた。

 その脇には麦酒のものらしい大きめの樽が一つと、飛鳥は当然呑まなかったが、歌舞伎公演の祝儀で劇場宛に贈られたことのある四斗樽サイズの樽が二つ鎮座している。


「おう姫さん、お帰り。そいつは今夜の晩飯か?」


 酒臭い息で尋ねたスヴェンに、女性陣からじっとりとした視線が一斉に向けられる。飛鳥は二頭の首を安心させるように撫でてから、半歩前に出た。


「この子たちは大事な毒見役です。だから、ご飯はあげても食べるのは禁止です」


「――塩だけで焼いたルーヴィウスの串焼き、美味いんだぜ?」


 ぼそりと呟いた言葉に、飛鳥は即座に試作料理の試食一週間禁止を言い渡し、二頭の毒見役の動物と共に半分涙目で荷車に乗って帰った。

 二頭を抱きしめ守るようなアスカ姫の様子に、男性護衛や調達班の若い班員たちからスヴェンに向けられる視線も冷たい。


 本部への帰着後、アニエラとハンネ、他の護衛たちからもこの件で報告が上がったスヴェンは、執務室で留守番だった団長から料理の試食だけでなく、三日間の飲酒禁止も言い渡されたという。


一応、開始当初に宣言した通り5/7まで毎日更新を続けて来られました。読んで頂いている方には感謝しきりです。誤字脱字は出来る限りアップ前に潰しているつもりですが、見逃し等あれば報告頂けると助かります。合わせて感想も頂けると連載の励みになります。


飛鳥の言動や行動が時折幼く見えるような描写があるのは故意です。男女の違い、年齢の違いなど要素は色々ありますが。


副長のオチがついた所で一週間待たせるのも酷なので、5/8(月)にも一話投下する予定です。その後は仕事の方で新規案件が動き始めるので、週一程度に更新頻度を下げるつもりでいます。ところで出版されてる本の帯にPV数が何万とか書いてあったりするけど、どこで調べてるんだろう……?

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