第5話 父の威厳と魔法の息吹
書斎の探検は、俺の密かな日課となった。そしてある日、本棚の最下段、その更に奥の隙間で、一冊だけ違う種類の本が隠されているのを見つけた。赤ん坊の小さな手だからこそ届く、絶妙な隠し場所だった。
表紙には、豊満な肉体を惜しげもなく晒す、妖艶な女魔族の姿。……いわゆる、エロ本というやつか。この世界にもあるんだな。というか父さん、カトレアという絶世の美女が妻でありながら、なんてものを。これは、少し懲らしめてやる必要がある。
俺はその本を、父さんから見えないように体で隠しながら、よちよちと母さんの元へ歩いていく。そして、まるで拾った宝物を献上するかのように、母さんの足元にそっと置いた。
「あら、スタン。私にプレゼント?」
「あぃ!」
母さんはにこやかに本を手に取る。そして、その表紙を見た瞬間、彼女の笑顔からすっと温度が消えた。
「……あなた?」
母さんは、完璧な笑顔のまま、隣でくつろいでいた父さんに向き直った。
「この本は、一体何かしら?スタンが、健気にも私のために持ってきてくれたのだけれど」
その声は鈴のように美しいが、絶対零度の冷たさを帯びていた。
「こ、これは!その、なんだ、その……!?」
父さんの額から、滝のような汗が噴き出す。
「私という妻がいながら、こんな下品なものをご覧になるなんて。よほど、わたくしには魅力がないと見えますわ……」
そう言うと、母さんは手で顔を覆い、か細く肩を震わせ始めた。だが、その指の隙間から見えた母さんの口元は、確かに三日月型に歪んでいた。女って、怖い。
「す、すまんカトレア!もう二度と見ない!お前だけを愛している!」
「あら、本当?では、これはもう必要ありませんわね」
母さんがぱっと顔を上げると、その手の中に小さな炎が灯った。
「『ファイヤーボール』」
ボッ、という音と共に、父さんの秘蔵コレクションは一瞬で灰と化した。
「あぁ……俺のレア本が……」
膝から崩れ落ちる父さん。そんな彼に、母さんは悪魔のような笑みで囁いた。
「私たちは夫婦ですもの。常識の範囲内でしたら、いつでもお相手いたしますわよ?」
「カトレア……!」
「あなた……!」
……いかん。このままだと、俺に弟か妹ができてしまう。俺は二人の間に割って入り、「あー!」と声を上げた。
雰囲気を壊された二人は、我に返ると俺が指さす本棚に気づいた。
「あら、あの本が読みたいの?『魔法の基本』……?まあ、スタンは天才ですものね」
少し天然な母さんは、俺の異常な成長を当たり前のように受け入れてくれていた。
ベッドの上で、俺は『魔法の基本』を読みふけった。
この世界の魔法は、火・水・土・風の四大属性が基本らしい。それらは熟練すると、炎・氷・鉄・雷へと昇格する。さらに、光・闇・時空・無という特殊な属性も存在する。
『――無属性魔法とは、純粋な魔力そのものを操る技術であり、全ての魔法の基礎である。身体強化もその一種だが、日常的な使用ではスキルの熟練度はほとんど上昇しない』
なるほど。だから父さんのステータスには表示されていなかったのか。
俺は本を閉じ、自分の小さな手のひらをじっと見つめた。
まずは、この無属性の魔力というやつを、感じてみることからだ。
俺は意識を集中させ、体の中にあるであろうエネルギーを、右手に集めるイメージを描く。
むむむむ……。
じわり、と手のひらが温かくなってきた。見ると、手の周りに、陽炎のような、ごく薄い膜ができている。これが、魔力か。
すごい疲労感だ。MPは消費していないようだが、精神をすり減らす。だが、これを続ければ、いずれは身体強化も自在にできるようになるだろう。俺は、この地道な魔力操作訓練を、新たな日課に加えることに決めた。
その日の夜。壁に向かって、魔力を纏わせた拳を試しに突き出してみた。
ドガッ!
壁が少しだけへこんだ。その瞬間、頭の中に涼やかな声が響く。
『スキル:身体強化 LV.1を習得しました』
よし!やったぞ!だが、全身から一気に力が抜けていく。魔力切れか……。
俺がその場で意識を失う直前、母さんの声が聞こえた。
「あら、スタン。明日はひいおじい様がいらっしゃいますわよ。……まあ、もう寝てしまったのね。おやすみなさい、可愛い子」
ひいおじいちゃんが?それは、楽しみだ。