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女形の姫様転生記  作者: 新島 隆治
43/49

報告とともに過ごす日々

お待たせしました。ちょっと短め(2万字に少し足りないくらい)。


 三月の七週目までをロヴァーニで過ごしていたアスカは、現在客車に揺られて海へと向かっている。昨年造った道路の拡幅と整備は赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)の魔術師が総動員され、四日間で終わらせる予定だ。

 これから十日ほどは海辺の集落との往復が行われ、間に一泊か二泊の滞在を含んで開発が進められる。


 市場で頼んでいた薬草の手配が間に合ったおかげで、アニエラ特製の魔力回復薬も木箱一杯に準備が出来ている。

 これまで知られていた魔力回復薬は王都ロセリアドの魔術学院や貴族学院で教えられていたもので、半日ほどかけてゆっくり回復させるものだった。


 けれどもリージュール魔法王国に伝わっていたのは主に平民が使う薬、貴族階級でも魔力の少ない者が使う薬、長い歴史の間に王家から降嫁があった魔力の多い貴族向けの薬、王族を中心に使われている薬など、幾つかのグレードが存在する。


 過去に各大陸へと伝えられた薬は平民向けと魔力が少ない貴族向けの二種類だ。


 二十年ほどを一単位として各国を巡っていたとされる『リージュールの浮船』は王族の血を引いた者が使節の長(おさ)として配されていたが、傍系出身で継承権が二桁後半とされたり、素行が悪く本国を追放された者もいる。

 使節長だけは国王と閣僚、枢密院の厳しい審査を経て選出されるが、随行の者は平民も含まれるため、職能組合によって選抜されていた。


 そうした者たちの一部には魔力制御――内容的には出力制御の方が正しい――が強制的に義務付けられていた。

 完全な魔力阻害は本人の物理的な死に繋がるため、魔術具を身体に埋め込むことで出力の上限を管理されていたが、その限界が本国の下級貴族並みとされていたのである。

 当然、魔力回復薬もそのレベルまで回復できるだけの品質に抑えられる。


 使節として最低でも二十年近く各国を周っている間に乗員間で婚姻を結ぶことがあれば、その子供は親たちの影響を受けて魔力の上限が低く抑えられる。


 ランヴァルドの話では、最後に使節がライヒアラ王国へ訪問したのが二十数年前ということだ。記憶に残る父王や母王妃の年齢と、二人の娘として生まれたアスカの年齢を考えると、おそらく継嗣としてのお披露目か立太子の直後くらいまでに最後の『浮船』が出た計算になる。


「よし、魔術師隊は一旦休憩! 回復薬を飲んでしっかり仮眠を取ってくれ。昼の休憩が終わったらその先の丘まで整備を進め、本日の整備はそこまでとする。

 姫は休憩時間が終わりましたら集落にお向かい下さい。本日は道具の受け渡しだけと聞いていますので、このまま護衛を三十名就けます。

 明日からの調査は私も同道する予定です」


 ランヴァルドが団員に指示を出し終わってアスカを振り返り、護衛役に選出された三小隊に準備をさせる。

 暦の上では地球にいた当時の四月下旬頃に当たるため、肌に感じられる陽射(ひざ)しや気温も相応に高い。アスカの作った空調の魔術具がなければ、薄手のブラウスやスカートがじっとりと汗ばんでいただろう。


「ランヴァルド様、姫様の荷車の一台は魔力回復薬を大量に載せています。集落に一台分を丸々残してくることになりますが、警備の者は……?」


「問題ないよ、ユリアナ。護衛に就かせる者から四名、集落に残ってもらう。ここに残る団員からも作業終了後に六名を向かわせるから、今晩は全部で十名が交代で回復薬の警備に当たる」


 既に選抜は済んでいるのだろう。迷うこと無く答えたランヴァルドが、ネリアに淹(い)れてもらったお茶(テノ)を受け取り喉を潤している。

 薄い金緑の水色(すいしょく)で、甘みの中に微かな苦みがあり、ミントのような爽やかさのある香りが微かに残る――というのがこの大陸の茶の特徴だ。

 冷やすと苦味が薄くなり、ミントティーのような風味が強くなるので暑い日にはぴったりなのであるが。


「それと出発前に時間を取れませんでしたが、昨晩遅く王都の父から使い魔(ヴェカント)での返信が届きました。今月上旬、王国南部の直轄地ペルキオマキに向けて十数名を送り出したようです。

 どうやら父も別のルートで出発しているようですが……」


「まあ――ペテリウスが王都まで往復したのですか?」


 口元に手を当てて驚くと、ランヴァルドはすぐに頭を縦に振り、自身の革鎧を指差している。厚みはないが硬い革で出来ており、胸の上部だけを覆う胸甲と腕甲という軽装だ。風通しを重視しており、金属製の鎧に比べて動きやすいらしい。


「ですが、ペテリウスならここに戻ってきています」


 革鎧の胸当てを揺らして懐に指先を突っ込むと、指に絡むように身体を巻きつけて羽の生えた空飛蛇(タイヴァスカルメ)が顔を現す。

 全長一テメル(メートル)ほどの身体を器用に巻きつけたペテリウスは眩しそうに下を向きながらも、首を左右に振って妖精猫(ケイユ・キッサ)のルミを見つけ、羽をパタパタと羽ばたかせてアスカの乗る客車の窓辺にやってくる。


「こんにちは、ペテリウス。元気でしたか?」


 窓辺で羽を畳み、ぺこりとお辞儀をする彼の頭をそっと撫でる。鼻の辺りを指先で撫でると、小さな細い舌が指先をちろちろと舐めた。

 かなりくすぐったいけれど、少なくとも嫌われてはいないようだ。


「ランヴァルド様から遠くまで出かけていたと聞きました。疲れていませんか?」


 窓辺で小さくとぐろを巻いた彼を両手で掬い、ひんやりとする身体を持ち上げて膝の上に置く。同じく膝の上に降りてきたルミが毛玉のように丸まったまま、肉球でペテリウスの胴をペシペシペシと叩いている。

 叩いても反撃されないことに味をしめたのか、ルミは三連続の肉球パンチを繰り返しながら身体を擦り付け、狭いアスカの膝上で左右に飛び跳ねている。


「こら、ルミ。大人しくなさい。ペテリウスは遠くまでお出かけして疲れているんですから。お仕事ご苦労さま、ペテリウス。

 ランヴァルド様から既にご褒美を頂いたと思いますが、私(わたくし)からもお手伝いのご褒美を差し上げますね」


 先日中央市場で購入した肉を燻製にしたベーコンは昼食で出す予定のものだ。

 燻製小屋は新館の厨房脇に建てられたものの方が大きいけれど、錬金術での反応促進や魔術での温度管理など、使い勝手は女子棟の燻製小屋の方が優れている。

 今回は新しい燻煙チップを試すため、女子棟の設備を使ったのだ。


「三種類の燻煙チップを試したので、ペテリウスにも味見のためのお裾分けです。食べ終わった後で構いませんから、ランヴァルド様経由でどれが好みに合うか感想を聞かせてもらえますか?」


 客車内のテーブルでベーコンを切り分け、先日素材屋経由で受け取った硫黄を加工して作った硫酸紙――クッキングペーパーに包む。


 硫黄は鉱石を詰め込んだ大きな樽が八つ納品されたが、硫黄の含有度が三、四割だったため、追加で大量発注している。

 独特の臭気があるため、錬金術や魔術の触媒に触れることが多いハンネや薬品を扱うアニエラ、ユリアナたちは引いていたが、生活のためには大事な材料でもあるので秋にも大量納品されるだろう。


 錬金術と魔術を併用すれば精製や加工も比較的簡単で、女子棟の厨房や倉庫にはクッキングペーパーが大量に保管されることになった。

 大きいもので一テメル四方、一番小さいものでも二十テセ(センチ)四方で、無駄遣いをしなければ来年の夏まで使える量が揃っている。それに植物紙と硫黄があればさらに作り足すこともできるのだ。


 かといって量産が利かず、女子棟や研究室で使う分には問題ないが、工房に回すだけの量を揃えられるのは早くて秋以降になる。

 市場や商会に卸すことは出来ないが、新館の厨房を仕切るダニエにはある程度の量を融通しているので、新メニューが生まれる日も近いだろう。


 まだ火を通していないベーコンは飴色になった脂を含み、切り分けたナイフの側面にべっとりと脂を付けている。客車内に広がる暴力的な匂いにユリアナたちが唾を飲み込みながら様子を見守っていた。


「袋に入れると食べるのは大変ですよね――ティーナ、貴女の座席の後ろに薄板が数枚あったはずです。小さめのものを一枚取ってくれませんか?」


「少々お待ちを……姫様、端材みたいですけどよろしいですか?」


「ええ。ペテリウスが持ち帰るための器を作るだけですから」


 すぐに持ってきてくれたティーナに礼を言い、短冊(たんざく)型の薄板を手に取る。

 それを八テセ四方ほどの皿に加工し、縁を大きく立たせて四隅に糸を通す。

 皿にはクッキングペーパーに乗せた厚めのベーコンが食べやすい大きさに切られて置かれ、糸の上部を直径一テセほどの太さの木管に通した。


 この形状ならペテリウスが木管を咥(くわ)えれば、難なく皿を持ち運べる。


「即席ですけど、これなら落とさずに運べるはずです。ランヴァルド様には別に食べていただくから、こちらはあなたの分として食べて下さいね」


 飛鳥の知る爬虫類と違って瞬きを繰り返すペテリウスは、小さな青い瞳をアスカに向けてから瞼を閉じると、深々と頭を下げた。

 主に似て義理堅いのか、毛玉のようなルミに胴体をペチペチと叩かれながらも気にした様子もなく、差し出した木管の部分を器用に咥えて皿を持ち上げる。


「お皿から落ちないように縁(ふち)を高めにしましたが、気をつけて下さいね」


 滑らかな鱗に覆われた額を人差し指で撫で、窓を大きめに開いて通り道を作ってやると、ペテリウスは背中の翼を広げてランヴァルドの元へ飛んでいった。

 多少ベーコンの重さに引きずられて高度が落ちているけれど、踏ん張って角犀馬の背には辿り着けている。


「さあ、私たちもお昼にしましょうか。ルミ、ペテリウスがいなくなった途端に私の太ももやお腹を叩かないで下さい。あまりはしゃぎすぎると海に着く前に疲れて眠くなりますよ」


 遊び相手がいなくなったので構って欲しかったのか、「みっ、みぃっ!」と声を上げるルミを抱き上げて窓に背を向ける。

 ユリアナとライラは既に客車のドアを開けて昼食の準備を始めており、中に残っていたティーナとネリアも食器や飲み物の用意を始めていた。


「午後に向かう海は、あなたの好きなお魚やパウラの好きなラゥプ(ヤシガニモドキ)がいるところなのです。私(わたくし)たちはお昼を食べたら浜に向かって、夕方にはロヴァーニへ出発しますからね。

 ネリア、客車の後ろの冷蔵庫に先日の試作ベーコンが入っています。一本は女子棟の厨房にも置いてきましたが、食べて処分してしまいましょう。追加が必要なら来週の仕入れで肉を補充して、また作れば良いのです」


 ちょうど客車に戻ってきたネリアが嬉しそうに「はい」と答えて笑みを見せる。

 彼女が冷蔵庫の方へ向かったのを横目に、客車の扉を開いて表に顔を出す。


 街道脇に休憩所として広げられた場所には既に煮炊きの煙が上がり、整地と道の拡幅、排水用の溝を掘っていた魔術師たちが大の字でへたばっていた。

 食事は調達班の者と護衛が分担して作っている。漂う匂いから察するにイェートのミルクをたっぷり使ったシチューに燻製ベーコンと葉野菜の炒め物、それに軽く炙(あぶ)ったパンだろうか。


 交易の護衛や遠征での食事と違って、パンは今朝焼かれたものだ。

 ムィアの酵母を使ったパンも一年近く毎日作り続けているためか、種類も増えて味も良くなってきている。耐火レンガの都合も付いたので、来月には新館の厨房の隣にパン専用の窯も用意される予定だ。

 古くなった窯は一度解体し、ロヴァーニの町にあるパン屋に払い下げられる。


 海辺の集落にまだ名前はない。そこへ続く道は舗装が進んでいるものの、照りつける陽射しが強く日陰や休憩場所も少ないため、舗装が落ち着き次第別の魔術師達によって植樹がされる予定だ。

 樹木の生育を早める魔術で一定の高さまでは成長させると聞いているので、真夏でも往還は楽になるだろう。


 植樹を行う頃には、アスカは辺境街道の南側へ続く道を作るためにロヴァーニを離れている。ランヴァルドから聞いている使節の来訪に合わせて戻ることになっているが、それでも半月ほどは不在になるはずだ。


 出来上がっていく食事の匂いにつられて起き上がり始める魔術師たちの姿に苦笑しながら、アスカは不在の間の監督を誰にしようかと考えつつ、ユリアナの待つ組み立て式テーブルの方へ歩みを進める。

 美味しそうな匂いに「みっ!」と鳴いて肩に上がったルミが、小鳥のような羽をパタパタと羽ばたかせながらテーブルへ飛んでいく。大好きなカァナの半熟卵を見つけたのだろう。


 同行している人数に対して休憩所はそれほど大きくない。足の踏み場がないほどではないが、足元に注意しなければ何に躓(つまづ)くかも分からない。

 アスカは真っ白な毛玉が飛んでいった方向を確認しながら、ゆっくりとその後を追って行った。








 海辺の丘で稼働を始めている水車が四基と風車が二基、夕暮れに染まった姿を見せつけている。風車の基礎部分は本格的に雪が降り始める前に出来ていたため、冬の初めに急いで木組みを作り、石を積んで仕上げたものだ。

 水車や風車の羽は冬の間にロヴァーニの工房で作られ、雪解けとともに運ばれて組み上げられている。


 水車は近くを流れる川から水を汲み上げ、ロヴァーニとの間にある農地や放牧地を潤すために張り巡らされた水路へと流されている。

 もっとも、土地自体の開発はこれからだ。細かな魔力制御で抑圧されている新人団員たちのストレス解消に、ある程度制御が粗(あら)くなっても許される作業を織り込むことで開墾を進めてもらう。

 移民に任せる農地の問題やまだまだ足りない食肉の供給、住居の問題なども解決しなければならない。


 午後から向かった海辺の集落は道具を渡してきただけなので、明日また訪問することになっている。使い方の説明などは全て明日行う。点数が多かったので、紹介して倉庫に収めるだけで帰りの時間になってしまったのだ。


 薄暗くなり始めた道は客車に取り付けられた魔術具で煌々(こうこう)と照らされ、護衛に付き従う騎獣たちの足元も明るく照らしている。

 角犀馬(サルヴィヘスト)の脚と荷車の車輪で踏み固められた道を急げば、陽が落ちてすぐくらいの時間に本部へ辿り着くだろう。



 漁具を届けに行っただけなのだが、お土産というべき海産物をいくつかもらって来ている。客車の後ろに繋がれた簡易荷車には、氷を詰め込んだ木箱にヤシガニのような姿のラゥプや三十テセ(センチ)程度のマアジのようなピーキ、アスカの手のひらほどもある貝が数種類詰め込まれていた。

 食用になるものばかりだというが、夕食は残った側仕えや職員が作ってくれているので、詳しい調査や試食は明日以降になる。


 既に動くものが何も見えない街道はアスカたちの専用道路だ。

 ロヴァーニよりも奥まった位置にあるせいか野盗なども入って来られず、移住者たちの入植も始まっていないため、客車の灯りだけが頼りになる。

 けれど三段階に強さを変えられる灯りのおかげで、獣が寄ってくることもなく順調に道を進んでいく。



 ロヴァーニの町中に入る最後の丘を越えた時、目立っていたのは灯りに照らされた赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)本部の建物と女子棟、中央広場とその付近の飲食店、それにそれに夜の営業が中心となる歓楽街だ。

 坂を下り始めると同時に、日没を告げる六の鐘も鳴り始めている。


 歓楽街の建物の高さもそれほどではなく、せいぜい二階から三階建て。

 灯りの魔術具も一番簡単な構造で、雨の日でも使えるものを魔術師や錬金術師に教えて主要な道路に据えただけなので、明るさにばらつきはある。無論光源により色にも違いは現れていた。


 赤獅子の槍本部は赤味の強いレンガ、庭を挟んで隣に立つ女子棟は白。

 辺境最強と名高い傭兵団の本部は魔術具の暖色系の灯りで照らされ、河岸段丘の上に聳(そび)え立つ姿をくっきりと表している。

 隣に建つ女子棟はアスカの銀髪に一番近い白で、大きなガラス製の窓が多数取り入れられていた。夜間はカーテンが掛けられ、部屋の明かりが外に漏れないよう魔術具も使われているためか、ところどころ暗く穴の空いたような姿を見せている。

 女子棟の横で湯気が立ち上っているのは浴室棟だ。


 中央広場や主要な道路は灰色がかったベージュ色で、両脇には赤獅子の槍と同じ魔術具の灯りが使われている。現在は四十テメルごとに一本ずつと設置されている間隔が大きいけれど、発注していた晶石が届けば中央広場と市場、主要道路に倍ほどの灯りが増えるはずだ。


 他の辺境集落やライヒアラ王国領内の道がほぼ星明かり以外に無い真っ暗に近いことを考えれば、破格の扱いである。


 歓楽街の辺りは薪を燃やした赤っぽいオレンジ色に染まっている。

 街路灯だけでは足りない客引きのために、各店では自前の篝火(かがりび)を焚(た)いている。燃やす木の種類にもよるが、色は濃い赤かオレンジ。

 それが石組みの建物の壁を照らして、酒を提供する飲食店や娼館などの歓楽街を怪しく見せていた。


 自警団や傭兵団などの施設や一部の許可された宿を除き、日没の鐘から二つ目の「就寝の鐘」までが篝火の許された時間になる。

 酒場などの営業時間は日没の鐘のすぐ次、終業の鐘までと決められていた。

 宿や娼館のように泊まることが前提の場所でも、終業の鐘で半数が消され、就寝の鐘が鳴る頃には全てが消されることになる。


 屋内では灯りが残るところもあるけれど、大半は不寝番が必要な大商会や傭兵団・自警団などの防衛拠点、それに協議会の建物で移民を扱う部署くらいだろう。

つまり町にとっての重要拠点である。



 先日、冬の辺境街道の封鎖が正式に解かれてから連日のように移民の申請が行われているようで、砦の内側の滞留施設では受け入れきれなくなり、砦外の荒野に天幕や掘っ立て小屋のようなものが立ち並んでいるらしい。

 もちろん防衛上の都合があるので、橋の前に一定の広さは取っているようだ。


 ロヴァーニ内壁に住むには広さや人数の限界があるため、大半は内壁の外から砦までのどこかに用地を得なければならない。農地にしても自分勝手に耕すことはできず、協議会の承認と一定程度の金銭が要(い)る。

 住居も建てなければいけないし、耕す道具や肥料、住人に課される税などを考えたら相応の費(つい)えが必要になるのだ。無制限に難民を引き受けることはできない。



「姫様、戻ったら女子棟で夕食になります。食後にランヴァルド様への報告のため執務室で軽くお話をしていただきますが、その後は湯浴みのお時間まで自由にされる時間がございます」


 客車内の灯りで帰ってからの予定を確認したユリアナが手帳を閉じ、窓の外を見つめているアスカに声をかける。

 研究や魔術・薬学の講義などで赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)の敷地外に出ることも、夜間に掛かるような外出の機会も少ない主にとっては窓の夜景自体が珍しいのだろう。


 女子棟の自室の窓から夜景を見ることがあっても、見渡せるのは大半が傭兵団の敷地で、町の様子は一部しか見ることができない。浴室棟も同様で歓楽街の一部は見えないため、一番高い丘の上から見渡せる景色に見入っているらしい。

 身分と安全のためであることを考えれば已むを得ないのだろうが、籠の鳥を強制されることには同情を禁じえない。


「今夜はお土産に貰ったものを地下の冷蔵・冷凍倉庫に入れて、パウラやタトル、ルビーのお世話ですね。海藻と魚介類は保存箱の晶石を新しいものと入れ替えて、新鮮な空気を送り込むようにしてください。

 もう厩舎で用意してくれていると思いますが、パウラたちのご飯の確認もお願いします。一日客車を牽(ひ)きながら頑張ってくれたので、食後のマッサージの時には甘いものも用意しましょう」


 既に腹案があるのか、窓の外を流れる夜景を見つめたままアスカ姫が口にする。


 春先に市場へ出回る甘味は限られているが、赤獅子の槍や女子棟に限っては事情が異なる。冷凍・冷蔵倉庫の中に山と積まれた木箱や籠に、氷結寸前の果物が保管されているのだ。


 女子棟の前庭や地下、下働きの者たちが主に使っている区画の地下に構築された倉庫は女子棟のニ棟分よりも大きく、本館の地下倉庫と合わせれば全敷地の倍以上の収容力を持つ。

 冬の間外出できない時間を使って、女子棟の地下をさらに広げたことも大きい。

 河岸段丘側へ広げた部分も含めれば女子棟の容積の三倍から四倍にもなる。


「明日はユリアナとネリアが引き続き一緒にいる他は、今日留守番をしていた者と交代する予定でしたね? ゆっくり身体を休めてください。来月の初めには街道の整備に出掛けることになりますから、無理のない範囲で準備をお願いします」


 帰着後の指示を出していく間に客車の列は赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)本部の敷地に吸い込まれていき、広い前庭で客車と角犀馬(サルヴィヘスト)が切り離され荷物が運ばれていく。

 アスカは客車から降り立つとそのままパウラへと近寄り、全身を水の魔術で洗い流して彼女に抱きついた。砂埃などで汚れていた部分も一瞬で洗い流され、水や汚れは分解されて広場の排水溝へと流されている。


「今日は一日お疲れ様、パウラ。明日も海までの往復になりますけどよろしくお願いしますね。ご飯を食べ終わったらあなたはお風呂ね。私(わたくし)の用事が終わったらマッサージに行きますから」


 角や額を撫でられて嬉しいのか、短く鳴いたパウラは厩務員の案内に従って大人しく敷地奥の厩舎へ向かった。

 きちんと主の言葉を解しているらしく、短い尻尾が上機嫌に左右へ揺れている。


「荷の手配は姫様の指示通り地下の倉庫へ。姫様はこのまま護衛のエルサさんやクァトリさんと女子棟にお向かいください。

 私はこの場の指示を出してから追いかけます。側仕えはマイサに、ネリアは先に茶器の片付けを終えてから合流してくださいませ」


 日が暮れて商談や護衛の依頼に来る者はいなくなっているものの、商隊護衛からの帰還や直営商会からの納品などで新館前の広場はごった返している。

 それでもアスカ姫の周囲は整然と動いており、護衛も厳戒態勢だ。

 最重要人物の帰還だけに当然の反応だろう。


「ユリアナ、私がいつまでもここにいては皆が動けませんから先に移動しますね。荷の移動指示を出し終えたら早めに戻ってきてください。

 ランヴァルド様への先触れは女子棟に戻ってから行いますので」


「畏まりました、姫様」


 一礼して後ろ姿を見送り、客車の後ろに停まっている荷車へ視線を移す。


 既に調達班や下働きの者たちが荷車の前に集まり、持てる箱を降ろしている。

 だがお土産の魚介類が一杯に詰まった木箱は滑車やクレーンが設置された場所で地下に降ろす必要があるため、新館裏手の荷降ろし場へ行かなくてはならない。


 もっとも、これからユリアナがやるべきことは番号を振った木箱に色のついた札を添えて運ぶ指示を出すだけだ。荷の内容は既に記録してあるし、色札についてもアスカ姫に確認を取っている。

 地下に降ろしてしまえば台車で指示された部屋へ運ぶだけなので、それ以上彼女の手は必要ない。


「では指示を出します。番号の振ってある木箱のうち、一番から八番までは五番の冷蔵倉庫に運んでください。積み上げないよう床に直置きで。

 荷台の青色の札が付いている四箱はクレーンで吊り下げて降ろしますので、八番までの箱を降ろしたら荷車ごと移動させてください。降ろした箱は女子棟側十二番の冷蔵室にお願いします。今晩か明日、姫様がお使いになりますので」


 下働きをしている男女は団員の中でも若く、平民出身が多い。

 けれども昨秋から冬の間を通して基礎的な読み書きと計算を教わっているため、数字を確認して運んだりするくらいならば問題なく出来る。


 倉庫も白札なら冷凍庫、青札なら冷蔵庫、黄緑の札なら湿度の低い乾燥室などと種類別・番号別に分けられていた。

 下働きの中でも厨房や調理を担当する者、荷運びを主に担当する者は最初の数日で繰り返し教えられているため、簡単な読み書きさえできれば商会に転職することがあっても困ることはない。


 辺境最強と謳(うたわ)われる傭兵団に職と生活の場を得て、今さら他に流れるなど考えもしないだろうが。それほどに赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)の待遇は良い。


 ユリアナを始めとする側仕え一同もこの地(ロヴァーニ)に骨を埋める覚悟でいる。

 仕えるべき主、豊かな土地、伸びゆく町と人々の勢い。

 町に集まる人々の目は明るく輝き、餓えや紛争に脅(おびや)かされることもなく日々を過ごしていた。王都から遠く離れていても、それを苦にすることもない。


 辺境街道が整備されればさらに住人が増え、農地や牧畜を行う土地が広がり、産物を求める商人たちが集まる。

 四つある傭兵団と町が組織した自警団で治安が守られ、整備された水道によって生活も一足飛びに良くなっていた。それを裏付けるように、昨秋から年末にかけてロヴァーニの人口は急速に増えている。


 春の街道封鎖解除と町の開門以降の人口流入は先週末の会議で報告された。

 アスカ姫とユリアナも出席を求められていたが、主の心と身体が休まる時間を確保するため報告書の確認のみにさせてもらっている。


 来月からも辺境の集落のために街道整備へ赴くのだ。

 いくら王族といえど、成人直後の女性が受け持つ仕事量ではない。


 仕事を抱え込みがちな主の防波堤となるべく、ユリアナは一刻も早く傍に戻れるよう荷物の行き先について指示を出していった。








 夜の団長執務室は基本的に夕方までの書類の残りと、重要かつ緊急を要する案件のみを扱う。団員は朝昼晩の食事を大食堂で摂(と)るのが大原則で、執務室や会議室での飲食は厳禁である。

 ただし冬季の資料作成中とお茶(テノ)を除いて、という抜け道は存在する。


 執務室では――主に副長であるスヴェンの行いのせいで――飲酒が禁止されているため、休憩中のテノは水分補給としても重要だ。


「住民の流入は今年も多くなりそうです。防壁の整備は昨秋入団した魔術師に任せていますが、夏までの状況によっては農地整備や砦の防壁より内側の害獣駆除を先に行った方が良いかもしれません」


 本来は週末に協議会の庁舎で集計し、翌週朝一で報告される移民統計がランヴァルドの手元に置かれている。月末まで海辺の集落の整備と調査、そして来月上旬から辺境街道の整備に赴くアスカ姫のため、報告を早めてもらっていたのだ。


「姫がロヴァーニを離れている間はペテリウスを報告に遣わします。エロマー子爵領に不穏な動きがあったり、緊急を要する重病人が出ない限りは街道整備に専念していただくつもりですが……」


「姫様、こちらがラッサーリから届いている報告書です」


 同席しているハンネが数枚綴りの紙を差し出す。


 製紙工房を急いで建て増しているためか、移民でも力が劣る女性や子供にもできる仕事が増えており、質はともかく植物紙の流通量は増えてきている。

 それに伴ってロヴァーニでは薄板から紙への移行が進み、早ければ数年のうちに主要な記録媒体として立ち位置が変わるはずだ。


 現在のところ最高級品はアスカが工房で作る団の正式通達や女子棟内で使う紙、次点にくるのが直営商会に委託した工房である。

 団の敷地内にある工房は報告書や申請用紙、集計用紙などに使われる分の生産と新しい紙に関する開発研究が目的となっているので、品質としては実質ニ位だ。


「エロマー子爵の私兵はほぼ十日おきにラッサーリまで偵察に来ているようです。春先に我々が痛い目に遭わせたせいか、川を渡ってくることはないようですが。

 現在はラッサーリの駐屯部隊が川縁(かわべり)の防塁を構築しながら待機中で、来月には魔術師を五名追加する予定です。向こうの出方次第では峠道に障害物を置くことも考えています」


 ランヴァルドがアスカ姫の作った地図を補完するように描き足した、ラッサーリまでの略図を示す。来月のラッサーリ行きは道の整備もさることながら、辺境街道の地図の補完こそが主目的である。

 周辺集落への枝分かれの調査は秋口までの課題になるだろう。


 もちろん、南方のライヒアラ王国直轄領のペルキオマキに通ずる街道整備も重要なことだ。現在のエロマー子爵領を抜けて王都へ向かうルートよりもかなり遠回りになるが、道中の安全や別の選択肢の構築は急務と言える。


 北方への道は剥き出しの土と石で荒れたものがあるだけで、状態はかなり悪い。

 こちらはラッサーリの少し先、峠道を越えてから麓(ふもと)の荒れ地を突っ切るように伸びているので、手を着けるにしてもエロマー子爵の勢力をある程度押し返してからになる。


 もしくは峠道より手前に新しい道を作り、北方の王国領地へ近づけてから新しい峠道を作るかだ。商隊経由で北方の男爵領や騎士爵領と連絡を取らせ、反対側からも工事を進めてもらえばより早く整備できる。


 インフラ周りの整備は既に持ち出しの方が大きいため、各商会を含む投資や税代わりの労力などで補うにしても限界がある。

 恩恵を受ける辺境の集落や貴族たちに金を出させれば多少の足しにはなろうが。


「今のところ団員や商隊に実害は無いのですね? でしたら挑発することなく様子見を続けましょう。ただ、峠の辺りまで斥候を一日おきに向かわせて監視した方が良いかと思います。

 私(わたくし)は来月と再来月の半分ほどラッサーリを中心に工事を行います。月の半分はこちらに戻りますから、街道周辺の地図の報告と合わせて状況を確認し対策を検討しましょう」


 辺境街道は索敵魔法を使いながら要所要所で簡単な測量を行うため、ラッサーリ行きの日程は通常の商隊と変わらない。休憩所や野営地の整備を考えれば、昨夏ハンネが王都へ向かった時と大差ないだろう。


 今年の街道整備予定はロヴァーニから騎獣で三日ほどの野営地までだ。

 アスカがラッサーリへ向かうことで街道全体の基礎部分は整備してしまうが、秋の終わりまでに周辺の集落からも人員を出してもらい、石材を並べたり土を叩いて均(なら)す作業は負担してもらうことになる。


 地球でいう重機作業に当たる部分を魔術で担当するため、一緒に帯同する魔術師も相応に増える。同時に仕事を求めてきた者たちもそちらに振り分け、当座の生活資金を稼ぐ手段を得させるつもりだ。


 このことは四つの傭兵団やロヴァーニの協議会も後押ししているので、いずれ税収や交易の利益で回収されていくことになるだろう。整備費を盛り込んでも数十年単位で十分に町に貢献できるし、周辺の集落や町にとっても利益はある。


 道路が整備されれば人も物資も今以上に動きやすくなる。労働力を提供する人々に支払う金も生活費や食費として市場に周り、税として回収されるのだ。


 当面はそれらをさらに道路整備や防壁建設などに当てることで、継続して雇用を生み出すことが出来る。移住直後で農地を得られずとも、間違いなく収入を得られる手段があれば人は居付き、やがて土地を得て生産者として貢献を始めるだろう。


 安定した生活を成し得ない土地から移った者たちは、いずれロヴァーニの勢力圏で町を支える者となるのだ。であれば、環境を整え仕事を与えるのは為政者たちの役目でもある。


「ランヴァルド様、姫様が向かわれるラッサーリ方面の情勢は分かりました。物資や食料の輸送については手配できていますか?」


「問題ないよ、ユリアナ。そちらは最優先で手配させている。新鮮な野菜も週に二度、調達班がラッサーリへ向かうのに合わせて届けさせるよう予定を組んでいる。

 うちの団と直営商会の冷蔵輸送車を二台専属で張り付けるんだ、その点は安心してもらって良い。ロヴァーニや団にとって一時的に負担になろうと、その後の利益が十分に見込めるからね」


 ユリアナの問いに答えたランヴァルドが甘みを抑えた小さなタルトを口にする。

 シュレやムィアがふんだんに使われ、ヴィダの実をラムレーズン風にしたものとカスタード風クリームの組み合わせはダニエにも伝授してある。


 団員以外には商談で訪れる大商会か中規模で有力な商人以外の口に入ることが少ないため、大々的に広まっているわけでなはい。

 それでも王都ロセリアドにはこのように見た目にも味にもこだわった菓子はほぼ無く、一般にまで広がれば十分特産品になるはずだ。


「来週には先遣隊兼交代要員としてラッサーリに二班、商隊護衛に就いていない者を派遣する予定だ。一班は主に南方街道方面の警戒と野獣討伐に向かってもらう。

 北方街道は何度か野盗討伐で向かったことがあるんだが、南方は疎くてね。団員の中でラッサーリ周辺の出身者やペルキオマキ方面に明るい者を選抜しておいた。

 ユリアナたちも半数は姫と一緒に向かってもらうが、こちらに残る半数にも頼みたいことがある。もちろん、姫の許可が必要だが」


「何でしょうか、ランヴァルド様?」


「こちらはペテリウス経由の文(ふみ)と正式に手紙の形で送られてきたものになりますが――私の実家の者が、来月中旬以降に辺境街道へ入る見込みだと連絡してきています。手紙はエロマー子爵領を抜けてきましたが、本人たちは南部のペルキオマキ方面から来るそうです」


「……他の貴族やエロマー子爵に気取られないように、ということでしょうか?」


 ソファーの片隅で白い毛玉(ルミ)とじゃれているペテリウスを横目に見ながらアスカが答えを返す。執務室に行けば確実に遊び相手がいると認識したのか、最近のルミはご主人様の外出に必ずついていくようになっている。

 四、五回に一度はランヴァルドの『お手伝い』で留守にしているけれど、基本は契約者である彼の下(もと)に戻ってくる。


 故にアスカとランヴァルドが会話している間は二匹ともフリーの状態だ。

 本能のままに大暴れして執務や会話の邪魔をしなければ咎められたり怒られることもなく、側仕え以外に文官達に構ってもらえることもあり、ある面ではアスカの私室にいる時よりも大人しい。

 邪魔をしないでいられれば、手ずからおやつも食べさせてもらえるのだから。


「他の貴族もそうですが、昨年の秋までに商隊がロヴァーニに出入りしています。

 急速にロヴァーニが発展していること、香辛料以外の産物がロヴァーニから発信されていること。資金と貴族領を出ていった住民の向かった先、商人の口を伝っている情報を詳しく調べれば、何とかしてリージュールの王女殿下に繋ぎをつけようとする者が出てくるはずです」


「私(わたくし)が紹介もない不特定の誰かのために対応することはないのですけど……」


「そちらについては我々や協議会が対応します。姫はお気になさらず」


 多少疲れてはいるが、傭兵らしからぬ爽やかな笑みを浮かべたランヴァルドが文官に命じて小箱を持ってこさせる。

 黒に近い濃紺で塗られ、極細い金と銀で描かれた紋章つきの小箱だ。

 箱には十字に紅色の紐が掛けられており、結び目を守るように蝋(ろう)らしい赤茶色のタグが下がっている。こちらは箱の紋章とは違うようだ。


「こちらは王都からの書簡になります。本日夕方、エロマー子爵領を避けて北の街道経由でロセリアドから届けられたものです。

 箱の紋章はライヒアラ王家の、封の紋章は私の実家であるシネルヴォ伯爵家のものになります。引退して先代となった父が使節派遣に合わせて送ってきました。

 私は添え状で大まかな内容を確認しましたが、こちらはライヒアラ国王より姫に宛てられた親書となります」


 ランヴァルドが受け取った箱をアスカに向け、テーブル越しにそっと差し出す。

 事前に箱のチェックや紋章の確認は終えているのだろう。扱いは丁寧だが、特段警戒心もなく触っていて、ユリアナに目線を合わせる。

 こうした書簡の受け取りは筆頭側仕えとなった彼女の役割だ。


 手早く箱と紋章を確認した彼女は、主の手元に箱を進める。

 アスカは蓋を閉じている蝋を護身用のナイフで切り、紅色の紐を解(ほど)く。

 一月以上も閉じられていたためか、微かに抵抗を感じながら開けられた箱には丸められた皮紙が収まっていた。枚数は四、五枚といったところだろうか。


 蓋を開くのと同時に、執務室の文官たちが一礼して隣の控え室へと出ていく。

 王国の版図を離れた辺境とはいえ、一国の王の親書が開かれる場所は恐れ多いのだろう。アスカの側仕えも、ユリアナ以外は文官と一緒に席を外していた。


「――ライヒアラ国王が早期の訪問を検討している、ですか。自らの訪問が叶わない場合でも、王族の中から信頼できる者を遣わしたい、と。

 以前ユリアナやランヴァルド様から聞いたお話だと、エロマー子爵領の領境からロヴァーニ側は辺境とされて、王国の版図では無かったと記憶しています。

 当然、現国王の血族が足を踏み入れたこともないと。建国期やその後の統一期で騒乱を収めるため、過去には軍や兵を率いて立ち入った可能性はありますが」


 装飾的表現が多い文章を流し読みして、最も重要だろうと思う点を口にする。

 アスカがまだ見ていない、ランヴァルドの父の書簡には直截的な表現で書かれているのかも知れないが、宗主国の第一王女に会うためとはいえ辺境まで足を運ぶということは相当な出来事だろう。


「頭の痛い話ですが、その通りです。それともう一点、父からの書状によれば王宮筆頭魔術師のエルメル殿が情報を得た場合、姫の教えを請いに単身王都を出奔する可能性まである、と。

 もちろん国王陛下や宰相が全力で情報を抑え、引き止め工作を行っているそうですが。王宮筆頭魔術師は基本的に軍を発した場合以外での王都外への外出が著しく制限されていますので。もっとも、エルメル殿は素材の採取などで直轄地などには頻繁に出かけていたようですけれど」


 こめかみを揉みながら魔術第一主義の自由人を思い出し、ランヴァルドが溜め息を吐く。伯爵家から短い期間騎士として王国に籍を置いた彼でも、エルメルの逸話は色々と聞き及んでいる。


 彼が王宮筆頭魔術師となったのは今から十五年ほど前のことで、その頃には既に『リージュールの浮船』は別大陸の国へと向かった後だった。

 この世界で最も魔術への造詣が深く、魔術具においても最も洗練された知識が蓄積されている国への留学機会は、エルメルの筆頭魔術師就任前に失われている。


 そして次の浮船訪問が巡ってくる前に『リージュール魔法王国が喪われたかも知れない』という報が世界を駆け巡ったのだ。

 当時、絶望したエルメルが半月に渡って王宮に出仕せず、自宅の書斎で先代筆頭魔術師から譲り受けたリージュールの地図を呆然と見上げ続けていた――とも人伝(ひとづて)に聞いている。


 そんなエルメルが「リージュール魔法王国直系の姫が近隣に滞在している」などと聞けばどのような事態になるか。王国上層部や魔法学院の幹部を含め、隠蔽や情報操作に血道を上げるのも已むを得ないだろう。


「私(わたくし)としては、王国の役職者としての職務をきちんと果たした上で学びに来るのであれば構わないと思います。私も抱えていることがたくさんありますので、付きっ切りというわけには参りませんが。

 王国にも国内外の事情があるでしょうし、許可できる滞在期間も来年以降、年に一月くらいでしょうか? 個別に指導することは出来ませんので、内弟子で側近のハンネやアニエラたちが受ける講義を傍聴する程度なら許可できると思います」


「頑丈な手綱を何重にも付けなければならないと思いますが、確実に使者との交渉時に伝えましょう。手綱というよりも鎖の方が合っているのかも知れませんが」


 苦笑するランヴァルドに、ユリアナも苦い顔をしていた。

 どうやら筆頭魔術師だというエルメルの風聞は広く広まっているらしい。


「いずれにしてもすぐには無理でしょうね。住民の流入が止まず、一番近い王国領であるエロマー子爵の領地とは紛争の種を抱えている状態です。

 滞在のためにロヴァーニで受け入れるにしても、まだ宿の整備も追いついていません。商人の受け入れも郊外で野営をさせているほど大変な状態ですから、早くても来年の夏以降になるでしょう」


 現実的な判断をするランヴァルドに、アスカとユリアナも黙って頷く。

 ただでさえ街道整備や防壁建築、町の設備に農地・牧畜関連設備の整備と時間を取られる項目が多い状態である。知識欲が旺盛なのは結構だが、相手の意向や事情を無視してまで押しかけるつもりなら対応する必要すらない。


「姫におかれましてはご自分の予定を第一にお考えください。我々赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)も町の協議会も、姫の予定に合わせて動くつもりです」


「今のところ、来月の予定変更はありません。準備はユリアナを中心に進めてもらっていますが、街道の休憩所や野営地については協議会に委(ゆだ)ねますので」


「備蓄分の食料は既に直営商会の倉庫へ移動済みです。協議会が雇う人員の分は各商会が注文を受けて、別途用意していると聞いています。

 姫様と一緒に向かう者はこちらの報告書にまとめました。魔術師が十七名、うち五名はラッサーリにて待機します。実際は三名が駐留部隊の交代要員で、残り二名が純粋に街道整備の交代要員ですね。待機中は駐在部隊と合流して、ラッサーリの防壁建設にも協力してもらうようです。

 費用は会計長のマイニオ殿と交渉して、防壁建設と滞在期間にかかった分を按分(あんぶん)負担してもらうことにしました」


 ユリアナから受け取った報告書を手早く読む。アスカの側近として配されているハンネとアニエラ、準側近や内弟子と言える男女十名。

 それに昨秋、一足先に学院を卒業したことになっている新人が三名組み込まれている。こちらは帯同して街道整備を覚えさせるのと、ラッサーリで実戦に近い状況を経験させるために連れて行くのだろう。


 他二名は以前から傭兵として活動していた、他の小規模傭兵団からの編入組だ。アスカによる三ヶ月ほどの座学と厳しめの指導を経て、その力量は編入当時の数倍にも伸びている。



 ラッサーリからロヴァーニに繋がる街道は何年かかけて石畳を敷き詰めていく予定だが、南部のペルキオマキと北部への街道はそこまで手をかけるつもりはない。

 以前聞いたことがある、水捌けを考慮した砕石を詰めただけの道になる予定だ。


 それでも道幅が八テメル(メートル)半、ラッサーリから荒野を徒歩で約一月半――途中何度か丘や谷、湿地帯を抜けるらしいが、一日に十五から二十ミール(キロ)も進めればいい方、と元シネルヴォ伯爵家執事のヴァルトに聞いているので、単純計算でも一千ミール強の距離がある。


 現在の団所属魔術師が街道敷設に赴いて工事できる距離が一日に四ミールほど。

 基礎部分のみの工事で稼げるのがこの距離なので、後工程で砕石を詰めて叩き締めていくだけならば魔力の低い平民に仕事をさせても問題はない。


 砕石の元になる岩は北の鉱山から毎日産出されているし、これまでの数百年で谷が一つ埋まる程度には在庫があった。運び出すには相応の人手が必要だが、移住者を中心とした労力に頼って賃金を出せば問題は無くなる。

 費用も協議会や商隊護衛で使うことの多い各傭兵団、安全な交易路を求める商会からの寄付などで賄えるため、優先度は高いのだ。


「砕石の輸送は一日に五台、主に商会が保有する荷車で行う予定です。二十を超える地元商会から協力が得られましたので、一回につき二、三台ずつ輸送に協力してもらいます。協力してくれた商会には街道の完成後、ロヴァーニの門への優先通行割符(わりふ)を融通する予定です」


「あまりたくさん発行すると良くないのでは? ロセリアドでも問題になったことがあると貴族学院で習ったはずですが」


「もちろん分かっているよ、ユリアナ。割符は永続的なものではなく更新期間と審査を設けると通達しているし、納税の調査は他の商会よりも厳しくなる。

 それらを勘案しても通門審査は簡略化されるし、もし禁制品を扱ったことが発覚すれば再取得はかなりの期間を置かなければ無理になるんだ。抑止効果は高いさ」


 割符についての規定は協議会が主導しているらしいが、もちろん町や街道の治安を維持している傭兵団の意向も受けている。


 毒物や盗品売買、違法奴隷などに手を出さなければ基本的に問題ないが、儲けが出るとなれば手を出すことに躊躇(ためら)わない者もいるのだ。幸いにもロヴァーニ在住の商会はまともな者が多いけれど、これから移住・移転してくる者が全てまともとは考えにくい。

 ここは既にアスカ姫の恩恵に与(あずか)っている土地である。圧倒的な上位者である彼女の意を害する行為は認められるわけがない。


「まあ割符は協議会がきちんと管理するだろう。毎月の審査と報告会も義務付けられているからな。情報収集と審査には暗部も関わるそうだ。

 それから姫、こちらの書状を。私の実家の父シルヴェステルからです」


 三つ折りされた紙を受け取ったアスカは、『こちらの世界にも三つ折りの手紙があるんだ……』と感慨深く思いつつ中を開く。

 中身は書状――というよりも書き付けに近く、王都の屋敷に残った執事に命じて情勢を調査させ、南部ペルキオマキに向かったランヴァルドの父経由でロヴァーニに送られたものらしい。


「第三王子ウルマスが王都を出発、その行き先がエロマー子爵領経由でここになるらしい、ですか。取り巻きの貴族家令息や商家の息子たちも一緒だと」


「私も知らせを受けた時は唖然としました。王太子イェレミアス様はともかく、第二王子のエイナリと第四王子のオラヴィは貴族の間でもバカ王子と名高い。そして第三王子ウルマスは王族の下の兄弟でも輪をかけた慮外者です。

 口さがない者たちの間では『無能な欲深者』とまで言われていますから」


 苦り切った表情でテノを一口含んだランヴァルドは、アスカが気分を害さない範囲での過去の所業を挙げていく。


 曰く、自分の遊興費が足りないと敵対する派閥と商取引をする商家に押し込み金を巻き上げ、見目麗しい娘がいれば拐(さら)って取り巻き共々弄ぶ。

 曰く、下級貴族の婚約者のいる娘を見初めて奪い、弄んだ後で僻地(へきち)送りにした。

 曰く、以前の侍従長と通じて王宮内の調度や侍女たちに手を付けようとして国王の激しい怒りを買い、取り巻きの貴族令息が数人犠牲になった当日娼館でバカ騒ぎをしていた……等々。


 飛鳥として見たことがあるテレビの時代劇でも、そこまで突き抜けたバカはなかなかいないだろう、というくらいのダメ王子だ。

 むしろなぜ処刑されていないのか疑問を覚えるほどである。


「――なぜ処刑されないかについては、王国内の貴族の派閥が関係していますわ。

 現在の辺境伯家から輿入れした第三王妃がウルマス王子の母親なのですが、元々は北東部にあった穀倉地帯の出身だったのです。

 第三王妃が育った当時は穀倉地帯もそれなりに豊作が続いたので潤っていましたが、ここ数年は干魃(かんばつ)や渇水、虫による食害、貴族同士の内紛、それに伴う住民の離散が度々発生して税収も著しく落ちています」


 自らも一度そうした地域に嫁ぎ、貴族同士の紛争で嫁ぎ先が潰され実家に戻ったユリアナが教えてくれる。

 だがユリアナの場合嫁いだと言っても夫婦としての生活はなく、式の最中とその前後の僅かな時間しか共にしていない。加えて紛争が嫁ぎ先の領地に及びそうになった時にはシネルヴォ家の者が彼女を救い出し、実家に連れ戻っていたのだ。


「第三王妃は嫁ぐ前の実家の経済状況しか知りませんし、王宮に入ってからは世俗のことなど全く知ろうともしていません。第四王妃も似たようなものです。

 第一王妃と第二王妃のお二方は社交の関係もあって式典や陛下と参加される公式行事も多いのですが、それ以外の側妃の方々は……」


「皆まで言わなくても分かりました。つまり、暗愚な方が王宮内に蔓延(はびこ)ってしまっているのですね」


 口を濁したユリアナに、アスカが溜め息混じりに応える。

 時代劇や小説でよく見かけた展開だ。害を取り除くのに取らなければならない方法まで思い出されてしまい、気分が沈む。

 アスカ姫としての王族教育でも似たような状況は教えられており、物理的な排除や隔離以外に解決法はない。


「厄介なのは、父と使節の到着が第三王子の辺境街道到着と重なりそうだ、ということです。エロマー子爵の私兵が便乗してくるようなら、間違いなくラッサーリで戦端が開かれます。

 先日出発した商隊の護衛にラッサーリの部隊へ指示を出しましたが、峠道などに細工をしても稼げる日数は数日です。私としては姫のロヴァーニへのお戻りと重ならないことだけを祈っています」


「心配はありがたく思いますが、愚か者は時としてこちらの想定の幅を超えることがあります。南部街道の進捗にも拠りますが、なるべく早く済ませたいですね」


 困ったように眉を下げて微笑みながら、遊び疲れて膝の上に乗ってきたルミの背を優しく撫でてやる。脇でとぐろを巻いて顔だけ見上げてくるペテリウスには四つに割ったクッキーを差し出し、ぱかん、と開いた口に咥えさせた。


「ランヴァルド様のお父様が早めに到着され、第三王子の一行がエロマー子爵領で立ち往生してくれることを双月に祈りましょう。

 もちろん、辺境街道に入ってから王国と同じように収奪を行う気であれば、相応の対価を戴くことになるでしょうけれど。命まで落とさないとよろしいですね」


 いざ自分に害が及びそうになったり、ユリアナたち側仕えや護衛、側近に刃が向けられるようなことになれば自重せず魔術を振るうつもりだ。

 リージュールの王族としてある程度威力の加減は必要だろうが、防壁だけでも剣や槍、矢を通すようなことはない。

 本気であれば一軍が数日かかってようやくどうにかなる程度だろう。


「ライヒアラ国王は理性的な方のようですが、血を分けた子供でも親の性質を受け継ぐとは限らないとじいや――私(わたくし)の教育係だったセヴェルから教わっています。

 王都へ連絡をされるのであれば今のうちにお願いします。

 おそらく王国軍が第三王子を力尽くで止めるかまでは『わがまま』も収まらないでしょう。リージュールの王族として裁定を下さぬうちにと言えば、各国の王には通じると思いますので」


 行動が変わることはないだろう、という諦めと共に溜め息を吐いたアスカは、膝の上で丸まった白い毛玉を撫でる。

 ペテリウスと思う存分遊んで疲れたのか、彼女は静かな寝息を立てていた。


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タグを少々編集しました。


本業の新規プロジェクトの企画書で悩んでいる間に副業もそれなりに忙しくて、思ったように書く時間を取れず消化不良気味。

次回は七月中に更新予定です。既に10KBくらいは書いているので、なるべく早めになることを祈っててください……。

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