学び舎へ
今年最後の更新になりそうです。来年からは3日~5日間隔での更新にできたら…いいなあ。
みなさま、よいお年を~!
がたごと、質素ながらも大きい乗り合い馬車に揺られながら、俺は胡座をかいて腕を組み、俯いて目を閉じていた。隣では初雪が丸くなって欠伸をしている。隣の男がそれを見て少し怯えているようだが、知らん顔をして背を撫でた。
俺は今、生まれて初めて離れを出ている。
そして、二度とあそこに戻る事もない。
***
俺を心配しためいど長(モナルダと言う名だと初めて知った)がどうしたのかと言うと、なんと父親に俺を引き取ると申し出た。
実はモナルダと料理長のダイは夫婦らしく、どうせ侯爵家の調べが入れば働いてなどいられないのだから、揃って退職ついでに俺を息子だという事にして、見つかる前に離れてしまえばどうかと言ったのだ。
流石にそれは大丈夫なのか……と思ったが、この申し出に父親は飛びついたそうだ。浅はかなあの男なら有り得る。
そうと決まってからは早かった。あれよあれよと俺の少ない荷物は纏められ、一月も経たず俺は屋敷から連れ出された。ついでと言わんばかりに、俺は実家との縁を切られた。勘当というやつだ。
一応申し訳無さがあったのか、それとも口止め料なのかは知らないが、退職金は少々多めに出されたとダイが鼻で笑っていた。あれは後者だと思っている顔だろうな、と思い出して笑いそうになる。
「何故ここまで俺の世話を焼く」
これは当然の疑問だったように思う。他の使用人達ほど露骨では無いと言え、モナルダもダイも俺をおかしな子供だと思っているだろうに、と。
離れで俺の面倒を見るように申し付けられているのだろうが、彼等の主人はあくまで俺でなく当主なのではと思い尋ねると、モナルダが答えた。
「私共は、元々エウシアレ様……坊ちゃまのお母君が嫁がれる前から、お仕えしていたのです。ですので、形としてはエスターソン子爵家の使用人ですが、私とダイにとっては、エウシアレ様の遺されたご令息様である坊ちゃまが主人と言っても過言では無いのです。侯爵家を裏切る事にはなってしまいますが……坊ちゃまが語って下さった将来の夢の実現を、微力ながらもお手伝いさせて頂く事が、私共に唯一出来る事ではないかと思っております」
その時モナルダは、初めて見るような優しい顔で母の名前を呼び、俺を見ていた。隣を見れば、ダイも同じような顔をしている。
冷たいとばかり思っていた彼女は、俺に無関心だという素振りを父に見せておきつつ、何か被害が及ばないよう俺を見守ってくれていたらしい。おかしな子供だと思っても見放さずに、妙な事を頼んでも文句を言わずに従って。
俺は思わずぽかんと2人を見上げてしまった。人に大切にされるという感覚を久しく忘れていたし、それを体感する事は二度とないと思い込んでいた。
モナルダとダイは、そんな俺を見て初めて歳相応に見えましたと朗らかに笑っていた。俺は少し気恥ずかしくなって俯いたが、緩みかけた頬は見えなかっただろうか。次いで、きゅっと寄せてしまった眉を見られなかっただろうか。
「……有難く思う」
小声でそう言ってまた恥ずかしさがこみ上げ、少し早足になった俺に、初雪がどうしたのと言うように寄り添ったのだった。
***
俺を息子だと誤魔化したとしても、金も権力もある侯爵家が力を入れれば、すぐにモナルダ達の事は割れるだろう。そうなれば、俺はあそこを出た意味もなく連れて行かれる。
そうならない為に、俺は今馬車に乗っているのだ。
行き先は「冒険者養成学校」だ。
冒険者養成学校とは、その名の通り冒険者を育てる学び舎である。
まず冒険者というのは、冒険者ぎるどと言う場所に登録し、そこに出された依頼を解決する者達の事を指す。
ぎるどは他にも商人、薬師、など様々な種類があるそうだが、それについては今は省く。
冒険者は主に戦闘や探索を生業とする者達だ。魔物の退治や、賊の討伐、護衛などの荒事を担当する事もあれば、未開拓の地域を探索する事もある。危険な場所にある植物や素材などの採取もするのだそうだ。
登録者の強さに応じて等級があり、それによって受けられる依頼も変わる。初めは簡単な依頼しか任されないが、等級が上がるにつれてより困難な依頼も受けられるという事だ。
ここまで言えば分かるだろうが、冒険者は常に死と隣り合わせの職業である。自分の実力を読み違えれば、簡単に浮世とおさらばとなってしまう。
しかし魔物なんていう生き物が生息している以上、戦いに長けた冒険者はどうしても必要な職である。となると、新人が安々と死地へ赴いたりしないよう、登録する前にある程度教育した方が楽に決まっている。
そうして出来上がったのが、先に言った養成学校という訳だ。
冒険者ぎるどは、要請を受ければ各国に武力を貸し出す事もしている。
ちなみに国同士の戦争の場合は一切関与しないと定められている。冒険者ぎるどには様々な国、人種の者が登録している為だ。
貴族、王族の権力に屈する事のない冒険者ぎるどは、各国から魔物の脅威を退けてやる代わりに、ある程度の自由を有した独立組織なのである。
それは養成学校であっても同じ事で、そこに入った者はぎるどに仮登録した者として扱われる。
元々冒険者は身寄りのない者が多い。故に魔法での検査で犯罪歴が無い、犯罪意思が無いと分かれば、来る者拒まず、誰でも入学出来るのだ。
それは何らかの理由で家を追われた者、家から飛び出してきた者でも同じで、在学中は本人が会うと言わない限り親兄弟すら、一切の交流が出来ない。
つまり、だ。俺もそこへ一度入学してしまえば、侯爵家が嗅ぎつけて来ても会わずに済むし、仮にモナルダ達が責められたとしても、俺が勝手に出て行ってしまったのだとでも言えば良い。
将来的に旅をして生きていきたい俺にとって、冒険者という職業はうってつけだ。渡りに船、一石二鳥なのだ。
こういった理由から、俺は冒険者養成学校に行く事になった。入学に必要だった資金は、父が多めに寄越した退職金からモナルダ達が出してくれた。俺が冒険者となり、自分で稼ぐ事が出来るようになったら必ず真っ先に返そうと心に決めている。
入学式は初春の月だ。今は後冬の月と呼ばれる時期である。
ちなみに季節は春夏秋冬とあり、1つの季節が初、中、後と分かれている。夏であれば初夏、中夏、後夏といった具合になる。4つの月が3つずつで12月。個人的には大変分かりやすくて助かる。
学校には寮があり、入学式前でも入学希望者を受け入れているので、俺はモルダナ達の家がある街から別れもそこそこに学校行き専用馬車に乗り込み、そこへ向かっている最中だ。
手荷物はモナルダが作ってくれた落ち着いた灰色の手提げに入れた、入学金と駄賃、餞別と言って渡された金。サンドイッチと水筒、着流しと羽織、下着などの着替え。少なく感じるかもしれないが、養成学校の周りは街のようになっているらしく、更に細かい物はそちらで揃えられるそうだ。
学校に行くという事は、もしや初雪を置いて行かなければならないのかと思ったが、どうやら魔物を従える技能や職があるらしく、共に連れて行って構わないと御者が言っていた。初雪はある意味、俺の唯一の家族とも言えるので、一安心である。
専用馬車という事は、ここにいる者は全て冒険者志望なのだろう。片目をちらりと開けて少し周りを伺ってみる。
来る者拒まずと言うだけあり、そこにいる者達は年齢も種族もばらばらだった。乗り合わせているのは、俺を合わせて5人。
隣にいるのは15、6程の男だ。膝を抱えて忙しなく周りを見る気の弱そうな顔が、何となく母を彷彿とさせた。初雪が怖いのか、高確率でちらちらと見ては体を小さくしている。
俺とその男の正面には、女が2人と男が1人。
18程に見える男は、褐色の肌に銀の髪、紫の目と、初めて見る色合いをしていた。その頭頂部には、髪と同じ色の獣の耳がある。獣人、と呼ばれる種族なのだろう。男の俺から見ても端正な顔立ちをしていた。
隣にいる女達は知り合い同士らしく、その男を見てはひそひそと話したり、小さく黄色い声をあげたりと姦しい。男は興味が無いようでそちらを見向きもしないが、それを気にもせずまあ楽しそうなものである。
女達は時折こちらにも目を向けて来ているようだが、関わりたくないので無視している。実家の兄達も俺を奇異の目で見ていた事だし、恐らく何かしらの陰口でも叩いているところかもしれん。
観察も終わり目を閉じようとしたところで、今まで外の景色を眺めていた獣人と目が合った。何となくそのまま無かった事にするのも味気なく感じ、女達に気づかれない程度に目線をやってから、少し肩を竦めてみせた。
まさかそんな反応をするとは思わなかったのか、獣人は一瞬目を見開いてから瞬きし、顔を背けて口元を隠して咳払いしていた。
7つの子供がそんな事をするのが可笑しく見えたのかと思ったが……どうやら笑いそうになったのを誤魔化したらしい。背の方で大人しくしていた銀の尾が、初雪の機嫌が良い時のようにゆるり揺れていたのがその証拠だろう。
落ち着いた男はこちらに一瞬顔を向け、女達に見えない方の口角を上げてみせるという器用な真似をしてみせた。これには俺が笑いそうになったが耐え、目を細めて応えてやる。
生まれてこの方まともに他人と関わらなかった為、人付き合いには全く自信も無く努力する気も無かったが、どうやら多少は気の合いそうなやつもいそうだ。俺は少し胸を踊らせて、また目を閉じた。