第4話 埃をかぶった世界の真実
俺がこの世界に生まれて、一年が経った。
ハイハイにも慣れ、今では壁を伝ってよちよちと歩けるようになっている。行動範囲が広がった俺の興味を引いたのは、父さんの書斎にある、埃をかぶった本棚だった。革の背表紙がずらりと並んだ光景は、一歳の幼児の目にはまるで巨大な城壁のように映る。
両親の目を盗んで書斎に忍び込み、一番下の段から、一番分厚い本を引きずり出す。タイトルは『人魔大戦全史』。重々しい装丁の本だった。幸い、言語翻訳スキルのおかげで、この世界の文字も問題なく読める。俺は床に座り込み、その歴史の扉を開いた。
ページをめくると、格調高い文体で世界の成り立ちが記されていた。
『原初の時代、世界は調和に満ちていた。竜族は天空を治め、精霊族は森と歌い、獣人族は大地を駆け、そして我ら魔族は深淵なる魔力と共にあった。人間族は、そのいずれにも属さぬ脆弱な種族であったが、その驚異的な繁殖力をもって、各種族の隙間で細々と暮らしていた』
だが、平和な時代は長くは続かなかった。あるページには、インクが滲むほどの力で書かれた一文があった。
『――されど、人の欲望は留まることを知らず。彼らは数を頼みに、禁忌の術に手を出した。それが、後に「人魔大戦」と呼ばれる、千年にわたる血と憎悪の時代の幕開けであった』
そこから先の記述は、凄惨の一言に尽きた。人間族の中に「勇者」と呼ばれる異能の者が現れ、彼は世界の理そのものを書き換える、呪いにも等しい魔法を編み出した。その魔法は、魔族全体の能力を強制的に抑制し、本来の実力を発揮できなくさせたという。
数の上で劣る魔族は、個々の圧倒的な力で人間を退けていた。だが、その力が呪いによって削がれてしまえば、もはや人間族の物量戦術の前には為す術もなかった。
『四百年の永きにわたり、我らの祖先は耐え続けた。だが、呪いは世代を超えて血に溶け込み、魂にまで刻み込まれてしまった。弱体化した魔族は、ついに勇者の一族に魔王を討たれ、敗北したのだ』
物語はそこで終わらない。人間族の蛮行は、魔族だけに留まらなかった。彼らは勇者の呪術をさらに改良し、人間以外の全ての種族にその枷をはめた。獣人族は奴隷に、精霊族は森の最深部へ、竜族でさえも人の立ち入れぬ極寒の地へと追いやられた。そして俺たち魔族は、大虐殺の末に、かつての十分の一まで数を減らし、この魔族領の奥地で、破壊不能の結界に閉じこもるようにして、かろうじて命脈を保っている。
それが、この世界の歪んだ真実だった。
俺が本を閉じようとした、その時。最終ページの余白に、本編とは全く違う、鋭く、怒りに満ちた筆跡で書きなぐられた一文があることに気づいた。
『――人間どもは知るまい。我ら魔族を縛る呪いは、永劫の時の流れの中で、今、わずかに綻び始めている。復讐の時は、近い』
誰が書いたのか。だが、その執念にも似た一文は、俺の心に深く突き刺さった。
「スタン?そんなところで何をしていますの?」
母さんの声にはっと我に返る。俺は慌てて本を元の場所に戻した。
「この子は、本当に本が好きですのね」
母さんは優しく笑い、俺を抱き上げた。その腕の中で、俺は先ほどの文章を反芻していた。
呪いの綻び。そして、復讐。俺の持つ、この規格外の成長スキルは、あるいは、この歪んだ世界をひっくり返すための、何か大きな意味を持っているのかもしれない。