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女形の姫様転生記  作者: 新島 隆治
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鏡を作ろう

朝一更新出来なかったので、出かける前に慌ただしく……

「お茶、ご馳走様でした。美味しかったです」


 歩行訓練というリハビリの休憩中、お茶を飲み終えた飛鳥がアニエラに軽く頭を下げると、頬を撫でる銀色の髪が視界に映る。

 身体の持ち主である少女の本来の身分――王族というものは、他国の王族相手でも基本的に頭を下げることは無いし、まして階級が下の者に対して軽々に頭を下げること自体許されない。

 それは分かっているが、飛鳥はわざと現代日本的な所作でそうした暗黙の了解を破っていた。


 言葉遣いも現在の『姫』という見た目と立場に配慮して、可能な限り丁寧になるよう、飛鳥としての言葉遣いを避けて少女らしい言い回しを心がけている。

 だが実態は「余所行き」の(ゆかり)の模倣だ。

 歌舞伎の舞台で女形(おんながた)としての役を演じているのと同様、少女の姿に扮して由緒正しき姫という役を演じていると思えば、立ち居振る舞いや言葉遣いをそれらしく変えることくらいは出来る。

 風呂に入れず桶に張った湯で身体を拭くだけの生活や、用を足す際の男女の違いなど、性差や文化の差を感じて内心凹んだことは多々あったが。



 この世界の茶は薄い金緑の水色(すいしょく)で、口に含むと自然な甘みの中に微かな苦みがあり、ミントのような爽やかさのある香りが微かに残る。

 緑茶や紅茶と違ってハーブティーに近いが、茶葉自体の香りと、一度沸騰させて冷ました湯を使って淹れたことで、土の臭いが薄れていた。


 アニエラは傭兵団の魔術師が本業で、治癒や薬の製作は副業のようなものと言っていたが、元々こうして実際に手を動かすことが性格的に向いているのだろう。

 それと、ふとした行動の端々に見られる所作の丁寧さ。

 本人は『王都の魔術学院の必修科目で、貴族に仕えた時の知識として色々練習させられた』と言っていたが、言葉通りではないはずだ。もっと長い間、おそらく幼少の頃から十数年、日常的にマナーや所作を叩き込まれていた気配がある。



 現代日本でもそうだが、普段からの所作というものは(しつけ)と同じで、それぞれの出自階級や家庭環境によって明確な違いや差を見せる。

 所作は物を言わずとも自らの品格と威厳とを如実に表す。


 日本では公家や武士といった階級社会はとうの昔に姿を消しているが、『家』という(くく)りの中で幼少の頃から躾と共に教えられ、厳しく身に付けさせられる所作や立ち居振る舞いは、未だにその家の出自に大きな影響を受けるからだ。

 立ち居の姿勢、身のこなし、歩き方、他者との話し方や気配り、指先の動き、視線の向け方、食事の仕方、身だしなみ――対象となる要素はたくさんある。

 要は『自分の行動が他者に不快感を与えないよう、常に自らを律して振る舞う』ことだ。


 躾や文化は、それを守り伝え続ける者がいれば、親から子へ、子から孫へ、家と血が続く限り途切れることなく連綿と受け継がれていく。

 しかし飛鳥がいた時代の日本では、核家族化の進行による親の育児放棄や若年世代のモラルハザード、男女問わず公共マナーの著しい低下が目立つと度々取り上げられては社会問題とされ、ついには全国的な教育カリキュラムの変更にまで影響が及んだ。


 かつては武家だった家系の者が周囲にいる平民や農民の所作の真似をすることは、慣れるまでそれなりに時間がかかり苦労はするだろうが、不可能ではない。

 基本的には既に身に付けた所作の省略や慣習の無視など、元から持っている要素を単純に切り捨てていくだけだからだ。

 だが逆に、厳しい躾や高い教養を然程(さほど)求められて来なかった平民の家系で育ってきた者が、歴史ある武家や公家、古くから続く寺社の家系を継ぐ者に当たり前のように求められている所作・振る舞いを身に付けるのは、たとえ知識があったとしても非常に困難である。

 たとえ血を吐くような努力をして、何とか形だけそれらしく似せることは出来たとしても。もっともそんな方法で身に着けても、メッキはすぐに剥げてしまう。

 努力して真似したり演じ振る舞うことは出来ても、それに同化することは決して出来ない。

 こればかりは階級ごとの『教育にかけられる費用の差』で生まれるものではない。その者を取り巻く『生まれ育った環境』によるものだ。



 飛鳥が生まれた歌舞伎の家にもそうした諸々の伝統や躾があり、配役毎に必要とされる所作があり、舞台に立つために物心すらつかぬ幼い頃から基礎として叩き込まれる様々な下地がある。

 飛鳥の場合は若手一番の女形として、役として女性らしい所作を覚えるため日舞や和琴を習わされたり、幼馴染みの(ゆかり)と一緒に華道や茶道の教室に通ったり、和洋のテーブルマナーや社交ダンス、男女別のエスコートの仕方や護身術、武道、殺陣(たて)や乗馬に至るまで、芸に必要と思われるものは一通り叩き込まれた。


 時折、一緒に習い事に通った紫と揃いのワンピースを着せられたり、ブラウスにスカートを穿かせられていたのはあまり思い出したくない出来事だ。女物の服を着せられて紫と一緒にいた小学校の低学年くらいまでは、ズボンを穿いていても当たり前のように姉妹とか従姉妹同士に見られている。

 唯一の救いは、親戚の神社で巫女の恰好をさせられなかったことだ。こればかりは飛鳥も本気で胸を撫で下ろした。代わりに手伝いをさせられた紫と皐月(さつき)の機嫌が半日ほど悪くなったが。

 その紫も幼い頃に決められた婚約者というだけでなく、本格的に交際を始めた頃には身体的な違いや体力の差を思い知ったり、女性としての日常の所作や注意点について教わったりもしている。

 全ては舞台で魅せる芸に活かすために。



 それはさておき。


 アニエラの振る舞いにも、そうした階級の下地を感じたのだ。王都出身の平民と言っていたが、おそらくは下級貴族や騎士階級などの出自で、女子である彼女が家督を継ぐことはないため家を出たにしても、躾は同じように行われたのだろう。


「そういえば、こちらには鏡のようなものはありませんか? 無ければ、(みが)かれた剣のようなものでも構わないのですが」


 お茶の合間に、ごく普通の口調でアニエラに話しかける。

 彼女は飛鳥がベッドから離れられるようになった頃から、一緒の席に着こうとはしない。二人の間に厳然たる身分差があるような、少しよそよそしくて寂しいような、奇妙な感じがあった。


 それに、穴蔵でレニエが握らせてくれた護身の短剣の行方も気になっている。

 傭兵団の者が賊の持ち物を改め、貯め込んでいた戦利品などをこの町に持ち帰っているなら、あの短剣が目利きの目に留まらないわけがない。


(わたくし)の落としてしまった短剣があれば、研かれた刀身が鏡の代わりにもなるのですけど……」


「そ、それでしたら大事なものだったようなので、被害者の持ち物とは別に、団長が保管されています」


 アニエラはわずかに慌てた様子を見せながら、訓練の指揮を取っている団長の姿を目で追っていた。

 きっと短剣を返した際に自害しないかどうか警戒しているのだろう。

 アスカの記憶によれば王族の娘の護り刀として伝えられているものらしく、失ってしまうのは最期を悟って渡してくれたレニエにも申し訳ない。


「……大丈夫です。返して頂いても、伴の者を追って喉を突いたりはしませんよ。せめて彼女たちをきちんと弔って、皆に生かしてもらった私が精一杯生きてからでなければ怒られてしまいます。

 それにあの短剣は私の家に伝わる品で、子供が生まれた時に新しく作られ、本来なら嫁ぐ時か成人を前に親から授けられる大切なものですから」


 飛鳥は安心させるように微笑み、傍らのアニエラを見上げた。


 前世とも言える飛鳥の人生の最期はダガーによって奪われたものの、この世界では個人の最期の尊厳を守り、また活路を切り開く最後の武器として用意されている。

 男子ならば戦場の死地を切り開いて生還し、あるいは己の最期を定めるため。

 女子であれば死地や危機において純潔や貞操を守り、誇りと尊厳を守るため。


 アスカの持つそれは、リージュールの王家が最後に発注し作り出された正真正銘「最後の一振り」だ。

 彼女の母である王妃が旅の途中で不治の病に倒れ亡くなった際、王妃の持っていた佩剣は棺と共に葬られている。

 国の崩壊に際し、一度は離宮に逃れたものの再び王都に引き返したという国王の安否は知れず、他の王族の生死も全く分からないが、聞き育ってきた情報が確かなら、現在王国由来の短剣を持つ者はアスカ姫ただ一人のはずだ。


「短剣の返還は、また団長にご相談します。とりあえずは少々確認したいことがあるので、剣の刃を鏡代わりに見せてもらえませんか?」


 飛鳥はアスカの容姿を詳しく知らない。薄暗い部屋の中で桶の湯に映った容姿を何となく見たことはあるが、陽の差す場所で今の自身の姿をはっきりと見たことはない。

 おそらくは、という推察は出来るものの、確証を得ておかないと危険だろうと判断した飛鳥は、わずかな威圧と共に護衛をするレーアに視線を向ける。


 可憐な容姿と雰囲気から、威圧ではなく、貴族や王族の姫が可愛く睨んだようなものにしかならなかったが、平民出身のレーアにはそれで十分だった。

 それだけ貴族を始めとする支配階級と平民との間にある身分差は大きい。

 レーアは害意がないことを示すように剣帯から鞘ごと外し、テーブルに載せてわずかに剣身を引き出す。()が刻まれていないタイプの剣らしく、多少表面に歪みはあるものの、手入れの行き届いたそれは陽の光を受けて(まばゆ)く輝いている。

 その角度を変え、飛鳥は初めて真正面からアスカの容姿を見ることになった。


 輝く銀髪に、透き通った紫水晶を思わせる瞳。すっと通った鼻梁は高過ぎず低過ぎず、絶妙な高さでアスカの可憐さを強調している。

 この数日の療養で血色が戻ってきて淡い桜色を湛えた唇と頬。日焼けとは縁遠い、生を感じながらも抜けるような透明感のある肌。それはこの年齢でしか持ち得ない、内側から溢れる少女の生命力を余すところなく現していた。

 肩に掛かる程度と思っていた髪は胸の膨らみの少し上程度まであり、今はアニエラやハンネといった傭兵団の女性たちによって(くしけず)られ、綺麗に整えられている。さすがに後ろまでは見られないが、背中側はもっと下、臍の上辺りまではありそうだ。

 胸にかかる髪の先が少々不揃いになっているのは、傷んだ髪を寝ている間に切ったからだろうか。


 飛鳥は表情に出さないながら、しばし呆けてアスカの容姿に見とれてしまった。

 今は飛鳥が女性の身体を占有してしまい、その少女の容姿を借りているという事実は葛藤の末に受け入れつつあったものの、こうして鏡代わりのものを使って正対し、その整った容姿を見てしまうと思わず圧倒されてしまう。


 隣にいるアニエラが、剣を支えるため手を添えようか迷ったようにしている姿が視界の隅に映る。けれど、金属の塊だけに思っていたより重量を感じるが、細い腕でも支えられないほどではない。

 飛鳥はアニエラの様子を見て気を取り直し、剣身に映る自身の姿を正視した。

 左手だけで角度を維持しながら、穴蔵に監禁されていた時よりもわずかに伸びたと思われる前髪を指先で摘まむ。

 この世界に存在するかは分からないが、上質の絹糸のように細く柔らかで、こうして見た限りでは跳び跳ねたり変な癖もついていない。


「ええと……髪、どうかされました?」


「ああ、いえ――少し前髪が伸びたかな、と感じたものですから」


 恐る恐る声をかけてくるアニエラに、飛鳥は剣を鞘に戻して振り返り、なるべくおっとりした口調で安心させるように答えた。


「やはり、鏡と(はさみ)が必要でしょうか……」


「鏡ですか? さすがに鏡は高価ですね。団長が小さなものをお持ちだったかもしれませんが……それと、鋏というのは?」


 レーアに剣を返してアニエラに詳しい話を聞くと、髪を整えるのは基本的にごく小さな剃刀(かみそり)のような刃物で削ぐように切るのが主流だという。鋏も存在せず、布の裁断も布切り包丁のような道具で行っているらしい。

 以前舞台衣装を担当している職人に、和服などの裁断では古くから使われてきた布切り包丁の方が思った箇所で綺麗に切れるという話は聞いたことがある。だが、髪を切るのは専用の鋏の方が良いだろう。アスカのような綺麗な髪なら尚更だ。


 この世界の具体的な文化レベルが分からなかったので、現代日本でならば比較的簡単に手に入りそうな品物をいくつか挙げてみたのだが、どうやらそれ以前の問題のようだ。

 だが同時に、日本人は総じて職人気質の者が多いらしく、『必要な道具が無ければ作る』を地で行くことが多い。製品を作ったり加工したりする道具もそうだが、生活の中で不便を解消する道具もまた手作りされている。


 髪を切って整える道具が無いならば作れば良い。自分で作れなければ、作れそうな職人に作業を頼むしかない。

 それに、焼き入れや研磨など細かいことは分からずとも、職人であれば師匠から受け継いできた方法の中に応用できる方法もあるだろう。

 最後の手段ではあるが、この数日で触れることが出来た、アスカ姫として持っている錬金術の知識に頼ることも出来るはずだ。


 アスカ姫の身体から飛鳥が出て行けるのかどうかも、もしそうなった場合どうなるかも分からない以上、多少この世界に別の世界の技術を(もたら)したところで自重する必要もない。

 まだ試していないので出自と知識の通りに魔法が使えるかは分からないが、飛鳥が齎す知識や技術に価値を認めて保護してくれるなら、護衛や傭兵団が敵に回ることもないはずだ。


 ガラス製の鏡も普及していないらしい。この世界で鏡といえば、銀や銅といった金属を薄く延ばし表面を磨いて作るコンパクトサイズのものがほとんどで、百円ショップで売っていたような安価な鏡や、ホームセンターなどで売られていた四、五千円程度の姿見は皆無だということだ。


 幸い銀鏡反応は昨秋の授業で習って実験も終えており、十二月頭に行われた期末試験でも出題されていた範囲だ。普通は試験が終わり次第勉強したことなど忘れていくものだが、反応の様子が面白く、細かな化学式は忘れた今でもおぼろげながら覚えていることの方が多い。

 細かい部分は忘れたといっても、さすがに肝心な部分くらいは覚えている。


 ガラスの製造法も工業的で大きなサイズの物は作れないだろうが、概要は伝えてしまっても良いだろう。吹きガラスや簡単な板ガラスが作れるようになれば、食器や窓にも応用できる。

 アスカ姫の錬金の知識を応用すれば、現代日本で作られているような大型の板ガラスの製造も不可能ではないのだが――そこまでは求められまい。自分で必要とする分を自身で作るのは許容範囲だとしても。


「ならば鏡を作ってみましょうか。方法は一応習っていますし、魔術と錬金術で代用できる工程もあります。いくつか用意して頂きたいものがあるのですけど、お願い出来ますか?」


 まだ飛鳥自身が意識を持つようになってからは使ったことが無いが、アスカとして学んできた魔術や錬金術の知識もこの身体には残っている。寝る前にいくつか簡単なものを試してみれば、使えるかどうかはすぐに分かる。

 ガラスの材料であるソーダ灰も、銀鏡反応に使う硝酸銀などの薬品も、この世界の技術を併用すれば案外何とかなるのではないか。

 そう考えた飛鳥はアニエラにいくつかの品物の調達を頼み、手元に無いという物は町の市場へ一緒に探しに行くことを決めた。

 酸とアルカリを判定する簡単な試薬くらいは必要になるだろう。

 アスカとして持っている錬金の知識から、アニエラが行く店で扱っていれば幸い、程度の試薬の買い出しを頼んでおく。

 リトマス紙のような物は、いずれ自分で調べたり作らなければならないかもしれないが。


 あとは鋏を作る鍛冶屋だ。華奢で非力な身体になってしまった自分が作らなくても、武器など刃物から技術を応用することは可能なはず。専門の職人がいるなら力仕事は依頼すればいい。

 現状この世界でアスカの身体を借り、彼女自身として生きていくしか手段がない以上、飛鳥は自重を投げ捨てることに決めた。






 アスカ姫が町に出かけることになった。

 夕食後の執務室でアニエラからその日の報告を受けた団長は、その場で女性団員を中心に五名選抜し、お目付役として副長をつけることを決める。


「それで、どうして急に町へ行こうと……?」


「姫様が伸びた前髪を気にされて、その確認のために鏡を欲しておられたのがきっかけです。今日は護衛を担当していたレーアの剣の刃で代用しましたが、鏡がこの国では高価なものだとお伝えすると、比較的簡単に作れると仰られたので……。

 それと、可能なら鍛冶場と職人も借りたいとのことです」


 アニエラはアスカ姫に頼まれたという石を袋から取り出し、執務室のテーブルに並べる。その辺の道端にも転がっているような半透明の石や、白っぽく脆い石などが種類ごとに並ぶ。


「鍛冶場で作業する場所がない場合、強い火力を出しても構わない場所を教えてもらえると助かる、とも仰られていました」


「これで何を作るんだ……? 俺にはただの石ころにしか見えねぇが。鏡ってのは銅や銀を薄く延ばして作るんだったよな?」


「さあ……こちらの石は粘土に混ぜて相当な高温で焼いて、壷や皿のようなものを作ることがあります。ただ、これ単体だと強度がそれほどないので普通は使わないんですよ。私も学院の錬金の授業で少しだけ扱ったことがありますけど。

 他の素材は姫様から指示を受けて揃えたもので、それらしい性質だと分かっているだけで、内容は良く分かっていません。

 それと、こちらを団専属の鍛冶師か町の鍛冶師に作ってもらいたいと」


 アニエラが脇に挟んでいた木の板には、綺麗な字で材料の選別方法と鍛造のやり方、大きさと形の指定などが書かれている。

 現代日本の専門家なら鼻で笑ってしまうような稚拙で中途半端な知識であっても、文化レベルが全く違うこの世界では異質の――それこそオーバーテクノロジーとして受け取られる物もある。

 この世界では、この方法で手順を踏むとこのような結果が得られる、という経験の蓄積はあっても、どうしてそうなるのかという部分の知識が広まらず、物理法則を捻じ曲げて実現させる魔法に頼っている部分が多いのも事実だ。

 魔法という技術が発達している世界と、科学だけが突出して発達し魔法が(すた)れた世界とでは、基本と知識が根本から違うのだから已むを得まい。


「この大きさは姫が自ら使われることを想定したものだろうか?」


「だと思います。こちらの図面を書かれる時、ご自分の手の大きさを測りながら記入されていましたので。金属の精錬に関しても、学院では錬金術にこんなやり方があるなんて教わっていませんでした」


「難しい話は良く分からねぇが、姫さんが俺たちに教えても良いというくらいの知識なんだろう? ならありがたく教えてもらえ。

 もしその結果大金を稼げるような品物が出来上がるんなら、一旦はありがたく受け取って、あとで姫さんの養育費に回せば問題はねぇだろう」


 目の前では考えることを早々に放棄した副長のスヴェンが酒杯を傾け、脚を組んで椅子に背を預けている。だが、判断そのものは方針として間違っていない。

 町の中核を担う傭兵団とはいえ、団員が食っていくための資金力というものはいくらあっても困るものではない。成人前の姫の庇護・養育という自ら抱えた大役も、豊富な資金力がなければ遂行は困難だ。


 ましてや彼女は魔法王国の王族の姫だ。国を失ったらしいとはいえ、幼少の頃から受けてきた教育の内容と質の高さは、この国の貴族の比ではないはず。

 アニエラが言った通り、錬金術方面でも停滞したこの国の技術を変革できるようなものなら、ロヴァーニの町が受ける恩恵も大きくなる。

 単なる辺境の交易都市ではなく、ここから特産品を発信し、交易を呼び込むことも出来るはずだ。


「市場へ行くことと、鍛冶場の使用について条件付きで許可しよう。職人の都合と団の鍛冶場が使えるかどうかは、明朝親方に確認する。もし使えない場合は町外れで行うことになると思う。

 それと、錬金術については手の空いている団員を動員して人払いを頼む。もし他に場所が無かったら、ここの訓練場の隅を使っても構わない」


 腹を決めた団長は、決定事項として副長とアニエラに伝えた。鍛冶場は――親方次第だが、新しい技術や方法、道具を見る機会だと説得すれば行けそうな気がする。


「もし錬金術を町外れで行う時は、スヴェンが場所の手配をしてくれ」


「姫さん除けか?」


「ああ。この町で生計を立てている商人は団に対して好意的だし、基本的に聞き分けが良いが、あれだけ美しい姫だからな。交易商人は我々が保護しているからと勘違いして、馬鹿な手段を取らない奴が皆無とは言い難い」


「了解した。元々休暇中の班を二つと、グスタたちの班を動員しよう。あいつらの次の商隊護衛の任務、出発は三日後だったはずだ。どうせそれまで飲んで娼館に入り浸ってるくらいだろうしな」


 団長と副長の間で決められていく項目を書き取りながら、アニエラは静かな興奮を心の内に秘めていた。

 学院で学んだ以上の、おそらく世界で最も進んだ錬金術や魔術に触れられる。

 知識を渇望し追求する魔術師としては興奮せずにいられない。

 アニエラは分からない部分が多いなりにも、何とかしてアスカ姫の要望を叶えられるだけの働きをしようと心に誓った。






 遠くまで連なり広がる丘陵の起伏の間から陽が昇り、微かに緑がかった薄黄と薄紫、二つの月がそれぞれ別の方角に沈みかけた頃、ロヴァーニの町は長い夜の眠りから目覚める。


 夜明け前から動き始めていた職人や商人も多いが、不寝番を除いた大体の町の者は日の出とともに起き、陽が沈んでしばらくしたら灯りを消して寝てしまうのが常だ。

 町の門も日の出とともに開放され、近隣の村落から作物を運んできたらしい籠を背負った農民が入ってきたり、昨夕までに町で取引を終え、荷車に商品を満載した商隊が出ていくのが見える。


 飛鳥が目を覚ましたのもそんな朝早い時間だ。

 この少女の身体で目覚めて間もなく三週間が経つ。さすがに監禁状態から救出された直後は無理だったが、今では生活リズムの変化にも慣れ、朝夕に身体を拭くのもこちらの世界のトイレにも慣れてきている。

 まだこの身体での経験はないが、この年頃の少女ならおそらく来るだろう「月のもの」も覚悟だけはしていた。

 部屋の窓を塞ぐ木戸の隙間からは夜明け直後の冷たい風と共に細く朝陽が差し込み、少々波を打った板張りの床や緩やかな起伏を見せるベッドの上を照らしている。


 室内を満たす冷たい空気が、温められた布団を剥ぐ動きで掻き混ぜられる。

 側仕えがいれば起こされるまで寝ていなければならないが、レニエ亡き今、団の女性たちに頼る訳にもいかない。


 着替えも同様だ。

 現在のアスカの体型に合わせて作られた、脇で紐を結えるタイプのショーツとショートパンツの中間に見える下着に、ブラジャーの役割を果たすらしい丈が短めのタンクトップのような下着。ワイヤーなどは無く、膨らみの下を紐で結わえただけなので、現代的な補正や美を意識した下着は存在していない。

 いずれこの身体で成長して行く時には、踏ん切りをつけて現代的な下着の製作に手を付けなければいけないのだろう。

 下着を身に着けた飛鳥は、部屋備え付けのクローゼットから無地のワンピースを選び、帯を緩く締めてカーディガンのような赤い上着を羽織る。

 外出するなら、この上にローブのようなものを羽織れば問題無い。


 木戸を開けて光を呼び込んだ飛鳥は、床に映る影を見ながらハンネが買ってきてくれていた櫛で髪を整える。

 王族の姫であるアスカとしての側仕えも居らず、女形である飛鳥としての付き人や紫の手助けもない。

 鏡があれば一人でももう少し楽なのだろうが、それが望めない場所では仕方無かろう。

 それに、今日はその鏡を作るために色々と動くのだ。

 自分の現在の容姿が傭兵団だけでなく町の住民にも知れ渡り、知識や出来ることが知れるのは仕方のないことだと割り切っている。

 利用されるかもしれない恐れもあるが、少なくとも利にならない自分を賊の手から救い出し、こうして下にも置かず面倒を見てくれている団の人々に対して、今の所は隔意を抱いてはいない。

 恩返しというほどでもないが、現在の環境が満足出来なければ作り変えてしまうまでだ。


 それに体力がある程度回復するまでは使用を控えていたが、今日からは実際にアスカとしての魔術も使っていくことにしている。昨晩遅く、彼女の記憶を頼りに使った初歩の『灯りの魔術』は全く問題なく成功していた。明るさのコントロールも難なく成功している。

 魔法王国の王家直系の姫君の力が如何(いか)ほどのものか、幼い頃からファンタジー系小説や映画を見て育った飛鳥には興味が尽きない。


「じゃあ自重を捨てて、アスカとして少しでも快適に過ごせるように――出来る範囲で頑張ってみましょうか」


 むん、と傍から見れば健気さと可愛らしさしか感じないガッツポーズを一つして扉に手を掛けた飛鳥は、ワンピースの裾をわずかに揺らして歩き始める。

 見た目を意識して紫の振る舞いを真似たその姿と所作は、完全に少女のもの。

 化粧の一つも無いながら輝く容姿で、飛鳥は部屋の入口へと向かった。


黒髪ロングストレートが個人的には至高だけど、可愛ければそれが正義。

銀髪も金髪も、似合っていれば大好物です。

まだ銀座と穴蔵と団本部でしか話が進んでいなかったけれど、次でようやく敷地の外に出られます。週や月についてはしばらく先で出てきますが、地球の尺度とは違います。

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