寮と獣人
新年明けてから20日弱経っているとか信じられない。早く食べ歩きしてほしいなあ
そのまましばらく馬車に揺られ、辿り着いた学校は、まるで要塞のように見えた。古いという印象は拭えないが、それ以上に厳しく堅牢な雰囲気が滲んでいる。
中心にある大きな運動場を囲んで、ぐるりと円を描くような形をしているようだ。その周りの道に露店が立ち並んでいる。
馬車はそこを通り過ぎてすぐに学校の門をくぐったため、詳しく見る事は出来なかった。どうせ後で買い物に行くのだから、その時散策しよう。
運動場には、ところどころ焦げたような場所があった。何の痕跡だと首を傾げていたが、ぴんときた。恐らくあれは魔法の練習をした跡なのだろう。早く実物を見てみたいものである。
この世界には魔法というものがあるので、当然ここにも魔法を教える授業がある。予想では、俺には扱えないが。
魔法が使えなくても授業を受ける事が出来るのだろうか、などと考えていると、馬車の揺れが緩やかになっていた。どうやら目的の場所に着いたようだ。
馬車が止まると同時に初雪が耳をぴっと立てたので、腰を上げると男が1人中を覗き込んできた。
俺をもうひとり縦に並べたくらいに大柄で、禿頭に髭を蓄えた、全身古傷だらけの男だ。冒険者と聞いて思い浮かぶいかにも、という感じの風体をしている。
「おう、新入り共か。よく来たな」
見た目の通り豪快な声で、がははと笑いながら男は俺達を迎えた。
何をまごついているのか誰も降りようとしないので、俺と初雪が真っ先に馬車から降りた。体力に問題はないが、乗り慣れない馬車にいい加減尻が痛くなっていたので、早く出たかったのだ。
すると獣人の男が俺に並ぶようにしなやかに降り立ち、次いで、そいつにくっついて行きたいらしい女達がやはり騒がしく降りた。臆病そうな男が最後だ。
「俺ァここで教師をやってる、ゾンドだ。まだ入学式は先なんでな、寮に案内するぞ」
簡潔に自己紹介をすると背を向け、そのまま歩いて行く。
わざわざ新入りの面倒を見るとは暇なのだろうか、と思ったが、観察しているとわずかに足を引いている。怪我か何かで冒険者を引退したのかもしれない。
ゾンドのすぐ後ろをついて歩いていると、ふと振り向いて初雪に目をとめられた。
「珍しいな、従魔連れとは。坊主のか?」
「俺の弟です」
何となく物のように扱われるのが気に入らず、表情を崩さないまま言ってやった。教師というからには、一応言葉は丁寧にしてやらんといかんだろう。
ゾンドは弟という言葉に目を見開き、そして目尻を優しげに緩ませた。
「そうか、弟か。悪かったな。名前はなんていうんだ」
「初雪といいます。種類は知りません」
そういうと、ふむと顎に手を当てて初雪を見つめた。当の初雪は知らん顔といった風で、俺の左手に擦り寄って歩いている。耳の後ろを掻いてやると、きゃあと嬉しそうに鳴いた。
「狐の魔物は、種類がそう多くないからな。一般的なのは妖狐だが……こいつは頭が良さそうだし、もっと上のランクの魔物かもしれんな。魔物に関する授業もあるから、知りたいならそれを取ったらいい」
魔物に関する授業か、面白そうだ。味の美味い魔物なども学べるのだろうか。
その授業は必ず取ろうと無言で頷くと、ゾンドは満足したのか前に向き直った。
円形の校舎の後ろ側、右に女性寮、左に男性寮があるらしく、まずは女性寮を目指しているようだ。
「女の寮はここだ。中に入れば管理人が案内やら説明やらしてくれるだろう」
女達はまだ獣人について行きたかったようだが、さすがに教師に逆らうのは不味いと思ったのか渋々寮の中へ入って行った。ようやく少し静かになりそうでほっとした。
何しろ2人でずっと喋り合っていたのだ。本人達は小声のつもりだったようだが、耳障りな叫びを上げては獣人を見ていた。思わず同情してしまう程だ。
たまに俺の方も見ていたが、鬱陶しさを隠さずに眉間に皺を寄せているとぱたりと視線を感じなくなった。懸命な事だ、と鼻を鳴らした。
やはり獣人も鬱陶しく思っていたらしく、能面のような硬い表情を崩してぐーっと背伸びをしながらゾンドの後を歩いている。目が合うと、申し訳なさそうに眉を下げて笑いかけられた。
「すまなかったな」
「構わん」
気にするなと手を振ってやると、獣人は一瞬きょとんとした。どうしたのかと思ったが、俺の口調が気になったのかもしれない。
「口調が気に障ったか」
「いや、少し驚いただけだ。それが素か?」
「ああ。歳は違うだろうが、同期ならば畏まる必要はないかと思ってな。不快ならばやめるが」
一応気遣ってみたが、獣人は嫌がるどころか嬉しそうな顔をしていた。銀の尾もゆらゆらと揺れている。
「そのままでいい。……そうだな、同期か、嬉しいものだな」
最後の言葉は呟きのようだった。聞かせるために言った訳ではないのだろう。
畏まられるのを好まないと言う事は、こいつも貴族だったのだろうか。まあ、ここに来た以上詮索するのは互いのためにならないので、間違っても尋ねたりはしないが。
そんな話をしている間に、女性寮の反対側にある男性寮についた。先程と同じように、詳しい事は中の管理人に聞けと告げてゾンドは去って行った。
自分の受け持つ授業の準備をするついでに案内をしてくれたらしい。なかなか気の良い男のようだ。
寮の中に入ると、柔らかい茶色の髪のにこやかな男が俺達を出迎えた。男性寮の管理人らしい。
管理人の説明によると、寮は2人につき1つの部屋が充てがわれるらしい。それで部屋が足りるのかと思ったが、養成学校は各地に点在しているらしく、ここは生徒が比較的少ない為これで充分なのだそうだ。
初雪を部屋に入れていいのか尋ねると、今の大きさなら同室の者が了承するなら良いという答えをもらった。そうでない場合は寮の後ろにある獣舎へ預ける事になるそうだ。
どちらにせよ自分の従魔であるという証明が必要である為、なるべく早く、出来れば今日中に学生証の発行手続きを取ってそこに記載した方がいいとの事だった。
学生証は冒険者ギルドで発行されるギルドカードと似たような物で、養成学校の生徒であるという証明と、能力の記載がされるらしい。それと、それを見せると学校の外にある店で多少割引をしてもらえるのだとか。
入学式までに発行手続きを取ればいいそうだが、早く取れば学校の授業にも早めに参加出来る為、来てすぐに入手するのが基本らしい。
寮の部屋割りは既に学校の方でしてあり、俺は先程の獣人と同室だ。1人ずつ、部屋の鍵と簡単な寮の見取り図を受け取った。
3階建て20部屋ずつの造りになっており、1、2年は1階を使う。2階は3、4年、3階は5、6年だ。
言い忘れていたが、この学校では6年まで学ぶ事が出来る。入学者は最低7歳、上限はない。これは冒険者ギルドの登録が13歳からである事に起因する。
この世界での成人は15歳だが、国に縛られないと言った通りギルドは特殊であり、養成学校を卒業すると同時に成人したと見なされるのだ。勿論、成人における責任なども本人に課せられる為、良い事とは言い難いが。
「お前と同室か」
管理人から俺と同様に鍵と見取り図を受け取ると、獣人はゆるりと尾を揺らしながら声をかけてきた。
「ああ、……」
そういえば俺はこの男の名前を知らず、自分の名前を告げていない事に気付いた。見上げると丁度男もそれに思い至ったようで、俺より先に口を開いた。
「狼犬のゼエッドゥリクという」
思わず俺は顰め面になった。俺が今まで聞いたどんな名前よりも発音に自信がない。
ゼエッドゥリクはそんな俺を見てググッと喉の奥で笑うと、ゼルクで構わないと言ってくれた。本当にありがたい。簡単に愛称を許したと言う事は、彼の名前を発音出来ないのはきっと俺だけではなかったのだろう。
俺も名を言うべきかと思い少し悩んだが、母のつけた名を名乗るのはやめておいた。大した恩恵を受けてきた訳ではないが、冒険者になるのならば今までの俺は捨てた方がいいだろう。
かと言って前世の名前をそのまま使うのも芸がないと感じ、読み方を変える事にした。
「武蔵だ」
そう名乗った瞬間、今までおどおどしていた、馬車で隣にいた男がぐわっと顔を上げる。初雪が一瞬威嚇すると、大げさな程に肩を揺らして走るように己の部屋へ向かって行ったが、何が嬉しいのかにやけた口元を隠せていなかった。
何かをぶつぶつ呟きながら部屋に入る男はかなり不気味だった。……なるべく近づきたくない。
「……ムサシか、よろしく頼む。部屋に向かうか?」
何となく微妙になった空気を払拭するように声を上げたゼルクを、初雪を一瞥してから見遣る。
「こいつも同室で構わないか?躾はしているから粗相はしないはずだが」
「構わない。名前は?」
「初雪」
ハツユキ、と口の中で何度か繰り返してから、ゼルクは初雪にもよろしくと頭を下げていた。初雪がきゃうと返事をすると「賢い狐だ」と笑ったので、そうだろうと頷いてやると何故かまた笑われた。
俺達の部屋は、1階の左端だった。簡素ではあるが綺麗に整えられた寝具が2つと、その近くに机が1つずつ。小さいが本棚もある。2人で寝泊まりするならかなり贅沢だと言える広さだ。
部屋に少ない荷物を置いてから、学生証を発行しに行くと言うとゼルクもついでに一緒に行く事になった。
寮の鍵は腕輪の形をしている。本人の魔力認証式になっており、一度登録するとその部屋を使う者か管理人にしか使えないそうだ。魔力というのは本当に便利だ。
「ムサシはいくつだ?まだ小さいだろう」
「ああ、7つだ。初雪は2つ」
そう言うとゼルクは切れ長の目を見開いた。どうももう少し上だと思っていたらしい。
「驚いた、その歳でその落ち着きか。大したものだ」
「ふむ、そんなものか。周りに同年代がいなかったせいかもしれんな」
正しくは、同年代どころか使用人以外の人間はいなかったのだが。兄達は1度しか会っていないので除く。ゼルクはそれに納得したように頷いた。
「俺は15だ」
今度は俺が驚く番だった。どう見ても18、それ以上と言われても信じそうになる。思わず見上げると、ゼルクは少し声を出して笑った。良く笑う男だ。
「獣人は、成熟が早い。寿命は人族の倍ほどだ。そして、若い体の時期が長い。成人から100程までは若者で、そこからゆっくり老いていく」
「そうか、初めて知った。面白いな」
面白い、という言葉にきょとんとしているので今度は俺が笑ってやる。後で聞いたが、絶対に7つとは思えない笑顔だったらしい。
「俺の周りには、人族と初雪しかいなかったからな。知らない事を知る事ができる環境というのは、本当に恵まれたものだ」
「……なるほどな。ムサシ、お前は、俺の爺様にどこか似ているな」
7つの子どもに爺と似ているというのはどうかと思うが、その目にはどこか尊敬の念が込められていたので褒め言葉として受け取る事にした。