冬の拾い物
俺の料理は大好評だった、と翌日料理長から聞いた。特にガーリックバターは新鮮だったらしく、男衆からはまた作って欲しいとの要望まであったようだ。女衆の一部からは「美味いが匂いが気になる」という意見が出たが、味の方は問題無かったとの事だった。なるほど、俺も人の集まる所へ行く際には、ニンニク料理を食わない方がいいかもしれんな。
そんな事を考えながら、俺は日頃と変わらずに早朝から柔軟運動、走り込み、打ち込み、樹上での運動などを一通り終えて、部屋へ戻っている最中だ。3つの頃には離れの周りを20周も出来なかったが、5つの今では60周以上ぐるぐると走り続けられる。
腕や首を軽くほぐしながら、今日の昼飯を何にするか考えつつ部屋に入る。やはりどうしたって俺の前世は日本人である為、「米」が食べたくて仕方ない。爺が山の麓の里から、山の獣と物々交換で得た米で作った握り飯を非常に恋しく思う。
しかし当たり前だが、ここは、日本とまるで文化が違う。現に俺は5つになるまで、一度も米を食べた事がないのである。幾ら脳内料理帖が便利とはいえ、米がどこで育てられているのかまでは分からない。旅に出るまで、暫くはパンを食って我慢しなければならないようだ。残念だが、後の楽しみとして取っておくと考えれば良い。
めいどが用意した水で体を拭きながら、足の筋肉も順にほぐしていく。剣士とは剣だけ振って上半身だけ鍛えていれば良いと思われがちだが、下半身の筋肉も非常に重要だ。筋肉が上だけに偏れば、当然動きはお粗末になる上、重い上体を支えられないなどという情けない事にもなりかねない。そんな事にならない為にも、走り込みを欠かしてはいけないのだ。
いつもの調子でゆるりと着替えていると少し肌寒く感じ、いそいそと服を着込んだ。使い終わった水とタオルを片付けようとすると、めいどが何も言わずとも下げていった。本当に慣れたものである。
窓から外を見やると、ちらちらと雪が降り出しており、俺は少し目を見開いた。
「もうそんな季節か」
この世界には日本と同じように四季があるらしく、そういえば以前にも雪を見た気がするなと独りごちた。気がするというのは、雪が降っている事をしっかり意識したのが、現世では今この時が初めてであるからだ。5つになるまで脇目も振らず、駆け足で鍛錬漬けの日々を送ってきたが、こうして落ち着いて四季を感じるのが今更とは前世のようだなと自嘲した。
全く、旅に出ると言うのに、周りを見て楽しむ気持ちさえ忘れていたとは。気を張り詰めるだけでなく、気を抜く努力もしなければならないなと、変な事を考えた。考えながら、この雪は積もるだろうかと木々から地面に目を移すと、1本の木の根本に見慣れない物があり思わず二度見した。
そこには、大きな卵が鎮座していたのだ。……今日の昼飯は、卵を使えという事だろうか。
雪はどうやら積もるらしく、溶けずに重なっている。まだ固まってはいないそれを踏みつつ、俺はもう一度外へ出ていた。勿論、昼飯候補の卵を見に行くためだ。健康体である事は自負しているが、念のため風邪など引かぬように上から厚手の羽織を着込んでいる。
「……大きいな」
遠目に見ても分かっていた事だが、卵は非常に大きかった。大人の頭ほどあるだろうか。ぼんやりと光っている上、卵には珍しい鈍色というのも相まって、どこか現実味を持たない。神々しい、とか、幻想的、とでも言うのかもしれないが、色が色だけに不気味とも言える。
ついさっきまで外にいた俺が見落とす訳もないので、つまり屋敷に戻って体を拭くまでの間に産み落とされた、あるいは置いて行かれたという事になるだろう。親や持ち主がいないかと辺りを少し見回ってみたが、薄く積もり出した雪の上に俺以外の足跡は見つからなかった。
諦めて卵まで戻ってきて、こんこんと手で軽く小突いてみる。殻は厚いらしく、割るのに苦労しそうなので食べるのには向かないかもしれない。
そもそもこれは何の卵なのか。まず前世の記憶では、こんなに大きな卵など見た事が無い。現世でも調理用の卵を見たが、大きさは普通だった。であれば、残る可能性は本で読んだ「魔物」の卵だ。
魔物とは、卵から産まれるらしい。動物と違うのは、卵を産まない種類の生き物でも総じて卵を産むというところだ。例えば犬や猫は、人と同じように腹である程度育って産まれてくる。しかし、それらに似た魔物も卵から産まれてくるらしいのだ。
何故かは解明されていないが、幼い魔物は非力なので数を多く産むためだとか、身重である期間を狙われて命を落とす可能性を減らすためではないかと論じられている。どんなに強い魔物であっても、腹に子がいれば当然そちらに気が行ってしまう。そこで子を多く素早く産んで、親に危害を加えられにくくするためではないか、という考えである。
ある程度数を減らされても、魔物自体が大概長命であるためそこまで種の存続に危機感は無く、また次産めばいいという思考なのかもしれない。ある意味、数撃ちゃ当たる、という感じだろうか。
かなり思考が脱線したが、気を取り直して卵に向き直る。子供の体では片手で持ち上げる事は出来ず、仕方なく両腕で抱え上げた。
卵とは大体、親が腹の下などで暖める物だと思っているのだが、これは大丈夫なのだろうか。雪も降り始めた季節に、外に放置されていた卵だ。中身が死んでいやしないだろうか。魔物が卵を産む事はわかっているが、それをいかにして孵すのかは詳しく調査されていないらしいので、もしかしたら平気なのかもしれないが。試しに耳を当ててみたが、音はしなかった。しかし、ほのかに暖かい気がする。
ふぅむ、と少し考えたが、俺はこの卵を食べない事にした。というか、育ててみる事にした。戯れではあるが、魔物を育てる事に少し興味があったのだ。獣を捕らえて家畜にした例もあるのだし、生まれた時から面倒を見ればある程度懐くかもしれない。どんな魔物が生まれてくるかは知らないが、生き物を飼う、という事をしてみたかった。前世では山奥に住み、食いつなぐために獣を狩る事はあれど、飼う事など一度も無かったので。
とはいえ、魔物の卵だと公言して家人に見せれば即座に処分されてしまう気がしてならない。一応は俺に仕えている者達だが、俺の権限などたかが知れているので命令したところで意味がなさそうだ。しかし、こんな大きな卵を隠し通すのは無理がありすぎる。
結局どうしたかと言うと、俺は開き直って堂々と卵を暖めてみる事にした。腹と服の隙間に突っこんで、やったことはないが赤子のように暖めてみている。服の上からでもかなりぽっこりとしているので、傍から見れば何かが入っている事が丸わかりである。その格好のままで日々の鍛錬を続けているのだから、おかしい以外の何物でもなかった。ちなみに、卵に振動が伝わらないよう気をつけて動くのは、中々良い鍛錬になったとだけ言っておく。
「…………」
めいど達の目線が明らかに何だそれはと訴えていたが、無視した。聞かれない限りは、何も答える義理もないだろう。大体これが魔物の卵だと決まった訳でもないのだ。何も言われないならば知らぬ存ぜぬで通してしまおう。ここでの俺はかなりの変わり者だと認識されている筈なので、また何か変な事をしだした、と適当に放って置かれるのが1番ありがたい。
はたして、俺の願い通り家人達の誰からも何も言われる事なく、卵を暖め続ける事が出来たのだった。
「お前はいつ産まれるんだろうな」
夕食後、軽く自室で体を動かしながら、腹に抱いた卵に話しかけた。この屋敷に俺の会話に付き合うような奇特な人間はいないため、自然と卵に向かって独り言を放ってしまう。孤独な老人のようである。……あながち間違っていないが。
卵を暖め続けて、もうすぐ一ヶ月になる。どれくらいで孵るのかはしらないが、卵は日に日に少しずつ暖かくなっているように感じた。どれ今日も読書でもしつつ暖めようかと一旦ベッドの上に置くと、手を離したにも関わらず卵が揺れ出した。お、と声を漏らして手を引っ込め見守る。年甲斐もなく、いやこの体の歳には相応しく、興奮している。
ぐらぐらとゆれる卵は、そのうち内側から引っ掻くような音を出し始めた。かり、かり、と控えめだった音は、時間が経つにつれてがりがりと激しくなっていく。まだ腹の中にいる状態の赤子だというのに、こんなに大きく分厚い殻を割ろうというのだ。じわりと胸が熱くなり、思わず気張れよ、と呟く。
声が届いたかのように、ぴしりと殻の天辺に罅が入った。堰を切ったように殻が崩れ落ちていき、中から濡れて毛の張り付いた小さな前足がにゅっと覗く。鈍色の殻を背景にして映える、白い毛並みだった。
呆然としていた俺ははっとすると、部屋の隅の箪笥までタオルを取りに走った。生まれ変わって今までで1番速く走ったのではないだろうか。
卵からは手だけでなく、頭も覗き始めている。三角のへたれた耳が震えている。目も開いていない幼獣は、白い狐だった。
ベッドの近くに寄り、やっとの事で這い出てきた白狐を、そっと、そうっと包んで拭いた。産まれたばかりの生き物の、何と弱々しく、そして力強い事かと、俺は柄にもなく感動していた。
子狐は暫くわやわやと体を動かしていたが、そのうちすんすんと鼻先をタオルに押し付けた。目はまだ見えていないので、匂いで何かを探しているのだろう。もしや、腹が減っているのではないだろうか。赤子は大抵母親の乳を欲しがるものだ。芯の通ってないような頼りない体を改めて抱き直して部屋を出た。行き先は厨房だ。
俺の抱えるものを見て、料理長は目を点にした。
「ぼ、坊っちゃん、それは」
「乳はあるか。牛でも何でも良い」
「は、や、山羊の乳なら新しいのが」
「それでいい、軽く温めてから持ってきてくれ」
俺の剣幕に押されたのか、料理長は詳しく聞かずに言われた通り山羊の乳を温めに行った。やはり腹が減っているのだろう、待っている間にもタオルを口に含んでは、小さくきゃぁ、と鳴いていた。
山羊の乳を受け取って、まだ何にも使われていない清潔な布巾を浸して吸わせ、白狐の鼻先に持っていくと、また鼻を動かし出した。やがて匂いの元である布巾に辿り着くと、ちゅうちゅうと音を立てて下手くそに吸い出す。
「きゅ、ぅっ、ちゅ、きゃぁー」
「落ち着いて飲め」
そうして食事に夢中になっている間に、体の隅々を拭き上げていく。冬の夜に生まれてすぐの子狐が濡れたまま、放置していればどうなるかなど想像に難くない。たまに補充のために口から布を離すと、不満げにきゅっと鳴く。一丁前に食欲は旺盛らしい。ゆっくり拭いていくと、白い毛並みはやっと毛皮として機能してきたのか、震えていた体から力が抜けた。
尾から耳の先まで真っ白な、冬を体現するような狐だ。たらふく乳を飲んで、頭を揺らしてうとうとしている癖に、まだ口は布を離していないので思わず笑ってしまった。
無事に産まれたところで、後ろで信じられない物を見るような目をしている料理長にどう説明してやろうか。