将来設計
文字を覚えた俺は、あっという間に持って来させていた書物……本を読み終わった。
折角なので、この家にある本を片っ端から持って来させた。
絵本と呼ばれる童向けの物から、この世界特有の「魔法」と呼ばれる術について記載された物まで。
計算術の本は、残念な事に無かった。
一応ある程度の計算が出来るようにと、俺に学ばせていた爺には、改めて感謝するとしよう。
女児向けの絵本は無かった。
この家の子供は俺を含めて3人共男児であるから、仕方ないだろう。
まあよいと俺は女中を部屋から出すと、重い本で腕を交互に鍛えながら、1冊ずつ読み進めた。
絵本には、数字や簡単な言葉を学ばせる物もあったが、御伽噺も幾つか見受けられた。
その中で俺の目を引いたのは、「にじのかみさま」という1冊の御伽噺本だ。
虹の神様……この世界には7柱の神が存在するという。
虹が見える時は、その神々が集まって話をしている時。
神々は大概が気まぐれで、時折気に入った人間に手を貸す事もある…らしい。
やはり、俺にこの生を与えたのは神なのだろう。
恐らくこの「赤の神」では無いかと思われる。
絵本には「たたかいが すきな つよいかみ」とあるが……まあ、戦神や闘神、軍神、武神と言ったところか。
赤の神ならば、あの圧倒される強者の風格にも納得できる。
良き巡り合わせもあったものだ。
神について学んだところで、次の本に移る。
そう、「魔法」についての本だ。
呪術のような物だろうかと読み進めれば、どうやら違うらしい。
曰く、火や水、風のように自然界に存在するものの力を、具現化させる物らしい。
何とも曖昧な表現だが、つまり火打ち石や藁が無くとも火をつける事ができ、川や井戸へ汲みに行かずとも水を出せる、という事らしかった。
便利なものだな。
しかし誰でも扱える、という訳でも無い。
まず、「魔臓」と呼ばれる物が無ければどうにもならない。
魔力とは、精神の源のような物。
分かりにくいが、肉体における心の臓が、精神における魔臓なのだ。
体に、心の臓から生み出された血液を張り巡らせなければ、人は死ぬ。
それと同じ様に、魔臓が体に魔力を張り巡らせなければ、良くて廃人、悪くて死ぬ。
つまりこうして人としての生を受けている時点で、誰しも魔臓自体は持ち得ているという事だ。
では、魔法を扱えるかどうかの違いはどこで別れるのか。
それは、「魔法攻撃力」という値で測る事が出来る。
簡単に言えば、魔法攻撃力が高い程に、高位の多彩な魔法を扱えるという事だった。
ちなみに、魔法攻撃力に対抗する力として「魔法抵抗力」と言うものがあるらしい。
その名の通り魔法に抵抗出来る力の値という事だが、この力はあまり重要視されていない。
魔法には、魔法を打ち消すという術も存在するからだ。
よって皆、抵抗力云々よりも魔法の習得を急ぐのだろう。
ここまで読んで、俺はめいど長を呼びつけた。
「自分のまりょくや、まほうこうげきりょく、を知るためには、どうしている」
「15歳の「成人の儀」の際に調べる事になっております。司祭様の持つ、神からお言葉を賜る水晶にて、調べて頂きます」
司祭とは、恐らく聖職者の事なのだろう。
僧のようなものか。
それにしても……。
「15さい……遅くないか?」
成人の儀、つまり元服が遅いと言っている訳ではない。
己の力を知るのが遅いのではないかと思ったのだ。
つまりこの世界の人間は、15まで己の力量も知らず、突出した才を伸ばす事も、短所を補う事も出来ないと言う事に他ならない。
前世の8割を山で暮らした俺が言うのも何だが、何と無為に人生を過ごすのか。
まあ、ここまで言ったが、俺はその成人の儀に興味は無い。
誰かと剣を交える前に、己の技量を知っていては面白みがない。
それに、俺は魔法を使えぬだろうという、確信があった。
あの赤の神の事だ、刀に人生を捧げた俺が魔法で世を歩くなどと言う、面白く無い事をさせる筈がない。
よしんば使えたとしても、俺は剣術以外で戦う気など毛頭ない。
俺は、決意した。
成人の儀の際には、いくら離れに暮らす俺とて外に出されるだろう。
そのまま、この家を出て行くのだ。
どうせ父から腫れ物の様に扱われている俺だ。
多少騒ぎにはなるだろうが、厄介払いが出来たと思うに違いない。
俺が産まれた時の事を外で言いふらす、と勘違いされても困るので、一応机の上かどこかに文を置いて出ても良いだろう。
縁を切って構わないという旨も書いておけば、俺が何をしたところでこの家とは無関係になる。
それまではこの家で、これまで通りに学びつつ、ゆるりと鍛えていれば良い。
未来を思って初めて笑んだ俺を見て、輪をかけて能面じみためいど長が、初めて不安げな目を見せた。
11/3 「輪をかけて能面じみた女中頭」→「輪をかけて能面じみためいど長」