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一歩目

ショッキングなシーンがあります。

ご注意ください。

ぬるい水に浸けられ、体を拭かれている。

薄っすらと瞼を開けると、覗き込んでくる人間が見えた。

とは言っても、ぼんやりとだが。

見上げる程大きい人間ばかりだ、と思っていたが、どうやら俺が小さいらしい。


俺は、無事生まれ変わったようだった。

少しずつ視界がはっきりしてくる。

部屋には俺以外に3人いたが、例外なく派手な髪の色をしている……眩しい。

なるほど、あの声の主が言った様に、ここは俺のいた世界……あの声の主の世界らしい。

いつまでもあの声の主と呼ぶのも面倒だ、次からは神と呼ぼう。

おそらく、そう言った類のものだろう。


「……、……?」

さて、周りの人間達は今、非常に驚いた顔をしているようだ。

何かを呟く声が聞こえたが、生憎こちらの言葉は分からない。

是非日の本の言葉で話してほしいものだ。

産まれたばかりの俺が泣かない事を驚いているのかと思ったが、どうも違うらしい。


「…………!」

近くにいた茶色の髪の男が、突然俺を指差して喚きだした。

目線は俺の隣、寝具らしきものに横たわった女に向いている。

芥子色の長い髪に、目尻の垂れた青い目。

これが、俺の母親のようだ。

母親に対しては、気の弱そうな女だという印象しか持たなかった。

前世では母親と話した事など無いので、新たな母という感慨も無い。


「………、…!……!!」

父らしい男は喚きながら、俺を指差している。

喧しい小僧だ。

母親は初めのうちこそきょとん、と俺を見ていたが、父親に喚かれると目に涙を溜めていく。

据わらない首がもどかしく、目線をうろうろと彷徨わせると、机に鏡が張り付いているのを見つけた。

それを見て、父親が何を言っているのか悟った。


俺は前世の若い頃と同じように、黒い髪だった。

父親は暗い焦茶色の目だっただめ、黒い目は誤魔化せそうだが、この髪は無理だろう。

母親は、他の男と子を成したと勘繰られているのだ。


母親は必死に首を振って否定しているが、父親の怒りは収まらない。

俺を湯に浸けている女中らしき女は、顔を青くしてそれを見ている。

俺は特に思うところもなく、ただ早く湯から上げなければ冷めるぞ、などと考えていた。


「…………!!」

父親が、一際大きな声で罵倒した。

それは言ってはならない事だったらしく、女中も母親も、言った本人である父親ですらも固まった。

目を見開いた母親は、横たえていた体をゆっくりと起こしてベッドの横に立った。

赤子を産んだばかりで、よくそこまで気力が続くものだ。


父親が謝罪か言い訳か、何か言い出そうとすると、母親は近くにあった長い握り鉄を手に取る。

後から知ったが、それは鋏と呼ばれる物だった。

誰かが止める間も無く、彼女はそれを、己の腹に突き刺した。


「……、…。…………」

口から血を吐いている母親は、絶句している父親には目もくれずに俺の方を見て、何かを言った。

俺は驚きで返す言葉も持たず、ただおぎゃあと小さく泣いた。

それが、俺と母親の最初で最期の会話になった。


***


俺は、貴族とやらの三兄弟の、末の子として産まれたらしい。

母が死んだあの日から、父は俺に会おうとはせず徹底して避けている。

その証拠に、俺は1人で離れに暮らすように言われている。


「このままでは、前とかわらんな」

脚の筋を伸ばす運動をしながら、ぽつりと呟く。

俺は3つになった。

女中達は父に命じられ、最低限の接触しかしてこない。

時折彼女達の会話を聞いて、言葉はあらかた覚えた。

物覚えが良い事は、昔爺にも褒められた事がある。


部屋の中で身体を鍛えようと、剣術を磨こうと、誰にも見られる事が無いのはありがたい。

赤子の頃から毎日、俺は欠かさず限界まで身体を鍛えている。

筋肉は、疲労させて休ませるとその分強くなる。

爺にそれを教わった俺は、極限まで身体を動かすと、あとはほぐして休む、これを繰り返している。

無駄に筋肉を付けようと言うのでは無い。

必要な時、必要なだけ身体を動かす事ができる……無駄をなくした身体を作り上げる為だ。

お飾りのような肉は、筋肉とはいえ重石にしかならない。

爺に教え込まれた鍛錬を、誰からも邪魔されずに産まれてすぐ始められたのだ。

これは嬉しい、嬉しいのだが……。


「やはり、いかんな。何かせねばなるまい。……まずは、まなぶか」

俺の目的は旅をする事だ。

こんな所で、前のように閉じ込められるのは本意では無い。

善は急げ、俺は近くにあった鳴り物を鳴らし、女中を呼ぶ。

べる、と言うらしい。

貴族というものは裕福らしく、乞えば一応は必要なものを買い与えると父が言っているらしかった。

今までは鍛錬に集中したいが為、特に呼びもせず、女中の前で話す事すらしなかった。


「お呼びでしょうか、坊っちゃま」

「文字をまなぶ。しょもつを持て」

「は……?」

能面のようだった女中は呆気にとられた顔をした。

呆けずに、早く仕事をしろ。

「聞こえなかったのか。文字をまなぶと言ったのだ。それに合わせた物をもて」

「はっ……か、かしこまりました。書斎からお待ち致しますので、少々お待ち下さい」

急かすと、女中は慌てて出て行った。

……今更ながら、3つの幼子が流暢に話すのは、違和感があったかもしれん。

この家の者に将来関わる気も無いし、どう思われようと、興味はないが。


暫くして女中が運んできた書物には、当たり前だが日の本の言葉は載っていなかった。

見た事もない、奇怪な形の言語だ。

これをただ眺めていても、俺の為にはならん。


「おい」

「は、い」

さり気なく部屋を出ようとしていた女中を呼び止める。

「さすがに読めん。お前か、ほかのだれかでも良い。この世界の文字をおしえろ」

女中は面食らっていた。

まあ、3つの子供がそう言えば、そんな顔もするのかもしれん。

「わた……私は、あまり学が御座いません。お教えするのであれば、メイド長がよろしいかと……」

「ではそのめいど長とやらを連れてこい」

横文字は発音がしにくい。

ただでさえ子供の口で舌足らずだと言うのに。

「かしこまりました」


頭を下げて出て行った女の代わりに、少しして歳をとった女中が部屋を訪ねてきた。

なるほど、つまりめいど長とやらは「女中頭」の事らしい。

その女も父から指示を受けているのだろう、必要な事以外は語らなかった。

だが教え方は適切で、俺は半年もせずに大半の言葉を書けるようになった。

外へ出る為の第一歩だ。

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