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女形の姫様転生記  作者: 新島 隆治
46/49

招かれざる者 前編

五月中旬に副業の現場で新型コロナ患者が発生して、見えない危険を身近に感じてました……保健所が事務所に入ったり、濃厚接触者の調査で大半がシロだったため数日で消毒を終えて業務再開となりましたが。

本当は五月中にアップしたかったけど体力が尽きていたので月を跨いで更新。予想以上に長くなったので初の前・後編仕立てになります。前編は約1万8千字弱。


 角犀馬(サルヴィヘスト)(ひづめ)が砕石の敷き詰められた街道をひた走る。

 夕陽は十数分前に地平線へと隠れ、現在は客車の周辺に浮かべた魔術の明かりで道を照らしていた。


 しっかりとした石畳を敷いたのはラッサーリ近辺の休憩地やシルヴェステルたちと会った場所などごく一部で、南方街道の大半はこうした砕石を敷き詰めただけの道になっている。中途半端な整備状態になったのは、主に今後来るだろう移住者への仕事の割り振りを考慮しているためだ。


 辺境街道の整備は再来年の末頃までにラッサーリへの道が完成し、それ以降も数年は近隣の辺境の集落を繋ぐ街道の整備が見込まれている。

 しかし町や集落の発展やロヴァーニへの人口流入、農地の開発速度、交易の拡大などを考えると、いずれは働き、食べ、住む場所が無くなってしまう。


 ただ住むだけならば――脅威となる野獣や野盗の襲撃を考えないなら――どんな場所でも家を建て住むことは可能だ。けれども「安全に」「集落として発展する」ことを考えたら、自らで調達できないものを供給してくれて、自分たちが作った物の余剰を金銭に代えられる市場(ばしょ)が必要になる。

 その取り引きの場へと向かう安全な街道も。


 現在客車や荷車が走っている南方街道と、辺境をほぼ東西に貫く辺境街道はその基盤となる最たるものだ。


 既に視界の先には大きな篝火(かがりび)が目印として()かれ、野営用の天幕や照明用の魔術の明かり、即席の炊事場から上がる湯気も見えている。


 小さな川を挟んだ窪地の向こう側で待つ部隊には、出発前に伝令を送ってある。

 ライヒアラ王国からの使節と護衛を連れて戻ること、合流が日没前後か少し遅れる旨は伝えてあるので、後方に残っていた部隊が先んじて野営の準備を整えてくれているのだろう。


「姫様、野営地の灯りです。迎えの部隊も小川の向こうに来ています」


 客車の御者台にいたクァトリが車内を振り返って声をかけてくる。

 角犀馬の手綱(たづな)を握ったレーアはパウラともう一頭の機嫌を取りながら走らせることに集中しているため、振り返る余裕はなさそうだ。

 出発前の休憩の際、晩ご飯を豪華にするという条件を出したので()むを得まい。

 その程度ならば彼女の主も笑って許してくれる。


「こうした窪地は暗くなっていて街道からは見えにくいでしょう? 道を外れないこともそうですが、日が暮れて辺りが見えにくい時間帯に良からぬ者が入って、身を潜めている可能性もあります。

 ネリア、リスティナ、ライラ、分担して客車の左右と後方に魔術で灯りを追加して下さい。目標位置は街道の外側五テメル(メートル)、地面との高さはニテメル。

 移動中だから客車と灯りの相対位置を固定して」


 客車の前方は角犀馬の足元を明るくするために四つの灯りが浮かべられ、魔術具を使った灯りで街道の端の位置を照らしている。

 現代日本で夜間の道路工事に使われる投光器のような(まばゆ)い光を放つそれは、圧倒的な光量で周囲の闇を駆逐していた。結果、強化加速(キーヒトヴィース)の魔術の効果も加わって全速力に近い速度を維持できている。


 客車の四隅にもランタンのような灯りが吊るされているが、それらは全て火事を起こさないために晶石を使った魔術具になっていた。


「灯りの魔術を多用することでこの客車が目立ちますが、(おとり)のようなものです。左右には警戒用の騎獣を寄せて下さい。潜んでいるのがこちらの味方であれば事前に合図を送って来て同士討ちを避けるでしょう。

 そうでなければ――いつでも攻撃と防御が行えるように注意して下さい」


 アスカ姫自身も十数年に渡る長い旅を経験しているため、移動中の襲撃への警戒などは手慣れたものだ。


 飛鳥の住んでいた現代日本では想像もできないような暗がりから、突然死が牙を剥いて襲ってきた経験もある。

 それだって一度や二度ではない。両手両足の指では数え切れなくなったほどだ。


 金品や貴重品を山程持っていそうな、見目麗しい女性王族とその従者たち。

 リージュールの騎士たちも同行していたとはいえ、武器や鎧などの装備品も他の各国や大陸では滅多に手に入らないような逸品揃い。

 所持する魔術具も豊富で、好事家(こうずか)なら持てる限りの金品を積むだろう。


 実際に欲望から手を出してきた愚か者は、双月への回帰すら許されず魂ごと文字通り「塵」と消えている。

 領地の税収が減ったり国境の防衛力が著しく落ちたり、国の半分ほどの流通網が麻痺したりと影響もあったらしいが、避難の旅の過程で通り過ぎただけのリージュール王家一行にとって知ったことではない。


 アスカ姫が九歳の時に無理矢理婚姻を結ぼうとした国は、王家や有力貴族家のいくつかが一夜にして滅び、程なくして国も解体したと風の噂に聞いている。

 王妃であった母親を亡くして間もない姫であれば何とか籠絡できるとでも思ったのだろうが、王よりも上位の相手を望むのは欲が深すぎたのだろう。

 何より十五歳も離れた贅肉(ぜいにく)と脂肪の塊に嫁ぐなど、アスカの容姿を考えれば冒涜(ぼうとく)の極みと言えよう。


 そうした(やから)の手を無駄に伸ばさせないよう、息を潜めて機会と隙を(うかが)っている相手を萎縮(いしゅく)させる手段も教わってはいる。

 強い灯りで客車の周囲を照らしてやることもその一つだ。


 夜闇に紛れて良からぬことを(たくら)む者たちには意外と有効で、アスカの教育係を務めていたセヴェルは相手の追尾を行う灯りなどの細かな制御が上手だった。

 当時は(つたな)かったアスカの魔術も、今では当時のセヴェルと比べて同等以上のレベルに追いついている。


「後続の客車と護衛にも遅れないよう伝令を。レィマたちを連れているので夜道になりましたが、野営地まであと三ミール(キロ)も無いはずですので」


「騎獣の一頭を伝令に回します。レーアとクァトリは御者台で周囲に警戒を。副長にはレィマが集団から遅れすぎないように護衛をお願いしますね。

 ユリアナ様たちは野営地到着後、姫様のお世話に入れるよう準備願います」


 客車内の直衛を統括するエルサが矢継(やつ)(ばや)に指示を出し、車内にいるユリアナたちも素直に従い頷く。

 アスカ姫の世話や最後の護衛は側仕えたちが担当しても、護衛を付けた移動では傭兵団の中で団長に指名されたエルサが直衛の指揮権を持つ。


 エルサ自身は平民生まれだが、高祖父(こうそふ)の代にライヒアラ王国北方の男爵家から末娘を嫁に迎えている。


 貴族家の実家はそれほど裕福ではなかったようで、八人いた子どもたちのうち五人は外に出したらしい。その後男爵家は王国東方の内乱の影響で取り潰しになったようだが、兄弟姉妹が養子に入ったり末娘が嫁いだ家は無事存続していた。

 嫁ぎ先――エルサの実家は現在もライヒアラ王国のマルトラ男爵領にある。

 平民としては規模の大きな半農半商の家で、実家の商隊と取引をした傭兵に興味を持ち、辺境のロヴァーニまでやってきた変わり種だ。その商隊が王都から移って来た当時の団長一行――現在の赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)である。


「もう少し光を強くしますよ」


 暗闇に包まれた窓の外を意識したアスカ姫が短杖(ワンド)を握り、先端を二度回す。

 すると客車の周囲にあった四つの光球と前方を照らしていた三つの光球が激しく発光し、辺りを昼のように照らした。


 窪地や砕石を詰めた道の外の草叢(くさむら)、盛り上がって見える灌木(かんぼく)なども浮き上がらせた光は、後続の客車や角犀馬に付き従って走るレィマたちの足元も明るく照らしている。

 怪しい人影は見えなかったが、草叢に潜んでいたらしい小さな獣は灯りに驚いて走り去ったようだ。


「冬に狩りの獲物で見せてもらった森狼(メタサスシィ)のような動物がいましたね。数は七頭、灯りを恐れて灌木の多い荒れ地の奥に逃げていきました」


「見えるのですか?!」


「直接ではなく、魔術のおかげですけどね。光球の中に周囲を細かく見るための仕掛けがあるのです」


 要は防犯カメラのようなものである。天井のライトの後方に仕込まれた視点が闇に向かって逃げ出した森狼の姿を追尾している。

 望遠レンズのようにしばらくズームで後ろ姿を追った後は、ズームアウトして元のように全体の姿を見せている。


「灯りの届かない辺りまで逃げていきましたね。ただ、草叢から顔を出せば瞳に反射してが光ると思いますよ」


「さすがにそこまで逃げたなら害はないと思います。引き連れているレィマたちには強化加速(キーヒトヴィース)が掛けられて走る速度は倍以上になっていますし、角犀馬(サルヴィヘスト)たちも襲ってくる相手には獰猛(どうもう)です。

 姫様に(なつ)いているパウラは別として、騎獣として厳しく訓練されたものは敵には容赦しませんから。それに体重差がありすぎます」


 それは感覚としても知識としても理解できた。

 飛鳥としての知識にも自動車事故の被害は運転免許を持つ兄弟子たちから聞いたことがあるし、学園で開かれた交通安全講習や物理の授業でも制動距離や走行速度による被害の差を教えられている。

 アスカ姫としても経験則として重量物が速度を上げて何かと衝突した時、被害が大きくなることは教わっている。


 つまり成獣で一千ヘルカトを超える体重の角犀馬が魔術で加速された状態のまま森狼を追い回し、鋭い角で突き上げたり体当たりを行えば、見るも無残な(ひき)肉が荒れ地に散らばる未来しかない――ということだ。

 雑食で肉に臭みがあり、食用には向いていないとされる森狼である。

 革は民間向けとして扱われることもあるが、積極的に狩りたい獲物でもない。


「……無理をして追う必要はありませんね」


「はい。間もなく合流です。そろそろ一行の速度を落とさなければいけませんね」


 御者台の脇から外を覗いていたエルサが徐々に近づいてくる灯りを確認しながら声を上げる。相対距離はもう一ミール(キロ)もないだろう。

 強い灯りもあるのでこちらの速度は見えていると思うが、万が一にも轢いてしまうようなことがあっては大惨事だ。魔術を解除して速度を落とさせ、体力を回復させながら近づかねばなるまい。


「指示のタイミングはエルサと副長に任せます。野営地に着いたら斥候を務めた者たちに会い、労をねぎらいましょう。ユリアナ、積んであるヴィダ酒の小樽を一つ下賜しますので準備して下さい。

 ライラとマイサ、ネリアの三人はヘルガとルースラに合流して、天幕の設営指示と湯浴みの準備をお願いします。レーアとクァトリ、調達班の待機組には車軸周りの確認を依頼して下さいね」


 話している間にも小川の上の高架のようになった場所を超え、辺りに大きな音を響かせながら街道を走る。強化加速の魔術を解き、騎獣とレィマたちへ体力回復を並行行使しながら速度を落とさせていく。

 前方からは一際大きな歓声らしい声が上がり、常歩(なみあし)に近づいた角犀馬たちがそれに応えるように(いなな)いている。


 それほど離れていない野営地にはまとまった灯りが(とも)され、その下で動く団員たちの姿が見えていた。炊事場として設けた(かまど)からは幾筋もの煙と湯気が立ち上っていて、厩舎代わりの大きな天幕からは仲間の帰還を感じ取った騎獣たちの声が上がっている。

 午後から始まった救出劇は、こうして一旦幕を下ろした。








 天幕の中に漂う弛緩した空気に、ヴィダ酒の(かぐわ)しい香りが混じって漂う。


 先程まで晩餐のために姿を見せていたアスカ姫は既に自身の天幕に戻り、残っているのは成人を迎えた男性と小間使いの団員だけ。

 街道敷設のために出ていた斥候たちは晩餐の直前にアスカ姫からお褒めの言葉と共にヴィダ酒の樽を下賜され、この天幕とは別の場所で身体と心を休ませている。


 騎獣や客車、荷車の整備員も同様だ。真昼のような明るい光の下で土埃に汚れた身体を洗われマッサージを受けた騎獣たちには、砂糖(アルマノ)を多用したエサと新鮮な野菜が与えられ、食後にブラッシングを受けていた。


 アスカ姫に同行して駆けつけた団員たちも同様に交代で休憩を取り、連れてきたレィマたちも泥汚れを落とされ草食動物が好む野草と騎獣が好む野菜、海塩の塊とたっぷりの水が与えられている。

 屈強な傭兵たちが二人から三人一組で野営地の周囲を警護していることもあり、温かい草のベッドで早々に眠りについたようだが。



 片やシルヴェステルたちにとっては王都に戻ったような気分だ。

 辺境の野営地とは思えないほど豪勢な夕食と、成人男性の膝丈ほどに湯を張った湯殿まで用意されていたそこはまさに双月の御許(みもと)、精霊とあらゆる生命が共にある場所「天国(タイヴァス)」のような印象さえある。


 もちろん、いくら伯爵家や子爵家とはいえ湯船を使うのは労力と資金力を費やさねばならないため、水が豊富な時期でも週に一度か二度が限界だ。

 普段は(たらい)か桶に湯を用意し、身体を拭くのが関の山。

 軍にいた当時は水場や川に飛び込んで汗を流すこともできたが、王国南方の直轄領ペルキオマキを出た後は宿を取ることも出来ず、貴族家の子女にそのようなことは強要することも出来ない。


 荒れた細い(わだち)しかなかった南方街道沿いでは、水場といえば小さな沼地や泥水混じりの湿地帯、水草の生い茂った細い川程度しか無く、小石や砂、煮沸消毒した布を詰めた筒に通した水しか確保できなかった。


 そうして得られた水とて、護衛を含めた全員と騎獣の喉を潤すには厳しい。

 長い年月の間に行商人が作っていた水汲み場もあるが、数人が使う量と数十人が使う量では大きな差がある。


 魔術の素養がある貴族ならば、魔術で水を得ることもできる。実際、シルヴェステルたちは交代で毎日の水を魔術から得てここまで来た。

 昨年ハンネ嬢の仲介でオークサラ商会とルォ・カーシネン商会から入手した行動中の保存食は、王都周辺やペルキオマキ周辺で入手できる食料品よりも上等な味をしている。


 移動中に腐る可能性のある水ではなくヴィダ酒の木樽も数本用意したが、秋口に仕込んだばかりの若い酒なので、味は()して知るべし。

 荷車の半分が樽に占拠されたため、旅装の他は服などの持ち合わせも少ない。


「ラッサ―リまであと半月ほどはかかると思っていたのだが、道が(なら)されるだけでこれほどまで通りやすくなるとは……」


「その均す作業が大変なんだがな。姫さんの魔術がなければ十年単位で作業が遅れてるはずだ。しかも初日にいきなり百五十ミールも道を作っちまったからなぁ」


 ロヴァーニを出発する前に王国からの使者と途中で遭遇することは予想されていたため、上等なヴィダ酒が来客対応用として予め積まれていた。

 スヴェンが仮の饗応(ホスト)役としてシルヴェステルとトルスティに酒を振る舞い、中隊長以上が同席する席に護衛たちの姿はない。

 彼らは既に別の天幕を用意され、久々に飲んだ上等な酒で酔い潰れている。


「んで、(やかま)しい護衛たちも全員いなくなったとこでそろそろ本題に入ろうか、前団長? 第三王子の話は王都からロヴァーニに送られている使い魔(ヴェカント)や書簡でだいたい把握している。

 あのバカ、まだ勘当(ルオプミネン)も追放もされず王家に残ってるのが不思議なんだが」


「言葉が過ぎるぞ、スヴェン。あのような方でも一応はライヒアラ王国の王族だ」


「姫さんっていう別格を毎日のように見てると、比較対象の卑小さと矮小さで嫌になるくらいだがな。成人前から素行不良のガキと、成人前から必死に王族であろうと頑張ってる姫さんとでは周りに与える印象も天と地ほどの差があるだろ。

 きれいな女と見れば(さら)って犯し、根こそぎ金品を奪い、気に入らないからといって殺すだけのバカ。

 平民に至るまで慈しみ、持っている技術や知識で(かて)を与え、傷つき病んだ者へ涙を流し懸命に生命を救おうとする王女。

 どっちに民の信が集まるかくらい、王国の騎士団長を長く務めてたアンタならば分かるだろう? 現にエロマーのとこにいた農民や商人は大挙して逃げ出してる」


 残されたのが小さな樽一つだったので、グラスの残りを気にしながらちびちびと口に運ぶスヴェンがシルヴェステルにぼやく。


 移民を受け入れる際の実務は文官たちが一番大変だとはいえ、街道の警護や現場の連携の指揮、情報を搾り取った後の影者(かげもの)の始末などは彼が行ってきた。

 血(なまぐさ)い現場をアスカ姫に見せぬよう砦の外で処断しているが、昨夏から春先まで合わせれば五、六十人は首を()ねている。


 影者はエロマー子爵の子飼いだった者たちもいれば、王都ロセリアドの中級・上級貴族が使嗾(しそう)していた者もいた。手紙を持ってきた者も少なくない。

 それらは全て団長と情報を共有しているが、話にならないと握り潰されている。


「未成年の時からバカ一直線なウルマスは、第二・第四王子以下のクズだ。俺たちは辺境と王国西端の領境でこの数年傭兵をしてきたから、奴が遠征と称して取り巻き連中を引き連れ、どこで何をしてきたかくらいは知ってる。

 母親が辺境伯家の出身だか知らねぇが、今じゃその後ろ盾だった穀倉地帯は見るも無残な状況らしいじゃねぇか。母親もろとも幽閉か病死に見せかけて――」


「それ以上は言うな! 一応はエドヴァルド陛下のお身内だぞ!」


 鋭く声を上げたシルヴェステルに、スヴェンは耳の穴を小指の先でほじるようにし、抜いた指先を立ててフッと息を吹きかける。

 明らかに中傷を止める雰囲気ではない。


 スヴェン自身、現王であるエドヴァルドには多少なりとも義理はあれど、その子供にまで義理を感じているわけではない。ましてや正妃の子ならともかく、側妃の子供にまで過剰な義理を感じるほど律儀でもないのだ。

 団長のランヴァルドは一度も口にしなかったけれど、スヴェンが間に悪友などを挟んで伯爵家に連絡を入れたことも一度や二度ではない。


「俺はもうアンタの息子と一緒に五年前から王国とは(たもと)を分かっているよ。生まれこそ王国だが、俺たちは既にロヴァーニで生き、そこに骨を埋める気でいる。

 賛同する仲間を集めて『辺境最強の傭兵団』とまで言われるようになったしな。

 陛下には義理もあるし恩義も借りもそれなりにある。だがその息子にまでは義理も恩義もねぇよ。ああ、イェレミアス王子とアリッサの嬢ちゃんには借りが一つくらいはあったかもしれんが」


 そう、現王太子夫妻には多少の貸し借りがある。

 ランヴァルドと王都を離れる際に発生した悶着を解決してくれたのが、団長の妹・アリッサと貴族学院で同級生だった第三王女イリーナ、それと彼女経由でアリッサの懇願を聞き入れた第一王子イェレミアスだ。

 懸想(けそう)し求婚していたアリッサからの懇願に、ベタ惚れだったイェレミアスがどう反応し動いたかなど、想像するに難くない。


 声を荒げはしたものの、シルヴェステルもスヴェンの言い分を否定できない。

 第三王子ウルマスに関しては王都在住の貴族のみならず、領地持ちの貴族ですら顔を(しか)める行動しかしていないのだ。庇い立てする方が無理がある。


 今や第二王子派・第四王子派にも嫌われ、それらの派閥に入れない商人やならず者と一緒になって欲望と気分のままに平民の生活を蹂躙し、自身が王の血を引いているというだけで貴族家すらも軽んじる。

 そんな者に誰が積極的に近づこうものか。


 王国の版図を外れた辺境に入り、国との直接の関係を絶ったなら尚更だ。

 罪人を王国や貴族の領地から追放し、また政争に破れた貴族や自らに従わぬ平民を追いやってきた場所が現在の「辺境」である。

 前王朝も含め、数百年以上も続いてきた積み重ねは容易に消せるものではない。


 もしその関係を精算しようとするなら、王都や領地を持つ貴族の七割ほどが血の粛清を持って消されるだろう。

 それは王国の現状の統治の崩壊を意味するのだ。

 領地を王が直接統治する政治形態に変わらない限り、中間統治者が不在となる。

 王の下に在地貴族と法衣貴族を置き、統治を委託している統治体制では粛清による破綻の方が影響が大きい。


 アスカ姫から政治形態やリージュールの歴史などの講義を受けているスヴェンもその程度のことは理解している。

 だからこそ統治の限界をわざと煽ったとも言えるのだが。


「まあウルマス王子が辺境に向かっているって情報を受けた時点で、団長と俺は奴を排除する方向でいる。ロヴァーニに逃げてきた移民を守るのもそうだが、姫さんを奴の悪意に(さら)す気はねぇ。

 辺境街道の峠道には既に防壁やら仕掛けもしている。こちらに攻撃をしてこようものなら、問答無用で無礼討ちにできる大義名分も持ってるしな」


 ライヒアラ王国にとって大恩があるリージュールの姫に刃を向けるなら、たとえ王族であろうとも許されない。双月に至る道を閉ざされ、国の屋台骨が傾く可能性すらあるのだ。

 団長の妹が嫁いだ王家を傾かせようとは思わないが、第三王子本人がどうなろうとランヴァルドもスヴェンも構わないと本気で考えている。


「まあ奴のことは任せておきな。ある程度は王国にも配慮して誘導するさ。辺境伯家が一つ潰れても、今の王国東北部の状況を知っていればだいたい五年以内に同じ結果になる。早いか遅いかだけの違いだ」


 ピリピリとした空気を変えるよう、塩味の強いビスケットを口に放り込む。

 口の中でぼりぼりと咀嚼する音が幾度か聞こえ、それを荒っぽくヴィダ酒で流し込むと、スヴェンは口調も態度も変えてシルヴェステルのグラスに酒を注ぎ足しながら話題をロヴァーニの現状へと変えた。


「胸糞が悪くなる話はこの辺で止めとこうか。酒が不味くなるしな。

 元上司だから俺も腹を割って話しちまうが、ロヴァーニに着いたら驚くぜ。辺境のことなんざ王国の連中は棄民の場所としか考えていないかもしれんが、今や王都ロセリアドよりも栄えてるからな。

 先日も中央市場のスペースが足りなくなりそうってんで、露店だけでも倍の拡張命令が出されてた。工事後の大きさは王都の南市場の三倍から四倍くらいだ」


「ランヴァルドや昨秋王都に来たハンネ嬢から大雑把に状況は聞いていたが、それほどまでか? 春の終わりにユリアナ嬢たちを送り込んだ時は、生活に不便がないようにと色々持たせたのだが」


 つまみとして用意されたカナッペを手にしたまま固まっているトルスティを他所(よそ)に、グラスを傾けたシルヴェステルがテーブルに身を乗り出す。


 もう適度以上に酔いは回っているが、理性や判断力を失くすほどではない。

 気分の悪くなる話題を延々と続けるくらいなら、振られた話題の転換などいくらでも付き合う気はある。


「リージュール直伝の魔術具と比べちゃいけねぇな。今じゃロヴァーニは平民でもある程度は魔術具が出回ってるし、水道ってのが整備されたおかげで水汲みに労力はほとんどかからねぇ。

 風呂もトイレも快適そのものだ。町には平民でも銅貨数枚で入れる風呂がある。

 病気で医者にかかることもできれば、畑や牧場、街道や防壁の工事、工房に自警団と働く場所も豊富だ。町の住民の生活を整えるのを最優先にしたせいで、『足りていないのは宿屋と倉庫だ』なんて言われちまってるよ」


「まさに噂に聞いていたリージュールの国のようですね……」


「明日、姫さんが工事したところまでを確認してから一旦全員でロヴァーニまで戻ることになるだろう。道らしき道もなかった南方街道を踏破してきたんだ、明日は一日ここで休んでいてくれ。荷車の修理が必要なら団員に相談してくれればいい。

 明後日は朝から移動になるだろうし、一晩じゃ疲れも抜けないはずだ。

 帰りはラッサーリ経由になるから、エロマーの連中とかち合う可能性はある。

 まあ実戦経験はこっちが圧倒的に上だ。負けることはねぇ」


 獰猛に笑ったスヴェンに、貴族間の紛争で実績を積んだシルヴェステルもにやりと笑い返す。周囲で大人しく話を聞きながら飲んでいた中隊長二人も余裕の笑みを見せているが、外交参事で荒事とは無縁のトルスティだけが固まっていた。


 その彼へスヴェンが強引に酒を注ぎ足す。ユリアナの親だけにいける口ではあろうが、変に緊張するくらいなら一度酔い潰して無駄な力を抜かせた方が良い。

 意図を察した周囲の協力もあり、トルスティはその後半鐘も経たないうちにテーブルへと突っ伏すことになった。








 翌日。酔い潰れた王国使節団が安全な野営地で休んでいる間に、アスカ姫を中心とする一行は前日の夕方に敷設した街道を確認し、所有権を表す標柱を建て地図を作成して夕方までに戻っている

 さすがに夕方にもなれば二日酔いから回復し、普通に食事もできるようになっていた。どこの世界でも大量の飲酒は身体にとって毒になるらしい。


 詳細な地図は秘匿情報となるので原本は団内に(とど)め置かれ、重要情報を抜いた簡易版写本が高値で関係商会に売却される。


 地図は今後の開発や安全な道の確認に使われる他、かつては町や集落の位置関係などが個人の経験に基づいた感覚でしかなかったため、貴重な情報となる。

 団の外に提供する街道と宿場、道の分岐や湖・川の位置だけの地図でも、大金貨二枚ほどの取引価格が付いているのだから。


 それらの記入が終わって地図を客車内の棚に仕舞い終えた頃、夕食の用意が整ったとの報告が入った。昨晩は簡単な歓迎をして席を別々にしたが、ある程度疲れが取れて身なりを整えられるようになった今日は、王国からの使者と同行する貴族家子女を歓待する宴になる。


 半月以上に渡って不便な道を旅してきた疲れが簡単に抜けることはないだろう。

 それらも考慮して各自の紹介と世間話くらいに留め、本番となるロヴァーニでの歓待までに時間をかけて仲良くなっていけばいいのだ。


 案の定、少量の酒で酔い潰れたラウナたちを早めに天幕へ下がらせ、アスカたちも翌朝の出発に備えて退出する。

 スヴェンたちは元から肝臓が強いのか、いつも通り飲んでいたらしく、野営地に遅くまで声が響いていた。



 明けて翌日、日の出から少し遅れて野営地を出発する。


 途中の要所に石畳が使われている以外、街道は基本的に砕石を詰めて舗装されており、凹凸も少ないので距離は稼ぎやすい。

 季節柄天気が大きく荒れるようなこともなく、野盗の襲撃や害獣との戦闘がなければラッサーリまでは五日あれば辿り着けるのだ。強化加速を使えば二日かかるかどうかといったところだろう。


 往路で多少無理をさせていることと、何よりも身重のレィマを含む十数頭を連れていることで速度はどうしても遅くなる。

 一番南の野営地を出発した日に予定した通り、五日目の夕方にラッサーリへ到着したアスカ姫一行は待機していた班に追加の指示を出し、補給と情報交換を行う。

 ロヴァーニの協議会とも調整を取る必要はあるが、野営地への食料の移送や資材の搬入、街道工事の開始を差配させなければいけない。


 着いて早々、アスカはイントと残っていた部隊の代表からの報告を受けることになった。山間(やまあい)の峠道の向こう側、平原の道に貴族領でも滅多に見られない豪華な客車と、随伴するような客車・荷車が十数台、槍を持った歩兵が数十人発見されたらしい。


 エロマー子爵の私兵が襲ってくるのは常態化していたし、第三王子がエロマー子爵領を経由して辺境に向かっている情報も把握している。


 だが、何もラッサーリへと戻ったその日に発見することはないではないか。


「面倒ですね……南方街道から戻ったその日に姿を見せるなんて」


「昨日の晩に斥候部隊が戻って、今日は朝から峠道の防備を固めさせていました。姫様がご指示された内容の八割ほどですが、魔術師の支援を受けて堀と崖の強化、門扉の設営までは終わらせてあります。

 総勢で八十名ほどですが、半分ほどは空の荷車です。ロヴァーニ側で略奪した食料や金品を載せるつもりなのだと思われますが、走り栗鼠(ムールメリィ)の二頭()きです」


「ラッサーリではもう秋蒔きの収穫を終えて余剰分をロヴァーニに売却済みです。先週から春蒔きの作物を植え始めていますので、そう大した量は奪えないかと」


 口頭の報告と書面による報告をざっと突き合わせ、ラッサーリ周辺の地図に情報を書き込んでいく。川沿いの防塁の規模は出発前に比べて少し拡充し、峠道の設備も整いつつある。

 ロヴァーニから補充された応援要員もハルキン兄弟団や暁の鷹(ヴァリエタ・ハウッカ)、ノルドマン傭兵団から総勢十五名が追加されていた。魔術師の数が足りないため剣や槍を扱う者が主体で、遠距離攻撃用に弓や投石紐を持っている。


「相手にとっては『辺境から奪ってきた』というだけで意味があるのかもしれませんが、それは辺境の民にとっては屈辱でしょう。

 それにロヴァーニならともかく、ラッサーリや他の集落では食料を奪われるだけで死活問題になりかねません。もし余剰の食料があっても、保管できる設備が足りないでしょう?」


「長期・大量の保管ができるのはロヴァーニの冷蔵倉庫くらいでしょう。いずれ各集落に倉庫が出来るとしても、魔術師の手伝いや農具の違いなど他の集落との畑の質が違いすぎます。肥料は今年から順に広めていくようですが」


「ラッサーリ周辺の集落は逃げ出す準備をしている連中が半分、徹底抗戦の準備に入ったのがさらにその半分、残りは諦めて動けないようです。

 ラッサーリには我々が駐留して、峠道を含めた周辺の警戒をしているので多少は情勢が落ち着いています。エロマーの私兵だけならいくらでも撃退できますが、厄介なのは連絡を頂いていた第三王子の件ですね」


「別に姫さんの方が格は上なんだから、あのバカが来ようが関係ねえだろ」


 大きな陶器のジョッキに麦酒を注いでいたスヴェンが唐突に口を開いた。

 炙った薄切りのベーコンを数枚フォークで刺し、打ち合わせ開始当初から一人で晩酌を始めていたが、団長のランヴァルドがロヴァーニから動いていない現状では一応実戦部隊の総指揮官だ。

 アスカの背後にいるユリアナに現在進行形で睨まれており、威厳は皆無だが。


「諸国の盟主であるリージュールの直系王族と、国家成立の承認を頂いた王家の血を引いてるだけのバカ小僧、どっちが上かなんて分かりきったことだろうが。

 少なくとも貴族学院に入ったなら誰でも最初に教わるし、自国の王家の存在以上にリージュール魔法王国への畏敬を叩き込まれる。基礎学院でも同じだな。

 ここにはリージュール直系の姫さんがいるんだ。お前らもウルマス王子が王都や貴族領で何をしてきたかくらい話には聞いてると思うが、あのエロマー子爵に輪をかけた好色でバカなんだぞ。遠慮なんぞしてやる必要ねぇよ」


 唇の端からベーコンの脂を垂らし、冷たい麦酒を(あお)っていなければ部隊の指揮官らしくも聞こえただろう。

 シャツの襟元を暑そうに開き、酔いが回り始めた赤ら顔でさえなければ。


「唯一の懸念は極度の女好きで、残虐性が強く暴力を振るうことに忌避感がないことか。赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)所属の魔術師は比較的女性が多いから、あまり姿を見せない方が良いんだろうな。

 姫様を見たら、リージュールの王族であることも考えずに手を出しそうだ」


 スヴェンの後を次ぐように、ハルキン兄弟団から派遣されているマルクスが首を振りながら口を開く。頭脳労働の方が得意な彼は、肉体労働優先のスヴェンの補佐としてロヴァーニから派遣されている。

 スヴェンも(こと)戦闘に関しては頭の回転も早いが、実戦での機転に偏りすぎるので戦術面での補強を図ったのだろう。


「斥候に向かわせていた者の報告では峠道に差し掛かるまで二日ほどだろうと思われます。貴族家から徴収したものと思われる紋章付きの客車と、荷車の速度が我々の使っているそれらと大きく違うので。

 荷車の方は平民が徴収されて同行しているようですね。大方エロマー子爵領への食料配給を考慮するとでも言われて、農村から集められたのでしょう。

 それと峠の向こうの荒野はヴィリシなども出没しますが、狩りを行うには武装が貧弱で手持ちの食料もそれほど多くないようだと思われます。

 ロヴァーニを()った行商団も途中で狩りを行っていたようですから」


 イントが事前に放っていた斥候からの情報を補足してくれるが、数日の猶予が出来たところで大した差はない。ロヴァーニで第三王子の所業を聞いた限り、女と見ればものにしたがる下劣な男と理解している。


 問題は取り巻きがどれほどいるかだが、荷車の方は平民中心なので問題ない。

 立派だという客車もロヴァーニで作られたものに比べたら相当貧弱で、車輪周りの加工が上手く出来ていないためか速度が遅く、随伴しているエロマー子爵の私兵たちの練度も低そうだ。


 峠道の封鎖はほぼ完了し、両開きの扉は骨組みを取り付け終えて明日から鉄板を打ち付ける予定らしい。完成すれば重量もあるし矢の刺さらない頑丈な防壁だ。

 閉じてしまえば剣や槍が刺さることもなく、裏側を板と石材で補強された扉は開けるために橋の開閉と同じ巻取り機を使う予定になっている。


 上下二本の(かんぬき)も使えば、大仰(おおぎょう)破城鎚(はじょうつい)を持ち出すか、山の斜面を無理矢理越えてくるか程度しか策はない。そんなことで時間を浪費すれば傭兵団の矢と魔術に(たお)され、無為に屍を晒すだけだ。


「――レィマは先にロヴァーニの牧場へ連れて行ってもらいましょう。それと使節のうち三人の令嬢は避難した方が良さそうですね。長旅で身体も疲れているとは思いますが、明日の朝には辺境街道を西に向かってもらいましょう。

 調達班から数名同行してもらえる方を募って下さい。レィマたちは分散して牧場に預けてもらいます」


「ちょっと待った。姫さんは残る気なのか?」


「ええ。それと使節団の男性と護衛の数名も残ってもらいます。王国からの正式な書状をお持ちの使節ですし、賊紛いに敵対する貴族の私兵を率いてやってくる者たちとでは格が違います。

 その上で(わたくし)やリージュール魔法王国への暴言でも吐こうものなら、遠慮なく撃退できるでしょう。(くだん)の王子が噂通りに愚か者なら、いざとなればリージュール王女への不敬で処分しても構いません」


 アスカ姫の容姿に惹かれて下賤(げせん)な物言いをしたり言い寄ろうものなら、不敬の(とが)で処分することも容易にできる。

 王族は基本どこの国でもやんごとなき身分ではあるが、リージュール魔法王国だけは諸王朝の設立認可を行う点で諸国の一段上に君臨しているのだ。


 いかに若くても王家直系の血を引き、王族の証としての銀髪紫瞳の容姿と国章入りの護り刀の二つを兼ね備えたアスカ姫は、諸国に赴けば謁見の場でも国王の座す玉座と同列か、王の一段上に(ぐう)される。

 不敬を問われれば王家の解体が行われてもおかしくないのだ。


「ライヒアラ王国のエドヴァルド王から送られてきた親書は正式にはロヴァーニで受け取りますが、おそらく友好的なものでしょう。シルヴェステル様がランヴァルド様を経由して連絡を取り合い、事前に訪問の調整もされているのですから。

 ですが第三王子の訪問は事前に調整も連絡も受けておりません。先触れもなく兵を率いてくるのですから、当然扱いも変わりますわ。

 傭兵団も、王女である(わたくし)の護衛としてラッサーリに駐留しているのと無闇に峠道を封鎖しているのとでは大きな違いがあるでしょう。名目だけでも私が残っているのは役に立つはずです。ユリアナたちには手間をかけますが」


 本格的な食事の前なのでお茶(テノ)と焼き菓子を口にしながら方針を話すと、イントとスヴェン以外の傭兵たちが驚いている。

 ある意味、高貴な王女が(おとり)になると言い出したのだ。


 第三王子への対策としてはこれ以上ない誘引剤であり劇薬であるが、単純に戦力としてカウントするなら強力な――過剰とも言える――支援である。


 直衛のエルサたち以外にアニエラやハンネたち魔術師は王宮勤めの魔術師に引けを取らず、昨秋学院を出たばかりの魔術師も一冬越して成長している。


 既に他の傭兵団であれば一人前として扱われる程度には魔力の扱いも上達し、魔術の発動も早くなっていた。錬金術や薬学などは個人差があるものの、習熟期間を考えれば魔力の回復薬や簡単な胃薬などの内服薬は作れるようになっている。

 魔術に関しては数年前に卒業した者たちより腕前は上だろう。きちんとした収入基盤を持っている職場に就けたという点でも。


「専業の魔術師たちには及びませんが、ユリアナたちも魔術は使えます。峠の門扉(もんぴ)に防御系の――例えば衝撃防御(オウィヤス)衝撃反射(ヘイヤストス)の魔術を掛けて、後は下がって様子見で良いと思います。

 私も防御系の術式をいくつか待機させて、門扉の内側で待機しておきましょう。

 門前で自ら名乗りを上げて取り次ぎを頼むのであれば客人候補として扱い、そうでなければ遠慮なく無体な侵略者として扱えば良いのです」


 この世界では元の世界の中世世界や、創作上の異世界物語に見られたような人命や人権といったものへの配慮は無きに等しい。自らの権利を守るために武力を振るい命がけになることもよくあることだ。

 国や地域によっても違うが、王侯貴族が賊のような行いをすることだってある。


「問答無用で襲いかかってくるようであれば、王子たちもエロマー子爵の私兵たちにも、生きている事自体を後悔するような報復をしても良いでしょう。

 そうならないよう双月に祈るしかないですが、イントの報告やユリアナたちから聞いている話では難しいのでしょうね」


 アスカが儚い希望を口にするが、思わず溜め息が漏れる。

 そうならないのは九割九分、ほぼ確定だ。むしろ礼儀正しく名乗りを上げ、訪問の許可を得るような行動を普段からしているならこんな苦労はしない。


 おそらくは王の血筋を誇って自らが偉いと勘違いし、それよりも圧倒的上位に在るリージュールの王女の存在を軽視、もしくは無視するはずだ。


 その時点で不敬は成立するので、アスカの護衛として同行する傭兵たちは即座に王女の率いる護衛兵へと変わる。

 リージュールの直系王族が直接率いている事情から、一時的にではあるが彼らの地位はリージュール王国に属する国軍に等しくなるのだ。


 ライヒアラ王国でいかに王の血筋を引いて傍若無人な振る舞いをしていようと、国の成り立ちを認めたリージュールに逆らうのであればただの逆賊に過ぎない。


 王女たるアスカがその場で罰を下すのはもちろん、たとえ王都ロセリアドに無事帰り着くことが出来たとしても、軽くて王族追放と永久幽閉、重ければ即座に理由を国内に公表した上で王城前広場での公開処刑だろう。

 減刑嘆願などを行う者がいても、同様に不敬と反逆罪に問われ刑が待っているとなれば擁護者など誰も出まい。


「まあ、ランヴァルド様とユリアナから聞いた限り結果は分かっていますけど」


「そう言ってやるなよ、姫さん。俺たちもどう落とし前つけさせるか頭が痛てぇんだから。んで、バカ王子が十中八九するだろう不敬への応報は任せるが、エロマーの連中の方はどうするつもりだ?」


「素直に逃げるなら荷車と騎獣を手間賃としていただけばよろしいのでは? 市場に来る者の中には荷車や騎獣が無くて商いを広げられない者もいるでしょう。

 商工会を通じて荷車の補修と改良を依頼し、騎獣は牧場や農家に世話を頼んで、商人たちには修復が澄んだ荷車とそれを牽く騎獣を割賦(かっぷ)で提供する。

 相応の価格になるでしょうが、年賦(ねんぷ)で支払ってもらえば商工会と修理を請け負う工房、牧場や農家も潤い、商人たちも(あきな)いを増やすことが出来るでしょう。

 辺境の町を守り、商売に役立つ道具を与えてくれた傭兵団には深く感謝してくれるはずです。商人たちは利を与えてくれた相手を簡単には裏切らないでしょう。

 もちろん、ロヴァーニの町もいずれ税という形で恩恵を受けるはずですが」


 三方(さんぽう)良しどころか、回り回れば町や傭兵たちにも恩恵は返ってくる。


 目には見えぬ信頼や感謝だが、あるとないとでは大違いだ。鹵獲(ろかく)したものを売った商人たちが将来の顧客として商隊の護衛を依頼するようになるかもしれない。

 傭兵というものが基本的に人相手の商売である以上、どんな形であれ新しい顧客を作り出すのは大事なことだ。


「しかし姫様、それでは第三王子に付き従った王都の者たちやエロマー領周辺の者たちに不安を与えませんか? 辺境を侮る貴族は枚挙に(いとま)がありませんよ?」


 エロマー領だけでなく、周辺の事情も収集しているイントが口を開く。

 冬に暗部として勧誘して以降、精力的に動いてくれていたらしい。既に諜報部門の長・カッレを通じて子爵領周辺の貴族領に協力者を置き、王都にもランヴァルドの実家経由で商会や官吏などの協力者を得ていると聞いている。


 届く情報のタイムラグはあれど、雪解けからの短い期間で手配を済ませた手腕は評価されるべきだろう。


「第三王子が連れてきた者たちも、抵抗するようなら犯罪奴隷として扱えば良いのです。昨年からロヴァーニの文官たちには町の法律を整備するように伝えていますが、国の版図にない地域ではリージュールの法律が上級法として使えます。

 借金などを理由とした返済期間を限定する経済奴隷や、犯罪を犯したものを犯罪奴隷とすること。いずれもリージュールの法では禁止していません」


 辺境でなくとも、ライヒアラ王国の国内でさえリージュールの法が上級法として通用するのだ。最初から負ける要素など微塵もない。


「敵になるならば利を与えなければ良いのです。(わたくし)がロヴァーニに来てからおよそ一年。口伝えに伝わっている情報にせよ自身で見聞きした内容にせよ、これまでも知るための十分な時間を与えたつもりです。

 その上で未だ私とロヴァーニに対して旗幟(きし)を明らかにしないなら、利を与える必要はないでしょう。イントは既に理解して動いているようですが」


 アスカが可憐な微笑みを見せると、イントもニヤリとした笑みで答えた。


 協力的な貴族は既に数名の名が挙がっており、近隣のマルトラ男爵とカルティアイネン男爵、王都への街道に隣接するホランティ子爵、パーシリンナ伯爵など利に(さと)く国王派・第一王子派に所属する者たちが直接取引を願い出ている。

 きっかけがあれば王国西部の統廃合が進むことになるのだろう。


「姫様ならそう言われると思っていました。それと昨夕届いたばかりですが、王都に向かう街道沿いの貴族領から認可した御用商人を辺境へ派遣したいとの手紙が来ています。ロヴァーニへ戻られる時に団長へ渡していただきたいのですが」


「構いませんよ。ユリアナ、イントから手紙を預かって保管をお願いします。帰着後ランヴァルド様に面会する前に渡して下さい」


「承知しました。それと、王都との問題はいかがしますか?」


「そちらも大丈夫でしょう。現国王の意を受けて、外交参事を連れたシルヴェステル様が国章を()した親書を届けに来ているのです。

 第三王子がいくら強弁(きょうべん)しようと、リージュールの意を受けて国を建てた初代の血筋に連なる現統治者に(かな)うはずもないですし、ましてや王女である私に適うはずもありません。

 不敬を行うなら、現地で罰を与えた上で王都へ使い魔(ヴェカント)(つか)わしましょう。ロヴァーニへ戻ってからの手配になりますが、地上の目印もたくさん出来たでしょうから、ペテリウスなら数日もあれば辿り着けるはずです」


 ランヴァルドの用事がない時はルミの遊び相手として女子棟にやって来ることも多く、燻製や乾物、菓子などを一緒に食べていくことも多いペテリウスは、アスカにも十分以上に()れている。

 契約主であるランヴァルドがアスカ姫の膝の上で白い毛玉と仲良く並んで寝ているのを見て、申し訳無さそうに頭を下げる程度には。


 何事かを頼む時は契約主を通じて行う必要があるけれど、お裾分けで出来上がったばかりのベーコンやクッキーなどの菓子を持って行ってもらったり、女子棟での夕食の招待として手紙を預けたりするくらいのことはしていた。

 ご褒美次第では鎌首をもたげ、小さな翼をパタパタと羽ばたかせやる気を見せてくれるはずだ。


「王都へ使い魔を派遣するならば、私からも陛下と騎士団長宛てに詳細を(したた)めましょう。手紙の重量が許容量を超えてしまうなら私の使い魔も送ります」


「おそらくはそうなるでしょうから、準備をお願いできますか? 私もペテリウスが王都へ行く時に、この娘(ルミ)を一緒に連れて行ってもらうつもりです。

 王都の場所だけでも覚えておいた方が良いでしょうから」


 自分が呼ばれたことが分かったのか、大人しくしていたルミが「み?」と小さく鳴いてアスカを見上げてくる。

 大好物のドライフルーツを成功報酬として積み上げて見せれば、ペテリウス以上のやる気を見せるに違いない。


「ここでこうして話していても出来ることは限られます。明日は朝から峠道と川沿いの防塁の再確認をして、一行の到着に備えましょう。副長はお酒を控えめにして下さいね」


「あぁ、やっぱりそうなるか……仕方ねぇ、鬱憤はあのバカ王子にぶつけてやる」


 場を締めたアスカにどんよりとした表情を見せるスヴェンだが、彼自身も傭兵団を預かる副長として状況は理解している。

 防衛と撃退ができれば臨時の報酬が与えられるだろうことも。


 その夜は勢力圏まで帰ってきた帰還祝いも軽く済ませ、不寝番以外は久しぶりに緊張とは無縁の睡眠を取ることになった。


評価やブックマークで応援いただけると、作者の執筆速度とやる気に直結します。


既に後編も脱稿・予約投稿済み。来週6/11(金)予定です。

内容修正や誤脱修正は明日帰って来てから。そろそろ本業も再開させなきゃ……。

酔った人間同士のログとメモを文章に起こして整理するのがこんなに手間がかかって面倒だとは。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。 今回の話もとても良かったです。 アスカたちが王子たちをどのように対応するかとてもたのしみです
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