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狂犬嬢と羊な執事と迫る危機

 職場に子供がまぎれこんできた。トコトコと、やわらかい足音がヘッドホンで覆われた耳に届く。

 別に珍しいことではない。八木はいつもの緊張が全身を支配するのを感じた。

 急いでプレイしていたゲームを中断し、リモコンでテレビをOFFにする。

 ヘッドホンを外すと、首がねじ切れる勢いで振り向いた。

 しかしそこにいたのは予想した人物ではなかった。

 度がきつそうな、やたらに分厚い眼鏡をかけたその少女は、八木が突然反応したせいか、肩をビクッと震わせ三十センチメートルばかり後ずさって、転んだ。

 どうやら着ていた白衣のすそを踏んづけてしまったようだ。無理もない、むやみに大きいその服は、八木が着てもだいぶ丈が余ってしまうだろう。

 八木はどうしたものかと対応に窮したが、とりあえずあわてて立ち上がった少女に、落とした眼鏡を手渡してやった。

「あ、ありがとうございます! えと、羊さん、ですよね」

 少女はあたふたと眼鏡をかけなおすと、なぜか八木を下の名前で呼んだ。

 眼鏡の透度が恐ろしく低いせいで眼が見えない。口元は笑っているようだったが、表情をうかがうことはできなかった。

「どちらさまですか」

 八木は営業用の態度で接することにした。

 本音を言えば、無視を決め込んですぐにでもゲームの世界に戻りたいところだったが、この少女が主の友人か何かである可能性も無視はできない。そうだった場合、ひとつ間違えば物理的に首が飛ぶこともありうる。

 そしてその考えはおおよそ正しいものだった。

「七点だな、八木」

 執事の主人、陽花が扉の陰からラスボスのごとき悠然さを持って、ゆっくりと姿を現し、五十インチの大型テレビをピシと指差した。

「待機電源まで切っていたならプラス五点」

 珍しくスカート姿ではない嬢が振り上げたかかとは、実にスムーズに執事の左肩にすいこまれていった。

「さてと。それじゃカンパリちゃん、自己紹介」

「はい、オビユメカンパリといいます。よろしくお願いします」

 カンパリと名乗ったその少女が執事の体調についてはあまり関心が無いらしいのは、彼にとって残念なことだった。鎖骨は七点分の手加減で、なんとか折れずに保ってくれたようだ。

「そういうわけで八木、おまえに彼女の身辺警護を一任したい」

 どういうわけか、嬢は光栄に思えと言わんばかりに大きくふんぞり返った。

「最初は九生さんに頼んだんだがな……」

 職務忠実な執事長は、仕事を増やしたくないがゆえに命令される前に断ることがよくある。

「分かりました。けれどいったい何から守れば」

 八木がおしまいまで言う前に、事情を説明するまでもなくなる、爆音が館を揺るがせた。

「みなまで言う必要がなくなったな。要はこれから守ってくれ」

「なんですかこれは?」

 パタパタと間の抜けたスリッパの音を立てて、枕を抱えてコックのいろりばたが現れた。パジャマを着ていることから、今の今まで寝ていたことが分かる。

「あ、すいませんお嬢さま。食事はまだできてないんです」

「見ればわかるよ。そんなことより今何時だと思ってるのかな」

 時計は午後の四時を示していた。そのとき二回目の爆発がおこり時計が落下し、針は停止した。

「ムニャムニャ。まったくひどい騒ぎです」

 続いて執事長・大日九生が例によってパジャマ姿であらわれた。

「執事長、今回はあなたも“めんどくさい”ではすまなくなったようだ」

「それはまた面倒な事態ですね」

「三人とも言ってる場合じゃないでしょう! どうするんですかこれ」

「ん、しょうがないね。それじゃあ行くとしましょうか。幸い御一人でのご訪問のようですし」

 執事長はギンガムチェックのナイトキャップを脱ぎ捨てると、拳を鳴らして歩き出した。

「行くって……」

「お客様のお相手を務めるのも、私の仕事の内ですからね。いろりくんは紅茶の用意を、八木くんは安心して引きこもってでもいてください」

 執事長はフランス国歌を口ずさみつつ玄関に向かう。背中がとても勇ましい。

 普通の人間にはどうすることもできそうに無い。コックのいろりばたは言われたとおりにするため、厨房に小走りで向かった。

 執事は警察を呼ぼうと携帯を取り出したが、防害電波が出ているらしく通じない。外線電話もこの分では試すだけ無駄だろう。

 執事は窓の外から何か迫ってきているのを感じた。そちらを見るとミサイル的なものが、まっすぐに、この部屋めがけて突き進んできているのが分かった。

 とっさに嬢とカンパリを両脇にひっつかんで部屋の外に飛び出す。

 直後、今までとは比べものにならない爆音が轟いた。

 両手がふさがっているので、執事は鼓膜に直接ダメージを受けた。嬢が何か叫んでいるようだが聞き取れない。

 恐る恐る部屋の様子を伺うと、特にどうもなっていなかった。せいぜい出窓においてあったサボテンが、カーペットの上を転がっているぐらいである。防弾ガラスが爆撃を防いでくれたのだろうか。

「どうやらここは安全みたいですね」

 叫びつかれたのか顔を真っ赤にしている嬢は、最後の力を振りしぼって「降ろせ!」と執事に命じた。執事はまだ二人を抱えていたことをようやく思い出した。

「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」

 執事の手を離れたカンパリは、転がるサボテンを拾い上げ出窓に戻す。

「一人ぐらいならたいていの事はどうにかしてくれます」

 誰がどうしてくれるのかは聞かない。執事にとってはそれ以上に知らなければならないことがいくらでもあった。

「カンパリちゃん、って言ったっけ。実は何から聞くべきなのか見当もつかないんだけど」

 執事は体裁を取り繕うこともせず率直に言った。彼の精神状態は混乱をとうに飛び越え、すでに自暴自棄の段階に差し掛かっていた。

「良いですよ。ゆっくりお話しましょうか。ゲームでもやりながら……」

 待機電源が入ったままだったので、カンパリはリモコンでテレビをONにする。

 案の定先ほどまでのデータは、爆発の衝撃で飛んでいた。執事はやり場の無い怒りをサボテンにぶつけた。予想よりも、トゲが痛かった。

「あ、この時代のゲームはまだ二次元上擬似三次元モデルか。酔っちゃうんですよね、これ……」

 カンパリが意味不明の独り言をぶつぶつとつぶやいている内に、窓の外で動きがあった。

 屋敷の正面に広がる庭園の一角、そこだけ小高くなっている築山の頂上に、爆撃犯と思しき人物が姿を現したのだ。

 手にはバズーカ砲の類ではなく、なにやら拡声器を持っている。執事長の姿はまだ見えない。

「そちら側の人間に告ぐ。こちらは“ドリームベルト”を要求するものだ!」

 メガホンを使用しているとはいえ、さっきの爆発なみの大音声が届いてきた。

 しかし執事が驚いた点はそこではない。

 まず敵が女性であったこと。てっきり、ボディビルダー上がりのハリウッドスターのような男が相手だとばかり思っていた。

 そしてその女の着ている服がなんというか、それこそさっきまでやっていたゲームに出てくるような、平たく言えばコスプレだったことが、執事の精神崩壊をさらに助長した。

「ドリームベルト?」

 それでも聞き取れた単語をはんすうする。どこかで聞いたことがある気がする。

「おそらく私のことを言っているのでしょう。改めまして、帯夢間針と言います」

 少女はペコリと頭を下げた。

「カンパリちゃんは天才科学者なんだ。それも超が百の百乗個ぐらいつくな」

「なるほど。それでヒットマンに狙われている、と……」

 執事はもうめんどうで仕方なかったので、無理やり納得することにした。

「おそろしく物わかりのいい方ですね。気に入りました」

「ちなみに丹羽さんを作ったのも彼女だ」

「えっ? あれって中に人が入ってるんじゃないんですか?」

 中の人などいないっ! という声がどこからか聞こえた。

 窓の外を見ると庭師の丹羽が、文字通り体を張ってミサイルを止めている。疑問が一つ解消された。

 ミサイルは庭師の丹羽に当たった瞬間、確かに爆発しているし、庭師の丹羽もきちんと粉々になっているのだが、次の瞬間にはきちんと元通りにボディが再生している。

「あれこそが私と、未来技術の粋を結集させて作った最強の御庭番ロボット。その名も丹羽イージー・リコンストラクトです」

 ミサイルが当たったわけでもないのに庭師の丹羽は爆散した。〜ロボット、の辺りが聞こえてしまったのだろう。もちろんすぐに直る。

 弾が切れたのか、それ以上の追撃は無い。

 そして、こちら側の戦力が、とうとう敵の居場所に到着した。

 築山の上に陣取っていた女のところへ、パジャマ姿をした人間がゆっくりと斜面を登り、近づいていく。


「現在の被害は時計が一つ。弁償さえ約束してくだされば、どうぞそのまま回れ右、お帰りになって結構でございますが」

 執事長は慇懃無礼にそう言った。しかし女はあくまでも無言のまま、ただやってきた相手を睨みつけるだけだ。

「……」

 女はさっきまでミサイルを放っていた重々しい筒を捨てると、右手と左手に一挺ずつの拳銃に持ち替えた。どちらにせよ、そのファンタジックな衣装には似つかわしくない。

「はあ……、こういうのは本来警備員の仕事なのですが生憎と今、全員が食中毒でして。失礼を承知で、部署違いの私が、お相手を務めさせていただきます」

 女が二挺拳銃の照準を執事長に合わせる。

「や、しかしここには久々に登りましたが、良い眺めですな。当家は優秀な庭師がおりまして……」

 冗長なセリフを遮る、巨大な風船が割れるような音とともに、執事長のパジャマの裾に風穴が開いた。ちょうど水玉模様の上であるから、あまり目立たない。

「……その庭師に代わって聞かせていただきたい。東西南北、お好みの方角をどうぞ」

「北」

 女はすんなり答えたが、執事長が後に言葉をつづける前に、両手に持つフルオートマチックの引き金を、眼前の敵めがけて引き絞った。 

 絶え間ない炸裂音が止む。発射された全弾は対象に命中し、跡形も残っていないはずだった。

 そしてそれは実際にそうなっていたが、粉々になったその物体は、瞬時に再生し復活した。

 何が起こったのかもわからないうちに、足下の死角から伸びてきた腕に拳銃をたたき落とされ、女は襟元をしっかりと固められる。

「言ったでしょう。優秀な庭師がいる、と。この庭園はその子のテリトリー。そしてこの季節に、北の一角を彩っているのは――」

「底ナシ沼デスネ」

 教科書に載っていてもおかしくないような美しい背負い投げによって、女の意識は途絶えた。

「それじゃ丹羽ちゃん。このボロ雑巾を北に……。って、あれ?」

「ドウサレマシタ?」

「この顔、どこかで見たことが……」


「ひ、光子おねえちゃん!?」

「あれ、陽花ちゃんじゃない。どうしてここに」

「やはりそうでしたか。危うく永遠に消息不明になるところでした」

 執事長は胸をなでおろしていが、二人の少女は従姉妹がなぜその場にいるのか、まるで理解できないようだった。

「どうしてお姉ちゃんがカンパリちゃんを?」

「え、誰?」

「だって、“ドリームベルトを”って……」

「わたしがやってるMMORPGのレアアイテムのことだけど」

 一同からは深いため息。残酷すぎる現実に、もはや言葉も出てこないようだ。

 ただひとり、執事だけが小さく歓声をあげる。

「あぁ、それだったのか!」

「ッ! この執事は……」

 どうやら嬢はその一言ですべてを理解したらしい。背後から執事を抱きかかえる。

 嬢は五十センチ近い身長差をものともせず、それはそれは見事なジャーマン・スープレックスで執事を抑え固めた。

「そういえばその格好もたしかあれっしょ? エルフの……」

「つまりはお前か」

 ジャーマンを極めたままで嬢が訊く。

「はい?」

「お前のゲームのせいで、さっきの襲撃があったのか」

「いやでもかなり昔の話ですし」

 二人とも首周りなどが相当苦しい体勢のはずだが、普段と変わらずに会話が進んでいる。すでに慣れっこになってしまっているらしい。

「昔もくそも……あるか! ひっさぁッ!」

 コックのいろりばたが年代もののティートローリーを押して、部屋に入ってきた。きちんと人数分のカップが乗せられている。

「なんだかずいぶんいいところみたい。お邪魔でしたでしょうか」

「いや、ちょうどいいとこだったよ。わたしはもうひと眠りしてくるから、いろりちゃんあとはよろしく」

 そう言うと、パジャマ姿の執事長は、落ちていたナイトキャップを拾い上げ、レモンティーをすすりながら部屋を後にした。

 任されたものの、いろりばたにはこの状況を収拾する自信はなかった。

 主人は執事にキャメルクラッチをかけ、その執事はこころなしか口元をほころばせている。

主人の友人と従姉はゲームに興じている。

 そして庭師は――

「ねえ博士、どうして私の周りにはこんな連中しかいないんでしょうかねぇ……」

 気が乗らないバラの剪定もそこそこに、人知れずため息を漏らすのみであったという。

                 


おしまい


登場人物紹介


・執事:八木やぎ ひつじ

 主人公。執事というよりは書生。M。


・嬢の友人:帯夢おびゆめ 間針かんぱり

 未来からやってきた天才科学者。思わせぶりだが、別になんでもない。メガネ。


・嬢:むらさき 陽花はるか

 柔よく柔も剛も制す。姫カット。小学生。


・コック:いろりばた(いろり はた)

 特になし。頭は悪い。アホの子。


・執事長:大日おおにち 九生くしょう

 めんどくさがり。ねぼすけ。コンタクト。


・嬢の従姉:ほとん 光子ひかりこ

 ゲーム脳。大学生。裸眼。


・庭師:丹羽にわ

 東はバラ園、南は迷路、西は池。そのどれもが庭師の許可なしに入れば二度と生きては帰れない前人未到の呪われしダンジョン。自らが手入れした庭園の中であれば、どこでも二秒で移動することができる。


・メイド:三宅めいどの みやけさん

 本編未登場。新潟出身。ジャージ。


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